村上春樹「職業としての小説家」

これはメイキング・オブ・ハルキワールドである。

あまりチャーミングとは言えない素っ気ないタイトル。思うところあって、即、購入。村上春樹は、デビュー以来、ずっと継続して読んできた。しかし、90年台半ばまでは、かなり批判的に読んできたと思う。その後、阪神大震災オウム事件の後、著者の作風は少しずつ変化していき、現在は、その変化をは好ましいものとして受け止めている…。どの時代に、どの作品を読んだかを、かなり鮮明に記憶している。そんな僕自身の「ハルキ体験」を、本書は、著者の側から語った本である。いわばメイキング・オブ・ハルキワールド。そうか、あの作品はこんな風に作られていたのか…。あの作品のあの展開は、こうやって決まったのか…。小説家の舞台裏を覗き見るような感覚。著者は、自らの「創造の秘密–−企業秘密」を惜しげなく公開してくれる。村上春樹のファンなら、とても興味深く読めるのではないか。

まぼろしの講演録?

どこかで行われた講演をそのまま本にしたような語り口。しかしあとがきを読むと、もともとは数年前から、どこに発表するつもりもなく、自ら書きためてきた文章であったという。だから最初は講演のような形ではなく、普通の文章だったらしい。ある時、ふと思いついて、講演のように、聴衆に対して語りかける口調で書き直してみると、スラスラ書けることに気がついて、この形になったという。道理で、講演で語るには、内容がディープすぎると思った。「語り口は平易で、内容は極めてディープ」というのが本書の特長。そんな読者がどれだけいるかわからないが、本書で語られる内容は「これから小説を書こうとする人」には、本当に役に立つヒントが数多く語られているのではないか。さらに本書を読んでいると「ひょっとしたら僕でも小説が書けるかもしれない。一発書いてみようかな」と思ってしまうところがある。小説家志望の人にとって、本書は、ある種の「バイブル」になるかもしれない。また、小説に限らずクリエイティブな仕事をしている人間にとっても、多くのヒントが語られていると思う。

著者の文体の変遷が、著者自身の手で語られる。

面白かったのは、著者のスタイルというか、あの文体がどのように生まれ、どのように進化していったかという話。戦中派や、戦後派のように、書くべき戦争体験もなく、平凡な人生を送ってきた著者は、小説を書き始めて、自分の文体が見つからないことに苦労していた。試行錯誤の結果、たどり着いたのが、まず自分の書きたいことを英語で書き、それを日本語に翻訳するというプロセスを経て生まれた文章だ。その文体で「風の歌を聴け」を書き、文芸誌、群像の新人賞を受賞して、彼の小説家人生は、始まったのだ。読んでる間も、その後の作品でも「こんなのアメリカの現代小説の真似じゃん」と反発した、あの文体が、このような経緯で生み出されたとは初耳だった。著者の初期の作品は「僕」という一人称で語られていた。その後、著者は20年あまりにわたって「僕」という一人称で小説を書き続けた。2002年の「海辺のカフカ」では半分が三人称という語り口を使い、「アフターダーク」では初めて完全に三人称で書いたという。それによって著者が小説を書く上での自由が随分広がっていった。また当初は、登場人物の名前も「僕」以外は、「鼠」や「羊男」といったいいかげんな名前しかつけることができなかったが、「ノルウェイの森」で初めてちゃんとした名前を付けることにしたという。そうすると、今度は、名前を持った登場人物が、小説を勢いづかせたりすることがあるという。このような文体やスタイルの変遷や進化が、著者自身の口で語られるというのも、とても興味深い。

「物語」という人類共通の基盤にアクセスする。

最後の「物語があるところ 河合隼雄先生の思い出」だけが、本書の中で唯一、実際に講演で語られたものだが、ここには著者の「物語」への強い思いが凝縮されている。著者が河合隼雄と出会い、親しくなっていったのは、二人が「物語」という共通の基盤につながっているという意識があったからだ、という。著者が言う「物語」とは、いわゆる集合無意識のような領域だろうか。著者によると、小説を書く作業は、意識の深層にある物語の世界に降りていって、そこから作品の素となる物語の断片を見つけて持ち帰ってくることだと言っている。河合隼雄の心理療法も、患者の意識の深層に降りていって、そこで患者自らが病気に気づき、治癒していくことを手助けするという手法である。著者がデビューした頃、文学において「物語---ロマン」は成り立たないなどと言われていた。著者自身も「書くことなんか何もない」ところから出発したという。書くことは何もないということは、何を書いてもいいということだ。彼は、自らの中の空虚を埋めるように、物語のようなものを紡ぎ出していく…。最初はぎごちない、物語の断片に過ぎなかったが、いつしか自らの無意識の部分に踏み込んで、人類共通の「物語」につながっていく。そこは、すべての芸術が生まれる「場所」でもあるのだろう。

小説家になろうとしている人のための本。

この本を読んで、自分も小説を書いてみようかと思う人はかなりいるのではないかと思う。僕自身もチラリと「一作ぐらいなら書けるかも」と思った瞬間があった。実際に、著者が語るような方法で小説を書いても、ほんとうに小説家になれる人は千人に一人、いや1万人に一人も出ないだろうと思う。100mのボルト選手に走り方や練習方法を教わって、その通り走ったとしても、誰もが9秒台で走れるわけではない。作家も、トップアスリートと同じく、生まれ持った素質が90%近くを占めるのだ。創造の世界のハードルは、とてつもなく高い。それでも、このような本が書かれることには大きな意味があると思う。本書を読んで「僕も書いてみよう」と思い立つ若者が大勢出てくることを期待している。