吉野裕子「蛇 日本の蛇信仰」


鏡餅」の由来を知っているだろうか?
一説には、穀物神である年神(歳神)へのお供えであり、三種の神器である、八咫鏡(やたのかがみ)を形どったと言われるが、明らかではない。
本書によると、大小の餅を重ねた、あの形は「トグロを巻いた蛇」を現しているという。古代の言葉では、蛇は「カカ」「カガ」と呼ばれていた。マブタがなく、つねに凝視しているように見える蛇の目を、古代の人々は常に光っているように感じて畏れていた。中国から「鏡」が入ってきた時、人々は、その常に輝き続ける様を畏れ、「カガメ:カガ眼=蛇の眼」と呼ぶようになった。そして、カガメが音韻変化によりカガミになり、さらにカガミは、蛇の眼だけではなく、蛇そのものを表すようになった…。鏡餅は、年神への供え物ではなく、年神そのものを表している、というのが著者の説である。眼からウロコが落ちたとは、こんなことを言うのではないか。僕は激しく納得してしまった。蛇のことをいまでもカカシ、カガシ、カガチと呼ぶ地方があり、現存する蛇の中にも「ヤマカガシ」という名の蛇がいる。著者によると、「かがむ」「かかる」「かがやく」などの言葉は蛇から来ている可能性が高いという。また神社に欠かせない注連縄(しめなわ)も、交尾している蛇を形どっているという。さらに祭の前などに身を清める禊(みそぎ:身を削ぐ)は、蛇の脱皮による生まれ変わりを表しているのではないかと推測する。
祖先神、宇宙神としての蛇。
著者によると、古代の人々は、蛇の、脱皮を繰り返して、生まれ変わりながら、成長していく生態や、一撃で敵を倒す毒による強力な攻撃力を畏怖し、蛇を祖先神として崇拝するようになったという。縄文時代土偶の中には、蛇を頭に載せた巫女を形どったものが存在する。古代エジプト、インド、中国、南米、世界中に蛇を祖先神とする数多くの文明がある。蛇神は、神の中でも最も古い神なのである。著者によると、縄文時代から時代が下ることによって、蛇を直接表現することは少なくなっていく。しかし決して消えはせず、抽象化され、シンボリックになって、暮らしの深層に生き残っていったという。鏡餅やしめ縄は、その典型であるという。著者は、日本各地に残った祭や行事などの中に、生き残っている蛇神信仰を掘り起こしていく。
専業主婦から民俗学研究者へ、著者のユニークな経歴。
著者は、専業主婦であったが、日本舞踊を習っていたことから民族学に興味を持ち、大学に入って学んだ。1977年には「陰陽五行思想から見た日本の祭り」で筑波大学東京教育大学)で文学博士号を取得。陰陽五行によって日本の祭を解明するなど、在野の研究者として多くの著書を出版して、2008年に亡くなっている。著者の特色は、着眼点が直感的でユニークなこと。本書の中でも、その特色はいかんなく発揮されている。
カカ、ハハの系譜。
カカ、カガだけではない。蛇の呼称は、カガチ、カガシ、ハハ、ハバ、ハメ、ハミ、ヌカなど、様々な呼び方で呼ばれ、日本文化の中に数多く残っているという。「ヘビ」や「ハブ」の語源も、この辺りから来ているらしい。さらに著者によると「神:カミ」という言葉も、ひょっとしたら蛇の「カガミ→カミ」「ハミ→カミ」から来ているのではないかという。これは凄い発想だ。神という言葉のルーツが蛇だとすると、僕らが信仰する、重要な神様の正体が蛇ということになりはしないか…。
田んぼの案山子も正体は蛇。
カカシ、カガシは、古くは、蛇神=田の神=山の神だったという。稲を食い荒らすネズミを獲物とする蛇は、農民たちから、田を守る「田の神」として崇められたという。また、田の神は、季節によって山から田に降りてくる山の神でもあったことから、蛇を象徴する一本足のシンボルを田んぼに立てて、稲を守ろうとしたという。著者は、日本文化の中の様々な事例を取り上げながら、その深層にひっそりと息づく蛇神信仰を紹介していく。蛇に似た蒲葵の樹皮や葉は、人がそれを身につけて蛇になる際のシンボルとして様々な信仰や習俗に入り込んでいる。「蓑」や「傘」も蛇を身に着けるもののシンボルだ。案山子が蓑と傘を身につけるのも、蛇神を表すための大切な小道具なのかもしれない。
あらゆるものが蛇に見えてくる。
本書は、とても面白い本だが、著者は蛇信仰に夢中になるあまり、あらゆるモノに蛇を見てしまうところがある。前方後円墳の、あの形は、蛇の頭部を表すという。また、カカ。カガ、ハハ、ハバで始まる言葉を何でもかんでも蛇に関連づけてしまう嫌いがある。それはちょっと行き過ぎという部分もあるのだが、本書が、あまりに面白いので、目をつぶりたい。
宮崎駿の「もののけ姫の神」
もののけ姫」は、宮崎アニメのなかでいちばん好きな作品だが、生命の誕生と死を司る「森の神」が「シシ神」になっていることに違和感がある。本来、生命の誕生を司る神は、蛇であるべきだと思うからだ。蛇は、縄文時代より信仰されてきた祖先神であり、宇宙神である。吉野裕子「山の神」によると、ヤマトタケル伊吹山で出会った神は、日本書紀では白い大蛇であり、古事記では白い大猪であった。氷の雨を降らせ、ヤマトタケル死に至る病にしてしまう山の神は、本来は蛇であったという。猪を山の神とする発想は、中国から陰陽五行などの思想が入ってきてからだという。
なぜハハ、カカなのか。「母」との関わり。
本書には書かれていないが、蛇の呼称が、ハハやカカであり、現在では、なぜ母のことを指すのか。また「山の神」といえば、一昔前は妻のことを表していたという。母や妻を「こわい、すごいパワーがある、崇めるべきもの」、ということで、蛇神様にたとえたのか…。
本書は、10年以上前に読んだ本だが、時々読みかえす本である。今回も久しぶりに読んで、感心したので(感動ではなく)感想を書いてみることにした。同じ著者による「山の神」も面白い。