クリストファー・マクドゥーガル「BORN TO RUN 走るために生まれた」

スゴい本だ。書店で見つけた時に気になっていたが、まさかこれほどの本とは。間違いなく今年の「マイ・ベスト3」に入りそうな本。著者は、自らがエクストリーム・スポーツも手がけるアスリートでもあるジャーナリストだ。しかしランニングだけは、多くの故障に悩まされ続けていた。何人もの著名なスポーツドクターの診断を受けるが、「人間の身体は長時間走るようにできていない。ランニング以外のスポーツを考えたほうがいい」と言われる。そんな彼が、メキシコの銅峡谷という秘境に住むタラウマラ族という「幻の民」のことを知る。彼らは室内履きのようなサンダルで気の遠くなるような長距離を走ることができる。彼らは年に1度、2日間にわたって走り続けるレースに参加する。まさに「走る民族」。故障はもちろん、病気にもならず、60歳を越えても10代の若者よりも速く走ることができるという。彼らは、文明との接触を避けて、秘境の奥に隠れて暮らしているという。著者は、このタラウマラ族のことを調べるうちに、彼らに受け入れられ、仲間になった白人(カバーヨ・ブランコ:白い馬と呼ばれる男)の存在を知る。

本書は4つの要素で構成されている。「①著者がカバーヨ・ブランコと出会い、タラウマラ族と出会い、彼らの走りの秘訣を学んでいくストーリー」。「②タラウマラ族も参加したことがあるレッド・ヴィルをはじめとする過酷なウルトラマラソンの歴史やウルトラランナーたちの物語」そして「③ナイキをはじめとするハイテクランニングシューズが多くの足の故障の原因になっていたことや、人類の進化が、ほんとうは長く走るための進化だったことを証明しようとする科学者たちの物語」「④カバーヨがタラウマラ族の住む秘境で開く、タラウマラ族と北米のウルトラランナーたちが競うウルトラマラソンの話」

ランニングを始める前や、始めた直後には「40キロも走り続けるなんてどう考えても自然じゃない。身体に悪いに決まってる」と感じていたのが、半年も走り続けていると、「走ることはとても自然な体験」に変わっていく。それは「身体の慣れ」によるものだと思っていた。実は人間の身体の様々な特徴が「長く走るために進化した」という説で説明がつくかもしれない。毛皮も持たず、皮膚に大量の汗腺を備えていること。チータなどの走る動物で、走る歩数と呼吸の回数が1対1で対応しているのに対して、人間は歩数と呼吸の関係が自由になっていること。チンパンジーにはないアキレス腱が存在すること。人間特有の大きな頭部が走行を安定させる錘として機能していることなど…。それらはすべて長距離を走る時に有利な能力であることだ。そして、長距離ランナーとして進化した人類は「持久狩猟」という獲物を長時間追跡する方法で、レイヨウなどの草食哺乳類を狩っていたことが証明される。そうか、人類は「長時間走るために進化した哺乳類」だったのだ。

この本の中には、様々な発見がある。世界一のウルトラランナーの食生活は、動物性蛋白質をまったく食べない菜食主義であること。人類は、かつて裸足で長時間走ることができたこと。「人間より速く走れる動物」はたくさんいるが、「人間より長く走れる動物」はいないこと。北米で馬と人間が競うレースがあり、人間が何度も勝っていること。ウルトラマラソンでは、だんだん男女の差が出なくなってくること。ハイテクスポーツシューズによって故障が増えること等々…。

この本の中で紹介されるウルトラランナーたちも、個性豊かで魅力的だ。スコット・ジュレク、ベアフット・テッド、サーファー崩れのジェンやビリー…。彼らのピュアで過激なライフスタイルを読むのは楽しい体験だ。YahooやGoogleAppleが生まれてくるる国だけのことはある。

それと、もうひとつ感じたのは「荒野」の存在。北米には、広大な砂漠や峡谷等の不毛の「荒野」が数多く存在する。その荒野を踏破する苛酷な「トレイル」や「トレック」の伝統があるのだろう。多くのウルトラトレイルレースが北米で生まれたのも、この「荒野」の伝統があったからだと思う。昔読んだジョン・クラッカワー「荒野へ」がいまひとつ理解できなかったのも、わが国にない「荒野:Wilderness」が理解できなかったからに違いない。人間を寄せ付けない「不毛の荒野」は、彼らにとって、バッドランドであると同時に、スピリチュアルなサンクチュアリでもあるのだと思った。

この本を読んでいると、最近読んだ環境系の本と共通する読後感のようなものを感じる。それは、人間の作り上げた文明がもう後戻りできないほど自然を変えてしまったのではないかという危機感。それは自然の一部ともいえる人間自身の身体に対してもあてはまるということ。そこから立ち直るためには中途半端なエコ活動では埒があかない。環境原理主義とも言えるような過激なライフスタイルが求められるのだ。本書の中に出てくるウルトラランナーやカバーヨ・ブランコ、裸足主義者は、最もラディカルなナチュラリストかもしれない。それは「奇跡のリンゴ」の木村 秋則氏の農業にも通じるところがある。クッションやサポートの効いたシューズにより、私たちの身体が本来持っている様々な能力や機能が失われてしまおうとしているのかもしれないこと。20数年前、はじめてナイキ・エアを履いた日のことを思い出した。カカトが高く、フワフワして、着座位置の高い4WD車に乗った時のような不思議な感覚を味わったことを思い出した。

この本を読んで、ランニングに対する意識が変わってきた。これまでは「走ることは、不自然」だったのが「走ることは、自然である」に。今まで興味の持てなかった「ウルトラマラソン」や「トレイルラン」にも少し興味が出てきた。ベアフットランニング:裸足ランニングも興味深い。いきなり裸足は無理そうなので、持っていたナイキのFREEを素足で履いて走ってみた。最初の5キロほどは、快適で気持ちよかったが、土踏まずの内側が靴に擦れて痛くなってきた。痛みを我慢しながら10キロを終えると、水ぶくれ直前の状態になっていた。ずっと靴を履いて生きてきたのだから、いきなり裸足は厳しいのだろう。本書の中で、ベアフット・テッドが履いていたビブラム社のFivefingersというシューズもよさそうだ。

ちなみに「BORN TO RUN」というタイトルをどこかで見たことがあると思ったら、解説によるとブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」の原題だ。