鈴木大介「脳が壊れた」

isii marikoさんのおすすめ。凄い本だ。ルポライターが脳梗塞になり、その体験を自ら言語化した本。同じような成り立ちの本で、脳科学者が自らの脳卒中体験を書いた、ジル・ボルト・テイラー「奇跡の脳」があって、そちらも大のおすすめ。著者は、家出少女、貧困層の若者、詐欺集団など、社会から落ちこぼれた人々を取材対象として記事を書くルポライターで「最貧困女子」などの著作がある。著者自身が自らを「感情的で多感すぎてめんどうくさいような人間で、むしろそうした欠点を武器にして取材記者という仕事を続けてきた」という人。

2015年初夏、著者は41歳で右脳に脳梗塞を発症する。本書は、その発症から、緊急入院、治療、リハビリ、社会復帰に至るまでの数ヶ月を、自身を取材対象として記録・執筆したルポである。脳梗塞の闘病記、あるいは予防やリハビリのためのノウハウ本としても十分読める内容だが、本書の読みどころはそれだけにとどまらない。著者は、脳梗塞の後遺症として残った脳機能障害を体験するうちに、発達障害など、脳機能の軽い障害に悩まされる人々が著者の周囲に少なからず存在することに気づく。著者は自らの障害を取材言語化することで物言えぬ彼らの困窮を代弁しようと決心する。

「彼女」は「あおお」になり「宝物」は「あああおお」になった。

朝起きて、パソコンに音声入力で文章を入力しようとすると、音声入力アプリが認識してくれなかった。子音が出せず「彼女」は「あおお」になり、「宝 物」は「あああおお」としか発音できなかった。さらに前日から続いていた左手指の痺れに加え、激しいめまい、視界の歪み等の症状も始まり、著者は、最悪の 事態に陥ったことを確信する…。幸い、歩くことはできたので、2階に上がって、寝ていた妻を起こし、病院に電話をかけてもらう。休日の朝だったが、緊急性 が高いと判断され、急いで病院に向かうように指示される。妻の運転で30分ほどで病院に到着。すぐにMRI検査を受ける。検査の前にトイレに行くと、うま く尿を切る筋肉に力が入らず、下着代わりに着用していた陸上競技用のインナーパンツを通して、尿の雫が太ももを伝って、床にポタポタと散った。介助でつい てきた妻は、それを見て、驚いたような、覚悟を決めたような、傷付いたような表情を浮かべた…。こうして著者の闘病生活がはじまった。本書は、発症から、 緊急入院、リハビリ、社会復帰に至るまでの日々を、取材記者らしい、突っ込んだ文章で記録した闘病記である。

トイレに突然現れる老人。全裸の義母。

発 症直後は、左手を中心に左半身全体に違和感があり、左右の目の焦点がバラバラでちゃんと見ることができなかった。目に見える世界は、映画「エイリアン」の アートをデザインしたH.R.ギーガーが描く恐怖世界のようで、猛烈な非現実感と違和感の中でぼんやりしているしかなかったという。点滴につながれながら 極度の倦怠感と疲労感の中で、著者は、脳機能が損なわれたために起きる様々な「怪現象」に遭遇する。入院初日、妻につきそわれながら車椅子でも入れる大き なトイレに入った著者は、誰もいないトイレに、突然、便器に腰掛けたおじいさんが出現する。あわてて外に出て、老人が出るのを待って、あらためてトイレに 入った著者は、用を足して、洗浄ストップボタンを探すが、どこにもストップボタンが見当たらない。焦点はぼやけ、ふるえる指で手探りしているうちに誤って ビデボタンを押してしまう。間違った部分を洗浄されながら必死でストップボタンを探すが、どうしても見当たらない。数分後、心配して入ってきた妻に著者は ようやく救い出される。この怪現象は、脳機能障害では比較的典型的な「半側空間無視」とよばれる障害によって引き起こされるという。著者の場合、「視野の左 側が見えているにもかかわらず、見ることができない、意識を向けることができない」という症状に悩まされる。まるで、左側に「見てはいけないもの」があっ て、どうしても見ることができない。著者は、それを「左側に猫の死骸が横たわっている」または「大好きな義母が全裸で座っている」という表現で伝えようと する。

こんな症状の人物をよく知っている。

さらに、著者は、視野の右側に注意が集中してしまうという症状にも苦しむ。視野の 右側にいる人に意識が集中してしまい、すれ違う人の顔をじっと見つめてしまう。男女で左右に分かれたトイレの右側にある女子トイレに迷わず入ろうとしてし まうという。さらに人と向かいあって話をしていても、顔がすぐに右側に向いてしまい、目も右斜め上方を見てしまうという。著者は、自身に起きた、この症状 を以前見たことがあることに気づく。それは取材で出会った、ある青年の態度とそっくりだった。彼は振込み詐欺の「ダシ子:銀行からお金を引き出す役」や未 成年売春の見張り役などに使われるヤクザの下っ端だったが、人と喋る時に相手と目を合わせることができず、顔ごとそらして、目も斜め上を見て、呂律も怪し い言葉で喋っていたという。

記者としての僥倖。

上記の症状の他にも、著者は、様々な障害に苦しむことになるが、それらの障害は、取材で出会ってきた「社会から落ちこぼれた人」の中に、かなり高い頻度で見られるという。脳卒中が原因でなくても、神経や精神に、このような軽い障害を持った子供たちが、そのために家族に疎まれ、学校でいじめられ、社会から落ちこぼれていく。だとすれば、と著者は考える。自分が陥ったこの状況は、取材記者という自分にとって僥倖と言えるのではないか。発達障害をはじめとする、彼らの苦しみや辛さを自分は身をもって体験することができる。自分の苦境を語る言葉を持っていない彼らに代わって、自分は彼らの苦しみや辛さを代弁することができるのではないか…。こうして、著者は、自分自身を取材対象として、自らの体験を言語化しようと決意する。

長く残る「高次脳機能障害」に苦しむ。

まったく動かなかった左手指は、懸命なリハビリによって徐々に動くようになり、1ヶ月後には記者の生命線ともいえるタッチタイピングも何とかできるようになる。母音しか出せなかった発声も、子音を加えた言葉がしゃべれるようになっていった。しかし、その後も高次脳機能障害(高次脳と略)と呼ばれる障害が、著者を長く苦しめることになる。そののひとつが「注意欠陥」と呼ばれる障害で、何かの作業をしていると、注意がすぐ別のものに向いてしまい、集中できないことだ。発症直後は文章などはまったく読めず、漫画すら、どのコマから読んでよいのかわからず読むことができなかったという。そして集中しようとすると、すぐに猛烈に眠たくなる。そんな症状も、取材対象者の中によく見られたことを著者は思い出す。生活保護の書類のほんの数行の文章を読み終えることができず、すぐ眠りこんでしまう人が多かったという。漫画すら読めない、こんな状態から、著者は半年足らずで原稿を書けるようになるところまで回復する。著者を悩ませた、もうひとつの障害は「感情失禁」と呼ばれるもので、喜怒哀楽の感情が、ちょっとしたことで溢れ出し、暴走するのだ。見舞いに来てくれた友人のちょっとした思いやりに号泣し、一晩中泣き続けることも珍しくなかった。会話の最中に、何かの拍子で「感情失禁」が発生することがあり、それを恐れて、抑揚をつけた話し方ができず、抑揚を欠いた、昔のSF映画のロボットのような話し方になってしまうという。

妻の世界を体験する。

著者の症状を見ていた妻が、ある日、「私の辛さがわかったでしょう」と言い出した。妻は、発達障害と思われる「注意欠陥」の症状があり、家事や片付けができない人だった。例えば、さあ、寝ようという時間になって、寝室に行こうとして、猫と出会うと、猫の爪が伸びているのに気付き、こたつに戻って猫の爪を切ってやる。そこでスマホが目に入ると、メールをチェックし、ついでにゲームも立ち上げ、ちょっとレベルを上げておこうとする。結局、寝ようと思い立った時刻から2時間経ってようやく寝床に入ることになる。スーパーに買い物に行っても、すべての売り場の商品の前で立ち止まってしまい、買い物にならないという。そんな妻の代わりに著者は、すべての家事を一人で引き受けていた。生活時間のずれた妻の分も含めて1日6回の食事を作り、庭木の手入れを始め、一切を著者が一人でこなしていたという。妻は、著者の症状を見ていて、「どうせ時間薬で治ってしまうのだから、今のうちに楽しんだら」という。著者は、妻の助言に従って、病院の敷地内を散歩する時に「注意欠陥」を全開にしてみる。散歩から帰ってきた著者のポケットには様々なガラクタが収まっていた。クワガタの死骸、コクワガタの♀の死骸、ビー玉、正体不明のゴムの塊…。なんだか6歳の子供の世界をもう一度体験しているような、ワクワクする体験であったという。そして著者は気づく。脳卒中からのリハビリとは、脳の発達を再体験することであるということに。そして、著者は脳梗塞の後遺症である高次脳機能障害を体験することで、妻の「辛さ」と「ユニークなパーソナリティ」をようやく理解できるようになったという。

脳梗塞の原因は著者自身だった。

なぜ自分が脳梗塞になったのか?著者は自問する。血圧が高めだった著者は、減塩食を心がけるなど、健康には注意を払っていたという。入院から1ヶ月後、外泊が許され、自宅に戻った時に、その理由が判明する。優秀な理学療法士と著者自身の懸命な努力により、著者の症状は改善し、入院から1ヶ月後、外泊が可能になった。著者は編集者に自宅に来てもらい、打ち合わせを行うことにする。自宅に戻った著者は、リビングの惨状を見て凍りつく。家事や片付けができない妻のせいでリビングは物で溢れていた。著者は妻を罵りながら2時間を費やしてリビングを片付ける。片付け終わって血圧を測ってみると、上が180、下が120と、もう一度脳梗塞を起こしそうなレベルに上がっていた…。その瞬間、著者は、これこそが脳梗塞の原因だったのだと気づく。妻に任せられないと、家事を全部を奪い、そのあげく自分の時間を失い、勝手に脳梗塞に追い込んだ犯人は、自分自身だった、と。

妻との日々。

そして著者は、妻と生きてきた18年の日々を振り返る。職場で知りあい、付き合い始めてしばらくしたある日、家出をして著者のアパートに飛び込んできた妻。頭はいいが、LD(学習障害)の疑いがあり、親や学校と折り合いが悪く、友人の家を泊まり歩いていたという。結婚してからも、リストカットなどの自傷を繰り返す、血みどろの日々が続いた。著者は、人がどんなに助けようとしても死ぬときは死ぬ。その時は自分も死のうと決意していた。ベスパに二人乗りで隣町の精神科に通う日々が続いた。2年間以上を費やしてようやく症状が改善する。このような経験が著者の中に2つの価値観を作り上げたという。一つ目は「世の中の面倒くさい人ほど愛らしく、興味深く面白い」。2つ目は「ひとりの人間はひとりの人間しか救えないのではないか?」辛い時期を二人三脚で乗り越えた二人は大きな達成感と絆を手にする。そして妻は、愛すべき変人ぶりを発揮しはじめる。掃除炊事洗濯一切自発的にやらず部屋は散らかり放題。風呂すら自発的に入ろうとしない。たまに入ると、床にはズボンとシャツ、下着、股引とからまった靴下と、脱いだ順番に洗濯物の列ができている。昼間からゴロゴロ、ワイドショーを見ながら「紀宮さまの釣鐘型オーパイ」と不敬罪なことを口走ったり、誰彼かまわず「いらっしゃいまセアカゴケグモ」と叫んだりする。そんな妻が突然倒れたのは2011年晩秋のことだった。

妻の発病。

8月ごろから強い頭痛に悩まされるようになっていた妻は、起きている時間のほうが短いほど長く眠るようになった。著者は11月に迫った引っ越しの準備に追われながら、働こうとしない妻を叱りつけていた。転居後、いつまでたっても寝室から起きてこない妻に小言を言いながらお粥を食べさせようとするが口をつけられず、トイレで嘔吐。病院に行って、問診の際に看護師に「内科ではなく脳外科ではないか」と言われ「脳外科」へ回される。その日のうちにCT、MRIの検査を受けると、脳の画像の中央に、脳室を変形させるほど大きな脳腫瘍が映し出されていた。その場で入院、と同時に意識不明になった。幸い、長時間におよんだ手術は大成功で、腫瘍のほぼ100%は取り除くことができた。腫瘍の直径は62ミリのほぼ球形。ICUから出てきたばかりのの妻は「あんなでかい腫瘍取って、いま私のここに何が入っていると思う?」「脳脊髄液とかリンパ液的なものなんじゃないの?」「ちがーう、丸めた読売新聞が詰まってるんだぜ?」と、変人ぶり健在で著者を安心させた。しかし腫瘍の生検の結果、脳腫瘍は予後のもっとも悪いグレード4。病名は膠芽腫。5年生存率8%と告知された。妻は主治医のいる千葉大病院へと転院し、放射線と化学療法による治療を受ける。副作用で髪の毛がハラハラと抜けていく中でも、妻は泣き言も弱音も言わず、涙を流すことも一度もなかったという。

家事をしなくていい。

妻を失いかけた恐怖と絶望感から、著者は妻に「家事をしなくていい」宣言をする。掃除や洗濯はもちろん、生活時間帯の違う妻のぶんも含めて1日6度の食事を作る生活を送ることになる。仕事で家を空ける時は弁当を作り、長時間空ける時は3食分作ってから出かけたという。そんな生活を続けるうちに著者は時間を失い、「台所で立って飯を掻き込む」ことも増え、結果として脳梗塞で倒れたのだという。

脳梗塞は「性格習慣病」

著者によると、脳梗塞は「性格習慣病」だという。退院後、著者は生活を一変させる決意をする。一人で全部引き受けていた家事を妻と分担する。仕事は朝8時から午後6時までを基本とし、それを超える仕事は「もうあふれている」状態であると判断する。以前は「あふれた先からが仕事」ぐらいに思っていたが、そこから先は、脳梗塞だったのだ。

脳梗塞はありふれた病気だ。

自分の周囲を見回すと、脳梗塞の話はけっこう多いと感じる。身内でも母が数年前、脳梗塞で倒れ、意識不明のまま2年近く入院した後、息を引き取った。ほかにも友人、知人、仕事関係含めると、かなりの数になる。本書を読むと、自分も含め、予備軍はけっこういるのではないかと思う。本書はそんな僕たちの「予防」の書としても役に立つと思う。著者がいう「脳梗塞は性格習慣病」という言葉も、肝に銘じておきたい。

発達障害の話もよく耳にする。

本書の中に発達障害の話も出てくるが、この数年よく耳にするようになった。著者が語るように、軽い脳の障害を持ちながら、家族や周囲から理解されず、落ちこぼれていく子どもたちが大勢いるのではないかという指摘もうなづける。脳梗塞からのリハビリを支援してくれる理学療法士の知識やノウハウが、高齢者だけでなく、様々な発達障害の子どもたちにも活かされるべきだという著者の主張に一理あるように思える。

僕自身も発達障害児だったかも。

本書の中の発達障害の若者や著者の妻の話を読んでいて、ふと僕自身も、発達障害だったのではないかと思った。思い当たる節があるのだ。小学校、中学、高校と進学するなかで、いつも同級生に比べて、自分は幼い、人の気持ちがわからないと感じ続けていたこと。毎日コツコツする勉強が大の苦手で、いつも試験前の一夜漬けでなんとかしのいでいたこと。高校ぐらいまでは記憶力がよくて、教科書などは写真記憶的に丸暗記できていたこと。高校になって学年が進むにつれ、一夜漬けがだんだん通用しなくなると成績は下がる一方だった。大学に進んでも、まともに勉強した記憶がないのだ。注意欠陥と呼ばれる症状や学習障害についての記述を読んでいると、これって僕のことじゃない?と何度も思った。広告製作者、コピーライターとしてこれまでやってこれたのは、ひょっとしたら、広告の仕事のやりかたが「一夜漬け」もしくは追い詰められての「火事場の馬鹿力」に近かったからではないか。1日のうちで集中できる時間は、長くて2時間ぐらい。集中が途切れると、すぐ眠くなるのも昔からだ。長時間、作業をするときも、集中的な一夜漬けと休息の繰り返しというリズムを作って、なんとかやってきたのではないか。そんな気がする。

強い魂の物語

本書を薦めてくれたisii marikoさんも、著者の妻の強さに感銘を受けている。著者によると発達障害児童のなれの果てという妻のユニークさと可憐さ、強さに打たれる。この鈴木妻による「あとがき」も素敵だ。個人的には、今年いちばん感銘を受けた本かも。