新海誠「君の名は。」

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雲を描く人

新海誠の作品は「雲のむこう、約束の場所」から観るようになった。「雲の〜」は東京勤務時代、渋谷の小さな小さな劇場で観た。「雲」のディテールをここまで克明に描いたアニメに初めて出会った。実は僕自身が子どもの頃から「雲」を眺めるのが大好きだったのだ。1日中、雲の変化を眺めていても退屈しない子どもだった。もちろん、新海作品の魅力は「雲」だけではなく、自然描写全般なのだが、僕にとって彼は「雲を描く人」なのである。今回も「雲の描写」を堪能した。

セカイ系から遠く離れて。

2000年代はじめ、新海誠のアニメは「セカイ系」の作品として位置づけられていた。「セカイ系」とは、主人公とヒロインの閉じられた関係と「世界の終わり」や「最終戦争」という巨大な出来事が、社会という中間項なしに直結した作品群のことをいうらしい。エヴァンゲリオンにルーツを持ち、高橋しんの「最終兵器彼女」、新海誠の「ほしのこえ」などが、その代表とされていた。「戦闘美少女のヒロイン」と「無力な僕」の愛という、オタクの自意識をそのまま物語にしたような世界観に、恥ずかしながら一時期はまってしまった。「雲のむこう、約束の場所」では、まだ「セカイ系」を引きずっていたと思う。その後、「ほしを追うこども」で宮崎駿的なファンタジーに行き、「言の葉の庭」では、SFじゃない恋愛の物語になった。その段階で、僕は、もう新海作品を見ることはないだろうと思った。美しい自然描写の中で進行するありふれた恋愛物語に興味は持てなかった。

空から何かが降ってくる。

君の名は。」のポスターには「空から何かが降ってくる」のが描かれていた。宇宙船なのか?ミサイルなのか?新海のデビュー作である「ほしのこえ」や「雲の向こう、約束の場所」を思い出した。もう一度SFに帰ってくるのか?そんな期待をこめて作品を観た。「初代ゴジラ」が公開された1954年に映画「君の名は」3部作の完結編が公開された。それから62年後、庵野秀明新海誠という、いわば「セカイ系」の中心にいた監督二人の作品が同名のタイトルで公開される。初代ゴジラ公開の年に、僕もこの世に生まれ落ちていた。その不思議な因縁も感じて「君の名は。」を観ることにしたのだ。

ジブリとは違うファンタジー

少年と少女の「とりかえばや」という、一応「時空ファンタジー」ではある。そこにはもう「セカイ系」の匂いは全然ない。ちゃんとエンターティンメントに成長した、多くの観客を楽しませる作品。平日の夜にもかかわらずほぼ満席であることに驚いた。渋谷の100人も入れないような劇場で観た「雲のむこう、約束の場所」からすると隔世の感がある。あいかわらず風景の描写は素晴らしい。主人公たちの心象風景をそのまま映像にしたような描写はアニメでしか表現できない世界だ。六本木ヒルズをはじめ、東京の都心が、あんなに「懐かしく」描かれた映画はなかったと思う。「レトロフューチャー」という言葉を思い出した。でも僕にはちょっと物足りなかった。SFが、ファンタジーが足りない。宮崎駿も自然のディテールを克明に描くことがあるが、それは、観客をその先の空想の世界へ誘い込むための「仕掛け」なのだ。よく観察すると驚異に満ちた里山の自然の中には、不思議なトトロが隠れている。森の奥深く、今も残る原始の森には「シシ神」がいる…。新海誠も、そっちのほうへ行ってほしいと思った。

塩田武士「罪の声」

あの声の主

本書は1984年から1985年にかけて起きた「グリコ・森永事件」を題材にした小説。この事件を題材にした作品では高村薫の「レディ・ジョーカー」がある。本書の舞台は、事件から31年経った「現在の関西」だ。なぜ「現在」なのか?その理由は、主人公の一人が、事件で現金受け渡しの指示に使われた「子供の声の録音テープ」の声の主であったから。京都でテーラーを営む主人公・曽根俊也は、ある日、亡くなった父の遺品の中からカセットテープと黒皮の手帳を発見する。手帳は英語の文字で埋まっていた。カセットテープには、子供の声で、現金受け渡しを指示する言葉が録音されていた。その声を聞いた主人公は、それが彼自身の声であるとわかり衝撃を受ける。父は犯行グループの一味だったのか…。録音に関する彼自身の記憶はなかった。31年前の真相を知るために、彼は事件を調べ始める。

31年目の真実

同じ頃、大日新聞社文化部に所属する阿久津英士は、社会部・事件担当デスクの鳥居から、大阪本社の年末企画「ギン萬事件ー31目の真実」への参加を求められる。鳥居は、阿久津にある資料を手渡して、調査を命じる。その資料とはギン萬事件の4ヶ月前にオランダで起きたハイネケン社長の誘拐事件に関するもので、事件の直後から現地で事件のことを調べ回っている東洋人がいたという。阿久津は嫌々ながらイギリスに飛んで、調査をはじめる。31年前の、あの事件の真相が、二人の男によって闇の中から再び甦ろうとしていた…。

事件の子供 たちという着眼

本書はミステリーなので、ストーリーを紹介することは控えるが、事件に使われた子供の声の「本人」を主人公にするという着眼は秀逸だ。当時主人公は幼かったため、録音した時の記憶はなく、父の友人であった家具商の堀田とともに事件を調べはじめる。基本は、昔の関係者を探して話を聞くSeek & Findの物語だが、要所で事件当日の緊迫した追跡劇もしっかり描かれ、スリリングな展開も楽しめる。ラストでは、思わず涙が出た。400ページを超える長編だがいっきに読めた。かなりおすすめ。

僕自身、あの事件に、かすっていた。

グリコ森永事件の主な舞台となった、京都南部から北摂の一帯は、学生の頃住んでいたこともあり、土地勘もかなりある。地名や駅名を聞けば、街並みや風景が浮かんでくる。誘拐に使われた水防倉庫も見に行ったことがある。そして何より、僕自身が捜査の網に引っかかったことがあるのだ。まだ事件が終息してなかった時期だと思うが、職場に妻から電話があり、いきなり「あんた、何したん?」と問い詰められた。訳を聞くと、目つきの鋭い刑事が訪ねて来て「警察ですが、ご主人に聞きたいことがある」という。妻が「何の件か」とたずねると教えてくれない。「感じ悪いので、家の中に入れなかった。会社の住所と電話番号を教えたから、そっちに行くと思うよ。あんた、ほんとに悪いことしてないん?」と僕を疑っている。「いやあ、全然わからん。」と電話を切った。事件は、僕の日常にも小さな波紋を生んでいた。その日の午後遅く、刑事が職場にやってきた。事件で使用されたクルマについて調べているという。「X月X日にレンタカーで赤のトヨタスプリンターを借りられてますね。」それで刑事が来た理由がわかった。その頃、カーオーディオのカタログの制作の仕事をしていて、カタログの写真の撮影のためにトヨタスプリンターを借りたことがあったのだ。フィッティング写真といって、カーオーディオのユニットが実際に装着された写真をカタログの巻末に掲載するのだ。出来あがったカタログを見せて説明すると、刑事はすぐ納得してくれた。僕がコピーライターであることを知ると、話題を変え、「かい人21面相の書いた文章は、コピーライターのような職業の人物が書いたものだと思うか」という話になった。「文章は面白いが、別にコピーライターでなくても書けると思う」と答えた記憶がある。そんなこともあって、事件には少なからぬ興味があり、事件に関する本も目に留まれば購入して読んでいた。

フィクションとノンフィクションのはざまで。

著者によると、本書では社名や人名は変えてあるが、事件の部分については、実際の事件を忠実に再現しているという。そのせいか、ノンフィクションの部分からフィクションに移るその一瞬、かすかな「境目」が感じられてしまうのが、ちょっと惜しい気がする。微妙に空気が違うというか、フィクションの領域に踏み込んだ瞬間、現実の事件が持っていた、あの不気味さ、得体の知れなさが、フッと霧散してしまうような気がするのだ。当時リアルタイムで事件の報道に触れ、僕自身が感じていた、犯人のイメージと本書の犯人像が微妙に違っているせいかもしれない。犯人たちは派手な愉快犯を装いながら、その実態は、誘拐、暴力、殺人を躊躇なく実行する冷酷な犯罪者集団であったのだ。犯人たちの人物像を思い浮かべる時、その顔の部分だけがぽっかり空白になって像を結ばない…。「キツネ目男」の似顔絵からも犯人像が見えて来ないのだ。十年以上前、一橋文哉のノンフィクション「闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相」を読み終えた時、僕たちを取り巻く闇がさらに暗さを増したような気がした。僕らが暮らしている、すぐ隣に、顔のない犯人たちが今も潜んでいる…。そんな恐怖のせいだったかもしれない。フィクションとはいえ、犯人たちに実態を与えてしまうのは、そんなリスクを伴っている。

あの子供たちが生きていれば、少女は40代半ば、少年は30代後半、そして幼児は、本書の俊也のように30代半ばになっている。現実の彼らは今、どのような人生を生きているだろう。今でも犯人たちの顔を見たいと思っている。本書を読んでいる間、僕は、80年代半ばの、あの時代を生きていた。

鈴木大介「脳が壊れた」

isii marikoさんのおすすめ。凄い本だ。ルポライターが脳梗塞になり、その体験を自ら言語化した本。同じような成り立ちの本で、脳科学者が自らの脳卒中体験を書いた、ジル・ボルト・テイラー「奇跡の脳」があって、そちらも大のおすすめ。著者は、家出少女、貧困層の若者、詐欺集団など、社会から落ちこぼれた人々を取材対象として記事を書くルポライターで「最貧困女子」などの著作がある。著者自身が自らを「感情的で多感すぎてめんどうくさいような人間で、むしろそうした欠点を武器にして取材記者という仕事を続けてきた」という人。

2015年初夏、著者は41歳で右脳に脳梗塞を発症する。本書は、その発症から、緊急入院、治療、リハビリ、社会復帰に至るまでの数ヶ月を、自身を取材対象として記録・執筆したルポである。脳梗塞の闘病記、あるいは予防やリハビリのためのノウハウ本としても十分読める内容だが、本書の読みどころはそれだけにとどまらない。著者は、脳梗塞の後遺症として残った脳機能障害を体験するうちに、発達障害など、脳機能の軽い障害に悩まされる人々が著者の周囲に少なからず存在することに気づく。著者は自らの障害を取材言語化することで物言えぬ彼らの困窮を代弁しようと決心する。

「彼女」は「あおお」になり「宝物」は「あああおお」になった。

朝起きて、パソコンに音声入力で文章を入力しようとすると、音声入力アプリが認識してくれなかった。子音が出せず「彼女」は「あおお」になり、「宝 物」は「あああおお」としか発音できなかった。さらに前日から続いていた左手指の痺れに加え、激しいめまい、視界の歪み等の症状も始まり、著者は、最悪の 事態に陥ったことを確信する…。幸い、歩くことはできたので、2階に上がって、寝ていた妻を起こし、病院に電話をかけてもらう。休日の朝だったが、緊急性 が高いと判断され、急いで病院に向かうように指示される。妻の運転で30分ほどで病院に到着。すぐにMRI検査を受ける。検査の前にトイレに行くと、うま く尿を切る筋肉に力が入らず、下着代わりに着用していた陸上競技用のインナーパンツを通して、尿の雫が太ももを伝って、床にポタポタと散った。介助でつい てきた妻は、それを見て、驚いたような、覚悟を決めたような、傷付いたような表情を浮かべた…。こうして著者の闘病生活がはじまった。本書は、発症から、 緊急入院、リハビリ、社会復帰に至るまでの日々を、取材記者らしい、突っ込んだ文章で記録した闘病記である。

トイレに突然現れる老人。全裸の義母。

発 症直後は、左手を中心に左半身全体に違和感があり、左右の目の焦点がバラバラでちゃんと見ることができなかった。目に見える世界は、映画「エイリアン」の アートをデザインしたH.R.ギーガーが描く恐怖世界のようで、猛烈な非現実感と違和感の中でぼんやりしているしかなかったという。点滴につながれながら 極度の倦怠感と疲労感の中で、著者は、脳機能が損なわれたために起きる様々な「怪現象」に遭遇する。入院初日、妻につきそわれながら車椅子でも入れる大き なトイレに入った著者は、誰もいないトイレに、突然、便器に腰掛けたおじいさんが出現する。あわてて外に出て、老人が出るのを待って、あらためてトイレに 入った著者は、用を足して、洗浄ストップボタンを探すが、どこにもストップボタンが見当たらない。焦点はぼやけ、ふるえる指で手探りしているうちに誤って ビデボタンを押してしまう。間違った部分を洗浄されながら必死でストップボタンを探すが、どうしても見当たらない。数分後、心配して入ってきた妻に著者は ようやく救い出される。この怪現象は、脳機能障害では比較的典型的な「半側空間無視」とよばれる障害によって引き起こされるという。著者の場合、「視野の左 側が見えているにもかかわらず、見ることができない、意識を向けることができない」という症状に悩まされる。まるで、左側に「見てはいけないもの」があっ て、どうしても見ることができない。著者は、それを「左側に猫の死骸が横たわっている」または「大好きな義母が全裸で座っている」という表現で伝えようと する。

こんな症状の人物をよく知っている。

さらに、著者は、視野の右側に注意が集中してしまうという症状にも苦しむ。視野の 右側にいる人に意識が集中してしまい、すれ違う人の顔をじっと見つめてしまう。男女で左右に分かれたトイレの右側にある女子トイレに迷わず入ろうとしてし まうという。さらに人と向かいあって話をしていても、顔がすぐに右側に向いてしまい、目も右斜め上方を見てしまうという。著者は、自身に起きた、この症状 を以前見たことがあることに気づく。それは取材で出会った、ある青年の態度とそっくりだった。彼は振込み詐欺の「ダシ子:銀行からお金を引き出す役」や未 成年売春の見張り役などに使われるヤクザの下っ端だったが、人と喋る時に相手と目を合わせることができず、顔ごとそらして、目も斜め上を見て、呂律も怪し い言葉で喋っていたという。

記者としての僥倖。

上記の症状の他にも、著者は、様々な障害に苦しむことになるが、それらの障害は、取材で出会ってきた「社会から落ちこぼれた人」の中に、かなり高い頻度で見られるという。脳卒中が原因でなくても、神経や精神に、このような軽い障害を持った子供たちが、そのために家族に疎まれ、学校でいじめられ、社会から落ちこぼれていく。だとすれば、と著者は考える。自分が陥ったこの状況は、取材記者という自分にとって僥倖と言えるのではないか。発達障害をはじめとする、彼らの苦しみや辛さを自分は身をもって体験することができる。自分の苦境を語る言葉を持っていない彼らに代わって、自分は彼らの苦しみや辛さを代弁することができるのではないか…。こうして、著者は、自分自身を取材対象として、自らの体験を言語化しようと決意する。

長く残る「高次脳機能障害」に苦しむ。

まったく動かなかった左手指は、懸命なリハビリによって徐々に動くようになり、1ヶ月後には記者の生命線ともいえるタッチタイピングも何とかできるようになる。母音しか出せなかった発声も、子音を加えた言葉がしゃべれるようになっていった。しかし、その後も高次脳機能障害(高次脳と略)と呼ばれる障害が、著者を長く苦しめることになる。そののひとつが「注意欠陥」と呼ばれる障害で、何かの作業をしていると、注意がすぐ別のものに向いてしまい、集中できないことだ。発症直後は文章などはまったく読めず、漫画すら、どのコマから読んでよいのかわからず読むことができなかったという。そして集中しようとすると、すぐに猛烈に眠たくなる。そんな症状も、取材対象者の中によく見られたことを著者は思い出す。生活保護の書類のほんの数行の文章を読み終えることができず、すぐ眠りこんでしまう人が多かったという。漫画すら読めない、こんな状態から、著者は半年足らずで原稿を書けるようになるところまで回復する。著者を悩ませた、もうひとつの障害は「感情失禁」と呼ばれるもので、喜怒哀楽の感情が、ちょっとしたことで溢れ出し、暴走するのだ。見舞いに来てくれた友人のちょっとした思いやりに号泣し、一晩中泣き続けることも珍しくなかった。会話の最中に、何かの拍子で「感情失禁」が発生することがあり、それを恐れて、抑揚をつけた話し方ができず、抑揚を欠いた、昔のSF映画のロボットのような話し方になってしまうという。

妻の世界を体験する。

著者の症状を見ていた妻が、ある日、「私の辛さがわかったでしょう」と言い出した。妻は、発達障害と思われる「注意欠陥」の症状があり、家事や片付けができない人だった。例えば、さあ、寝ようという時間になって、寝室に行こうとして、猫と出会うと、猫の爪が伸びているのに気付き、こたつに戻って猫の爪を切ってやる。そこでスマホが目に入ると、メールをチェックし、ついでにゲームも立ち上げ、ちょっとレベルを上げておこうとする。結局、寝ようと思い立った時刻から2時間経ってようやく寝床に入ることになる。スーパーに買い物に行っても、すべての売り場の商品の前で立ち止まってしまい、買い物にならないという。そんな妻の代わりに著者は、すべての家事を一人で引き受けていた。生活時間のずれた妻の分も含めて1日6回の食事を作り、庭木の手入れを始め、一切を著者が一人でこなしていたという。妻は、著者の症状を見ていて、「どうせ時間薬で治ってしまうのだから、今のうちに楽しんだら」という。著者は、妻の助言に従って、病院の敷地内を散歩する時に「注意欠陥」を全開にしてみる。散歩から帰ってきた著者のポケットには様々なガラクタが収まっていた。クワガタの死骸、コクワガタの♀の死骸、ビー玉、正体不明のゴムの塊…。なんだか6歳の子供の世界をもう一度体験しているような、ワクワクする体験であったという。そして著者は気づく。脳卒中からのリハビリとは、脳の発達を再体験することであるということに。そして、著者は脳梗塞の後遺症である高次脳機能障害を体験することで、妻の「辛さ」と「ユニークなパーソナリティ」をようやく理解できるようになったという。

脳梗塞の原因は著者自身だった。

なぜ自分が脳梗塞になったのか?著者は自問する。血圧が高めだった著者は、減塩食を心がけるなど、健康には注意を払っていたという。入院から1ヶ月後、外泊が許され、自宅に戻った時に、その理由が判明する。優秀な理学療法士と著者自身の懸命な努力により、著者の症状は改善し、入院から1ヶ月後、外泊が可能になった。著者は編集者に自宅に来てもらい、打ち合わせを行うことにする。自宅に戻った著者は、リビングの惨状を見て凍りつく。家事や片付けができない妻のせいでリビングは物で溢れていた。著者は妻を罵りながら2時間を費やしてリビングを片付ける。片付け終わって血圧を測ってみると、上が180、下が120と、もう一度脳梗塞を起こしそうなレベルに上がっていた…。その瞬間、著者は、これこそが脳梗塞の原因だったのだと気づく。妻に任せられないと、家事を全部を奪い、そのあげく自分の時間を失い、勝手に脳梗塞に追い込んだ犯人は、自分自身だった、と。

妻との日々。

そして著者は、妻と生きてきた18年の日々を振り返る。職場で知りあい、付き合い始めてしばらくしたある日、家出をして著者のアパートに飛び込んできた妻。頭はいいが、LD(学習障害)の疑いがあり、親や学校と折り合いが悪く、友人の家を泊まり歩いていたという。結婚してからも、リストカットなどの自傷を繰り返す、血みどろの日々が続いた。著者は、人がどんなに助けようとしても死ぬときは死ぬ。その時は自分も死のうと決意していた。ベスパに二人乗りで隣町の精神科に通う日々が続いた。2年間以上を費やしてようやく症状が改善する。このような経験が著者の中に2つの価値観を作り上げたという。一つ目は「世の中の面倒くさい人ほど愛らしく、興味深く面白い」。2つ目は「ひとりの人間はひとりの人間しか救えないのではないか?」辛い時期を二人三脚で乗り越えた二人は大きな達成感と絆を手にする。そして妻は、愛すべき変人ぶりを発揮しはじめる。掃除炊事洗濯一切自発的にやらず部屋は散らかり放題。風呂すら自発的に入ろうとしない。たまに入ると、床にはズボンとシャツ、下着、股引とからまった靴下と、脱いだ順番に洗濯物の列ができている。昼間からゴロゴロ、ワイドショーを見ながら「紀宮さまの釣鐘型オーパイ」と不敬罪なことを口走ったり、誰彼かまわず「いらっしゃいまセアカゴケグモ」と叫んだりする。そんな妻が突然倒れたのは2011年晩秋のことだった。

妻の発病。

8月ごろから強い頭痛に悩まされるようになっていた妻は、起きている時間のほうが短いほど長く眠るようになった。著者は11月に迫った引っ越しの準備に追われながら、働こうとしない妻を叱りつけていた。転居後、いつまでたっても寝室から起きてこない妻に小言を言いながらお粥を食べさせようとするが口をつけられず、トイレで嘔吐。病院に行って、問診の際に看護師に「内科ではなく脳外科ではないか」と言われ「脳外科」へ回される。その日のうちにCT、MRIの検査を受けると、脳の画像の中央に、脳室を変形させるほど大きな脳腫瘍が映し出されていた。その場で入院、と同時に意識不明になった。幸い、長時間におよんだ手術は大成功で、腫瘍のほぼ100%は取り除くことができた。腫瘍の直径は62ミリのほぼ球形。ICUから出てきたばかりのの妻は「あんなでかい腫瘍取って、いま私のここに何が入っていると思う?」「脳脊髄液とかリンパ液的なものなんじゃないの?」「ちがーう、丸めた読売新聞が詰まってるんだぜ?」と、変人ぶり健在で著者を安心させた。しかし腫瘍の生検の結果、脳腫瘍は予後のもっとも悪いグレード4。病名は膠芽腫。5年生存率8%と告知された。妻は主治医のいる千葉大病院へと転院し、放射線と化学療法による治療を受ける。副作用で髪の毛がハラハラと抜けていく中でも、妻は泣き言も弱音も言わず、涙を流すことも一度もなかったという。

家事をしなくていい。

妻を失いかけた恐怖と絶望感から、著者は妻に「家事をしなくていい」宣言をする。掃除や洗濯はもちろん、生活時間帯の違う妻のぶんも含めて1日6度の食事を作る生活を送ることになる。仕事で家を空ける時は弁当を作り、長時間空ける時は3食分作ってから出かけたという。そんな生活を続けるうちに著者は時間を失い、「台所で立って飯を掻き込む」ことも増え、結果として脳梗塞で倒れたのだという。

脳梗塞は「性格習慣病」

著者によると、脳梗塞は「性格習慣病」だという。退院後、著者は生活を一変させる決意をする。一人で全部引き受けていた家事を妻と分担する。仕事は朝8時から午後6時までを基本とし、それを超える仕事は「もうあふれている」状態であると判断する。以前は「あふれた先からが仕事」ぐらいに思っていたが、そこから先は、脳梗塞だったのだ。

脳梗塞はありふれた病気だ。

自分の周囲を見回すと、脳梗塞の話はけっこう多いと感じる。身内でも母が数年前、脳梗塞で倒れ、意識不明のまま2年近く入院した後、息を引き取った。ほかにも友人、知人、仕事関係含めると、かなりの数になる。本書を読むと、自分も含め、予備軍はけっこういるのではないかと思う。本書はそんな僕たちの「予防」の書としても役に立つと思う。著者がいう「脳梗塞は性格習慣病」という言葉も、肝に銘じておきたい。

発達障害の話もよく耳にする。

本書の中に発達障害の話も出てくるが、この数年よく耳にするようになった。著者が語るように、軽い脳の障害を持ちながら、家族や周囲から理解されず、落ちこぼれていく子どもたちが大勢いるのではないかという指摘もうなづける。脳梗塞からのリハビリを支援してくれる理学療法士の知識やノウハウが、高齢者だけでなく、様々な発達障害の子どもたちにも活かされるべきだという著者の主張に一理あるように思える。

僕自身も発達障害児だったかも。

本書の中の発達障害の若者や著者の妻の話を読んでいて、ふと僕自身も、発達障害だったのではないかと思った。思い当たる節があるのだ。小学校、中学、高校と進学するなかで、いつも同級生に比べて、自分は幼い、人の気持ちがわからないと感じ続けていたこと。毎日コツコツする勉強が大の苦手で、いつも試験前の一夜漬けでなんとかしのいでいたこと。高校ぐらいまでは記憶力がよくて、教科書などは写真記憶的に丸暗記できていたこと。高校になって学年が進むにつれ、一夜漬けがだんだん通用しなくなると成績は下がる一方だった。大学に進んでも、まともに勉強した記憶がないのだ。注意欠陥と呼ばれる症状や学習障害についての記述を読んでいると、これって僕のことじゃない?と何度も思った。広告製作者、コピーライターとしてこれまでやってこれたのは、ひょっとしたら、広告の仕事のやりかたが「一夜漬け」もしくは追い詰められての「火事場の馬鹿力」に近かったからではないか。1日のうちで集中できる時間は、長くて2時間ぐらい。集中が途切れると、すぐ眠くなるのも昔からだ。長時間、作業をするときも、集中的な一夜漬けと休息の繰り返しというリズムを作って、なんとかやってきたのではないか。そんな気がする。

強い魂の物語

本書を薦めてくれたisii marikoさんも、著者の妻の強さに感銘を受けている。著者によると発達障害児童のなれの果てという妻のユニークさと可憐さ、強さに打たれる。この鈴木妻による「あとがき」も素敵だ。個人的には、今年いちばん感銘を受けた本かも。

 

池井戸潤「陸王」

著者の作品を初めて読んだ。「下町ロケット」は面白そうだったが、ベストセラーになり、映画やドラマになってしまうと、天邪鬼の虫が動いて敬遠していた。まずタイトルの「陸王」が目に飛び込んできた。今の人はほとんど誰も知らないと思うが、「陸王」は、昔の日本製オートバイのブランドのひとつである(本書には関係ない)。帯の「足袋作り百年の老舗がランニングシューズに挑む」というサブコピーで「ははあん」と内容を推測してしまった。読んでみると、まさに、その通りの内容だった。ランニングを趣味にしている人間には、「足袋」と「ランニング」の組み合わせと聞いて、ピンと来ることがあるのだ。

老舗足袋メーカーがランニングシューズに挑戦。

かつては200名近い従業員を抱え、 100年の歴史を持つ足袋メーカー「こはぜ屋」は、年々縮小し続ける需要に苦しんでいた。社長の宮沢は、取引先の百貨店で偶然、ビブラム社の5本指シューズ「Five Fingers」を目にして、マラソン足袋の開発を思いつく。その頃、ダイワ食品陸上部に所属する長距離ランナー茂木裕人は、京浜国際マラソンにおいて、 学生時代、箱根駅伝で争ったライバル毛塚直之との大接戦を演じる中、重大な故障で失速してしまう…。縮小する一方の需要に苦しむ地方の小さな老舗メーカー。箱根駅伝で活躍し、実業団陸上部に進んだ選手たちの栄光と挫折。巨大スポーツメーカーのサポートをめぐる熾烈な競争…。そこに、注目されはじめたランニングの新理論が絡んでいく。企業の、ビジネスの戦いに、駅伝やマラソンの戦いが加わって、物語が進んでいく。面白くないはずがないのだ。かなりの長編だが3日で読んでしまった。唯一物足りなかったところは、老舗の足袋メーカーならではの伝統技術が現代のランニングシューズ作りにどう活かされているのかがあまり描かれていないことだろうか。

裸足ランニングとメキシコの少数民族

本書の中で紹介されているタラウマラ族について。数年前、ベアフットランニングが話題を集めたことがあった。メキシコの山岳地帯に進む少数民族、タラウマラ族は「走る民」として知られている。年に1度開かれる祭りで彼らは、2日間にわたって走り続けるという。彼らは古タイヤの切れ端を使ったサンダルのような粗末な履物で100Km以上も走り続けることができるのだ。彼らのことを紹介した「BORN TO RUN」という本がランナー仲間の間でベストセラーになっていた。

クリストファー・マクドゥーガル「BORN TO RUN 走るために生まれた」 - 読書日記

その本によると、ナイキをはじめとする高機能シューズが、ランナーの故障の原因になっている可能性があるという。着地の衝撃を吸収する厚い靴底が、人間本来の走り方を変えてしまい、そのことに起因する足の故障が増加し、ランナーたちを苦しめている。いっそのこと、ランニングシューズを脱ぎ捨てて裸足で走ってみたらどうだろう、と始まったのが「ベアフットランニング」のムーブメントである。裸足で走ると、かかとからの着地ではなく、自然と足裏中央から前部の着地になる。それは人類が本来身につけていた走り方であり、故障も少ないのだという。そして裸足に近い感覚で走れるシューズが次々と発売される。その第1号が本書にも登場するビブラム社のFive  Fingersだった。

「5本指」という名のクツ - 読書日記

もともとヨットなどのデッキ用として開発されたものだが、ベアフットランナーたちが使用するようになり、ランニング専用モデルを発売するようになった。僕も初期のモデルを所有しているが、クッションがまったく無く、アスファルトの細かい凹凸や砂の一粒一粒まで感じ取れるようなダイレクトな感覚は鮮烈だった。衝撃吸収機能がまったく無いため、カカトからの着地は痛くて不可能。自然に、足裏の前部から真ん中を中心にした着地になる。これがすなわちフォアフット・ランニングやミッドフット・ランニングといわれる走法で、ケニアなど、少年時代に裸足で走っていたランナーに見られる走法だという。上記のタラウマラ族も、ミッドフット・ランニングで走るといわれている。本書の冒頭でも、足袋メーカーがランニングシューズ市場に参入する根拠として、ミッドフット・ランニングやフォアフット・ランニングが紹介されている。

 

 

 

 

トム・ヒレンブラント「ドローンランド」

近未来の交通とメディアの姿を描いたSFを探していて、本書に遭遇。高城剛の「空飛ぶロボットは黒猫の夢を見るか」が予言するような「インターネットにつながった自律型ドローンが日常のあらゆる空間を飛び交う未来」を描いたSF。著者はドイツ人で、料理ミステリーのシリーズが人気だという。本書は、2015年、ドイツ語圏において最優秀のミステリーに与えられる賞と最優秀なSFに与えられる賞を受賞している。

新世代のSFミステリー。

舞台は数十年未来のヨーロッパ。ブリュッセル郊外の農地で欧州議会の議員が射殺される。ユーロポールの主任警部アート・ファン・デア・ヴェスターホイゼンはイスラエル人アナリストのアヴァ・ビットマンとともに捜査を開始する。書き出しは、普通のミステリと変わらない。しかし捜査が始まると世界が一転する。あらゆるデータにアクセスできるスーパーコンピューター「テイレシアス:通称テリー」との対話により調査が進んでいく。そして「ミラースペース」と呼ばれるバーチャルリアリティ空間に入り込んでの捜査が面白い。ミラースペースとは、地上のあらゆる空間に入り込んだドローンが収集した情報で再構成されるVR空間である。そこでは、視覚はもちろん、触覚、嗅覚、味覚などまで再現される。ドローンが現場で収集したデータに、遺体の解剖や銃弾の弾道、殺害時の気象などのデータを加えて、犯行の瞬間を再構成することができる。警部たちは本部にいながら、ミラースペースの中の犯行現場に立ち、犯行の瞬間を見ることができるのだ。中でも圧巻は、遠く離れた犯人の隠れ家に突入する場面だろう。あらかじめ「ダニ」と呼ばれる微小ドローンを隠れ家に侵入させ、ミラースペースにリアルタイムで隠れ家の内部を再現しながら、その中に主人公が入り込む。主人公は、なんと犯人の側に立って突入隊を指揮するのだ。(もちろん犯人からは主人公の姿は見えない)本書は、ミステリでもあるので、ストーリーを紹介しないが、400ページ近い長編をいっきに読めた。

近未来のテクノロジーたち。

本書には多くの未来テクノロジーが登場する。大小の様々なドローン、スペックスと呼ばれるメディア眼鏡、衣服やテーブルなど、あらゆるものをディスプレイにするメディアフォイル、スプレーで壁などに吹き付けるだけで、ディスプレイになるスプレー塗料。自動運転の自動車…。ドローンは、宅配用から、暗殺用、パパラッチ用、モグラ型など、およそ考えられる限りの種類が登場する。またドローンを使って映像をインターネット上に公開する「ドロガー」なる人種も登場する。本書の秀逸さは、そんな様々な未来のガジェットたちを、とてもさりげなく登場人物たちに使わせていることだろう。

究極の監視社会が出現する。

本書に描かれたような、地上のあらゆる場所にドローンが出没し、情報を収集する社会というのは、間違いなく「監視社会」だろう。そして、あらゆるデータにアクセスできるスーパーコンピューターや人工知能につながる日が来るだろう。そんな未来を警告するにしては、本書は面白すぎる。

上杉 聰『「憲法改正」に突き進むカルト集団 日本会議とは何か」

日本会議というの組織のことを知り、その活動の実態が明らかになって来ると、強い悔恨の気持ちにとらわれてしまう。70年代以来、僕らが政治に興味を失い、背を向けるようになってしまったこと。そして、その後、僕らが大量生産大量消費、経済至上主義にどっぷり浸かり、浮かれている間も、「彼ら」は地道な「運動」を延々と続けてきたのだ。その努力が今、「憲法改正」として身を結ぼうとしている。僕らは、そんな組織が存在することさえ、ごく最近まで気づかなかった。彼らは、姿を見せずに、辛抱強く、この国の中枢を侵食し続けてきたのだ。彼らが目指す理想は、ほとんど冗談としか思えないが、彼らは本気で、憲法を変え、日本を変えようとしている。その「Xデイ」は参院選だ。日本会議の実態や活動が明らかになり、安倍政権との結びつきがもっと暴露されれば、彼らの神通力は失われるだろう。菅野完日本会議の研究」や本書は、参院選にかろうじて間に合った。期待している青木理日本会議の正体」は参院選の翌日発売である。

本書の要約をするのはやめておこう。本書は、日本会議の成り立ち、実態、その活動を簡潔にまとめてくれている。100ページ余りの本なので、半日で読めるのはありがたい。彼らの中枢が、狂信的な宗教団体であること。運動ごとに様々なフロント組織を立ち上げ、彼ら自身は、その影に隠れて、容易に正体がわからなかったこと…。さらに新聞・テレビなどのメディアが取り上げるには、彼らの活動は地味でスパンが長すぎ、学者が研究対象とするには、歴史が短く、新しすぎるのだ。結局、菅野完や本書の著者、青木理など、フリーのジャーナリストが取り上げるしかなかったのだ。

大阪における育鵬社教科書の大量採択。

本書の読みどころの一つが2015年の大阪における教科書の事件だろう。憲法改正とともに日本会議が進める活動のもうひとつの柱が教育への介入である。中でも新しい史観に基づく教科書の発行と普及に彼らは大きな力を注いできた。2007年に、フジ・メディア・ホールディングスの100%出資で誕生した育鵬社は、日本会議の教科書を出版するだけの目的で設立された。著者は、育鵬社の教科書が、大日本帝国憲法を讃え、日本国憲法を「GHQによる押し付け」であるとして認めていない等の内容を紹介した後、2015年に大阪市東大阪市で、育鵬社の教科書が大量採択された経緯を紹介する。その詳しい内容は紹介しないが、大阪市内で開かれた教科書展示会に、大阪の宗教団体が大量の信者を動員して市民アンケートに記入。採択結果に影響を及ぼし、大阪市東大阪市での大量採択が決まったというもの。その強引であくどいやりかたは、日本会議の一面を現しているという。今回の参院選から始まった選挙権年齢の18歳への引き下げも、年齢が若くなるほど、憲法改正に対する抵抗感が少なくなるというデータから、日本会議系が仕掛けた公算が高いという。

新之介『凹凸を楽しむ 大阪「高低差」地形散歩』

「アースダイバー」の頃。

10年以上前、東京港区に3年ほど住んでいたが、坂が多いのに閉口したことを覚えている。特に2年目に引っ越した南麻布のマンションは、崖のすぐ側に建っていて1階と3階に入口があるヘンな構造だった。1階と3階では、外に出た周囲の街並みがまったく違っていた。1階の外は麻布十番から続く下町で、銭湯などもある庶民的な街並み。3階の外は外国大使公邸など、豪邸が立ち並ぶ閑静な住宅街だった。土地の高低差がくらしの高低差と直結する不思議な場所だった。港区内の移動用に折畳み自転車を買ったのだが、どこに出かけるにも、まず、かなりの急坂を登らなければならず、耐えきれず電動アシストの折畳み自転車を買ってしまった。ホンダ製の小さな電動アシスト自転車を走らせて、港区の様々な場所に出かけた。その時にいつもカバンに入れていたが中沢新一の「アースダイバー」。縄文時代の地図と現代の地図を重ねながら、その土地に刻まれた、太古から現代まで続く「地霊の物語」を訪ねるという街歩きは、単身赴任中のヒマで孤独な中年男の休日を慰めてくれた。生まれ育った播州平野や長く住んだ大阪、阪神間の平坦な風景に比べて、東京の地形は、本当に変化に富んでおり、退屈しなかった。

「大阪アースダイバー」、「聖地巡礼」、そして本書。

その後「大阪アースダイバー」が刊行され、大阪には東京とはまったく違った土地の物語があることを知り、大阪という街に改めて興味を持った。しかし、その場所が身近にあると、逆に、行くのが面倒になってしまい、なかなか出かけるところまでいかない。また、「アースダイバー」「大阪アースダイバー」は、読むのには、とても面白い本だが、地形散歩のガイドブックとしては、ちょっと不親切なところがあって、その場所に行っても、どこの何を見ていいのやらわからずに終わってしまうこともけっこうあった。その土地のことをよく知った人にガイドしてもらえればいいのになあ、とよく思ったものだ。「大阪アースダイビング・ツアー」があれば、喜んで参加するのになあ、とずっと思っていた。その後、内田樹釈徹宗の「聖地巡礼」シリーズを読み、大阪の地霊を訪ねる散策の思いは強まるばかりだった。本書は、そんな時に刊行された。著者は、広告会社のクリエイティブ部門に所属し、「十三のいま昔を歩こう」というブログを運営している。2013年には「大阪高低差学会」を設立し、活動を続けている。

東京の「谷」と大阪の「島」

本書はまず、大阪という土地の成り立ちを概説する。約7000年前〜6000年前の、縄文海進の頃の大阪平野は、そのほとんどが海の底に沈んでいた。海岸線は、高槻、枚方あたりまで達していたという。その後、旧淀川と旧大和川から流れ出る土砂が堆積することで、砂州が生まれ、難波八十島(なにわやそしま)といわれる無数の州(しま)が点在する海へと変化していった。東京の地名でいちばん多いのは「谷」だというが、大阪では「島」であるという。中之島、堂島、福島、加島、御幣島、姫島…。確かに「〜島」という地名が多い。

母なる上町台地

大阪の地形のもうひとつの特徴は「上町台地」の存在である。大阪平野のほとんどが海だった頃、唯一陸だった場所で、南の住吉あたりから現在の大阪城あたりまで伸びた細長い半島である。後期更新世に、地下の上町断層が活動して隆起した台地であるという。最高点でも20数メートルほどだが、大阪の街の形成に大きな役割を果たしてきたという。この上町台地と周囲の低地との高低差が、多くのユニークな地形を作り出しているという。

土木と治水の都市

大阪はまた、古代から多くの土木工事が行われてきたという。古代、河内平野に移り住んだ渡来人たちは、高い技術を持ってヤマト政権の中枢に深く関わった。彼らが、古墳の造営や多くの治水工事を行ったという。洪水や高潮を防ぐために渡来人の秦人によって築かれた「茨田堤(まんだのつつみ)」と「茨田三宅(まんだのみやけ)」。灌漑池である「依網池(よさみのいけ)」や上町台地の東側の水を西側の海に引き入れるために掘削された「難波の堀江」など、多くの土木工事が大阪の地形を形づくってきたという。

古代の港と官道

奈良盆地にヤマト政権が誕生すると、大阪は、大陸との交流の玄関口として発展していく。上町台地の南の「住吉津」と北端に「難波津」が開かれ、飛鳥につながる陸路が整備された。難波大道(なにわおおじ)と「丹比道(たじひみち)」である。これが日本最古の官道になったという。

地形歩きの極意

大阪の地形の概要を語った後、著者は「地形歩き極意」を説く。

「高低差エレメント」

都市部ではビルや民家がひしめくように建っており、その下の地形を見つけにくい。そこで高低差を形成している場所にある構造物として、石段や民家の裏の擁壁などの「高低差エレメント」を見つけ出す方法を提唱している。

「アースダイバー視点」

縄文時代の地図を頼りに、海水面が今より数メートル高かった海岸沿いを歩きながら、神社、寺、古墳や墓地など、地霊のパワーが宿っていそうな場所を巡り、その土地の成り立ちを解き明かすことであるという。

「スリバチ地形視点」

スリバチ地形とは、皆川典久が『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩」で提唱している地形の呼び方で、3方向を丘に囲まれたU字型の地形で、関東地方特有の地形である。大阪でも、千里丘陵などで見ることができるという。

「路地歩き視点」

表通りから小さな路地に踏み入れ、どんどん奥に入っていくと、まるで昭和の時代で時間が止まったような路地裏に出会うことがあるという。路地では素敵な被写体にたくさんめぐり会えるという。玄関先の植木や窓の面格子、石畳やマンホール、子供達、そして必ず現れる猫…。

「暗渠・川・水路視点」下を向いて歩こう。

暗渠とは、コンクリート板でフタをするなど、外から見えない水路のこと。大阪では戦前まで無数の水路が流れていたが、その後下水道として整備され、暗渠らしい暗渠を見ることは少なくなったという。今では川や水路のほうが見つけやすいという。探すコツは、下を向き、ひたすら、その痕跡を辿っていくことだという。川や水路の跡を辿っていくと緩い凸部に会えることも多いという。高低差の少ない土地でも、わずかに変化する微地形を楽しむことができるという。

「境界線視点」

町割や、町と町との間の境界線は、地図には引かれているが、街を歩いていても見つけることは困難だ。それを見分ける一番わかりやすいものは、住所表示板であり、道路元票(げんぴょう)などであるという。川の近くを歩くと、飛び地の住所表示を見つけることがあり、それは昔の川が蛇行していた名残である場合が多いのだという。

「ドンツキ視点」

ドンツキとは突き当たりや袋小路のこと。直線道の先がドンツキのこともあれば、奥に横道があるので行ってみたらドンツキだったという隠れドンツキもある。人の家の玄関に辿り着いてしまう玄関型ドンツキなど、古い町ほどドンツキが多く存在するという。ドンツキ視点は、寄り道を楽しむ町歩きでもあるという。

大阪の高低差を歩く。

地形歩きの極意を説いた後は、いよいよ大阪の高低差をめぐる旅が始まる。0m〜40mという微細な高低差を表す地図と豊富な写真によって、高低差をめぐる様々な物語が語られていく。その内容を、文章のみで要約するのは困難なので、止めておこう。それにしても、高低差に着眼するだけで、大阪という街が、こんなに新鮮に見えてくるとは驚きだ。僕らが毎日目にしていて、すっかり記号と化してしまった地名が、その土地の、かつての地形(特に海や川に関わりがある)をそのまま表していたことに改めて気付かされる。僕が5月まで所属していた事務所の辺りも、土佐堀、江戸堀、京町堀と「堀」の付く地名が多かった。「堀=人の手で掘られた運河」を表しているのだけれど、江戸堀という名前を聞いて運河を思い浮かべる人はほとんどいないと思う。地名にまつわるエピソードも、本書のように地形の成り立ちと絡めて語られると、俄然、リアリティが増す。そこにさらに人物が加わると、土地の物語が立ち上がってくるのだ。道頓堀を開いた成安道頓、長堀を開いた岡田心斎、淀川の堤を築き、中之島を開発した淀屋常安…。地形や由来から切り離されてしまった地名が、もう一度、昔の「地形」や「物語」を伴ってよみがえってくる。この他、靱公園の前身は、進駐軍の飛行場であったことなど、初めて知る大阪の地形の由来が満載で「へぇ〜」の連続である。著者の文章は、学者風というか、理詰めで控えめ。中沢新一のように想像が飛躍し、ほとんど妄想の領に入ってしまうようなことはないので安心だ。

大阪の背骨「上町台地」をめぐる高低差の冒険。

本書でいちばん興味深いのは上町台地をめぐる高低差地形である。しかしあべのハルカスなど、超高層ビルの展望台に登って、上町台地あたりを見渡しても、本書が描くような高低差は実感できない。上町台地のほぼ全域がビルに埋め尽くされ、土地の高低差を隠してしまっているのだ。それを実感するには、本書のように、地上を歩きまわって地形の痕跡を探していくしかない。上町台地の北端、現在の大阪城公園難波宮跡から始まり、道頓堀をはじめとする堀川の掘削、巨大な古墳跡に建立された四天王寺、かつて多くの谷が存在したという阿倍野、古代の海岸線跡が今も残る住吉大社など、興味深いエピソードが満載である。まずは「上町台地」に焦点を絞って高低差散歩に出かけようと思う。

伊丹段丘

宝塚からJR福知山線に乗って、川西池田駅に着く直前、南側に高台のように盛り上がって見える場所が目に入ってくる。注意して見ると、そこから南西に向かって緑地帯のような地形が続いていく。何か遊歩道のようなものがあるのだろうか、と不思議に思っていた。本書で、この地形は東側を流れる猪名川河岸段丘で伊丹段丘と呼ぶのだと初めて知った。この段丘は、伊丹の有岡城跡まで続いている。崖が急で家を建てにくかったのか、緑地のまま残っているのだろう。機会があれば、自転車などで、この段丘探訪に出かけてみたい。

東京と京都の高低差の本

なお本書には姉妹本ともいえる本がある。1冊は本書と同じ装丁の『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』。本書に寄稿している皆川典久の著書。もう一冊は、京都高低差学会の著者による「京都の凸凹を歩く 高低差に隠された古都の秘密」。どちらも面白そうなので読んでみよう。