藤原新也 安倍龍太郎「神の島 沖ノ島」

九州、玄界灘のまん中に「沖ノ島」と呼ばれる小さな島がある。この島は、ふだん一般の人間の立ち入りは禁止され、女人禁制でもある。はるか古代から島全体がご神体とされ、島内の巨石群で祭祀が続けられてきた。祭祀の度に多くの宝物が奉納され、その数は十万点以上といい、その内八万点以上が国宝に指定され、「海の正倉院」といわれる。島は、後に宗像大社の三つの宮のひとつとなり、沖津宮(おきつぐう)と呼ばれる宮がおかれ、田心姫神(たごりひめのかみ)という女神を祀っている。『大島の中津宮(なかつぐう)には 湍津姫神(たぎつひめのかみ )、宗像市の辺津宮 (へつぐう)には市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られている。三つの宮を総して宗像大社という。』 本書は、写真ジャーナリストの藤原新也と作家の安倍龍太郎が実際に沖ノ島に渡って写真を撮り、文章を書いた「写真紀行」である。梅田のジュンク堂本店では「写真」→「風景写真」コーナーにあった。

本書を購入したのは、僕自身も2006年に、年に一日だけ沖ノ島に上陸できる「宗像大祭」に参加したことがあるからだ。その時は天候が悪く、当日の早朝になっても船が出港できるかどうかわからず、とりあえず大島の港に行って待機した。天候が少し回復し、ようやく船は出たものの、波は高く、島に上陸できるかどうかは行ってみないとわからないということだった。強い風雨の中、ようやく上陸できたものの、神社への参拝を済ませた後は、天候が悪化する恐れがあり早々に帰りの船に乗せられた。雨で足場も悪く、最高地点の灯台へ行くことも叶わなかった。天気がよければ360度水平線が見えるという景観を体験することもできなかった。(上の写真は、その時沖津宮で僕が撮影したもの。本書に掲載された写真ではない。念のため)もう一度天候のよい時に行きたいと思いながら、いまだ果たせずにいる。それでも草一本、石ひとつ持ちだしてはいけないという、太古の島そのままの空気を呼吸することができた。本書では、最初は大島に渡り中津宮に参ったあと、そのまま沖ノ島に向かう予定だったのが、低気圧の影響で海が荒れ、いったん本土の神湊に戻り、翌朝、神湊から沖ノ島に向かったという。翌日は天候に恵まれたようだ。本書の写真を見ていると、「宗像大祭」に参加した時のことが鮮やかに蘇ってくる。風雨のせいで船室から一歩も出られず、ひたすら衝撃と振動に耐えていた船旅。船着場以外は人工の匂いがなく荒々しい太古の匂いが残る参道。神宝館に展示されていた古代の宝物の数々…。冒頭の藤原新也のエッセイで書かれた門司時代の旅館でのエピソードや、自らも船を操縦するという藤原が玄界灘の漁船を語っているのも興味深い。そして宗像大社を祀り続けてきた海の民、宗像一族の簡潔な興亡史も読み応えがある。