岸 政彦・柴崎友香「大阪」

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NHKEテレで「ネコメンタリー 猫も、杓子も」という番組があって、作家や学者が猫と暮らす日常を記録したドキュメンタリーだが、この番組を見て、本書の著者のひとりである岸政彦氏を初めて知った。番組の中で描かれた、著者が散歩する街の風景が、大阪の港区あたりの、都会だけどちょっと外れたというか、ちょっと寂れた場所だったのが印象に残っていた。著者は社会学者で、小説も書いているという。書店で、本書を見つけた時、この番組のことを思い出して、購入することにした。もうひとりの柴崎友香という作家も初めて読む人だ。

今までにない視点の大阪。

本書の特色は、これまで読んだことがない「大阪」が描かれていることだ。柴崎氏は、大阪の南西部のの大正区に生まれ、育ち、2005年に大阪を出て東京に移り住んでいる。大正区は、大阪市の中では交通のアクセスがよくないこともあって、大阪市民でもあまり行かない街である。また沖縄出身者が多いことでも知られている。岸氏の方は30年ほど前に学生として大阪にやってきて、この街で働き、結婚し、家を建ててずっとこの街に住んでいる。本書によると北部の上新庄住吉区などに暮らしてきたという。この二人の著者が大阪についてのエッセイを交互に書くというスタイル。大阪と言えば、普通、ミナミかキタが描かれることが多いが、本書は、そういう大阪をほとんど描かない。

地元、淀川の河川敷、再開発、マイノリティ、散歩。

岸氏が描く大阪は「観光」の対極にある大阪である。大阪の地元で子供を産み育てたかったという話。淀川の河川敷が宇宙で一番好きな場所だと言う話。大阪市南部の駅前商店街で起きた再開発騒動の話。在日や被差別部落などのマイノリティの話。そして5時間かけて20kmも歩く散歩の話。岸氏が大阪を見つめる視点は一般的な大阪人の感覚とはかなり違っている。大阪の人々が淀川の河川敷に出かけるのは「淀川の花火大会」ぐらいだし、普通の住宅街を数時間もかけて20kmも散歩したりしない。本書を読み進めるうちに、読み手の中に今までと異なる大阪のイメージが像を結んでいく。岸氏は街を散歩しながら、ありふれた街並みの裏側や、ふとすれ違う人々の人生に過剰なほど想像力を働かせる。ふだん僕らが街を歩く時のデファクトモードは「無関心」である。なぜ著者はこれほど、大阪の人々のありふれた生活に関心を寄せるのだろう。NHKの「ネコメンタリー」で著者が散歩していた街並みも、港区と思われる、どちらかというと「殺風景」な風景だった。その殺風景を著者の視点で見ると、どこか懐かしくある種の抒情さえ感じられてくるのが不思議だ。

「よそ者」の大阪。

本書における岸氏の視点は、大阪の地元に育った人間の視点ではないと思う。大阪に憧れを抱き、外部からやってきて、大阪に溶け込もうとして、溶け込めなかった人間の視点ではないか。「それにバブル当時の大阪は、みんな我儘で、金を持っていて、かっこいい街だった。女の子たちも派手で、ノリがよく、とにかくたくさん酒を飲んだ。そしてその大阪、自由で、反抗的で、自分勝手で、無駄遣いが好きで、見栄っ張りな大阪は、この三十年で完全に没落してしまった。」と書くのは、かつて憧れ、入り込もうとした「大阪」が失われてしまったことを嘆く「よそ者」の思いではないか。僕自身も、大阪は仕事その他で40年以上も通い続けている街だが、地元の人間だと思ったことは一度もない。自分がよそ者であるという自覚は、これからもずっと変わらないだろうと思う。

 大正区から始まる物語。

岸氏が「ネコメンタリー」の中で散歩していた港区あたりの殺風景な街の一つである「大正区」から、柴崎氏の物語は始まる。隈研吾が言っていたライトインダストリーエリア、小さな町工場が点在し、加工機械の音が響き、鉄や油の匂いが漂っている下町の記憶にはじまり、母親が美容室を開いた商店街の記憶へ。さらに成長するにしたがって、著者の世界は、大正区の外へ、難波や梅田へと広がっいった。まだビッグステップがなかったアメリカ村楽天食堂、カンテグランテ、蕎麦の凡愚、小劇場ブーム、バナナホール扇町ミュージアム、アセンス、花形通信…。それと同時に漫画やテレビ、音楽、映画、演劇など、メディアの世界にも広がっていく。著者は、バブル時代に生まれた様々なカルチャーを体験しながら、小説家を志してゆく。著者が体験した80年代〜90年代のパワフルで活気に満ちた大阪は、僕も同時代で体験している。本書を読むと、あの頃の記憶が次々に甦ってくる。毎日、仕事が死ぬほど忙しくて、帰宅するのはほぼ午前様。ほんとによく働いた。遊んだ記憶はあまり無かったが、本書を読むと、けっこう色々な場所に出かけていたようだ。ほんとに懐かしい。勤めていた会社が西区の西の端にあったこともあって隣の大正区へはよく出かけていた。沖縄料理の店もよく利用していた。スタッフの中には、三線を習いに行っていた人もいた。

 感想。

本書を読んでいると、なぜか甦ってくる記憶がある。遠い昔、20代前半に大阪でバイトを見つけ、住む場所を探していた頃、住みたかった街のことだ。実際に住んだのは、尼崎市の南部の杭瀬という街で、母の実家も近かったので土地勘もあったのでこの街に決めたのだが、あまり治安がよくなくて、空き巣に入られたりしたので、引っ越しを考えていた。その候補にあげたのが大阪市の西部の此花区や港区だった。都会に住みたかった。しかし梅田や難波と言った賑やかな場所ではなく、かといって豊中や池田や枚方のような郊外でもない。近くに工場や倉庫などがあり、できれば大きな河のそばがいいな、と思っていた。住む場所を探して、西淀川区に始まり、此花区、港区あたりを歩きまわった記憶がある。いまから思うと、5歳まで住んでいた尼崎の記憶のせいではないかと思う。近所に小さな工場がたくさんあり、騒音と鉄や油の匂いが漂っていた。此花区、港区、大正区あたりには同じ匂いがあったせいだろうか。著者が「宇宙で一番好きな場所」だという淀川は、著者ほどではないが、僕も、大阪で最も好きな場所のひとつだ。特に梅田の高層ビル群を割と近くから眺められる中津あたりの土手や河川敷を歩くのは大好きだ。都心にこんなに近いのに、人とあまり出会わない閑散とした空間が存在していることが嬉しくなる。岸氏の小説「ビニール傘」も読んでみたい。

 

港区や大正区あたりの風景が描かれた本書の装画は、本書の中でも触れられている楽天食堂の小川雅章氏の絵だという。湾岸エリアの、ある意味「荒涼とした」と言えないこともない風景が、なぜか懐かしく、心地よく感じられるのが不思議だ。