映画「ノマドランド」

こんなに寒々とした映画だったのか。

Hさんがレビューを書いていたので、興味を持ち、Amazon Prime Videoで視聴。米国では2008年のリーマンショックにより多くの高齢者が自宅を失ったという。その多くが自家用車で寝泊まりしながら、仕事を求めて全米各地を漂流している。余暇やリタイヤ後の楽しみとしてのオートキャンプなどではなく、職や家を失って、車上生活に追い込まれた人々。この映画は、そんな彼らの生活を描いたジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド:漂流する高齢労働者たち」を原作に製作された。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第93回アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演女優賞を受賞した。

主人公のファーンは、夫を亡くした後、ネバダ州のエンパイアという町で臨時教員として働いていたが、町の工場の閉鎖により、仕事と家を失ってしまう。彼女は自分のバンに最低限の家財道具を積み込み、仕事を求めて放浪する旅に出る・・・。

息を呑むほど美しいけれど。

主人公がめぐる全米各地の風景が息を呑むほど美しい。映画館の大画面で観たかったな。その大部分は荒野や砂漠で、美しいのだけれど、荒涼としていて、彼女の心象を映し出しているかのようだ。描かれているのは様々な季節だが、映像は全体に寒々としていて、この映画の硬質なトーンを作り上げている。彼女は、アマゾンの配送センター、ファストフードの厨房、工場などの日雇い労働者として働きながら各地を移動してゆく。宿泊するのはオートキャンプ場や駐車場など。仕事は過酷で賃金は安く、不安定な日々の連続だ。キャンプ場の料金が払えなくて、値引き交渉をしたり、工場の駐車場で無断で車中泊をして追い出されたり、車が故障して、修理代が払えなくて、長く会っていない姉にお金を借りに行ったり、車上生活にも様々な苦労がある。ファーンは行く先々で同じような境遇の「ノマド」たちと出会い、彼らと助け合いながらも、孤独な放浪を続けていく。姉や出会った仲間の一人に一緒に住もうと誘われるが、彼女はそれを振り切って旅に帰ってゆく。スーパーで出会ったかつての教え子に「あなたはホームレスなの?」と聞かれると、ファーンは「いいえ、私はホームレスではなく、ハウスレスよ」と答える。家は失ったが、ホーム(故郷?旅?)はちゃんとあると言いたかったのか?

過酷だが、救いもある。

僕はこの映画を観ている間じゅう、居心地が悪い気分にとらわれたままだった。60代と思われる主人公が、夫とも死別し、仕事も家も失い、流転の労働者となって生きていく姿は、あまりに生々しくて、見たくないものを無理矢理見せられているような感覚だ。唯一の救いは、主人公も、他のノマドたちも、希望とプライドを持ち、懸命に生きていることだろうか。それと彼女が行く先々で出会う大自然の美しさ・・・。さらに、そこが米国らしいのだが、ノマドたちの間に自然にコミュニティが生まれ、リーダーらしき人物もいて、互助の仕組みが機能していることだろうか。米国特有の「モーターホーム文化」の伝統がノマドたちの受け皿になっているのかもしれない。日本でもコロナ禍で仕事や家を失い、車上生活をする人が増えていると聞くが、米国のようなモーターホーム文化や、コミュニティは存在しないから、実態はもっと悲惨だろう。

日本のノマド文化?西行芭蕉山頭火・・・。

映画の中で、主人公が一人でどこまで続く一本道をドライブしている時や、誰もいない大自然の中にポツンと佇んでいる時、どういうわけか、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」と尾崎放哉の「咳をしてもひとり」の句が浮かんできた。ノマドって、日本でいうと、ひょっとして西行芭蕉円空、新しくは山頭火、尾崎放哉なんかの「漂泊」?あるいは四国遍路のような巡礼の旅?上野千鶴子先生によると山頭火に憧れる団塊オヤジの「野垂れ死に願望」は自分の老後に向き合うことができない男たちの甘えに過ぎないという。定年になって、山頭火の全集を買ったり、円空仏ツアーを目論んでいる僕には耳が痛い。年老いて一人になり、さらに仕事や住む場所まで失ったら、僕は、ファーンのように生きていけるだろうか。

都内のバス停で撲殺された60代女性を思い出した。

この映画を観ていると、いろんな連想が浮かんでくる。昨年、都内のバス停で殺された60代のホームレスの女性。スーパーなどの試食販売で暮らしていた彼女は、コロナ禍で仕事がほとんどなくなり、路上で生活していた。深夜、渋谷区のバス停で休んでいるところを暴漢に襲われ亡くなった。数日後、近所に住む46歳の男が出頭し「邪魔だった。痛い思いをさせればいなくなると思った」と供述している。彼女が亡くなった時の所持金は、わずか8円だったという。彼女には、寝泊まりするクルマすらなかったのだ。一人暮らしの高齢者が職も家も失ってホームレスになることは現在の日本では珍しくない。彼らの置かれている状況は、米国よりもさらに厳しいかもしれない。原作になったジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド:漂流する高齢労働者たち」も読んでみようと思った。