東郷 隆「狙うて候」

作品は、著者自身がスペインのマドリードを訪れたエピソードから始まる。スペインの書店で、著者は、「ムラタ」という人物を描いたコミックを発見する。ムラタは、サムライの地位を捨てて、ヨーロッパに渡り、各国の射撃大会に出場して次々に優勝をさらっていく。同時に彼はヨーロッパで銃の製造を学び、帰国して西洋式の連発銃を開発する。その銃によって、サムライの世を打ち破り、日本は近代化に成功する。しかし日本は暴走し、大陸への侵略を始める。失望したムラタは部下であるアリサカに後を託し、失意のうちに死ぬ。そんなコミックなのである。このムラタというのは、日本で初めて製造された西洋式小銃である「村田銃」を開発した村田経芳をモデルにしている。本書は、この村田経芳の伝記小説である。作者は銃をはじめ、あらゆる武器に造詣の深い東郷隆。2003年に刊行された。
龍馬でも新選組でもない幕末・維新
歴史小説の中では幕末・明治維新を描いた作品が好きだが、その中でも、龍馬や西郷等の英雄を描いた作品より、医学、軍事などの専門技術によって活躍したエキスパート的人物が主人公の作品が好きだ。司馬遼太郎の作品で言えば、蘭方医から官軍の司令官になった大村益次郎を描いた「花神」、蘭方医として幕末に活躍した松本良順が主人公の「胡蝶の夢」「坂の上の雲」における秋山真之も同じ系譜だと思う。ちなみに本書の中に坂本龍馬の名前は2箇所、たった2行で片付けられている。
刀から銃への維新
以前から不思議に思っていたのが、幕末における武器の活躍。火縄銃が入ってきて300年も経っているのに、幕末の事件の多くは、刀による斬り合いのイメージが強い。新選組のイメージが強いからだろうか。しかし鳥羽伏見の戦い以後、にわかに銃や大砲の存在感が増す。戦いが小規模な襲撃から大規模な戦争へと拡大していったせいだろうか?近藤勇は銃で負傷しているし、土方歳三の最後も銃撃によるものだった。西南戦争西郷隆盛を負傷させたのも銃である。鎖国によって停滞していた銃の進歩が、幕末、西洋から購入された武器によって、にわかに進歩し始めたのかもしれない。本書には、そのあたりの経緯が詳細に描かれている。幕末、薩摩は、英君 島津斉彬の下で、軍備の近代化を急いでいた。本書の主人公である村田経芳は、薩摩藩士にして、若くして銃に目覚め、荻野流砲術師範に入門し、頭角を現していく。ほどなく斉彬に認められ、西洋式の銃の研究を命じられる。古い銃術を頑なに守り続ける藩内の銃術家たちとの軋轢や恩師である師範との決別。さらに彼を認めてくれた斉彬の急死など、様々な難問を克服しながら、村田は、藩内で銃の第一人者になっていく。しかし彼を取り巻く時代も激しく動いていく。長州征伐の失敗、薩長同盟の成立、そして大政奉還。時代はさらに動いて、鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争へ…。村田も西洋式の銃を装備した部隊の指揮官として、各地を転戦していく。前半は、古い薩摩隼人の苛烈な気風の中で、合理的で冷徹な主人公が、自らの地位を確立していく過程が描かれる。後半は、戊辰戦争後、政府の中で国産銃の製造をめざして日夜研究を重ねる日々が描かれる。その中でも痛快なのが、欧州各国の軍隊と兵器産業の視察のために1年間を欧州で過ごした話。行く先々で村田の銃の腕前を聞きつけ、軍や射撃学校や銃メーカーで対抗試合を求められる。彼はほとんどの試合に勝利を収め、各国で、地元の新聞に取り上げられるほど有名人になる。最後は、各国の射撃のナンバーワンが集まる大会に招待され、優勝を遂げる。いわば射撃の世界チャンピオンになったわけだ。
西南戦争で狙撃さる。
帰国後、彼は西郷隆盛大山巌等の支援を受けながら、国産銃の開発に邁進する。しかし、またしても彼の仕事を妨げる大事件が起きる。鹿児島に帰っていた西郷を担ぎ上げて、不平士族たちが反乱を起こした「西南戦争」である。彼は、鹿児島に帰って薩軍に参加するかどうかで悩むが、自分の本分は、国産の小銃を一日も早く開発することであると悟り、東京に残ることを決意する。西南戦争において、村田は、戦闘時における銃や弾薬のデータを集める目的で参加するが、やはり最前線では銃を手にせざる得ない立場になり、敵将、篠原国幹を狙撃するなどの活躍を見せる。しかし篠原狙撃に怒った薩軍は村田を狙う狙撃隊を編成して復讐を遂げようとする。選ばれた狙撃兵たちは、皮肉なことに村田が鹿児島の郷里で作り上げた射撃教育システムによって射撃技術を身につけた兵たちだった。最前線を飛び回る彼を、狙撃隊の銃弾がついに捉え、重傷を負う。しかし一命を取りとめた彼は、再び国産銃開発に邁進する。そして1880年、最初の国産銃である十三年式村田銃の製造に成功する。村田の発明は、銃にとどまらない。陸軍兵士の装備で村田が開発に関わった装備品を外していくと、最後は褌一枚しか残らなかったという。晩年は、少将となり、さらに戊辰戦争西南戦争での軍功により男爵を授けられる。幕末・明治を生きた人物としては、異例に長生きし、大正10年まで生きた。享年83歳。彼の住んだ東京の住まいには射撃場とビリヤード台があったという。大磯に建てた別荘は、クランクを回すと家自体が回転し、太陽のほうに向けることができたという。ちょっと前に、海外のエコハウスで、太陽に合わせて回転する家が開発されたというニュースを読んだことがある。発明家、村田経芳らしい素敵なエピソードだ。
時代が違えば、村田経芳はエジソンのような発明家になっていたかもしれない。薩摩藩武家に生まれ、幕末・維新という激動の時代が彼を狙撃手に仕立て、そして銃の開発者への道を歩ませた。そして戦争は、いっきに非人間的な大量殺戮の時代へと突入していく。