Hさんが紹介していた本。最初に本書を読んでしまったので、中で何度も言及されている「永続敗戦論」のところでわからない部分があった。そこで「永続敗戦論」を読み、本書をもう一度読んでみた。本書の中での白井聡の主張は「永続敗戦論」とほぼ同じ。いっぽう内田樹の主張は、これまで以上に過激になっている。特に安倍政権に対する舌鋒鋭い批判は、これまでになく強いトーンになってきている。内田は、それだけ状況が切迫していると感じているのかもしれない。内容が多岐にわたっていて、不勉強の分野も多いので、要約するのは難しい。感想文しか書けない。
永続敗戦論から。
本書における白井の主張は基本的には「永続敗戦論」で語られている通りだ。すなわち、福島第一の原発事故で露呈した国、財界、マスメディア、研究機関などの劣化と腐敗は、第二次世界大戦後の「誤った敗戦処理」に端を発している。その「誤った敗戦処理」とは、戦争を遂行した支配者層の責任を問わず、支配者層として生き延びさせたこと。そして占領国である米国への徹底した従属である。これによって戦後70年経った今も敗戦時の体制が続いている。白井はそれを「永続敗戦」と名付けた。また、負けるとわかっていた戦争にズルズルと入り込み、ミッドウエー以降、戦局が悪化して降伏するしかない状況になっても小田原評定を繰り返し、結局300万人を死なせてしまった日本の支配者層の腐敗。それは福島の原発事故において国や東電が見せた対応と同じであると白井はいう。
ルーツは戊辰戦争。
いっぽう内田は、原発事故への対応やTPP交渉を見て、日本の支配者層には、自己破壊、破壊願望ともいえるパセティックな力が働いていると指摘する。そしてそのルーツは、明治維新の戊辰戦争にあったという。維新から40年近く経ち、山形有朋、田中義一が死ぬと、長く続いた長州閥が終わり、それまで冷や飯を食わされていた戊辰戦争の賊軍勢力の軍人たちが陸軍の上層部に駆け上がっていく。彼ら「賊軍のルサンチマン」が、戊辰戦争から75年かけて薩長が築き上げてきた近代日本のシステムを全部壊すことになった。彼らが二・二六事件を起こし、日中戦争を始め、対米戦争を始めた。内田は次のように語る。「日本軍国主義は、のぼせ上がった軍人たちが、その権力欲と愚鈍さゆえに国を滅ぼしたというよりも、むしろ彼らの心のどこかに『こんな国、滅びたっていい』という底なしのニヒリズムを抱えていたのではないか、僕にはそんな風に思えるのです。」負けるとわかっている戦争に日本を引きずりこんだ支配者層は、無意識レベルで、破滅を望んでいた…。内田氏らしい、ぶっ飛んだ仮説で、そうかもしれないと思わせる。しかし本当にそうなのかな、という疑問も。この辺りのロジックはきちんと検証してほしいところだ。
幕末と戦前の状況は似ている?
しかし考えてみると、幕末の状況と太平洋戦争に突入していく戦前の状況は似ていないこともないような気がする。「尊皇攘夷」「倒幕」というスローガンに煽られて幕末の動乱に突入していった日本と、負けるとわかっている対米戦争に「鬼畜米英」「進め一億火の玉だ」などのスローガンを唱えながら突入していった日本…。この類似は、内田樹が言うような戊辰戦争における「賊軍」が維新政府に対していだいた無意識レベルの破壊願望なのだろうか?少し前に再読した司馬遼太郎「世に棲む日々」の中で、尊皇攘夷の思想によって熱狂し、藩まるごとが暴走してしまう長州人のことを、太平洋戦争に突入していく日本人の姿と重なるところがあると書いていなかったっけ。本書を再読している時に、たまたま原田伊織「明治維新という過ち 〜日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〜」という本を発見&購入。こっちのほうに答があるかも…。いま読みはじめたところ。
原発/積極的安全保障政策、「どっちかというとやめたほうがいい」では止まらない。
最後に本書の中で一番感銘を受けた箇所について書いておこう。白井は、「積極的安全保障政策」にしても、それを積極的に支持している人は、せいぜい5人に一人ぐらいしかいないという。原発問題にしても「どっちかといったら、もうやめたほうがええんちゃう?」というところまで含めれば、国民のほとんどが脱原発派であるといってもいい。(以下引用)「だけれども『どっちかというと、やめたほうがいい』程度の意志でやめられるはずがない。それがどうやらわかっていないところが、日本国民のだめなところです。国家がこれまであらゆる反対意見を踏み潰して推進してきた政策なんだから、これを政策転換させるのはとてつもなく大変なことで、『どっちかといったらやめたほうがいいんじゃないですか』ぐらいの意志でやめさせるはずがない。だから、「どっちかといったらやめたほうがいいと思います」程度の意見というのは、事実上の推進と同じなんです。『絶対反対』といって初めて何とか止められるかもしれないという話なんですから。」(以上引用終わり)本書の中で、内田樹も白井聡も、その発言がどんどん過激になっていくのは、それだけ現状が切迫していることと、少々の発言では、現政権の確信犯的な暴走を止められない、という危機感からだと思う。
昭和史を知りたい。
「永続敗戦論」でも書いたように、僕たちの世代はイデオロギーに対して強い拒否反応を起こす世代であった。そのせいか、大戦から冷戦、冷戦後と続く歴史に対して、まったく興味を持たずに生きてきた。また、戦争を経験した大人たちも、あの戦争について何も語ろうとしなかった。しかし、現在の日本の状況が、戦前や戦後の歴史の中に、その起点があるとすれば、知らないわけにはいかない。まだ間に合うだろうか?