ジェフ・ヴァンダミア「全滅領域」「監視機構」「世界受容」

この著者の作品を初めて読んだ。久々にハマったSF。3部作である。「サザーン・リーチ・シリーズ」というらしい。1作目を読み始めた時点で、すでに3作とも出版済みだったので、1週間ほどでいっきに3作を読み終えた。印象は「懐かしさ」と「新しさ」。懐かしさの理由は「地上に出現した異世界」をテーマにしたSFであること。このテーマでは、ロシアのストルガツキー兄弟が書いた古典SF「路傍のピクニック」が有名だ。(タルコフスキー監督で映画化された「ストーカー」の原作といえばわかるだろうか。)また、ニューウエーブの 旗手J.G.バラードが書いた、終末SFの傑作「結晶世界」も同 じテーマの傑作だ。さらに異世界文明と人類との遭遇は、S・レムの「ソラリスの陽の下に」における、知性を 持った海と人類の関係に似ているかもしれない。要するに、かつてのSFの名作たちを彷彿とさせるところが懐かしいと感じさせるのだろう。さらに、大ヒットしたテレビドラマ「LOST」や、謎に満ちた島を探検するアドベンチャーゲームMYST」にも似通ったイメージを感じた。いっぽう「新しさ」の理由は「異世界」の描き方がユニークであることだろうか。リアリティがあって、抑制が効いていて、そのくせ随所にSF的飛躍がある。しかも、どこかボッシュの絵を思わせるような、独特の世界観を感じる。さらにクライマックスとも言えるシーンでは、著者のイマジネーションが奔放に広がり、恐しさ、美しさ、壮麗さを兼ね備えた世界が展開される。ちょっとこれまで読んだことがない作風。解説によると著者は「New Weird」と呼ばれる一派に属しているらしい。個人的には正統派SFだと思うが、水色背表紙のハヤカワSF文庫ではなく、ハヤカワNV文庫であることが納得いかない。

1作目「全滅領域」

地上に突如出現した謎の領域〈エリアX〉。そこでは生態系が異様な変化を遂げ、拡大を続けている。エリアXと世界の境界は、軍が厳重に管理し、誰も近づくことができず、一般人には「深刻な環境災害が発生し、その回復には数十年以上の年月を要する」とい うような報道がなされている。目に見えない境界に触れた瞬間、あらゆる物体は消滅する。その後、エリアXへの入口が発見され、調査隊が派遣された。最初の調査隊は、1人を残して全滅した。2番めの調査隊は、全員が銃で自殺した。3番目の調査隊は、お互いを銃で射ち合って全滅した。以後、調査隊が何度も派遣されるが、無事に生還できた隊は存在しないという。11次におよぶ調査隊が派遣され、膨大なデータやサンプルが得られるが、エリアXの謎はいっこうに明らかにならない。そして新たに、女性隊員のみからなる第12次調査隊が〈エリアX〉に派遣されようとしていた…。

灯台、廃村、沼地、汽水湖、人間のような目を持ったイルカ。

主人公は第12次調査隊の隊員で生物学者である。隊員たちは名前ではなく「心理学者」「人類学者」「測量技師」という役割名で呼び合うことになっている。また入口を通過する際のストレスを避けるため、全員が強力な催眠誘導を施されている。エリアXの中は、一見、外の世界と変わるところがない。フロリダを思わせる森林、湿原、アシ原、海岸、島などからなる自然豊かな土地である。その中に灯台、塔、廃村など、何となく意味ありげな場所が点在する。棲息している動物も水鳥やワニなど、もともとそこにいた生物のようだが、人間のような眼差しで主人公を見つめる不思議なイルカや不気味な鳴き声を発する謎の巨大な水棲動物など、エリアXにしか存在しない生物も存在している。本書のような作品は、異世界の描き方の塩梅で、面白くなったり、つまらなくなったりする。異世界の描写が現実の世界とあまりにかけ離れすぎると、単なるファンタジーになってしまう。その点、この著者はなかなか巧みだ。時代は現代だ。パソコンも携帯電話も存在する。湿地帯や葦原がどこまで続く風景はフロリダあたりだろうか。描かれるエリアX内の地形や生態系は現実の世界とまったく変わらない。しかし、油断していると、その一部に、とんでもない異変が紛れこんでいる。さっき紹介した、不思議な目を持ったイルカも、その一例だ。何気ない風景の中にひっそりと潜んでいる異変。その異変に気づいた瞬間、世界が反転するように別世界に変わってしまう。見慣れた風景が、恐ろしい悪夢に変わってしまっている…。著者は、そんな手法を駆使しながら、異世界を構築していく。

「塔」の謎。

隊員たちはベースキャンプを設営し、測量や調査を始める。しかしストーリーがぐんぐん進んでいくという感じではなく、調査隊に加わるまでの主人公の生い立ちや生物学者としてのキャリアや結婚生活が内省的に延々と語られる。SFというよりはちょっと不思議な文学作品のような語り口だ。著者はまた、様々な動植物に詳しいようで、多くの植物や動物の名がきちんと書かれている。ほどなく、主人公がなぜか「塔」と呼ぶ構造物が見つかる。それは地上に20cmほど露出した円形の構造体で、上部には地下へ降りる入口がある。「塔」は以前の調査では見つかっていない。調査隊は、予定していた調査を中止し、この「塔」を調べることにした。主人公たちは、地下に向かってどこまでも伸びていく「塔」の内部を降りてゆく。その最深部には、彼女たちを、予想もできなかった異変が待っていた…。この「塔」が登場するあたりから物語が急展開し始める。階段の横の壁に書かれた謎の文章は、菌類でできていた。人類学者を襲った恐ろしい悲劇。隊のリーダーである心理学者の裏切りと、その正体。後半、「異世界」が正体を現してからのディテールの描写は、読み応えがあって楽しめる。どこかドラッグによる、幻覚や悪夢の暴走を思わせるような、超現実的で壮麗な世界は、バラードとは違った美しさを創り出している。

2作目「監視機構」

2作目は、エリアXの調査や研究を行う研究施設「サザーン・リーチ」が舞台だ。第12次調査が失敗に終わった後、局長として赴任してきた、自らを「コントロール」と呼ぶ男性が主人公。第12次調査隊は、失敗に終わり、生物学者、人類学者、測量技師の3人がXエリアから戻ってきていた。リーダーであった心理学者は戻っていない。主人公は、行き詰まったサザーン・リサーチの組織を立て直すために「中央」から赴任してきたのだ。しかし主人公も問題を抱えている。彼の母は、情報機関である「中央」の上層部に登りつめた伝説の情報員であり、彼の祖父も「中央」で活躍した情報員であった。主人公も、母や祖父と同じ情報の道に進んだが、ミッションで致命的なミスを犯して、現場の仕事からは外されていた。サザーンリーチの仕事は、母から彼に与えられた最後のチャンスであるという。彼はサザーンリーチの研究を把握しようと、調査隊の生存者への面接や過去の研究データを調べるうちに、前局長(第12次調査隊のリーダーであった心理学者のこと)の行動に不審な点があることに気づく。前局長に心酔する局長補佐の抵抗を受けながら、前局長の行動の謎を解き明かそうとする。しかしエリアXは突如、世界への侵食を再開する。拡大するエリアXにサザーンリーチは呑み込まれ、崩壊する。かろうじてエリアXの侵食から脱出した主人公は、中央への移送中に脱走した生物学者の後を追って、北の海辺へ向かう。生物学者と再会した主人公は、彼女と一緒にエリアXに飛び込んでいく。

3作目「世界受容」

1〜2作は主人公は1人だったが、3作目では、複数の人物の視点で語られていく。前局長、ゴーストバード(生物学者)、コントロール、灯台守という4人だ。しかし、ここでもエリアXの謎がすべて明らかにされるわけではない。灯台守は、エリアX内にある灯台の灯台守であり、エリアXの最初の犠牲者であったかもしれないこと。心理学者は、子供の頃、灯台守のところによく遊びに来ていた少女だったこと。コントロールの母と祖父がエリアXの始まりに関わっている可能性が高いこと。ゴーストバード(生物学者)は、実は本物ではなく、生物学者のコピーであり、本物は、今もエリアXの中で生きているらしい。読み進めるうちに以上のようなことがわかってくる。そして最後は「塔」への再訪だ。コントロールとゴーストバードは塔の最深部に棲息する「クローラー」という怪物に遭遇する。第1作から登場する怪物「クローラー」は、圧倒的な存在であることを描かれているが、実はその実際の形態などは描写されていない。ここでようやくその全貌を見せる。その造形やディテールは、何というかとても「異質」である。さらにゴーストバードは、クローラーが、かつての灯台守の成れの果てであることを知る。

道具あるいはナノマシン

「エリアXとは何なのか?」という問いに小説はきちん答えてくれるわけではない。しかし、本書の中で、クローラーがゴーストバードに見せたイメージの中に答らしきものがある。地球からはるかに離れた宇宙のどこかで彗星の雨が降り続き、一つの生命圏が滅びようとしていた。『そしてある存在に創られた1個の生命が分割され、分散され、個々の微小なパーツが飛散し、世界と世界を隔てる形なき漆黒の空間を越えて、長く危険な旅に出発していった。ほとんどの微小体は消滅していったが、ひとつだけ消滅せずに「灯台」のレンズに衝突して中に保存された。ある時、休眠状態から目覚めた微小体は、元の生命を復元しようとした。しかし「元の生命」である「種」はすでに滅びており、微小体は、近くに存在した生命体ーーー灯台守に入り込んで、その心や身体の仕組みを利用して「復元」を続けた。その生命の仕組みは、地球上の生物とはあまりに異質なため、表面的には似ていてもまったく異質の生態系が出来上がっていった…。』移住先で、その星の材料を使って環境を改造するナノレベルのテラフォーマーの話のようである。

抑制された筆致と奔放なイマジネーション。

この著者の作品を読む楽しさは、普通の文学作品を読むような感覚で、作品の中に入っていき、それが、いつの間にか、読み手を想像力の翼によって、奔放なイマジネーション空間へ飛翔させてくれるところにある。そこには、これまでのSFにはなかった独自の宇宙があると思う。誰でも楽しめるというわけではないが、かつて、J.G.バラードの作品に夢中になったことがある人なら、十分楽しめるのではないか。帯には「パラマウントで映画化決定」とあるが、ハリウッドが、この難しい作品をどう映像化するのか、とても楽しみだ。本書を読み終えて、「路傍のピクニック」や「結晶世界」を再読したくなった。すでに「路傍の〜」を読み終え、「結晶世界」を読んでいるところ。