中井久夫「いじめのある世界に生きる君たちへ」いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

いじめに苦しんだ経験がある高名な精神科医による、奇跡のような本。

前回のエントリー中野信子「ヒトは『いじめ』やめられない」のレヴューを読んでいて、見つけた本。著者は、高名な精神科医中井久夫。本文は100ページ足らず。文字も大きくて、文章もやさしく、小学校の高学年なら読めるレベル。大型書店で購入し、帰りの電車の中で、30分ほどで読み終えた。そして、ほんとうに驚いた。「いじめ」について、これほど平易に、これほど短く、それでいて、これほど高い精度で書かれた本を読んだことがない。すべてのいじめられている子どもたちに、この本を読ませてあげたい。

著者には「いじめの政治学」という論文があり、本書は「僕の論文を子どもが読めるようにしたい」という著者の願いから生まれた本だという。著者は、戦時中にいじめを受けたことがあり、数十年経った初老期まで、いじめの影響に苦しんだという。そんな著者による「いじめ」の考察は、やさしい言葉で語られていても、読んでいて、息苦しくなるほど、生々しく、恐ろしい。

著者によると、いじめはとは、他人を支配し、言いなりにすることであるという。そこには他人を支配していくための独特のしくみがあり、それはなかなか精巧にできているという。うまく立ち回ったり、力を見せつけたり、いじめをめぐる子どもたちの動きは、大人もびっくりするぐらい「政治的」だという。いじめが進んでいく段階を、著者は、「孤立化」「無力化」「透明化」という3つの段階で説明する。そして、このプロセスは、人間を奴隷にしてしまうプロセスだという。この本は、究極ともいえる簡潔さで書かれているので、内容を要約するのは愚の骨頂だが、「透明化」の中の、ほんの一部分だけを引用してみる。

「このあたりから、いじめはだんだん透明化して、まわりの眼に見えなくなってゆきます。『見えなくなる』というのは、街を歩いているわたくしたちに繁華街のホームレスが『見えない』ようにです。あるいはかつて善良なドイツ人たちに強制収容所が『見えなかった』ようにです。」

「しかし、何より被害者を打ちのめすのは、自分が命がけで調達した金品を、加害者がまるでどうでもいいもののようにあっという間に浪費したり、ひどい場合、燃やしたり捨てたりすることです。被害者が一生懸命やったことも、加害者にとってはゼロみたいなものだと見せつける行為です。」

いじめの被害者や親が、いじめのプロセスを理解するだけで、いじめに対する態度が大きく変わってくると思う。ぜひ手に入れて読んでほしい。本書の元になった論文「いじめの政治学」は、著者の第三エッセイ集「アリアドネからの糸」に所収。