中野信子「ヒトは『いじめ』をやめられない」

「いじめ」の報道がいっこうになくならない。「いじめ」が明らかになるのは、多くの場合、いじめに遭った被害者が自殺するなど、最悪の事態になってからである。そして学校側は、判で押したように「いじめの事実は認められない」と発表。それに満足できない親が、教育委員会などに訴え、第三者委員会が設置され、再調査の結果、いじめがあったことが明らかになる。?なぜ、いつも同じようなプロセスが繰り返されるのか?   いじめを根絶することはできないのか?  脳科学者である著者が、「いじめ」をどのように解き明かしてくれるのだろう?  著者の本を読むのは「サイコパス」に続いて2作目。

「いじめ」は種の生存のために、脳に組み込まれた「機能」。

著者は冒頭でいきなり、結論らしき仮説を語る。「実は『社会的排除』は、人間という生物種が生存率を高めるために、進化の過程で身につけた機能ではないか。」

脆弱な肉体しか持たないヒトは、集団を作り、協力しあうことによって種を生存させてきた。集団にとって最も脅威となるのは、集団の和を乱す異分子である。この異分子を見つけ出し、排除するために、ヒトの脳には進化の過程で「裏切り者検出モジュール」が組み込まれるようになり、異分子に対する「制裁(サンクション)が発動される仕組み」が出来上がってきたのである。そして、これらのシステムは、いくつかの脳内物質の働きによってコントロールされているという。

仲間意識を高め、排他性を強める脳内物質、オキシトシン

愛情ホルモンとも呼ばれる神経伝達物質オキシトシン」は、分娩や授乳の際に多く分泌されるが、男女を問わず、スキンシップや、名前を呼びあったり、相手の目を見て話すことでも分泌される。愛する人や仲間と一緒に過ごしたり、仲間と握手したり、肩を組んだりすると、愛情や仲間意識を感じるのは、オキシトシンの作用である。しかしオキシトシンによって、仲間意識が強まるいっぽう、異分子を峻別する排除意識も強くなるという。仲がよい集団ほどいじめが起きやすいという逆説は、オキシトシンの作用によるものだ。著者は、仲間意識と敵愾意識がどのように生まれるかを、有名な「泥棒洞窟実験」を例にあげて紹介する。

泥棒洞窟実験とは。

1954年、アメリカの社会心理学者、M.シェリフらが行った実験である。9歳から11歳までの少年を2つのグループに分け、互いの存在を知らせずに、キャンプ地である泥棒洞窟の、少し離れた場所でキャンプを行う。最初の1週間は、それぞれのグループでハイキングなど野外活動を行わせる。これによってグループ内の結束が強くなり、仲間意識が生まれた。その後、もうひとつのグループが近くでキャンプしていることを知らせ、2つのグループで綱引きや野球など、互いに競い合う競技を行った。その結果、グループ内では仲間意識が高まったが、相手のグループに対して敵対心を持つようになり、競技中に相手グループの悪口を言ったり、相手を攻撃するようになったという。実験では、2つのグループの敵対関係を解消するために、一緒に食事をさせたり、一緒に映画を鑑賞させたりしたが、食事中に喧嘩を始めてしまうなど、対立関係が解消することはなかった。2つのグループの関係に変化をもたらしたのは、キャンプに必要な飲料水のタンクを共同で修理させるなど、どうしても2つのグループが協力しなければならないという状況を作り出し、力を合わせて作業するという経験をさせることだった。この実験が示すのは、集団において、いじめの原因となる「仲間意識」や「排外感情」が、状況によって、実に簡単に発生したり、解消したりするということ。

安心ホルモン、セロトニン

いじめに関わるもうひとつの脳内物質がセロトニンである。セロトニンは安心ホルモンとも呼ばれ、このホルモンが多く分泌されると安心感やリラックス状態を作り出される。逆に不足すると、不安感が生まれ、リスクを回避しようと、行動が慎重になり、周囲の人の意見に同調しようとする。このホルモンに関わる遺伝子型の調査で、日本人は、もっとも同調性が高い遺伝子型を持っていることが判明している。このことから、日本人は、集団の同調への圧力が強く、いじめに加担しやすいという。

いじめることは快感である。ドーパミンの作用。

3つ目が脳内麻薬ともいわれるドーパミン。この物質は、セックスや食事をした時に分泌される。つまり個体や種の生存につながる欲求が充たされた時に分泌される物質だが、集団を守るために、ルールに従わない者に制裁を加えるという、正義達成欲求や、所属集団からの承認欲求が充たされた時にも、放出されるらしい。いじめの始まりは「間違っている人を正す」という気持ちから発生するという。そして「お前は間違っている」という気持ちで制裁を加え、「自分は正しいことをしている」と感じることで快感が得られるのだ。いじめが発生し、集団の中に拡大していくと、制裁がどんどんエスカレートしていくのは、脳内麻薬の作用によるものだ。ネットの炎上が、わかりやすい例だという。誰かが少しでもポリティカル・コレクトネスから逸脱したと見なされると、みんなで寄ってたかって叩きに行く。あの人は共同体のルールに従わない人なので、攻撃してもいいのだというお墨付きを自分は得ているのだと思い込み、ありとあらゆる激しい言葉を使って相手を痛めつける。ネットの社会で、炎上がこれほど起こるのは、どんなに過激な言葉を使っても、匿名性があることでリベンジされるリスクが低いからだという。

「いじめ」は深化する。スタンフォード大学監獄実験。

著者は、いじめがエスカレートしていく実験を紹介する。1971年に心理学者のフィリップ・ジンバルドーは、大学の地下実験室を改造し、刑務所を作った。そこに新聞広告で集められた、互いに面識のない大学生など、21人の被験者によって行われた。被験者は「看守」役と「受刑者」役の2つのグループに分けられ、それぞれの役を演じさせた。一見、お遊びのように思えるが、翌日になると、受刑者には受刑者らしさが現れ、看守は、看守らしく振舞うようになった。恐ろしいことに、受刑者は従順に、看守は強権的になり、その行動はどんどんエスカレートしていったという。看守役は、命令に従わない受刑者役に対して、腕立て伏せなどの罰を与えたり、食事を与えないなど、役割を越えて、虐待を加えるようになっていった。監獄の様子はモニターされ、ジンバルドーは状況をすべて把握していたにも関わらず、実験を止めることができなかった。実験6日目にジンバルドーの恋人であった心理学者が見学に来て、あまりにひどい状況にショックを受けて、実験を中止させたという。

いじめられやすい人。

第3章では、著者は、いじめの傾向を脳科学の視点から分析していく。第1節では「いじめられやすい人の特徴」をあげる。主に暴力を伴ういじめを受けやすい人として「体が小さい人」「体が弱い人」「太っている人」「行動や反応が遅い人」をあげる。これはサンクションを行う際に、身体的に弱く、リベンジが少なそうな人を選んでいるということ。身体的な特徴でなく、人柄、性質といった内面的な特徴としては、「大した意図もなく、集団の和を乱す言動をとってしまう人」「まじめで一人だけ正しい指摘をするがゆえに、みんなの楽しい雰囲気を台無しにしてしまう人」など、いわゆる「空気の読めない人」。また「一人だけ得をしているように見える人」も、妬みからいじめに発展していく。「妬み」の感情は、互いの関係において「類似性」と「獲得可能性」が高い時に強くなるという。類似性とは、性別、職種、趣味嗜好などが似通っていること。獲得可能性とは、相手が持っているものに対して、自分もそれらを得られるのではないかとおいう可能性。例えば自分と同等、もしくは僅差と思われる人が、自分には手に入れられないものを手に入れ、また自分が届かなかったレベルに相手が届いてしまった時に、妬みの感情が生まれる。価値や年齢が全く違う人、努力しても追いつけないほどの天才、手が届かないほどの権力者や、超のつくお金持ちの子などは、類似性も獲得可能性も低いため、妬みの感情は生まれない。しかし、学校は、通う目的も年齢も同じ子が集まり、そこで均一の教育を受けるため、そもそも「類似性」「獲得可能性」が高い人間関係であるという。そのほかにも」外国にルーツのある人や性的マイノリティの人に対する偏見、差別からいじめにつながるケースもある。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによる、日本の学校におけるLGBTの子供に対するいじめについての調査によると、学校でのLGBTへの暴言を経験した人は86%にのぼり、そのうち、「教師が言うのを聞いた」と回答した人は約3割もいたという。

テストステロンといじめの関係。

いじめは、小学校高学年から中学2年に過激化するという。著者は、いじめと年代の関係を裏づけるデータがないのだが、と前置きした上で、小学校高学年から中学2年という年代が、身体が子供から大人に生まれ変わる時期であることに注目する。一般的には反抗期と言われたりするこの時期は、特に男子の場合、性ホルモンである、テストステロンの分泌量が急激に高まるという。9歳ごろから急激に増え、15歳頃、ピークに達し、9歳以前に比べると約20倍にもなるという。テストステロンは、支配欲や攻撃性といった男性的な傾向を強めるホルモンであり、この時期の男子は、理由もなく攻撃性が高まってくる可能性があるのだ。同時に、この時期から、情動のブレーキともいえる前頭前野が育ってくるのだが、こちらの方は30歳前後に成熟するため、攻撃性を抑えるブレーキがあまり効かないという。テストステロンによって高まった攻撃性と裏切り者検出モジュールが結びつくことで制裁はより苛烈になるという。また、5月と6月、10月、11月にいじめが増加するのも、日照時間が変化によって脳内物質のセロトニンが不足しがちなことが原因ではないかと言われている。

女はグループを作り、男は派閥を作る。

女性は、もともと愛情ホルモン、オキシトシンの分泌が多いため、グループや仲間を作り、その中でいじめが発生する傾向があるという。男性の場合は、派閥など、ヒエラルキーを前提とした集団においてのいじめが多いという。それは男性において多く分泌される性ホルモンのテストステロンが、支配欲、攻撃性を高めるため、つねに自分が上にいたい、もしくは強い組織に属していたいという意識が高まりやすいからだという。そして男性の制裁行動は、過激化し、暴力を伴うことも少なくないという。女性の場合、制裁行動は、リベンジを恐れて、匿名化、巧妙化する傾向があるという。

文部科学省のいじめ対策。

2011年に滋賀県大津市で中学2年の男子がいじめを苦に自殺した事件を契機として、2013年「いじめ防止推進対策法」が施行された。その中で、学校が講じるべきことの一つに“いじめの事実確認”があげられているが、その具体的な方法は教育現場に任されていたため、対策を講じる温度差が自治体の教育委員会や学校によって違っており、たとえ被害者本人から「いじめられている」という相談があっても、それだけで学校が直ちに対応に乗り出すということは多くなかった。法の施行後も、自殺のような重大事態が減らないことを憂慮した国は、2017年3月に「いじめの重大事態の調査に対するガイドライン」を策定した。その中で「重大事態は、事実関係が確定した段階で重大事態としての対応を開始するのではなく、『疑い』が生じた段階で調査を開始しなければならないと認識すること」としている。しかしガイドラインの策定から1ヶ月後、宮城県仙台市の中学校で2年性の男子生徒がいじめを苦に自殺する事件が起こった。市の教育委員会は、事件の3日後、最初の記者会見を行った。教育長や校長は、いじめについて、「はっきり断定したものはない」「いじめではなく生徒間のトラブル」と発表した。しかし翌日、教育長は、前日の発言から一転「いじめという認識があった」と認めた。校長も、保護者説明会の後の記者会見で「いじめというべきだったと反省している」と話した。その後も、事件は醜悪な事実を露呈することになる。自殺した被害者生徒に対して、女性教諭が口にガムテープを貼る、さらに自殺の前日には男性教諭が握りこぶしで頭を殴るという暴行を加えていたことが判明した。

いじめゼロをめざす学校が、いじめを認めたくないという矛盾。

その後も、いじめを苦にした自殺などの重大事態は後を絶たない。学校や教育委員会の対応も相変わらずである。著者は、「いじめゼロ」をめざす学校にとって、いじめは「あってはならないもの」であるため、疑わしい場合でも「いじめ」や「重大事態」を認めることに慎重になり、対応が遅れてしまうのではないか、と指摘する。いじめがあれば学校の評価も下がるし、教師の評価も下がる。そして調査の実施や報告書の作成、保護者への説明など、仕事が増えるだけである。これでは、学校や教師の中で、いじめを見つけ出すモチベーションが高くなりえない。この問題は、学校や教師が悪いのではない。学校に、いじめを報告することが報われる環境がないことが問題なのだと著者は語る。

第4章では「いじめの回避策」が語られている。第1節の「大人のいじめ回避策」は、いわゆるHow toなので飛ばしてしまうが、要は、妬まれたり、目立ってしまうことをできるだけ避けようということである。

第三者の目、外部の目で死角をなくす。

第3節で、著者は、現在の学校に、いじめを抑制するための手立てや効果的なシステムがないことを指摘する。いじめは、そもそも教室という、社会の目が届きにくい、子供達だけの「密室」で行われるため、その発見や防止は容易ではない。本気でいじめをなくそうとすれば、文科省教育委員会、学校だけで解決できると考えるべきではないと著者は主張する。そして、現在のいじめは、触法行為であることから、ここに至っては、学校とは別の組織で扱うことや、法的措置や、警察などの導入の検討も議論される時期かもしれないという。日本では学校に警察権が入ることに強い抵抗があるが、アメリカでは、多くの州で、被害者が「いじめられた」と感じた時点でいじめと認知して直ちに報告することが州法によって義務づけられているという。また、いじめを触法行為、犯罪として扱い、小学生であっても犯罪歴となる州もあるという。日本の現場でも「警察に報告します」「あなたのしていることは刑法によって罰せられる行為だ」ということをはっきり言う。そして時と場合によっては本当に警察に相談するということができれば、大きな抑止力になるという。最近では、いじめを訴えても学校が対処してくれないため、保護者が証拠集めのために探偵を雇うケースが急増しているという。しかし探偵は学校内に入ることはできない。子供たちだけの密室で行われるいじめをどのように察知するか。警察OBやセキュリティ会社の人を巡回させるという方法も第三者の目を入れるという点では有効である。

大津市の場合。

2011年に起きた中学2年生いじめ自殺事件の後、大津市長は、学校と教育委員会の調査が不十分であったことを認め、遺族推薦の委員を含む第三者調査委員会を市長直轄として立ち上げるなどして、徹底した原因調査に取り組んだ。さらに学校、教育委員会とは独立する形で、市長直轄の部署として「いじめ対策推進室」新設。さらに、常設の第三者機関として、弁護士や臨床心理士などを常駐させた「大津の子どもをいじめから守る委員会」を設置した。いじめを受けた子どもや保護者は、学校や教育委員会を通さず、直接この委員会にいじめの相談をすることができる。また「守る委員会」には、直接相談のあったいじめ事案に関する調査の実施や、市長に対して再発防止やいじめ問題解決のための方策の提言を行う権限が与えられている。また、教育委員会も、一校をのぞく私立小中学校53校すべてに「いじめ対策担当教員」として、生徒指導に力を持ついじめ対応の専任教師を配置した。

ルシファーエフェクトを防止する防犯カメラ。

著者はまた、防犯カメラを教室に設置することも有効な方策であると主張する。人は誰にも見られていない時や、自分が特定されないという条件で、倫理的に正しくないことする確率が高くなる。これを「匿名化によるルシファーエフェクト」という。普通の善良な人たちが、一瞬で悪魔=ルシファーのようになってしまったスタンフォード大学監獄実験を行った心理学者のフィリップ・ジンバルドーが名付けたものだ。教室の密室化、匿名化を防ぐために、監視カメラを導入することを前向きに検討してみてもよいのではないかと著者はしめくくる。

教室からつながっている場所。

ここからは僕の感想。「いじめ」に関する本を読んで驚かされるのは「いじめの手口」が実に巧妙で効果的であること。親や教師から見えないように、実に巧妙に、しかも最大限のダメージを与えながら、被害者を追い詰めていく、そのやりかたは、大人顔負けである。人生経験の少ない小学生や中学生が、どうやって、それを身につけたのだろうと、ずっと謎だった。しかし最近では、きっと「いじめ」は学ぶものではなく、人間が生まれつき持っている「仕組み」ではないかと思うようになってきている。本書は、そんな思いを裏付けてくれる本である。「いじめ」という言葉は、パーソナルな世界の小さな現象のようなイメージを感じさせるが、本当は、人間の根源的な「悪」につながる特性なのだと思う。「いじめ」は、どんな集団にも起こる、ありふれた現象なのだが、その破壊力は凄まじい。子供たちの教室と、アウシュビッツはつながっているのだ。