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臼田 篤伸「銅鐸民族の悲劇ー戦慄の古墳時代を読む」

数年に一度、「マイ古代史ブーム」がやってきて、古代史関係の本を読みまくるが、そのきっかけになるのは一冊の本だったりする。その一冊に出会うことを期待して、年に十数冊は古代史関連の本を読むことにしている。本書も、そんな読書の中の1冊。古代史を読む愉しみのひとつが、アカデミックな制約ににとらわれることなく、自由に発想されたアマチュアたちの説を読むことだ。古代史の世界にはミッシングリンクがいっぱいあって、全貌を知ることは不可能に近いが、そこに仮説を持ち込むことによって、ようやく全体像が見えてくることがある。古代史研究には、いわゆる学者ではなく、在野の研究者が大勢存在する。そんな彼らの中から時々驚くような仮説が飛び出してくることがある。
「銅鐸」の謎。
古代史の謎のひとつに「銅鐸」がある。全国で500に登る銅鐸が出土しながら、古代の祭祀に使用されたらしいと推測されているが、その正体は、今だ完全に解明されていない。中国や朝鮮半島で同じような物は発見されていないので、日本固有の文化が生み出した物であると言われている、どのような目的で誰が作ったのか?誰にどのように使われたのか。なぜ一度に大量に出土するのか?5つの県のみで出土し、奈良や九州などで見つからないのはぜなのか等々…。謎に包まれた銅鐸を、大胆な仮説で一刀両断に解き明かしてくれるのではないか。それを期待して本書を購入したのだが、これはちょっと期待外れ。紀元前200年〜200年頃までの約400年の間に、銅鐸を作った民族が栄えた。そして邪馬台国が誕生した3世紀には、彼らはこつ然と姿を消したように見えるという。
銅鐸民族VS天孫民族
銅鐸を造り出した人々………銅鐸民族は、どこに行ったのか。著者はその答を天孫民族による征服と支配に見出す。そしてそれは古墳時代と重なっている。銅鐸時代の終焉と古墳時代の幕開けをつなぐと…。ここまでの着眼はいいと思う。鉄の武器で武装した集団が、青銅の武器を持つ集団を攻撃し、滅ぼす。そして彼らの祭器である銅鐸の信仰を弾圧する。ありそうな話だ。ところが、ここから著者は驚くような仮説を展開していく。その仮説とは?銅鐸民族を征服した天孫民族は、彼らを支配するために、各地で巨大な強制収容所をつくる。それが大量に作られた古墳であるという。征服した多くの民に地面を堀らせ、巨大な空堀を作り出し、掘った土は高く盛り上げて古墳とする。現在、多くの古墳を取り巻く「壕」は、かつては水がない空堀であり、銅鐸民族の居住場所であったという。いったいどこから、こんな奇妙な説が出てくるのだろう。
古代日本の「強制収容所」。
しかも「収容所列島」とか、「強制労働」とか、「アパルトヘイト」とか、現代の言葉がポンポン飛び出してくるものだからたまらない。途中で何度か放り出しそうになるのを我慢して読み終えた。著者の本業は医者らしく、そっちの本も出している。古代史研究は趣味なのだろう。アマチュア古代研究者の荒唐無稽な珍説・奇説は大歓迎なのだが、本書の仮説はぶっ飛びすぎ。amazonで、著者の古代史本は3冊見つかるが、レビューが投稿されていない。あまりのぶっ飛び仮説に呆れてしまい、レビューを書く気にならなかったのだろうか?読みながら、心の中で何度もツッコミを入れてしまう。そんな本はめずらしい。
本書の中で取り上げられている兵庫県高砂市の生石神社(おうしこじんじゃ)のご神体である巨石「石の宝殿」は実家に近く、何度か訪れたことがあるが、不思議でしょうがない。播磨国風土記に記述があるとされ、高さ6.4m、幅5.7m、奥行き7.2m、推定500トンの重さがあるという。流山石と呼ばれるこの地方で産する凝灰岩でできており、ここで切り出され、奈良に運び、石室などに使おうとしたのではないかと言われている。岩の周囲を通路と水路が囲んでおり、一見、水の上に岩が浮かんでいるように見えて「浮石」とも呼ばれる。このように巨大な岩を、どうやって奈良まで運ぼうとしたのだろう。