坂口恭平「独立国家のつくりかた」「現実脱出論」

著者の本は3〜4冊目。以前に「ゼロからはじめる都市型狩猟採集生活」という著作を読んでいる。都市に暮らすホームレスたちの生活を取材して「今、自分が一文無しで都会に放り出されても、ちゃんと生きていく方法がある」ということを紹介した本である。著者は、それ以前にもホームレスの家を取材した「0円ハウス」という写真集を出していた。その2冊から、著者のことを「ちょっとユニークなドロップアウトした建築家」ぐらいに思っていたが、この2冊を読むと、この人、そんな生やさしい人物ではない。ひとことで言うと彼は「アーティスト」だ。いや、「アーティスト」という言葉でも生ぬるい。コリン・ウィルソンいうところの「アウトサイダー」と呼ぶのがふさわしいと思う。

社会への違和感にこだわる。

誰でも若い時は、自分が属している社会に対して「違和感」を抱くものだ。やがて成長し、自分がその社会の一員になっていく過程でその「違和感」は徐々に消えてゆく。しかし、少数ながら、いつまで経ってもその「違和感」を持ち続ける人間がいる。彼らは、自分が抱く「違和感」にこだわるあまり、遂には社会のルールや制度を否定したり拒否するところまで行ってしまうことがある。それが法律を破る行動を取れば犯罪になってしまうが、彼らの「否定」や「拒否」の主張がとことんユニークであれば、それが芸術や詩になったり、思想になったりすることがある。本書の著者も社会に対する「強い違和感」と「素朴な疑問」を持ち続けた人である。彼は建築を学んでいる時に、ある大工の親方の下で修行をはじめる。現場で、コンクリートを流し込んで土台を作る行程を見て強い「違和感」を覚える。彼は親方に「なぜ、土台を作る必要があるのか」と問いかける。「日本建築は、もともと土台なんか作らなかった。石の上に柱を置くだけで済ませてきた。なぜこんなことをするのか?」と質問すると、親方は「そうだよなあ、おかしいよなあ」と答えることしかできない。著者は、修行の間中、大工の仕事を学ばず、親方にこの種の「質問」を発し続けたという。結局、彼は、建築家になる意味がないと、建築士の資格も取らず、フリーターの道を選ぶ。路上で歌って稼いだり、ホテルでアルバイトをしたりしながら、卒論で取り上げたホームレスの段ボールハウスの写真集「0円ハウス」を出版する。「0円ハウス」は海外でも出版され、著者は、アーティストとして知られるようになる。さらに著者は「モバイルハウス」という「0円ハウス」を発展させた「定住しない住宅」を制作し、これがさらにアート作品として注目され、海外の美術館やギャラリーに展示されるようになる。それらの作品は、現代の社会の様々なシステムへの「違和感」の主張であるという。建築や住宅への違和感、土地を誰かが所有するシステムへの違和感、35年の住宅ローンへの違和感…。彼が感じる違和感はさらにエスカレートしていく。本書では、とうとう日本という国家を否定し、自ら独立国家を作りあげるという行動に出てしまう。著者は、これを冗談でやっているのではない。

フクシマがきっかけ。

2011年3月15日、著者は新聞で、東京でも大気中からヨウ素セシウムが発見されたことを知る。すぐに妻と娘を新幹線で大阪に移動させ、自分も後を追って大阪へ移動する。彼は携帯電話に登録されているすべての人に電話をかけ、すぐに大阪に避難するように呼びかける。NHK朝日新聞放射性物質の特集や報道を呼びかけ、断られる。挙げくの果ては国会議員の秘書に電話をかけ、すぐに自衛隊を発動させて、福島の人々を逃がすように迫って断られる。そこで著者ははっと気がつく。自分は国家に頼らないモバイルハウスを建てるといいながら、国難のような事態を前にして、ついつい政府やメディア、つまり権威に頼ろうとした。しかも知り合いの国会議員は、早々と自分の家族を海外に避難させていたという事実を知り、逃げるべきだと知りながら言わない政府はもはや政府ではないと「認定」する。そして著者は自分で避難計画を実行しようと決意する。2011年5月10日、著者は、新政府を設立。「新政府内閣総理大臣」に就任する。首相官邸熊本市内の築80年の一戸建て住宅。敷地面積は200㎡。著者はその家を「ゼロセンター」と名付け、東日本全域から死の灰を逃れてくる人たちの避難所にした。宿泊費0、光熱費0。1カ月の間に百人以上が宿泊。最終的には60人が熊本に移住したという。この避難計画に続いて、福島の子供50人を無料で熊本に3週間招待するという0円サマーキャンプ計画を立ち上げる。資金は当初、著者自身が出すつもりだったらしいが、計画を知ったフォロワー3人から全額が新政府の口座に振り込まれる。多くの人の協力によって計画は実現した。

0円特区

新政府の政策の柱は「自殺者をゼロにするために全力を尽くす」。モデルとなるのは0円ハウスの生活形態である。そこではすでに0円で生活することが可能な世界が実現されており、あらゆるゴミを貨幣に変え、独自の技術を「貨幣」として流通させる経済が実践されているという。国内には、所有権のはっきりしない土地や空間があちこちに存在するという。また所有者が決まっていても、その使用権を別の人間が主張できる空間が存在するという。著者は、そんなタダの空間を利用して「0円特区」を作ろうと提案する。著者が建国宣言を行うと、各地で、自分の土地や家を使ってもいいという人が出て来た。六本木のミッドタウン7階にある銀行が自社が持っているフリースペースを0円特区として使ってほしいと申し出る。著者は、この0円特区での様々な政策を実行しようとしている。「食費0円」「総工費0円の住宅」「12Vのエネルギー政策」「ヒッチハイクを活用した0円の交通網」などなど…いちいち説明していたらキリがないので、詳しくは本書を読んでほしい。しかし、よくもまあ次々へと0円アイデアが出てくるものだなあ、と感心する。しかし、著者のアウトサイダーぶりは、次の著書「現実脱出論」で、さらに驚くべき飛躍を遂げる。

「国家」の次はついに「現実」を否定?

自分を取り巻く環境に対して違和感を感じる著者の主張は、次の「現実脱出論」になると国家や社会から「我々が生きている、この世界:つまり現実」に及ぶ。著者のいう現実とは、人間が集団的な生活をするようになって生まれたコミュニケーションのための「バーチャルな世界」であると言う。著者が信用できるのは自分の感覚が捉えた世界だけであるという。現実に対する違和感から出発し、家や建築を否定し、ついには国家まで否定してしまった著者が、次に疑問を唱えたのは「現実=わたしを取り巻く世界そのもの」である。書店で本書を見つけた時、「オイオイ、本気か?そこまで行く気?俺はもうつき合いきれんぞ。今回はパス!」と、一度は購入を断念した。しかし、やっぱり気になってしょうがなくて、数日後に購入。読んでみると、一部は思っていた通りだったが、全然予想と違っていたところもあり、最後は読んでよかったと思った。

時間や空間は伸びたり縮んだりする。

退屈な時間は長く感じて、楽しい時間は短く感じる。という感覚は誰にでもあると思う。つまり時間の経過というのは一定だが、人の精神状態によって長く(遅く)感じたり、短く(早く)感じたりするだけである、と僕たちは理解している。しかし著者は、時間というものが、そもそも伸びたり縮んだりするのものであり、時間を同質の一定のものと考えるほう(現実)が間違っているのではないかと主張する。この主張は強烈だ。僕自身の子供の頃の体験を振り返ると、周囲や大人たちと物事の感じ方が違うと感じることが少なからずあったと思う。しかし、それは自分の感じ方のほうが異常なのだと悩むことのほうが多かった。そんなことを続けている内に、人と意見が食い違った時に、まず、自分の意見が間違っているのではないかと思案するクセがついてしまった。そんな僕からすると、著者の現実否定は強烈である。というよりも、著者の感覚が捉えた世界の豊かさと多彩さに驚かされる。居酒屋が開店して間もない時、客もないのになぜ狭く感じられるのか。やがて客が増え、混み合ってくると逆に広く感じられるのはなぜか…。

勘違いという創造。

また匂いや音によって呼び起こされる感覚も、著者を現実から解き放つきっかけになる。音楽に関して、著者自身のこんな体験を紹介する。レストランで食事をしている時に、ふと耳に入ってきた音楽に吸い寄せられる。そんなに大きな音量ではない。とても気になって、その曲名を尋ねる。家に帰って、その音楽を音量を上げて聴いてみると、レストランで聴いた音楽とまるで印象が変わってしまっている。何も知らないで突然聴いた時のほうがよく聴こえたという。また、ある時、日本の演歌が流れていると思って哀愁に浸っていると、実はカンボジアのPOPミュージックだったりする。このような勘違いこそが、著者にとっては創造のための重要なエクササイズだったりする。しかし、勘違いは故意に作り出そうとしてもできない。著者は、実際に創造している時よりも勘違いに「気づく前」と「気づいた後」の間の空白のほうがより創造的ではないかと考えているという。そこには創造の秘密が隠されているのだと著者は主張する。それは現実から開放され、個人が自由に創造を行う「思考の巣」と著者が呼んでいる場所である。

「貧乏揺すり」から始まる創造。

著者は、アート作品だけではなく、歌を歌い、ダンスを踊り、絵を描き、写真を撮り、文章を書く。その生み出し方がとてもユニークだ。それは貧乏揺すりとして始まるという。貧乏揺すりは、著者にとって、貯金箱の穴から小銭を出すような仕草なのだという。貧乏揺すりを続けていると、火起こしのようにすこしずつ摩擦が起きてくる。そこで何でもいいから書いてみる…。貧乏揺すりという振る舞いは、知らぬ間に現実という他者の要求の言いなりなっていた自分自身に対して「思考しろ」と揺さぶってくる。人間が「言葉にできないけど何かを知覚しているとき」人は振る舞いを起こすのだと著者は言う。

詩の構造。

読み進むに従って、著者の言葉はユニークすぎて、理解することが難しいと感じられてくる。少しだけ引用してみる。

「現実で知覚した信号は、春一番に乗って扉を開き、思考という巣に飛び込んでくる。その運動が起こす摩擦によって、巣の中でプラズマが発生する。その放射状に広がる電子を記録する。模写する。遠近法ではなく、音楽的に風景を描く。

このように、思考と現実という二つの空間が扉を介して混ざっている状態。それが本来の日常である。そのことを認識できた時、「現実さん」という他社と意思疎通するための言葉の構造が新しく生まれる。現実という重力を考慮し、構造計算を経て言葉を積み上げるこれまでの方法ではなく、思考という無重力空間がしみ込んでくるに従い、より自由な方法で言葉を組み合わせることができるようになっていく。

その時、言葉が運動をはじめる。それぞれの言葉をつないでいたものは。鎖ではなく手だったのだと再認識される。そして少しずつ手を離し、他の仲間を探すために違う方向へ手を伸ばす。」

どうだろうか?あなたは理解できるだろうか?僕には理解できない。理解はできないが、「ニュアンス」というか、「伝えたいイメージの流れ」はかろうじてわかるような気がする。わかるような気がするのは、著者が創造について語っているからであり、それは僕にとっても大きな関心事であるからだと思う。

躁鬱病と絶望眼。

著者は躁鬱病と診断されている。鬱のサイクルに入った時、著者はすべてに対して自信を失い、死への願望が強くなる。それが病気のせいだとわかっていても同じような症状に陥ってしまうという。躁のサイクルの時に、鬱の自分に対して手紙を書いてみたりするが、鬱になった自分には、躁の自分の言葉がまったく理解できないので何の効果もないという。そこで著者は、躁鬱病が自分に搭載された機械が生み出す運動であると認識することで、このやっかいな病気とつき合っているという。鬱の時、著者は絶望する。著者は、それを「望みが絶たれた」ではなく「望みを絶った」というふうに解釈する。そして図書館に行って、美術の歴史の本など、エジプトから歴史をたどっていくのだという。そうすると、歴史の中に登場する芸術が、社会を変える芸術なのか、他者に迎合した余興としての芸術なのかが一目瞭然にわかってくるという。絶望した男の視点、絶望眼が立ち上がってくるのだという。絶望眼で見ると世の中のほとんどはグレー一色に見える。そのせいでほとんどのものに反応しなくなる。その時、ほんとうにやばいものだけに著者は反応するという。死のうとすること。絶望すること。著者はそれは大きな力だと言う。それは何か行動を起こそうとするような力ではなく、自分が大きな眼になるような力であるという。それは傍観や俯瞰の視点を手に入れるということ。「自殺願望」がない人、あっても薬などで直ってしまった人は、もったいないなあと思うらしい。

本書に書かれていることをきちんと伝えるのは難しい。

新政府の文部大臣に指命された中沢新一は、著者のことを「子供の質問をする人」と表現している。この言葉がいちばん適切な指摘かもしれない。確かカフカの言葉で、「君と世界の戦いでは、世界に味方せよ。」という一文があるが、著者はその反対方向に向かって全力疾走しているようだ。世界に違和感や疑問を感じた子供が、その問いに誰もきちんと答えてくれなかったため、その違和感や疑問を抱えたまま大人になってしまった感じ。本書の最後のほうで、著者が鬱の時に、あるモノを見る。神のような幻影を見たのだ。それは著者が描く絵のようであり、モアイ像や東京ディズニーランドの「魅惑のチキルーム」にあるチキの像にも似ていた。像は、カタカタ口を動かし、「ダンダール」という声を発したという。鬱の朦朧とした状態の中で、著者はとうとう「神」を見るようになったのか?ちょっと心配だ。現実を脱出し、自分の中の無意識の世界に降りていくことは、かなり危険なトリップなのかもしれない。しばらくは、この人から眼を離せそうにない。著者の2冊目の小説「徘徊タクシー」「坂口恭平躁鬱日記」も購入済み。