奥泉光「東京自叙伝」

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タイトルがとてもいい。コンセプトが明快に見える。著者は1994年「石の来歴」で芥川賞を受賞している。2年ほど前に著者による「神器―軍艦「橿原」殺人事件」を読んだ。「神器」は、ミステリーと思って読み始めたが、内容はかなりぶっ飛んでいた。太平洋戦争末期の帝国海軍を舞台にした推理小説というトリッキーな設定だが、内容はさらに荒唐無稽で奇っ怪そのもの。伝奇ロマンのようでもあり、帝国海軍や神道や極右の世界を筒井康隆ばりに茶化してしまう手法、さらには時空を縦横無尽に移動し、鼠人間や幽霊まで登場するファンタジー的手法やマジックリアリズムといってもよい展開についていくのがやっと。かなり読者を選ぶ小説だった。

主人公は東京の「地霊」。

本書の主人公は、東京の地霊。地霊は、ふだんは鼠や様々な動物の集合無意識として存在しているが、何かの拍子に、人間に取り憑いて、その人間の人生を生きることになる。時代は幕末から現在まで、地霊が取り憑いた6人の人物の一人称を通して、東京と日本の近・現代史が語られる。

地霊が取り憑いた6人の私。

最初の人物は幕末、幕府に仕える下級武士、2番目が帝国陸軍の参謀、3番目は戦後の闇市時代に暗躍したやくざ者、4番目は高度成長時代に、テレビ放送の開始やオリンピック開催、原発の建設に関わったビジネスマン、5番目が、バブルの隆盛と崩壊を身をもって経験したコンパニオン、6番目は福島原発で事故に居合わせた原発労働者…。地霊には、彼らのほかにも平将門八百屋お七、割腹自殺時の三島由紀夫上野動物園のパンダ、秋葉原無差別殺人の犯人、漱石の猫などに憑依して、東京の自叙伝を語っていく。地霊の性質は、「無責任」「野次馬」「世の中、成るようにしか成らない」「祭り好き、災害好き」であり、人間に取り憑いた途端、その人物は、歴史を「無責任」に、「成り行きまかせ」で、動かしてゆく。その典型が陸軍参謀本部の大陸での暴走と南方戦線での失敗の数々…。地霊が憑依した陸軍参謀本部のエリートは、威勢のよさと調子のよさで自らが立案した無謀な作戦を実行して、敗北を重ねていく。どれほど敗北を重ねても自らの責任を感じることはなく、「精神主義でなんとかなると思っている陸軍の悪しき体質のせいである」と他人事のように批判する…。読んでて不愉快になるような無責任ぶりである。しかし、この無責任こそが、東京の、日本人の国民性であったと言われると、まあ、そうかなと思ってしまう。以前エントリーした斎藤環著「世界が土曜の夜の夢なら」で「中心が空洞であるにも関わらず、勢いで「成ってゆく」のが日本文化の本質でもある」と指摘された概念が、まさにそのまま、ここで描かれているという気がした。

終末の光景。

最後の章では、地霊自身も、大きな変化に呑み込まれてゆく。地震津波で崩壊したフク1の中で、鼠に戻った地霊は、強い放射能を浴びながら歓喜に全身を震わせる。再び人間に憑依した地霊は、その人物が秋葉原の無差別殺人犯であることに気づく。しかも犯人は独りじゃない。街じゅうでに無数の無差別殺人者が人々を殺戮して回っている。その一人ひとりが地霊である「わたし」なのだ。地霊が取り憑く人間が増殖を始めている。殺人者の1人は、なんと、あの人気者の漫画マウスの面を被って、人々を殺していく…。

ちょっと尻つぼみ。

バブル崩壊以降の物語は、残念ながら尻つぼみの印象だ。現在に近づくほど、事件が生々しくなり、書きづらくなるのだろうか。地下鉄サリン事件のエピソードは取ってつけたような印象。果たして入れる必要があったのかと疑問に思う。

「無責任な悪」と「陳腐なアースダイバー」。

本書を読みながら、2つの作品を何度も思い浮かべた。ひとつは最近観た映画「アクト・オブ・キリング」。あの映画に描かれた虐殺者たちの平凡と陳腐さは、本書の地霊が取り憑いた人物たちと同じものであると思う。悪は、どこにでも生まれ、しかも凡庸なものである。さらに、ちょっとしたきっかけで暴走し、増殖し、大虐殺につながっていく。もう一つの作品は、中沢新一の「アースダイバー」。太古の東京から続く地霊が現在にいたるまでの東京の歴史を支配している、というアースダイバーの仮説は、本書の発想に通じている。しかし、残念ながら、本書には東京の地霊が、太古のどんな宇宙から生まれ、歴史とどう関わってきたかは、ほとんど描かれていない。著者は、幕末から現代に至るまでの日本の歴史を動かしてきた「時代の気分」を地霊という概念で集約しようとしただけのようにも思える。そこが本書のいちばん物足りないところだ。

かなりアブナイ小説かも。

「神器」も、神道天皇など、きわどい所に踏み込んだ小説だったが、本書は、さらにアブナイ領域に踏み込んでいる。事故を起こした福島第一原発で、被曝をまったく怖れずに作業する原発労働者や、強い放射能を浴びて、歓喜にふるえる原子力鼠、秋葉原の無差別殺人犯の増殖…。人気者の漫画マウスの殺人犯、地下鉄サリン事件への関与…。そのギリギリのところで、著者は、現在の日本人の本質を描こうとしている。