もうひとつの爆弾。

遊説中の首相めがけて手製のパイプ爆弾が投げつけられた2024年4月15日、もう一つの爆弾がインターネット上に投げ込まれた。その爆弾とは、誹謗中傷の加害者83人の人間のプライバシー情報の暴露である。83人は、お笑い芸人の天童ショージを誹謗中傷の投稿で炎上させ自殺に追い詰めた匿名の投稿者たち。そして90年代半ばに、伝説の歌姫と言われた奥田美月をデタラメのスキャンダル記事で抹殺した週刊誌の記者たちだ。爆弾を投げ込んだのは、天童ショージと奥田水月のファンを自称する人物である。
加害/被害者たち。
データを公開された人物の周りにたちまち異変が起き始める。勤め先や自宅に頻繁に電話がかかってきたり、自宅の写真が投稿されたり、誹謗中傷の投稿がネットに氾濫するようになる。それまで匿名という安全地帯に隠れたまま芸能人を執拗に攻撃してきた人物が、今度は自分自身が標的になって攻撃に晒される立場になる。その一人が自殺した天童ショージの同級生であった藤島一幸である。彼は天童ショージの成功を妬み、容赦ない誹謗中傷で天童を攻撃したが、自らの情報が暴露された途端、職場である京都の大学にも抗議の電話が殺到し、結局、退職に追い込まれる。一幸は情報を公開した瀬尾政夫に対して名誉毀損の罪で訴訟を起こす。瀬尾は逮捕され、京都市の警察署に収容される。瀬尾は、天童ショージと藤島一幸、二人の同級生であった弁護士の久代奏(くしろかなで)に弁護を依頼する。奏は、瀬尾と面会し、弁護の糸口を探ろうとするが、瀬尾は罪状を認めるのみで弁解や反論を一切しない。このままでは埒があかないと感じた奏は、瀬尾の交友関係を訪ねて証言を聞いてゆく。そこで明らかになったのは、瀬尾と天童ショージ、奥田美月との意外な関係である。ここから先はネタバレになるので書かないが、物語は僕の予想していたのとは別の方向に展開していく。
僕の予想した展開。
ネットに投げ込まれたプライバシー情報暴露の爆弾は連鎖反応を引き起こし、ソーシャルメディアの世界全体に広がっていく。瀬尾だけでなく多くの人間が暴露を行うようになり、さらに暴露を行った人間も暴露の対象になり、訴訟も急増し、暴露爆弾は社会現象になっていく・・・。ソーシャルメディアによる匿名の誹謗中傷やプライバシーの暴露を司法はどう裁くのか。それが本書の1番の読みどころではないか、と感じていた。
縁(エニシ)をめぐる物語。
僕のそんな予想を裏切り、著者は、瀬尾と美月、天童ショージの意外な関係に踏み込んでゆく。そこで描かれるのは「縁」である。縁といっても「えにし」と呼びたいような運命的なつながりである。様々な関係者の証言を通して、バブル期から始まり、平成、令和に至る時代を駆け抜けた3人の半生が描かれてゆく。奥田美月は架空の人物だが、同時代に活躍した他の歌手や歌は実名で登場するので、誰がモデルなのか推測できる。人物造形は、明らかに中森明菜と松田聖子を掛け合わせたようなイメージ。瀬尾政夫もモデルがありそうだが、不明。音楽業界に詳しければ、特定できるのではないか。お笑い業界に詳しくないので、天童ショージのモデルもわからない。
公判の場面もあるにはあるが。
もちろん公判の場面もあり、被告の瀬尾が取った行動がどのように断罪され、弁護側がどのように弁護を組み立て、展開していくのかが描かれていく。しかし、公判の中でも、美月と瀬尾の意外な出会いが明らかになるなど、二人の縁を巡って物語が深まってゆく。後半になると、様々な証言者により、美月の半生が、彼女の不幸な境遇とともに詳しく語られていく。著者は、事件の社会的な側面より、その奥に秘められた人と人の運命的な出会いや絆を描きたかったようだ。前作の「存在のすべてを」でも描かれた世界である。それを期待して読むのなら、本書は読み応えがある。
尼崎のあの事件?。
美月の子供時代の話の中に気になる箇所がある。大分県で写真館を営んでいた父が急死し、暮らしが立ち行かなくなってきた家に、タチの悪い人物が入り込んできて、家そのものを乗っ取ってしまう、その手口は、2012年に発覚した尼崎の連続殺人事件そっくりである。なぜ著者はこの話を加えたのだろうか?
前半と後半のズレ。
読み終えて感じるのは、やはり小説の冒頭部分と後半以降の展開のズレ。このズレがひょっとしたら直木賞を逃した原因の一つかもしれないと思った。