桂 幹「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」

何が原因?誰の責任?

広告制作の現場から離れて10年近くになるが、いまだにわからないというか、納得できないことがある。それは「日本の電機産業が、なぜあれほど急激に凋落したか?」ということ。僕のコピーライターとしてのキャリア約40年のうち、家電メーカーの広告や販促に携わったのは30年以上。その前半である80年代から90年代、日本の電機メーカーは世界をリードしていた。テレビ、オーディオ、ビデオなどの電子機器はもちろん、半導体などの分野でも世界を牽引する技術や品質を誇っていた。CDに始まり、ビデオ、DVD、ゲームなど、新しい規格やプラットフォームを次々に生み出していった。それが90年代後半から急速に力を失っていく。2000年代になって薄型大画面テレビやブルーレイの開発などで一瞬復活するように見えたが、結局、あれよあれよという間に韓国や中国のメーカーとの競争に敗れ、後退していった。なぜ日本の電機産業は敗北したのか?何が敗北の原因だったのか?誰が、いつ、どこで間違ったのか?責任は誰にあったのか?その明快な答を知りたい。

電機産業の「中の人」に総括してほしい。

GAFAなど、成功した企業について書かれた本は数多くある。日本の電機産業についても、その隆盛を書いた本は数多くある。しかし失敗や敗北に焦点を当てて書かれた本は少ない。ジャーナリストや研究者が外部からの視点で書いた本は少しあるが、納得できるところまで描ききれていない。あの時、電機メーカーの内部で何が起こっていたのか?それを電機メーカーの中の人が検証し、総括すべきではないか?広告業界の片隅にいて、電機メーカーの隆盛と凋落をすぐそばで見てきた(影響も受けてきた)広告屋として切に知りたいと願っていた。本書の著者は電機産業の一つであるTDKの日本とアメリカで勤務した経験を持つ人だ。また著者の父親はシャープの元副社長である。世代の違う二人による電機産業内部からの視点は僕の願いに応えてくれるかもしれない。

2度のリストラを経験した著者。

著者は、この30年に起きた様々な変化を、自らの体験を例にあげながら悔恨と共に語っていく。著者は1986年にTDKという会社に入社した。当時、同社は電子部品事業と記録メディア事業の2枚看板であったが、著者は記録メディア事業の方に配属される。当時の主力商品はカセットテープやビデオテープ、フロッピーディスクだった。カセットテープはとても儲かる製品であり、記録メディア事業は全社の稼ぎ頭だった時代もあったという。しかしカセットテープに代わり、光ディスクが主力製品になると状況は激変し、収益性が一気に悪化する。赤字が常態化するようになった記録メディア事業は社内でお荷物となり、TDKは、2007年同事業の大部分をブランド使用権とともに米国企業のイメーションに売却する。当時、記録メディア事業の米国法人に出向していた著者は、事業とともに売却先のイメーション社に移る道を選ぶ。これが1度目のリストラ。その数年後、著者はイメーション社で日本のB2C事業の責任者となる。ようやく業績が好転しつつあった2015年、同社はグローバルで記録メディア事業から撤退することが決まる。同社が「モノ言う株主」との委任状争奪戦に敗れ、事実上経営を乗っ取られたためだった。著者は事業撤退を完了させ、部下から1ヶ月遅れで解雇となり、54歳にして2度目のリストラを経験する。その時、著者は徒労感と罪悪感に苛まれたという。なぜ記録メディア事業の凋落を止められなかったのか。どうして成長を持続できる事業構造に転換できなかったのか。退職後、著者は自らの記憶を辿って、その答を探し続けた。そこで浮かび上がってきたのが「5つの大罪」であったという。

著者の父も電機産業の人だった。

著者は自らの経験を補完するために、父の桂泰三のキャリアを追体験しようとする。父は1955年に、まだ小さなラジオメーカーだった早川電機(現シャープ)に入社。会社の急成長に合わせて多くの経験を積み、1986年、副社長に就任した。昭和の高度成長時代を体現したような人生だったという。滋賀大学で編集された父のオーラルヒストリーを読み込み、父から話を聞くことで、著者は「5つの大罪」が自身の個人的な体験のみならず、日本の大手電機メーカーに共通する問題、特に家電事業、半導体事業、液晶事業を凋落させた要因であったと確信する。

 

日本の電機産業が犯した5つの大罪。

著者は、日本の電機産業が凋落した原因を「5つの大罪」として断罪(懺悔?)する。

1.誤認の罪

80年代から90年代にかけて電機業界ではデジタル化が進展する。CDの登場に始まる第一のデジタル化のメリットを「高品質」「高性能」「高付加価値」と誤認し、より根源的なニーズであった「画期的な簡易化」の提供をおろそかにしたこと。

記録メディアにおいては、アナログ時代、カセットテープには使用する磁性体によってノーマル、ハイポジション、メタルというグレードがあった。ビデオテープでも、スタンダード、HG、Hi-Fiがあり、それらの性能には、ユーザーにもわかる差があったという。しかしデータを0と1で記録する光ディスクになると、品質が均一化され、ユーザーには違いがわからなくなってきた。日本の数年後に光ディスクの生産を始めた台湾メーカーは、後発の強みを生かして、低価格の製品で市場に参入してきた。日本のメーカーは、品質が劣る台湾製の製品では高品質な日本製の敵にならないと対策を取らなかった。ほどなく台湾製品が低価格を武器に市場を制覇してしまう。同様のことはテレビや半導体でも起きていたという。90年代の終わり頃、日本の企業やメディアの間で「モノづくり」という言葉が流行りはじめる。価格競争では後発の台湾や韓国に勝てなくなった日本は「古来の匠の技を受け継ぐモノづくり」こそが日本の製造業の強みであり、繁栄の源であると、高品質、高性能、高付加価値の「三高路線」を邁進してゆく。その結果、液晶や半導体でも韓国や中国などにシェアを奪われてしまった。

2.慢心の罪

アナログ時代、世界を席巻した日本企業の圧倒的な強さ。その自信が慢心となり、台湾や韓国などの新興勢力の台頭を許したこと。光ディスクの場合、台湾が生産を始め、低価格を打ち出して市場に参入してきた時、TDKの社内では、台湾製品の品質の悪さを挙げて勝負にならないと言う意見が支配していた。しかし程なく台湾製品がシェアを拡大し、独占状態になっていく。TDK、マクセル、ソニーという御三家も台湾のメーカーから購入せざるを得なくなる。台湾製に変わっても日本のメーカーが懸念していたクレームなどは発生せず、日本国内生産での品質基準がオーバークオリティであったことがわかったという。液晶テレビで一時は世界シェアトップの地位に登りつめたシャープも、韓国などの後発メーカーの台頭により、その地位を奪われてしまう。

3.困窮の罪

80年代から90年代にかけて、日本企業を取り巻く環境が大きく変化する。1985年のプラザ合意による急激な円高、90年代に始まった経済の急激なグローバル化、1990年のバブル崩壊などにより、多くの日本企業が経営危機に見舞われる。電機メーカーは、リストラや製造拠点の海外移転などの対策に追われることになる。さらに2000年代になると米国流の経営手法である「選択と集中」を無批判に受け入れ、推進する中で、イノベーションを起こす力を自ら削いでしまったという。日立製作所NECは基幹であった半導体DRAM事業を切り離し、合弁会社エルピーダメモリーを設立する。その3年後には三菱電機DRAM事業も同社に加わる。NECはさらにプラズマディスプレイをパイオニアに売却。日立製作所もシステムLSIや携帯電話事業を本体から切り離している。2006年、パナソニックはMCAへの投資から完全に撤退。一方で選択・集中する動きも活発化する。東芝アメリカの原子力関連企業ウエスチングハウス社を巨額を投じて買収する。シャープも液晶への集中を宣言し、社内のリソースを半導体から液晶へ集中させた。著者がいたTDKも記録メディア部門を米国企業イメーション社に売却し、そのイメーション社も数年後には「モノ言う株主」に経営権を乗っ取られ、記録メディア事業から撤退してしまう。著者は、日本の電機メーカーが推進した「選択と集中」は失敗した事例が目立つと言う。東芝は買収したウエスチングハウス社の破綻をきっかけに東芝本体が経営危機に陥った。液晶で飛ぶ鳥を落とす勢いだったシャープも液晶事業の低迷にともなって破綻の危機に直面する。

このような、日本の電機産業が困窮しているタイミングで、インターネットという巨大隕石が落ちてきたと著者はいう。日本の電機産業は目先の課題に気を取られて、インターネットが引き起こしたIT革命に気づくのが遅れ、プラットフォーマーになるチャンスを米国に奪われてしまう。また選択と集中によって、次の時代につながるイノベーションを起こす力(人材、技術力、新分野に取り組む余裕)までも削いでしまったという。

4.半端の罪

米国流の「選択と集中」の掛け声の下、大胆な改革を実行しようとしたが、どれも中途半端に終わらせたこと。リーマンショックの後、日本の企業は、それまでの終身雇用を捨て、次々にリストラに踏み切っていく。真っ先にその対象になったのは2003年の労働者派遣法の改訂で解禁になった製造業の非正規労働者だった。改革は、既得権者(正社員、男性、経営側)にとって都合がいい改革にとどまり、公平性の欠落、ダイバーシティの遅れ、ベースアップの抑制という弊害を生じさせ、最終的には組織全体のエンゲージメントの低下につながったという。その結果、肝心の業績は回復せず、リコール隠し、品質不正、粉飾決算、不正会計など企業のモラルの低下を招くことになった。

5.欠落の罪

混迷する電機産業の組織でリーダーに求められるのは、明快なビジョンによって社員の使命感に火をつけ、行動変容を起こすことだが、日本のリーダーたちは、多少のリスクを取ってでも明快なビジョンを打ち出して組織を牽引しようとする気概が欠落していたこと。著者はシャープの液晶事業を例にあげてリーダーによるビジョン発信の大切さを語る。1998年、シャープの社長、町田勝彦氏が就任後初めての記者会見で「国内で販売するテレビを2005年までに液晶に置き換える」という大胆なビジョンを打ち出した。当時発売されて間もない液晶テレビは、サイズがようやく15インチ、価格はブラウン管テレビの4〜5倍もしていた。当初、無謀とも思えたこのビジョンだが、やがて絶大な効果を発揮し始める。目標が明快で期間もはっきり区切られていたため、全社を挙げてビジョンの達成に邁進するしかなかったからだ。その結果、開発・製造部門は技術的な課題を次々に克服していく。三重県亀山市に、コスト削減の切り札となる最新鋭工場も建設された。最大の懸念材料出会った歩留まりも5割を超え、競合企業を慌てさせたという。町田氏が目標にしていた1インチ1万円以下という売価目標も早々に達成された。マーケティング部門は亀山工場の製品を「世界の亀山モデル」と命名。このイメージ戦略は見事に成功し、世間では「亀山モデルは高品質」というイメージが広まり、指名買いするユーザーが急増した。町田氏が描いた野心的なビジョンは2005年の期限を前倒ししてほぼ達成された。ブラウン管テレビでは常に他社の後塵を拝してきたシャープが、薄型テレビでは国内トップブランドになった。ところが、飛ぶ鳥を落とす勢いだったシャープもリーマンショックを境に坂道を転げ落ちるように経営危機に向かっていく。国内のテレビを液晶に置き換えるという目標の1年前倒しで達成してからわずか7年後には3760億円という巨額の赤字を計上。その急激な転落の原因を、著者は、町田氏のビジョンの中に求めようとする。「国内で販売するテレビを2005年までに液晶に置き換える」というメッセージには、海外と液晶以外の事業が含まれていなかった。町田氏が社長を退任した2007年3月期でも、シャープの非液晶事業の比率、海外事業の比率はともに5割を超えている。町田氏が掲げた明快なビジョンは、売上高ベースで見ると、半数を越える社員には直接関係がなかった。また同じ液晶テレビでも国内ではシェア争いで独走していたが、海外ではそのポジションを失っていく。2004年にはグローバルで25%というトップシェアを誇っていたが、3年後には、サムスンソニー、フィリップスに次ぐ4位の10%まで落としている。シャープは、ビジョンの力を最大限に活用しながら、その力を持続できなかったのだと著者はいう。

 

提言:企業のダイバーシティを高める

著者は自らの体験を振り返って、問題の本質がダイバーシティに乏しい同質性の高い組織にあったのではないかと気づく。経歴、年齢、性別、出身校などが似ていれば、同じ思考回路に陥りやすく、さらに長年一つの組織に属していればどうしてもその組織が持つ独自の企業文化の影響を受ける。また、同質性の高い組織は内と外を峻別し、異端を排除する傾向を持つ。かつての日本企業の強みは、この同質性の高い組織が生み出す団結力やエネルギーだった。右肩上がりの高度成長時代には、この特性がが大きな強みとなった。しかし時代は変わり、ユーザーのニーズは多様化し、技術の進歩は速まり、戦う相手もさまざまな国の企業になり、取るべき戦略もM&Aやアライアンスなど多様で複雑になった。これまでと同じような思考や行動パターンを繰り返していては勝てるはずもないという。企業がダイバーシティを高めるには、どうしたらよいか。著者は、企業の経営陣が自らのダイバーシティを強力に推進することだという。日本の企業では、社長が実質的に自分の後任や取締役を選任するシステムが主流だ。このやり方では、社長と同じような思考、ルーツ、キャリアを持つ人材がバトンをつないでいく可能性を高めるだけだという。著者は、これを打開するためには社長自らが人事権を第三者に委ねるより他にない。それは本書の中にもある「指名委員会等設置会社」化を進めることだという。これまで社長の専権事項であった自分自身の出処進退、後継者の人選、報酬の決定に、社外取締役を中心とした指名委員会、監査委員会、報酬委員会が介入できる仕組みにすることであるという。

クオータ制の導入

台湾の光ディスクが日本製品を脅かし始めた時、適切な対応をしなかった御三家と異なり、きちんと対応できた日本のメーカーがあった。それは太陽誘電というメーカーで、同社はCD-Rの開発を主導した企業の一つで、研究者の浜田恵美子氏は「CD-Rの母」として知られていた。彼女は台湾に講演で招かれた時に現地の企業を見学して回った。彼女はその後も台湾のメーカーの動向を把握するように努めていたため、御三家のような失敗をせずに済んだという。一人の女性が然るべきポジションにいたおかげで、太陽誘電は他の日本企業のような失敗をせずに済んだ。著者は、女性やマイノリティの登用の促進を企業任せにする時代は終わったという。行政レベルで女性の採用や管理職への登用を、定数で決めるクオータ制の導入を進めるべきだと主張する。

全社員の解雇のハードルを下げる。

もう一つの著者の提案は、非正規雇用者など、外部のみに負担をかけるのではなく、全社員に公平に負担をかけるべきだという。それはつまり全社員の解雇のハードルを下げ、雇用の流動制を高めることだという。逆説のように聞こえるかもしれないが、著者の経験から、企業側が社員を解雇しやすくすることにより、社員のエンゲージメントが向上する可能性が高いという。社員は、終身雇用(メンバーシップ型雇用)で放棄していた、自己決定権を取り戻すことができるのだという。

本書を読み終えて。

本書を読んで、80年代には世界のトップに立っていた日本の電機産業が、90年代以降、急速に凋落していった原因や経緯の全体像が、ようやく俯瞰でき、理解でき、さらに納得もできたと思う。それは、著者が体験した電機メーカーの失敗や敗北を、僕自身も広告制作の現場で身をもって味わっていたからだと思う。シャープが「世界の亀山モデル」を打ち出して絶好調であった時、僕はプラズマ陣営側の広告製作者の一人として悔しい思いを味わっていた。高品質・高性能・高付加価値という「三高」が日本のモノづくりの強みだということも真剣に信じていたし、広告表現でも「高画質」「高性能」「高機能」を訴え続けていた気がする。著者が大罪であると断罪した大きな過ちの中に僕自身もどっぷりと浸かっていたのだ。

本書に書かれた内容は、ほぼ間違っていないだろう。では、日本の電機産業が大罪を犯さずに正しい道を歩める可能性があったのかというと、僕には、ほとんど無かったのではないかと思える。本書が描いた過ちは、電機産業だけでなく、日本の多くの企業が、さらに言うと日本の国全体が犯していたのだと思う。日本が国を挙げて一つの方向に向かっている時に、誰がそれを止められるだろうか?唯一言えるのは、日本の企業が、失敗や敗北に陥った時、その原因をしっかり検証をしなかったことが凋落の大きな原因のではないかということ。本書の冒頭で著者もそのことについて触れている。以下引用「米国の企業ではリストラなどで退職する社員にもイグジット・インタビュー(出口聞き取り)と言う制度がある。退職の日を迎えた社員と面談を行うのだ。後腐れがなくなった彼ら、彼女らに会社が改善すべき点を尋ねるので、本音での回答が期待できるという。自己都合だろうが、会社都合だろうが、社員が会社を去る背後には何がしかの失敗があるものだ。アメリカ企業は、たとえ耳の痛い話になったとしても、その失敗を貪欲に利用しようとするのだ。」一方、日本の組織においては、失敗や敗北は「無かったこと」にされることが多い。失敗や敗北を語ることさえタブー視される。結局、いつまでたっても失敗の原因が追求されることが無いため、同じ失敗を何度も繰り返すことになる。本書によって「日本の電機産業はなぜ凋落したか?」という疑問に対する答はほぼ明らかにされたと思う。というより、疑問に答えるための材料がほぼ出揃ったと思う。後は、読者自身がその材料を用いて、自分が納得できる答を導くべきなのだ。