逸木裕「風を彩る怪物」

ほぼ一年ぶりの投稿になってしまった。本はそこそこ読んでいるのだが、年齢のせいか、感想を書く集中力が不足しているのが主な原因。久しぶりなので書けるかどうか心配だ。

オルガン小説?

本書は、帯の「『蜜蜂と遠雷』以来のスペシャルな音の洪水。」というコピーに釣られて買ってしまった。音楽小説。著者は2016年に横溝正史ミステリー大賞を受賞している。主人公は二人の女性であるが、本当の主人公は「オルガン」と言ってもいいほど、オルガンやオルガンで奏でられる音楽の描写が素晴らしい。西洋でオルガンといえばパイプオルガンのことを指すらしい。(以下、オルガンと表記) 。日本でもオルガンのあるコンサートホールや教会は珍しくないが、ちゃんと演奏を聞いたことは一度もない。そもそもクラシック音楽をあまり聴かないし、その中でも宗教音楽やバロック音楽にはさらに縁がない。本書は、そんなオルガン素人の僕をオルガンの世界へ否応なく引きずりこんでくれる。

主人公はフルート奏者を目指す名波陽菜19歳。

彼女は音大受験の前に、腕試しでコンクールに出場する。そこで彼女は他の出場者の個性溢れる演奏にショックを受け、自信を失ってしまう。それ以来、フルートを吹こうとすると唇が震えて上手く吹けなくなってしまい、結局、音大受験に失敗する。陽菜は、静養のために、東京と山梨の県境の町、奥瀬見でカフェを開いている姉のもとで過ごすことになる。ある日、フルートを練習していた彼女は不思議な音を耳にする。音の正体を確かめようと森の奥へ歩いていくと、倉庫のような建物があった。音はその中から聴こえてきた。建物の中では一人の若者が何かのパイプを持って作業をしていた。そこはオルガンを作る工房だった。陽菜は、そこで著名なオルガン製作者の芦原幹(あしはらみき:60歳)と出会う。陽菜は彼が演奏するオルガンの音に魅了され、オルガンという楽器に興味を覚える。

ピアノとオルガンの違い。

ピアノとオルガンは同じ鍵盤楽器であるが、ピアノはハンマーで弦を叩く「打楽器&弦楽器」であり、オルガンはフイゴで風を作り、その風をパイプに送り込んでパイプの共鳴によって音を出す「管楽器」である。そしてオルガンの鍵盤は音を出すスイッチに過ぎず、ピアノのように鍵盤のタッチによって音の強さをコントロールすることができない。鍵盤を押せば、常に同じ音量、音程の音が出る楽器である。オルガンにはピアノもフォルテもないのだ。そのかわりに数百から数千にもなるパイプの音を組み合わせて様々な音色を創り出すことができる…。

耳の良い主人公。

工房の中で整音(音の調整)をしているパイプの音が不自然なことを陽菜が指摘したことから、芦原は、彼女の耳の良さを知り、自分のオルガンづくりに参加してくれないかと誘う。芦原幹は、元々音響工学の研究者で、大手楽器メーカーの研究所で働きながら、オルガン工房で修行をし、30歳で独立し、専業のオルガンビルダーになり、その後、自分の故郷である奥瀬見に「芦原オルガン工房」を作った。その4年後、フランスに渡り、アルザスに工房を構え、15年ほど活動し、ヨーロッパのあちこちで教会やコンサートホールのオルガンを作った。7年前に帰国し、元の場所で工房を始めた。しばらくは既存のオルガンのメンテナンスなどをしていたが、最近になって新しいオルガンを作り始めたという。芦原の旧友が所有する、奧瀬見にある私設のコンサートホールのためのオルガンだという。

もう一人の主人公。芦原朋子。

陽菜は、翌日からオルガン工房に通うようになる。芦原幹は、陽菜に、自分の娘の朋子(19歳)と力を合わせてパイプの整音作業を進めるように求めるが、朋子はなぜか反発する。この朋子が本書のもう一人の主人公である。名波陽菜と芦原朋子、二人の人物を軸に物語は展開してゆく。音響学の研究者であり、著名なオルガンビルダーである芦原幹、野心的なオルガン演奏者の神宮寺、カフェを経営し、趣味でホルンを演奏する姉の亜季。工房を手伝う森林レンジャーの三原。芦原のかつての弟子であり、現在は役所に勤めながら、アマチュア楽団でオーボエを演奏する細田…。工房でのオルガン制作が進んでいくに従い、陽菜は、自身の音楽やフルート演奏への思いが変化していることに気づく。一時は自分が目指す道はオルガン製作ではないかと思いさえする…。

音楽ミステリー?

著者がミステリー作家であるせいか、緩やかなミステリー仕立てとも言える謎が仕掛けられ、ストーリーは進んでいく。朋子が陽菜に冷たく接する理由は何なのか?芦原幹がフランスから持ち帰ったという小さなオルガンに記されたPour Mikiという文字。そしてオルガン演奏者であった芦原幹の妻、美紀。さらに蝉風(せみかぜ)という奥瀬見特有の暴風が吹くと森から聴こえてくるという不気味な声…。第一章の終わり、オルガニストの神宮寺と、オルガニストを馬鹿にする天才ピアニストのギィ・デルヴォーの対決は圧巻、前半のクライマックスでもある。ちょうど、その頃、奥瀬見では、衝撃的な事件が起きていた。ここから物語は大きく展開していく。

本書はミステリーでもあると思うので、ここから先のストーリーの紹介はしないことにする。ストーリー展開も面白い。しかし本書の読みどころは、オルガンという楽器の仕組みや歴史、そしてバッハをはじめとするオルガン音楽の紹介、さらに随所に出てくるオルガンの演奏の描写だろう。巻末でオルガン製作者やオルガン演奏者、フルート演奏者への謝辞が述べられているが、著者自身がオルガンやオルガン音楽に造詣が深いことを感じさせる。

オルガン音楽が聴きたくなった。

本書を読み終えて、実際にオルガンが聴きたくなった。ちょうど僕の住む宝塚には、ベガホールという小さいけれど音が良い市民ホールがあり、そこに小ぶりのオルガンがあることを覚えていた。しかも定期的にオルガンコンサートが開かれている。早速、チケットを購入。10月の半ばの金曜日に聴きに行った。クラシックのコンサートでは何度か行ったことのあるホールだが、オルガンを聴きに行くのは初めて。バッハの曲を中心に、オルガンの音楽を堪能した。演奏の後、オルガンを間近で見学できるオルガン見学会も行われているが、こちらは定員に達しており、参加できず。次回は、ぜひ参加したい。

著者への興味。

著者の逸木裕氏の略歴を見ると、「フリーランスのウエブエンジニア業の傍ら、小説を執筆」とある。最近、プログラミングやウエブなど、IT系の人が小説を書いて成功するケースを目にすることが増えているような気がする。著者による、AIが作曲するアプリにより作曲家が絶滅した未来を描いた「電気じかけのクジラは歌う」も読んでみたい。