クリス・カイル「アメリカンスナイパー」原作と映画と。

実在のスナイパーの自伝。クリント・イーストウッド監督で映画化され、戦争映画としては「プライベート・ライアン」を超える興行収入を上げている。昨年から予告編などで知っていたが、実在の人物が主人公とは知らず、単にスナイパーが主人公のアクション映画と思い込んでいた。映画を見る直前に公式サイトで、クリス・カイルのことを知った。彼は2013年、テキサスの射撃ロッジにおいてPTSDの帰還兵に殺害されているが、そのニュースのことは記憶に残っていた。映画は、控えめな演出の、よい作品だと思ったが、いくつか気になる点もあって、原作の自伝を読むことにした。

子供と女性を撃つシーン。

映画の冒頭で、カイルが手榴弾を持った子供と女性を撃つシーンが出てくる。予告編でも、この映画を表す象徴的なシーンとして使われている。しかし、自伝によると、実際には、彼が撃ったのは女性だけである。子供の射殺シーンは、映画の演出によって付け加えられたものだ。そして自伝には、彼が、その狙撃をまったく後悔していないと書かれている。彼にとって、敵は誰であろうと、憎むべき悪漢・野蛮人であり、殺すことが正義だと言う。その姿勢は、何人殺そうと、最後まで変わることがなかったという。ここまで単純明確な主張を聞かされると、冒頭のシーンの意味が違ってくるように思う。「武器を持った子供や女性を見て、迷い、苦悩するスナイパー」という図式が成立しなくなるからだ。しかし実際には、自伝に書かれていることが正しいのだろう。敵の兵士の立場を思いやったり、同情したり、相手に共感していては、殺すことができない。兵士は、敵を「悪」として殺すことだけを考えて行動するように訓練されているからだ。さらに自伝の中でカイルは、自分は戦争が好きだと何度も発言している。彼の、このあたりの主張は、日本人である僕が読むと強い違和感を覚えるが、米国のタカ派の意識としては普通なのかもしれない。

テキサス生まれ。カウボーイから軍隊へ。

テキサスに生まれ、小さい頃から銃に親しみ、成長してからは、ロデオに熱中し、カウボーイになろうとしたこと 。1999年海軍に入り、SEALの厳しい選抜試験を突破。新人いじめやバーでの喧嘩…。このあたりのエピソードは本や映画などで描かれた通りで、こんなことほんとにやってんだ!と驚くぐらい。

4度のイラク派遣。自分たちは不死身だ。

そして9.11の後、イラクへの4度の派遣…。そこで彼は多くの戦果を上げる。非公式には255人、公式には160人を殺害。多くの叙勲をもらう。味方からは最高のスナイパー、伝説と呼ばれ、敵側からは「悪魔」と呼ばれ、懸賞金がかけられた。SEALの仲間は、激しい戦闘をくぐり抜けて生き残る。やがて彼らは自分たちが不死身であると思い込むようになる。しかし3度めの派遣で仲間が撃たれ、1人は死亡し、1人は失明する。カイル自身も撃たれるが、奇跡的に助かる。彼は死を意識するようになる。帰国しても、家族との日常生活に戻るのが困難になっていく。それでも彼は戦争を愛し、戦場へ戻ることを切望するようになる。

非対称な戦争。

彼が参加した戦闘の記録を読んでいて、「非対称の戦争」という言葉が思い浮かんだ。イラク戦争の大半は、対ゲリラ戦であり、都市に潜んでゲリラ攻撃を仕掛けてくる反政府勢力の掃討だった。そのため、双方の武力には圧倒的な差があった。カイルのようなスナイパーも、暗視装置やレーザー測距計などのハイテクを駆使し、無人機による監視や航空支援も活用することができた。対する反政府勢力はAK47RPGなどの旧態依然とした武器に留まっていた。彼の戦績は、このような圧倒的な武力の優位があって初めて可能になったのではないか。

銃社会の英雄の悲劇。

2009年、カイルは除隊し、スナイパーを訓練する民間会社クラフト・インターナショナルを設立。また講演や執筆活動を行い、映画の原作となった回想録「アメリカンスナイパー」を出版、ベストセラーとなる。その一方で、帰還兵の社会復帰を支援するNPOを設立して、活動を続けていた。映画化の話も決まり、制作の準備が進んでいた2013年、テキサス州の射撃場で、PTSDを患う元海兵隊員エディー・レイ・ルースに射殺される。彼は犯行当時、アルコールを飲み、ドラッグを使用していたという。4度の激戦を生き延びた英雄は、故郷で、かつての味方だった兵士に殺害された。オバマ大統領の銃規制法案に反対していたカイル。銃によって英雄になった彼は、銃によってPTSDの帰還兵を助けようとし、銃によって自らの命を落とした。銃社会の英雄が、銃によって殺されるという悲劇。毎年のように銃の乱射事件が起きても、いっこうに銃規制が進まない米国の事情を象徴するような事件だと思う。また、彼の戦った戦争が、イラクの政治的空白を招き、それが現在のISにもつながっていることを考えると、この本と映画を簡単に評価できない。