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田坂広志「官邸から見た原発事故の真実」

3.11以降、福島第一原発で何があったのか。そして東電や官邸はどのように動いたのか、その詳細が、未だ明らかになっていいない。しかも官邸内の議論の議事録が残されていなかったことが最近になって判明するなど、政府は当時の情報を隠蔽しようとしているとしか思えない。本書は、そんな官邸に、事故直後の3月29日から5カ月あまりにわたって内閣官房参与として原発事故に取り組んだ著者によるドキュメンタリーである。本の形式は、質問に著者が答えるというインタビュー形式。事故の直後から、官邸内では、どのような議論が交わされ、どのような経緯で、様々な決断が下されたのだろう。本書には、その辺りの事情が描かれていることを期待していた。しかし残念ながら官邸内でのやりとりは本書にはほとんど描かれておらず、期待外れに終わった。それでも、事故直後から官邸に詰めて、緊迫した時間を数ヶ月にわたって体験した著者にしか書けない部分もある。例えば、著者が初めて官邸に入った頃には、原子炉と核燃料を冷却する有効な方法がなく、そのまま進めば、最悪の事態に陥る可能性があったという。最悪の事態とは、4つの原子炉の核燃料が次々にメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が大気中にばらまかれる事態を指す。いくつかの研究機関が行ったシミュレーションによると、その時の風向きによっては、3千万人が住む首都圏までが避難地域になる可能性があったという。このシミュレーション結果を見た日の夜、著者は官邸の駐車場で夜空を見上げながら「自分は映画を見ているのではないのだな…」と思ったという。
5カ月と5日。
著者は、5カ月と5日にわたって官邸に通い、原発事故に関わった。その結果、原子力工学者であった著者の原子力に対する見方が根本的に変わってしまったという。その理由は2つ。「一つは、原発事故というものが、これほどまでに深刻な事態を招くという現実を知ったことです。」「もう一つは、現在の原子力行政が、国民の生命と安全、健康と安心を守るためには、極めて不十分、不適切なものであることを知ったことです。」「原発事故が起こらないようにするために、そして、万一事故が起こったときにそれに対処するために、現在の原子力行政は、不十分、不適切であるだけでなく、緊急事態においては、およそ無力といってよい現実を知りました。」と語る。かつては原子力村の住人であった著者の口から、このような発言が出てくるのは驚きだが、読者としては素直に頷けない。著者が言うところの「不十分で不適切な原子力行政」を作りだした責任の一端は、原子力工学者であった著者自身にもあったのだとは言えないだろうか。
福島原発事故が開いたパンドラの箱
しかし原発の再稼働を望む原子力関係者が圧倒的に多い中で、著者は原子力関係者としての責任を感じて、脱原発の主張を行い、さらに本書を出版したという事実は評価すべきだろう…。そう思いながら読み続ける。さらに著者は次のように主張する。「それゆえ、私は、原子力を進めてきた一人の専門家の責任において、また、官邸で事故対策に取り組んだ一人の責任者の義務において、敢えて、こう述べざるを得ないのです。原子力行政と原子力産業の徹底的な改革を行わないかぎり、この国で原子力を進めていくことには、決して賛成できない。」著者の論理は明晰そのもので、その主張もわかりやすいから概ね納得できる。著者の主張の全貌をここで紹介するつもりはないが、著者によると、本当の危機はこれから始まるという。見出しの一部を拾っていくと「福島原発事故が開いたパンドラの箱」「幸運に恵まれた福島原発事故」「冷温停止状態の達成は入口に過ぎない」「絶対安全な原発でも解決しない問題」「放射性廃棄物問題の本質的な問題は何か」「証明できない十万年後の安全」…。著者は原発が抱える本質的な問題を筋道を立てて語った上で、次に「政府が答えるべき7つの疑問を提出する。いちおう、「7つの疑問」の中身を書いておこう。うまく整理されていて、わかりやすいが、その内容は多くの「反原発派」の著書で語られていることと、大きく違っているわけではない。
「第一の疑問 原子力発電所の安全性への疑問」
「第二の疑問 使用済み燃料の長期保存への疑問」
「第三の疑問 放射性廃棄物の最終処分への疑問」
「第四の疑問 核燃料サイクルの実現性への疑問
「第五の疑問 環境中放射能の長期影響への疑問
「第六の疑問 社会心理的な影響への疑問
「第七の疑問 原子力発電コスト経疑問

4つの挑戦とネット時代の参加型民主主義。
第三部では、著者が官邸において強く進言したという「脱原発のビジョン」が語られる。著者が言う「脱原発のビジョン」とは「計画的、段階的に脱原発依存を進め、将来的には、原発に依存しない社会をめざす」というビジョンであるという。そして、このビジョンは将来のビジョンではなく、今、現在、日本の平均的な国民が望んでいるものであるという。さらに著者は、この「脱原発ビジョン」を推進するためには、日本のエネルギー産業は「4つの挑戦」をしなければならないという。(2つの理由とか、7つの疑問とか数字が好きな人だ)
「第一は、原子力の『安全性』への挑戦」
「第二は、自然エネルギーの『基幹性』への挑戦」
「第三は、化石エネルギーの『環境性」への挑戦」
「第四は、省エネルギーの『可能性』への挑戦」
著者はまた、脱原発を進めていくためには、国民的な議論を尽くした上での国民投票による選択が必要だと語る。そのためには、現在の「劇場型政治・観客型民主主義」の時代に別れを告げ、「広場型政治・参加型民主主義」に移行しなければならないという。そしてネット動画や、ツィッター、フェイスブックを活用することによって現代の「広場型政治・参加型民主主義」は可能になるという。
著者が、この本の中で発している警告や提言は概ね間違っていないと感じる。このような主張が、かつての原子力推進派から出てきたことは、評価できると思う。しかし著者自身も、このような発言をしたために、すでに「反原発の人」というレッテルを貼られてしまっているような気がする。すでに、著者が危惧する「楽観的な空気」の中で、再稼働を求める動きが強まっている。
情報操作について。
もう一つ気になったことがある。本書の中で、著者は情報の公開について語っている。例えば、原発事故直後、枝野官房長官(当時)が「直ちに、健康に影響はない」という発言を繰り返したことについて、「あの緊急の状況において、国民のパニックを避けるためにしかたがなかった」と認めている。また首都圏の3千万人が避難するかもしれなかった事態に対して、もしそれを公表すれば、震災当日の首都圏の混乱どころではないパニックが起きて、多くの死者が出たかもしれないという。確かにそうなのかもしれない。もし事故の危機的な状況を正確に伝えていたら、首都圏はパニックになり、交通網は麻痺し、日本経済は大きなダメージを受けてしまったかもしれない。それでも僕は、枝野官房長官の発言を認める著者の姿勢には共感できない。事実を伝えることでパニックになるのは、国や自治体の行政にきちんとした危機管理の体制ができていなかったためであり、また原発事故が起こった場合の対策を国も電力会社も準備できていなかったせいであると思う。現に正しい情報が伝えられなかったために、地元の福島県では、多くの住民が被ばくした事実を、著者はどう受け止めているのだろう。「国民にパニックが起きるから本当の情報を伝えない」という態度は、これまでの原子力行政、原子力産業が続けてきた隠蔽体質につながっていくと思う。
運がよかった。
インタビューの最後に、著者は、9月2日、内閣総辞職を受けて、内閣官房参与の職を辞して官邸をあとにする。その時、心に浮かんだ思いは、ただ一つだったという。「我々は、運が良かった」。最悪ともいえるレベル7まで進行してしまった原発事故であったにも関わらず「運が良かった」という著者の言葉が、今回の原発事故の「真実」を一番語っている。このことだけで、本書を読む価値はあったと思った。