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隈研吾、清野由美「新・ムラ論TOKYO」

前作「新・都市論TOKYO」が面白かったので、迷うことなく購入。隈研吾という人、建築の方は門外漢なのでよくわからないが、文章のほうはかなりのものだ。読んでいる感じが誰かに似ているなと思ったら、内田樹ではないかと気づいた。どちらもおそろしく明晰で、読んでる自分の頭がよくなったような気持ちになる。そして論理に、かなり大胆な飛躍があり、それを辿っていくのは知的な爽快感がある。二人とも、書いた文章だけでなく対談や講演などでも同じ感覚が味わえるところも似ている。そうだ、もう一人思いついた。「アースダイバー」を書いた中沢新一。「アースダイバー」も、縄文時代の地図を頼りに東京の街を歩き回って、その土地に秘められた力を探ろうとした本である。隈研吾中沢新一も、土地や空間によって想像力が解き放たれる人なのだろう。時おり、思考が走り過ぎ、読み手がついて行けないほど飛躍するところも似ている。前作の「新・都市論TOKYO」は、汐留や六本木など、東京の再開発エリアを歩いて考察した本だったが、今回は東京に新しく生まれつつある「ムラ」がテーマだ。隈研吾は、冒頭の文章で『20世紀は、「村」が失われた世紀だった』と語る。村を解体し、消滅させたエンジンは「持ち家願望」と「空間の商品化」による都市の拡大だった。しかし、その都市もいまや自壊しつつあり、その空隙から「ムラ」がよみがえろうとしているという。漢字ではないカタカナの「ムラ」の復活。それを建築家と辛口のジャーナリストが、実際の街を歩きながら対話するという手法だ。選ばれたのは下北沢、高円寺、そして秋葉原。東京以外では小布施である。隈研吾がカタカナの「ムラ」を以下のように定義する。『「ムラ」とは、人が安心して生活していける共同体のありかであり、また多様な生き方のよりどころである。私たちは今、都市の中にこそ、「ムラ」を求める。』
下北沢は、小田急線と井の京王線という私鉄で新宿、渋谷につながり、一方環状6号、7号、玉川通り甲州街道という幹線道路からは遠く、しかも踏切で隔てられ、自動車の利便性から二重に落ちこぼれてしまったという。世田谷の住宅地の前近代的な路地が、戦後の道路整備から偶然置き去りにされた結果、醗酵が始まり、ムラという醸造物がこの土地にできあがったのだという。この街に、終戦直後の道路計画が亡霊のように復活し、ムラを破壊しようとしており、それに反対する市民グループが「市民が望む・下北沢のまちづくり計画案」を提出している。二人の著者は、下北沢の街を歩きながら、行政が進めようとしている道路計画とは異なる選択肢を探ろうとする。
高円寺は、昭和初期に東京の中流住宅街として発展し、昭和後期には若者化/大衆化が進み、21世紀には下流の拠点に変化した街であるという。商店街、銭湯、昔ながらの木造モルタルの学生アパートが多く残る高円寺は、サブカルチャーやアングラカルチャーの担い手である若者たちを優しく包み込む「ムラ」であるという。そして男権的な発想である、20世紀の大量生産・大量消費や21世紀の新自由主義という経済を至上とする仕組みを逃れて、都市が「ムラ」に進化するためには、中央線特有の暗さと高円寺のような女性的ユルさが必要であると著者は主張する。だからといって高円寺は、その先の都市像を提示しているわけでもない、と言う。
二人が次に向ったのは秋葉原である。秋葉原は、ゲームやネットワークによって人々がすれ違う演劇的空間として人々を救っているという。この辺りのロジックになると、隈研吾の思考の飛躍が激しくなり、ついて行けてるかどうか自信がない。しかも中年の二人が訪ねるのは、いまや観光名物になったメイドカフェ。二人はそこでみっくすじゅーちゅを注文し、「萌え燃え、ふりふり」と美味しくなるおまじないをかける。そこで隈は、またしても突飛な仮説を提出する。彼はメイドたちの行き届いたしつけに感銘を受ける。「言葉遣いもちゃんとしているし、誰にも分け隔てない態度で愛を注いでくれる」清野は、「その教育とマネージメントで人件費が高くなる。そのぶんインテリアは学校の文化祭のようでお金がかかっていない」と指摘する。それに対して、隈はペラペラの安っぽい場所だからこそ芝居が成り立つのだと反論する。メイドカフェは、客も店もある虚構の中で演技をするという点で銀座の高級クラブに通じるものがある。しかも、コーヒーにしてはちょっと高めの支払いによって…。銀座の高級クラブが秋葉原民主化されたのだという。「ムラ」にとって欲望ー性欲は重要な要素であり、それをどう取り扱うかがローマ帝国の時代から重要なテーマであったという。秋葉原には、欲望をすれ違わせて処理する「広場」があるという。また著者は、日本文化の本質は「ヘンタイ性」にあると主張する。谷崎潤一郎川端康成も、江戸時代の浮世絵も、ありとあらゆる種類の妄想が詰まっているという。その「ヘンタイ性」をどのような形で建築に翻訳するかが、建築家のワザの見せどころで、50年代、東京の歌舞伎座を復興設計した和風建築の大家、吉田五十八も、大阪の新歌舞伎座を設計した村野藤吾も、そのようなヘンタイワザが突出していたという。その意味で、今の建築家には秋葉原を作るのは力不足であると断言する。秋葉原には、日本文化のヘンタイ性が様式美となって興りつつあることが希望が持てると著者は言う。演技の様式美ということで言えば、もはや銀座のクラブ以上。メイドカフェの「ご主人さま、お嬢さま」「萌え〜」というセリフは、あと100年経ったら歌舞伎ですよ、とまで言い放つ。
最後に著者たちは、都市ではなく、長野の小布施を訪れる。それに先立って、隈研吾は、introductionの文章で「ムラの再発見」について、かなりつっこんで考察している。「村」はいつから失われていったのだろう。ルネッサンス以降だという説があり、産業革命以降がいう意見があり、やはり20世紀のアメリカが決定的だ、という説もあるが、いずれにせよ「村」は長い時間をかけて失われていった。なかでも19世紀から20世紀にかけての大きな事件、大恐慌、世界大戦、国民国家の誕生、建築・都市の世界でいえばモダニズム建築の世界制覇と言った出来事が「村の消滅」と深い関係があった。それらの事件は「村」が長い時間をかけて失われていく過程の1コマにすぎなかった。しかし「ムラの再発見」は、歴史の流れが逆転する転換点そのものであった。と著者は主張する。例えば1968のパリの五月革命に象徴される「異議申し立て」と「ムラの再発見」との間には深い関係があるという。学生たちが既成の左翼を批判した五月革命は、多様性や自治を容認しない中央集権的・全体主義的な西洋の思考法を徹底して解体しようとするものであった。そのために彼らはニーチェの西欧批判に心酔し、レヴィ・ストロースの西欧批判に対して強い関心を抱いた…。というような文章がいきなり始まって、驚かされる。レヴィ・ストロースの「男であるとか女であるとか、属性によって構成される社会はニセ物であるという説に共感した後、「悲しき熱帯」「野生の思考」が書かれた頃、日本では、大分の湯布院の町づくりを先導した中谷健太郎が故郷の湯布院に帰ったことを記す。さらにその18年後、長野県小布施町の栗菓子の老舗「小布施堂」の跡取りの市村次夫が、父の急逝により東京から故郷に帰還したことを語る。そして、もうひとり、アジアの「悲しき熱帯」を中心に高級リゾートを展開する最高級ブティックホテルチェーン、「アマン・リゾーツ」の創立者、エイドリアン・ゼッカの名前を持ち出す。ゼッカがアマンでめざしたのは、徹底した田舎のロケーションである。彼は「ムラ」を再発見し、世界の構造を転換した一人であると言う。もともとジャーナリストだったゼッカが創り出したアマン・テイストは、リゾートホテルだけでなく、世界中の都市型ホテルや商業空間のインテリアにまで、大きな影響を与えたという。都市の流行が中心から周縁へと伝播して村に到達するのではなく、はずれであったはずのムラが都市という中心を変えるという逆向きの流れが、ここに生まれた。アマン・リゾーツを語った後、著者は、もう一度湯布院と小布施を語り始める。中谷健太郎や市村次夫がやろうとしたことは、もうすこし広がりのある、重たい仕事だった、と。小布施の町づくりは「町並み修景事業」と名付けられた方法論で行われた。その先導役となったのは、老舗の小布施堂・桝一の跡取りであった市村次夫。彼はサラリーマン時代に石油コンビナートで有名な鹿島に赴任する。そこで見た農村の悲惨な実態が、単なる「再開発」ではない町づくりに彼を向わせたという。鹿島では工業用地として農家の土地が根こそぎ買収され、農家に莫大な補償金が渡ったという。そういったお金を人はバクチなどであっという間にスってしまう。後に残されたのは、地域の絆が分断されて荒廃した農村の風景と、身を持ち崩した人々。その殺伐としたありさまを見て、市村は、お上や企業の論理で進められる「再開発」というものは信用してはいけないなと思うようになったという。この市村にインタビューをした著者は、小布施の修景事業が成功したのは、この市村という人物がを、「シティボーイ、それも、ものすごいハイレベルのいかしたシティボーイが、たまたまこの田舎にいた」ということにつきるという。日本の伝統産業の世界には、いわゆる「旦那」がいて、地域の経済や文化を支えてきた。著者は市村氏のことを、旦那以上の、もっと鋭い「目」を持ったシティボーイであるという。この都会的な視点が小布施の町づくりを単なる再開発に終わらせなかったのだ。さらに市村氏の同い年の従兄弟である市村良三との共同作業ができたことも幸いした。また1994年、アメリカ人の女性、セーラ・マリ・カミングスが小布施堂・枡一市村酒造に入社し、まちおこしや酒造業の再構築に奔走し、小布施町と会社の双方の知名度アップに貢献したことも大きいという。湯布院の町づくりを先導した中谷健太郎も、東宝撮影所で映画の助監督をしていたシティボーイだったという。著者は、地域の「ムラ」の再生にこそ都市的なセンスや思想が必要であると言いたげだ。著者はしかし、小布施の「ムラの再生」はまだ途上であると言う。観光で生きる町場と、周囲の、昔ながらの農村は、まだうまく結ばれていない。観光客が町場のレストランで地元産のジャムをパンに塗るぐらいでは、連携が深まるものではない。周囲の農村にまちづくりの動機が薄い中で、まちづくりをリードしてきた市村家だけが孤立して浮かんでいるように見えると、著者は言う。
本書は薄い新書で、秋葉原の章など、笑いながら読める部分もある。2日ほどで読み終えた。しかし、この本が問いかけているテーマは、とてつもなく大きいと感じて、感想がなかなか書けなかった。読み終えてから、一ヶ月以上経っている。震災の本や原発関連の本を同時に読みながらだったので、よけいに色々と考えさせられたせいかもしれない。著者のいうところの、経済を至上とする男権的なハイパー消費社会の限界がいっきに見えた。すでに地域の絆や経済は、崩壊の一途を辿っているように見える。崩壊した地域のコミュニティに代わる新しいコミュニティ「最先端の感性とネットワークが集まる磁場をムラと定義する」は、まだ生まれていない。この頃なんだか気持ちが急いてしょうがない。時間があまり残されていないのに、進むべき道が見つからないせだろうか。