大阪マラソン2023完走記

大阪マラソン2023

2022年11月20日神戸マラソンから3カ月後の2月26日。5回目の参加になる大阪マラソンを走った。2022年の大阪マラソンの一般部門がコロナのせいで直前に中止になり、出走の権利が今年にそのまま持ち越された大会。追加募集があったらしいけど、コロナ禍のせいかな。各地のマラソン大会も定員割れが増えていると聞く。マラソンブームに乗っかって1回だけ参加してみたみたいな人が一巡して、本当にランニングが好きなランナーだけが残っているということかな。

神戸の後、練習再開が早すぎた。

神戸マラソンで久しぶりに完走を果たしたあと、気をよくして大阪では自己ベストを狙おうと、神戸を走った3日後から練習を再開。これがよくなかった。数キロぐらい走ったところで右脚の付け根に違和感を感じた。さらに走り続けると痛みが出てくる。走るのを止めて歩きだすと痛みが消える。走り出すと痛くなる。そのまま走り続けると、痛みが強くなってくる。大事をとって、その日は歩いて戻った。翌日、走り出すと、今度は1km行かないうちに違和感と痛みが出てきた。フルマラソンのあと、練習再開が早すぎたのかもしれないと思い、3日ほど休んで練習を再開すると、やっぱり同じように痛みが始まる。これはマズイと思い、まる1週間練習を休んだ。1週間ガマンして練習を再開したが、痛みはないものの、5km以上走ると違和感が出てくる。そんな状態がしばらく続き、12月はまともな練習ができなかった。本格的な走りこみは年が明けてからになってしまった。

いつものことながら練習不足で本番。

定年後、時間はたっぷりあるので、しっかり練習できると思うのだが、今回も走り込み不足のまま本番を迎えてしまった。元々寒いのが苦手で、冬はあたたかい室内でぬくぬくと読書やテレビ、昼寝するのが一番というタイプなので、冬期の練習がなかなか進まないのである。普段の練習場所である武庫川の河川敷コースは、車も通らず、信号もなく、片道10km以上走れる恵まれたコースだが、冬期はたいてい北西の風が吹く。自宅がある宝塚から走ると往路は追い風だが、復路は決まって向かい風になる。夏場なら向かい風で涼を取ることができるが、冬場は冷たい北西風(強風であることも多い)を受けながら走り続けることになる。自宅に戻ってくる頃には身体が冷え切って、指先もかじかんで玄関の鍵も開けられないこともしばしば。防寒装備で走ればいいと思うかもしれないが、厚着で走り始めてしばらくすると体温が上がってきて大量の汗をかく。すると今度はその汗が冷えて体温を奪うのである。本当に冬のランニング装備は難しい。厚着の装備で窮屈そうに走る僕の横をランニングシャツと短パンで軽々と追い抜いてゆくランナーたち。君たちはどういう神経をしてるワケ?さらに今年の冬は天候も不順で、走れない日も多く、1月の走行距離は200km程度にとどまった。2月になっても走行距離は150km弱と伸びなかった。

新コースは難コース!?

2019年からコースに変更があった。それまでは大阪城公園の西側をスタートして、ゴールは南港のインテックス大阪前だったが、今回は大阪城公園横を出発して、大阪城に戻ってくるコースになった。コース図を見ると、折り返しが5カ所もある。さらに30km付近に高低差が集中している。いわゆる上町台地のアップダウンである。ここは以前のコースでも通った場所だが、前半の元気があるうちに通過していたので、それほど辛くはなかった。しかし今回は30kmという後半に出会う難所なので辛いかもしれない。心して走ろう。

新型コロナ対応の手続きに戸惑う。

大会2日前の金曜日、1年前から通っている陶芸教室を午前中で切り上げ、南港のインテックス大阪に向かった。ランナー受付のためである。従来は大会事務局からゼッケンの引換証が送られてきて、大会の前々日と前日に開催されるマラソンEXPO会場に持っていけばゼッケンがもらえた。今回は引換証はネットでダウンロードし、印刷して持参するか、スマホの画面を見せればOKだ。さらにコロナ対策としてスマホにダウンロードした体調管理アプリで大会1週間前から体温や体調その他を記録して毎日送らなければならない。体調の記録と送信は大会後1週間まで続けることが求められた。何年かぶりのインテックス大阪。受付はスムーズに済み、マラソンEXPOの会場を回った。コロナのせいか、グルメコーナーも無く、ちょっと淋しい印象。ミズノをはじめとするスポーツメーカーやサプリなどのメーカーなどがお店を出しているが、価格が安いわけでなく、買う気にならない。塩タブレットを一袋購入したのみ。マラソン当日に着るウエアや装備は、あらかじめ練習の段階で身につけ不具合がないか試しておかないといけない。数年前の神戸マラソンで、前日のEXPOで買ったウエストバッグが走っているうちにベルトが緩んできて何度も締め直す必要があり、締め直すためにはわざわざ立ち止まってバッグを外さなければならず、そのためにかなり時間をロスしたことがある。それ以降、ウエアや装備は、事前に最低でも10kmは走って問題ないことを確認することにしている。帰りに梅田のヨドバシのスポーツショップに立ち寄って、大会に携行するジェルサプリを4パック購入。翌日の土曜日は、午後早い時間に歩いたり、走ったり、ストレッチをしたりしながら4kmを消化。夕食を早めの5時に済ませて、翌日の準備をし、午後10時にベッドに入った。しかし神経がたかぶっているせいか眠れず、最後に時計を見たのは午前0時過ぎ。

なんか雰囲気が違うぞ!

起床は4時45分のアラームが鳴る3分前に目が覚めた。パンと紅茶の朝食を済ませ、顔を洗い、装備を身につける。関西圏のマラソンの場合、走る装備を身につけ、その上に防寒着などを着て出かけることが多い。6時10分頃、自宅を出る。宝塚発6時31分の新大阪に乗るつもりだったが、すでにホームに東西線に入る27分初の快速電車が止まっており、宝塚発なので、座って行けるため、こちらに乗り込む。ランナーらしき乗客もチラホラいる。宝塚を出て、川西池田、伊丹と停車する度にランナーらしき乗客が乗り込んでくる。シューズに測定用のスマートタグを装着しているので参加者だと知れる。尼崎で大阪行きに乗り換え。このまま東西線で京橋まで行けるが、各駅停車になり時間がかかるので大阪駅まで行く。大阪駅で地下鉄御堂筋線に乗り換え、本町まで行って中央線に乗り換え、森ノ宮まで行くつもりだった。というのは前回の大阪マラソンで、大阪駅での環状線への乗り換えが混雑し、さらに降車する京橋や大阪城公園駅でも改札を出るのに時間がかかった記憶がある。しかも今回はスタートとゴールが大阪城公園のため、森ノ宮駅がいちばん近くなる。地下鉄の乗り換えようと改札に向かいながら、環状線のホームを見ると、全然混んでいないではないか。急遽、ルートを変更して環状線ホームに向かう。混んではいないと言っても大阪マラソン参加者で電車はすぐ満員になった。京橋駅で少し、大阪城公園駅で大半のランナーが降りていく。残ったランナーは森ノ宮下車を選んだ人たちだ。森ノ宮では混み合っているが、前に進まないほどではない。大阪城公園に入ってしばらく歩くと検温ゲートがあり、検温を受け、検温ずみのリストベルトをもらう。右手の方に進むと更衣テントがあり、中をのぞくと空いているようなので、入って着替える。着替えると言っても防寒ウエアを脱ぎ、リュックにしまって手荷物袋に入れるだけ。手荷物エリアに移動して手荷物を預ける。以前は南港がゴールだったので、トラックがずらりと並んでいたが、今回はゴールも大阪城公園なので、大きな台車を並べて荷物を保管してくれる。トラックで運ぶ手間やコストがかからず、こちらの方が合理的かもしれない。手荷物を預けた時点で8時過ぎ。スタートブロックに向かう。途中でトイレを済ませておこうとトイレの行列に並ぶ。これが長かった。30分以上かかったと思う。比較的早めに会場に入ったにもかかわらず、トイレを済ませて、スタートブロックに並んだのは9時前になった。今回の大阪マラソンは、全体にトイレの数が少なすぎた。スタートしてからも仮設トイレが少なくて、どこでも長い行列ができていた。トイレ不足は競技に少なからぬ影響を与えていたと思う。

装備メモ。

装備を記しておこう。シューズは神戸でも履いたアシックス・マジックスピード2の2足目。カーボンプレート内蔵の厚底だがクセが無くて初心者でも履きやすい。色をオレンジからブルーに変更。薄めの防寒タイツの上にに膝丈のパンツを重ねる。トップは10年以上着続けているワコールCWXの長袖シャツに2019年の宝塚ハーフマラソンの参加賞の半袖速乾Tシャツを重ねる。帽子はAirpeakのベンチレーションキャップ。帽子の前面と側面に空気取り入れ口を設け、風を内部に誘導して蒸れを防ぐスグレ物だが、ツバの部分の芯材のプラスチックが割れてしまったために再度購入して今回に間に合わせる。手には10年使って穴が空きかけたスマホ対応の防寒グローブ。時計はGARMIN ForeAthlete55。もう数年以上使いつづ受けているウエストバッグには、ハンディティッシュ2個、サプリのジェルを3個、塩タブレット3個、iPhoneを収納。最後に防寒用の使い捨てのビニールポンチョを被ってスタートを待つ。

知事も市長もいない。応援の有名ランナーもいないスタート。

スタートブロックに並んで待っていると、何か雰囲気が以前の大会と違う。大規模な市民マラソンでは、オープニングセレモニーというのか、知事や市長などの自治体トップをはじめ、タレントや有名なランナーがゲストに呼ばれ、賑やかに始まるのだが、スタートラインからかなり離れているせいか、セレモニーらしき音が全然聞こえてこない。今回はコロナ禍に始まったウエーブ方式のスタートで、3波に別れて出発する。僕は第2ウエーブ。第1ウエーブがスタートしたらしく集団が前に移動すると、ようやくタレントの森脇健児らしき声が聞こえてきた。彼の賑やかな応援を聞きながら少しずつ前へ進む。そしてスタート!以前の大会だと号砲を鳴らすのは知事や市長など、自治体のトップであることが多かったが、今回の陸連の幹部がピストルを鳴らした。集団がゆっくりと動き出した。府庁前のスタート地点を通った時、応援スタンドの方を見るとIPS研究所の山中伸也氏の姿が見えた。しかし他には知事も市長もゲストのタレントやランナーも見えないので、なんだか地味な印象。

スタート直後、いきなり渋滞。

前回は南に向かってスタートしたが、今回は北向き。道が緩やかに下ってゆくのは、このあたりは上町台地の北端に位置しているためだ。ウエーブスタートのせいか、割と早く歩きからランに移行した。ペースは6分台後半とゆったりめ。大阪城公園の西側を北上し、寝屋川を渡り168号線に出て東へ向かう。片町で京阪本線のガード下をくぐって野田東の交差点へ向かう。交差点の手前で急に集団が止まった。交差点を曲がるところで急に道が狭くなっているために、渋滞が発生したらしい。2〜3分のロスになった。国道1号を西へ。ランに戻って桜宮の橋を渡り、造幣局のそばを通って西へ向かう。3kmを過ぎたあたりで、周囲を見回す余裕が出てきた。前方に、着物に裸足という女性ランナーが走っている。薄っぺらなサンダルやソールが全く無いシューズで走っているランナーを時々見かけるが、裸足でフルマラソンを走りきろうという彼女は、相当の猛者と見た。南森町の交差点左折し、谷町筋を南へ。天神橋を渡り、右折して土佐堀通りを西へ。淀屋橋で右折し、大江橋の手前で左折して渡辺橋へ向かう。渡辺橋の南詰を左折して、四つ橋筋に出るが肥後橋を渡ったところで左折して土佐堀通淀屋橋方面へ向かう。何度も忙しく交差点を曲がるので、土地勘の無いランナーはどこを走っているかわからなくなってしまうだろう。淀屋橋で右折すると、ようやく御堂筋に入る。給水コーナーがあったのでスポーツドリンクを補給。ついでにずっと身につけていたビニールポンチョが暑くなってきたので、脱いでゴミ箱に放り込む。結果的に、この選択は失敗だった。

賢い!自作ポンチョ。

5kmの手前、土佐堀通を走っている時に、面白いポンチョを身につけたランナーを発見。普通の透明なゴミ袋に穴を開けただけのよくあるポンチョだが、背中や脇の部分に切れ目が入っていて、空気がこもらずに背中に抜けていくようになっている。しかも切れ目の周囲は養生テープで丁寧に補強してある。ゴミ袋を利用したポンチョは寒い時期のマラソンに威力を発揮するが、身体が温まってくると、汗が発散されず蒸れて不快になるので、大抵はスタート後しばらくすると脱いで捨ててしまうことが多い。同じような自作ポンチョを身に付けたランナー(しかも色違い)がすぐそばを走っていた。

トイレの行列で10分ロス!

御堂筋を南下し、難波で千日前通裏を西へ向かう。このあたりは昔の職場に近く、土地勘もあるので、街並みの変化を楽しみながら走れる。ペースは1km/6分30〜45秒をキープ。大正橋で京セラドームを左に見ながら右折。松島球場のそばまで行って最初の折り返し。すぐ右折して京セラドームの北側を西へ向かい、みなと通りに出る。みなと通りをしばらく走ると2度目の折り返しを通過。そのまま同じ道を戻って、大正橋、千日前通りに戻ってくる。地下鉄の桜川駅の手前で右折してなにわ筋を南へ。南の端の岸里で折り返す10kmほどの区画は、真っ直ぐで単調な風景が続く。ここまで通過したすべての給水所でスポーツドリンクor 水を補給してきたが、気温も上がらないため、あまり汗をかかず、そのせいかトイレが近くなってきた。仮設トイレの前を通る度に並んでいる行列をチェックするが、どこも長い行列である。普通、コースの後半になるほどトイレに並ぶ行列は短くなってくるが、気温が低いせいか、20kmを過ぎても行列が縮まらない。仕方なく、折り返し点を過ぎてから、23kmあたりのトイレの行列に加わる。再び走りはじめるまで10分を要した。このこともあって、後半は水分の補給を控えるようになったが、最後の最後にその影響が出てきたと思う。

文字通り30kmの壁!

千日前通りに戻ってすぐ25kmを通過。足はまだ動いているが、ペースは7分台に落ちてきた。国立文楽劇場を過ぎてすぐ右折し、松屋町筋を南下。4度目の折り返し点に向かう。天王寺公園の手前で折り返し、北上。千日前通りに戻った途端、目の前にコース最大の難関が立ちはだかる。文字通り30kmの壁だ。大阪市内はほぼ平坦だが、唯一南北に伸びた「上町台地」だけが20mほどの高低差を持っている。天王寺七坂、阿倍野七坂と呼ばれる坂は、この台地をめぐる坂なのである。迷わずペースを落とし、ゆっくり登っていく。30km過ぎから35km手前まで、上町台地の高低差がランナーを苦しめる。しかも、この頃から冷たい風が吹き始めたため、早々と捨ててしまったポンチョのことを後悔する。32km付近で再びトイレの長い行列に並ぶ。やっぱり10分のロス。

ありがとうバナナマン

5度目の折り返し点を過ぎて35〜36km付近で、元会社の同僚だったU君がランナー仲間の応援に来ていると事前にFacebookで投稿していた。何とか彼のいる地点まで行き着こうと最後の力を振り絞る。四天王寺のそばで最後の折り返しを済ませ、勝山通りで右折し、35km地点へ向かう。途中、コースは道路の右半分のみを走ることに。従って応援は道の右側の歩道に集中している。応援の中にU君を探すが見当たらない。ふと反対側の歩道にポツンと奇妙な人物が立っている。バナナの仮装!「U君だっ!」しかし中央分離帯があって反対側には行けない。分離帯の切れたところまで戻るにはかなり戻らなければならない。コース前方に交差点があるがかなり先である。仕方がない。えいやっと分離帯のフェンスを跨ぎ越えようとするが、35kmを走り続けてきた足は思うように上がらず、攣りそうになる。それでも無理やり足を引っ張り上げてフェンスを乗り越え、U君の元へ向かう。皮をむいた一本のバナナを全身で表現したオリジナルの仮装が見事。このマラソンで唯一の知り合いの応援に元気をもらって、残り数kmに向かった。

初めて経験する痛み。

勝山通りから左折し、コース最長の直線区間となる今里筋を北上する。冷たい北風が正面から吹いていて、寒かった。スタート後に捨てたポンチョを捨てずに持ってくればよかったと、少し後悔した。U君の応援をもらった後は、楽勝で行けると思っていた。5時間以上走ってきた脚の疲労は極限に達しているものの、まだ動いているし、ひどい痛みもない。ところが、しばらくするちょうど右側の肋骨の奥のあたりが痛み始めた。横隔膜のあたりがこわばるような痛み。あと少しだから、と無視して走り続けると痛みが強くなり、耐えられず思わず立ち止まってしまう。走るのをやめ、しばらく歩いていると痛みが治ってくる。痛みが治ったところで走り出すと、またすぐに痛みがぶり返してくる。結局、ゴールまでこの繰り返しが続いた。フルマラソンを20回以上参加しているが、こんな痛みを体験したことはない。長い距離を走り続けてきたせいで脚、腰、背中などの筋肉や関節の痛みはお馴染みだが、今回は様子が違っている。

学研都市線の高架をくぐり左折すると、前方にOBPのビル群が見えてきた。あと2km。城見通りを歩いたり走ったりしながら西へ向かう。OBPを抜け、大阪城公園に入って、最後の200mほどを全力で走る。そしてゴール。タイムは5時間51分40秒。マラソン完走も20回を越えると、最初の頃のような感動はなく、淡々とフィニッシュラインを越える。タイムにも見るべきところは無いから、達成感も少なめ。ランニング仲間もいないので一緒に完走を喜び合うこともない。5kmごとのラップを残しておこう。

区間タイム

0〜5km:35:30

5〜15km:1:09:18(なぜか5〜10kmのタイムがない)

15〜20km:35:40

20〜25km:47:58

25〜30km:39:28

30〜35km:53:45

35〜40km:46:53

40〜Goal:23:08

42.195km:5時間51分40秒

帰りの電車で痛みが再発。

ゴール後、タオルというよりブランケット、完走メダル、スポーツドリンクなどを受け取り、そのまま手荷物預かりに向かう。手荷物を受け取ると、すぐそばの芝生で着替えることにする。早く帰りたいので、走ってきた装備そのままで上に防寒ウエアを着る。シューズだけは柔らかいスニーカーに履き替え、荷物をまとめて駅の方に向かう。南東の公園出口から出て地下鉄中央線の森ノ宮駅へ。ゴールしてから20分ぐらいで地下鉄に乗車していた。本町駅まで行き、四つ橋線に乗り換え、西梅田まで行く。JR大阪駅が始発の福知山線新三田行き快速に乗車してようやく座ることができた。ウエアを着替えずにそのまま防寒着を羽織っただけなので、汗が冷えて寒くなってきた。尼崎を出てしばらくすると、先ほどの痛みがぶり返してきた。じっとしているにも関わらず痛みが強まってくる。痛いだけでなく何だか気分が悪くなってきた。冷たい汗が出てきて、視界も霞んできた。これはまずいぞ。次の伊丹駅で降りて駅員に助けてもらおうか。4人掛けの向かいの席に座っている若者に声をかけて介抱をお願いしようか。スマホで家人に連絡しなければ…。スマホを取り出してLINEを開いてみるが、視界が霞んで画面が見えない。目を閉じてじっと耐えていると、痛みが少しずつ薄らいできた。いつの間にか電車は伊丹駅も通り過ぎ、次の中山駅も過ぎて、宝塚駅に向かっていた。気分はかなり回復してきている。宝塚駅で降りると、構内の多目的トイレに入って、ゴールしたままだったランニングウエアを脱ぎ、タオルで汗を拭いて暖かいセーターとジャージに着替えた。別に駅で休むこともなく、そのまま10分ほど歩いて自宅に到着。痛みは完全に消えていた。風呂に入って夕食を済ませ、コタツで「どうする家康」を観た。10時過ぎに就寝。寝るまえに体重を測ると52kg台で、なんと20代の数値。

あの痛みは何だったのだろう。その後。

20年近くランニングを続け、マラソンも20回以上参加しているが、今回のような痛みは初めての体験である。ひょっとしたら心臓か何かの疾患?と思って、念のために病院に行くことにした。すぐに予約が取れず、2週間ほど経ってから循環器の医院で検査を受けた。結果は異常なし。医師から「元気な、いい心臓です」と褒められ、握手までしてもらった。他の部分に原因があったかもしれないが、2週間経ってそのダメージが回復している可能性もあるが、再現できないため、わからないという。当日、気温が低くて、トイレに並ぶのが嫌で、20km以降水分を摂らなかったせいで軽い脱水症状になっていたことが原因かもしれない。その後も100km以上走っているが、あの時のような痛みは体験していない。