鹿島圭介「警察庁長官を撃った男」

オウムの犯行と思っていたが。
ひと月ほど、仕事で、ある分野の本ばかり読んでいたので、個人的な読書日記は久しぶり。「ビブリア」の3、ジェフリー・ディーバーなど、数冊。その中でも本書は特に面白かった。国松長官狙撃事件といえば、一般にオウム真理教の犯行というイメージが定着していると思う。凶器の拳銃が、映画にしか出て来ないような、大げさそのもののコルト・パイソン357マグナムの8インチで、日本で初めて使用された大型拳銃だったのと、殺傷力の大きなホローポイント弾を使っていたことも覚えている。この銃により20m以上離れた長官に3発を命中させ、自転車でまんまと逃げ去った犯行は、日本で起きたそれまでの銃器犯罪とは異質のものを感じさせた。プロの仕事に間違いなく、教団がつながりを持っていたロシアルートで、外国人のヒットマンを雇ったのではないかと思っていた。後にオウム信者で警官だった人物が容疑者として浮上したが、証言がころころ変わり、こんな人物に犯行はとても無理だと思った記憶がある。事件は2010年3月に時効を迎えた。警視庁は、事件がオウム真理教による組織的なの犯行と特定したという声明を発表。立件できなかったにも関わらず、オウムによる犯行であったことを世間に印象づけようとした。しかし実際には、まったく別の容疑者が存在したことに警視庁は触れようとすらしなかった。それが本書の主人公、中村泰(ひろし)という人物である。
オールドテロリスト。
中村は、2002年、愛知県で起きた現金輸送車襲撃事件で逮捕され、無期懲役の刑で今も服役中である。この事件当時、彼はすでに73歳の老人だった。中村は、愛知の事件以外にも数件の銃による事件に関わった可能性が疑われ、警視庁刑事部は独自の捜査を続けていた。その結果、中村の仲間と思われる人物を特定し、さらに三重県名張市のアジトを発見する。そこで、捜査官は、銃(長官狙撃に使用された銃ではない)と弾薬に加え、国松長官狙撃事件を報道した記事の大量のスクラップ、さらにフロッピーディスクに入った大量の詩作を発見。そこには銃器や暴力に対する賛美や警察や国家に対する憎しみや恨みが延々と綴られていた。その中に長官狙撃を描いたと思われる詩編もあった。捜査官は辛抱強く尋問を続け、ようやく中村の証言を引き出すことに成功する。その証言は詳細を極め、さらに犯人でしか知り得ないような現場の事実が数多くあり、また犯行に使われた拳銃と弾丸も、中村が米国で購入した証拠を捜査陣は手に入れることに成功する。
2つの読みどころがある。
この本には2つの読みどころがある。ひとつは、事件の捜査に当たった警視庁公安部が、有力な証拠も揃っていた別の容疑者を無視して、なぜオウムの犯行に執拗にこだわり続けたのかという点。本書によると、警視庁の中の刑事部と公安部の主導権争いに端を発した公安側の暴挙であるというから驚く。
老テロリストの来歴。
もうひとつの読みどころは、中村という人物の特異な生涯についてである。昭和49年に東大に入学するが、左翼運動に関わり、過激な武装闘争をめざすようになる。やがて武器を購入するための資金を手に入れるために犯罪に走る。高価な薬品や外車を盗んで売り払うことから始まるが、後には金庫破りの技術を身につけ、金融機関を狙うようになる。1956年に都民銀行三鷹支店の金庫破りを試み失敗。自宅に帰る途中、仮眠しているところを警官に見とがめられ、携行していた拳銃で警官の胸を2発撃ち、さらに頭部を撃って射殺した。ほどなく逮捕され、無期懲役の刑を受け、約20年にわたり服役。1976年に出所。服役中、彼はキューバカストロを助け、革命を成功させたチェ・ゲバラに傾倒し、「ゲバラ日記」を原文で読むために、スペイン語を学習したという。出所後、中村は、南米、ニカラグアの革命防衛戦争の義勇軍として加わることを決意する。彼はアメリカに渡り、軍事訓練を受ける。しかし、すでに50代半ばを過ぎていた中村には若い兵士とともに走り回る体力はなく、訓練についていくのが難しかった。そこで中村は、一般の兵士ではなく、射撃の技量を磨いて、一流の狙撃手となることをめざす。アメリカで徹底的に射撃の訓練を行い、かなりの技量に到達したという。そして1988年、満を持して、南米に渡る。コスタリカ経由でニカラグアの南部国境地帯へ潜入しようとした。しかし現地では革命政府内部で権力争いが起きるなど、情勢が混迷化したため、結局参戦を果たせず帰国。帰国後、中村は、ある同志とともに秘密の武装組織「特別義勇隊:トクギ」を結成しようとする。最初の謀略は朝鮮総連のトップの誘拐だった。そのために彼は数十丁の銃を密輸し、新宿の貸金庫や三重県名張のアジトに備蓄する。武器の装備は整ったものの、人間のほうが確保できず、右翼の大物に相談を持ちかけるが、協力は得られず、計画を断念する。中村は主に北朝鮮をターゲットに謀略をめぐらせるが、実現には至らない。そんな頃、松本サリン事件が発生する。中村は、北朝鮮のテロを疑うが、長野の上九一色村の教団施設付近でサリンの成分が検出されたという報道があった。中村は独自に調査を行い、オウムの施設「第七サティアン」においてオウムがトン単位のサリンを生成、貯蔵しており、ロシアより軍用ヘリを購入するなど、武装蜂起の準備を奨めている可能性を確信する。今度はサリン製造施設を爆破する計画を立て、準備を進めていった。この時期、オウムの施設に対して警察の強制捜査が実行されれば、計画の実行は必要なくなるため、中村は95年の1月〜3月にかけて警察庁に潜入し、捜査の進行状況を調べている。この時に彼は国松長官の住所が載った名簿を入手したという。調査によって警察の強制捜査がすぐに行われる見込みが無いことを知った彼は、仲間とともにオウムの施設の爆破工作を実行に移そうとする。爆薬などの調達に手間取っている間に、あの地下鉄サリン事件が発生してしまい、彼らの計画も水の泡と消えてしまった。その直後にオウム施設への一斉捜査が始まるが、サリン事件の容疑者や教団幹部も一人も逮捕できなかった警察に対して中村は強い憤りを感じたという。そして思いついたのが警察トップの狙撃だった。この段階で警察庁長官が狙撃されれば、当然オウムの犯行が疑われ、警察は総力を挙げてオウムの追求に当たるだろうと言う理屈だ。そして中村は3月30日、長官狙撃に成功する。そして中村の予言した通りオウムによる犯行が疑われ、捜査が進められていく。事件当時、警視庁刑事部は地下鉄サリン事件や教団施設への一斉捜査で忙しく、長官狙撃事件の捜査は公安部が担当することになった。そして公安部による捜査は、最初から事件をオウムの犯行と決めつけるものだった。刑事部が手がけた、中村の犯行を裏付ける捜査も最後まで取り上げられることはなく、2010年3月立件できないまま、時効を迎えてしまう。
戦後すぐの、あの時代の匂いがする。
中村泰の生涯をたどっていくと、何だか不思議な気持ちに捕われる。彼は、まるで終戦直後の暗い混沌とした時代から現代に甦ってきた亡霊のようだ。彼が東大に入学した1949年には、下山事件三鷹事件松川事件などが起きている。終戦直後の混乱の中で、暴力と謀略によって社会を支配しようという勢力が暗躍する時代だった。彼の行動や言葉には、あの時代の匂いがあると思う。20年近い服役が、彼の意識を冷凍保存ししたまま、70年代半ばまで運んできたのだ。その頃には全国を吹き荒れた学生運動もほとんど終焉を迎え、日本は、国内には彼が望むような武装革命をめざす集団はほとんど存在していなかった。しかたなく、彼は南米の反政府軍のゲリラ組織に加わるべく、アメリカに渡り軍事訓練を受ける。ようやく南米に潜入しようとした時、ここでも反政府革命は転機を迎えており、彼の望みは叶わなかったのだ。失意のまま、帰国した彼は、今度は自ら武装組織を立ち上げ、北朝鮮を仮想敵国として闘うことを目指し、その延長で、武装し始めていたオウム真理教と出会う。何と数奇な運命だろう。東大に入り左翼運動に飛び込んだ時から、一貫して暴力と謀略の世界に吸い寄せられるように生きて来た人間だと思う。中村は、生まれてくる時代が違えば、ひょっとしたら彼は英雄になったかもしれない。
コロラド州で銃乱射事件発生。
この日記を書いている間に、アメリカ、コロラド州の映画館で銃の乱射事件が起こり、12人が死亡し、数十名が負傷したというニュースが入ってきた。逮捕された犯人の住居には爆弾が仕掛けられ、爆発物処理班が出動して爆弾を取り外す騒ぎになった。中村泰が憧れた「銃社会アメリカ」で数年に1回は起きる無差別殺戮。映画は、バットマンの新作「ダークナイト・ライジング」の先行試写会で、殺人犯は観客に「俺はジョーカーだ」と言ったそうだ。先行試写会に行けなかったことが犯行の動機だという報道もある。今週ロードショウで、観に行こうと思っていたが、この事件で微妙になってきた。