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早野龍五 糸井重里「知ろうとすること」

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友人のIさんのtwitterのつぶやきで知った本。

東日本大震災の直後、様々な情報が錯綜する中で、発表されたデータを淡々と分析し、twitterで発表し続ける科学者がいた。原子物理学者、早野龍五。デマや憶測を含む不確かな情報が飛び交う中で、信頼できる情報を求めていた人々がいっせいに早野のアカウントをフォローしたという。その一人であった糸井重里も、早野のつぶやきを「懐中電灯の光で必死に地図を見てるみたいな、そういう感じでした」と振り返る。早野の行動は多くの支持を集め、3月の早い時期に、専門家を含む協力者たちがネット上にしっかりした情報の共有体制を築きあげた。原子物理学の研究者で、原子力発電や原子炉は専門外という早野は、3月の終りにはツィッターを止めようと考えていたという。その頃には原発の専門家たちも情報発信を始めており、彼らにバトンタッチするつもりであったという。そんな時、東京電力から、明らかに間違った情報が発表される。

間違ったデータに騙されていた。

東電の発表によると、「1号機、2号機、3号機とも水がある。燃料棒の下半分は水に入っている」というものだった。しかし実際には水はなくなり、燃料棒は溶け落ちていた。東電は愚かにも水があるということをずっと拠り所にしていた。しかしその愚かさは早野自身も共有していたという。彼がいちばん恐れていたのは4号機の使用済み燃料プールだった。プールの中にはむき出しの使用済み燃料が置かれている。もしそこに水がなければ大変なことになる。また専門家の何人かが「水蒸気爆発が起きて原子炉の格納容器が壊れるのではないか」と心配していたという。最悪の事態は、格納容器が燃え上がって、まったく無防備な状況で大量の放射能が発生し、大量の放射性物質が飛び散って、首都圏を含め、大混乱に陥ることだったという。幸いにも使用済み燃料プールの水はなくならず、格納容器も壊れずに済んだ。当時、東大の物理学科の学科長だった早野は、東大工学部が授業開始を5月に遅らせようという議論をしていたと告白する。東大内部においても、原発がさらによくない事態に陥った場合に、首都圏が混乱に陥る可能性がゼロではないという認識を持っていたらしい。事故直後の緊迫した状態がひとまず落ち着いた5月になって、再臨界などの深刻な事態が起こる可能性が低いと判断した早野は、原発事故による住民の被爆の問題に注意を向けていく。

2度の個人的被爆体験。

彼には、震災以前、個人的に被爆体験があったという。今から10年以上前に肺ガンが発見され、右の肺の半分を切除している。その時受けたCT検査によって200ミリシーベルトの医療被爆を受けたという。また、1973年6月、中国が西部地区上空で水爆実験を行い、その後、東京都内でも雨とともに放射性物質が降った。その時、学生だった早野は、ガイガーカウンターで人々の衣服や頭髪を測定したという。つまり、早野は2度の被爆を経験していることになる。この体験をモノサシとして、彼は今回の原発事故による人々の被爆の測定を始める。

給食の陰膳調査。

原発事故の後、いちばん心配されていたのが福島の住民の被爆、それも食品による内部被爆だった。チェルノブイリでも内部被爆は何年も続く問題になっていた。特に子供の内部被爆が心配だという声が上がっていたが、データは一切なかった。そこで早野は、給食の陰膳調査を文科省に提案する。しかし文科省はこの提案を拒否したという。「測ってみて、もし給食からセシウムが出たらどうするんですか?」と言われた。そこで早野はインターネットを通じてアンケートを実施。保護者の大半が検査に賛成という事を証明して再提案。当初は早野のポケットマネーで実施するが、2012年度からは予算化され、正式な事業としてスタートする。この頃から早野は自ら福島を頻繁に訪れるようになる。その活動も、ホールボディカウンターによるデータの集計、測定の講習会の開催、数万人のデータを集計して論文を書くなど、大きく広がっていった。世界中の専門家は、事故の規模から「福島の人はみんな5ミリシーベルトの内部被爆をしているだろう」と予測していたが、実際のデータでははるかに低かったという。内部被爆に関しては、もう大丈夫だという結果が出ると、早野は、次に、外部被爆についての測定に取りかかる。外部被爆をきちんと計測するためには、住民一人一人の行動と被爆の数値を個々に記録して関係づける道具が必要だが、従来のガラスバッジでは、その機能を果たさないため、早野は、新しく開発されたばかりの「D-シャトル」という個人積算線量計に目をつける。「D-シャトル」は1時間ごとに個人が受けた線量を記録してくれる高性能の積算線量計。しかしデータは1時間ごとに記録するが、それを読み出すソフトが無かったため、1時間ごとにデータを読み出すソフトを開発してもらい、ようやく利用できるようになった。

赤ちゃんの被爆量を計測する。

早野が取り組んだプロジェクトのひとつに、世界初の乳幼児専用のホールボディカウンター「ベビースキャン」がある。これは母親からの子供の被爆量を計測してほしいという要望に応えたもので、デザインなど多くの課題があった。早野は、そのデザインを、著名な工業デザイナー山中俊治に依頼するなど、深く関わり、ついに生産にこぎつけたという。

高校生をCERNへ。

早野の仕事は原発事故への対策のみに終わらない。2014年1月、彼はフランスの高校2校と県立福島高校をビデオで結んで研究発表会を開く。さらにジュネーブCERNで4月に開かれた研究発表会に福島の高校生3名を参加させ、発表を行った。福島高校の活動はさらに発展し、今年の夏には全国のサイエンススクールから高校生たちが福島に集まり、2泊3日の合宿をやるとという。

最悪の時に正しい行動ができる人。

本書を読んで感銘を受けるのは、早野龍五という科学者の一貫した姿勢である。大災害のような、これまでの経験が役に立たない事態に直面した時、正しい判断と行動ができる人がいると、内田樹が書いていたのを覚えているが、早野は、まさにそういう人なのだろう。誰もが混乱し、半ばパニックになって叫び合っている時に、自らができることを見極め、冷静に行動していく。その行動が共感を呼び、人々を巻き込んでいく。次から次へと協力者が現れ、大きなムーブメントにつながっていく。その流れに自らも巻き込まれながら、流されてしまうことなく、新しい行動を起こしていく。彼の行動は、科学者としての揺るぎない基盤とジェネラリストとしての広い視野と柔軟な発想に支えられている。200ページ足らずの薄っぺらい本だが、読みごたえがある。早野の話を自然に導き出す糸井重里の最小限の言葉も、好感が持てた。