山崎広子「声のサイエンス あの人の声は、なぜ心を揺さぶるのか」

日本人の80%は自分の声が嫌い。

仕事柄、取材やインタビューなどで録音された自分の声を聴くことが時々あるが、そのたびに、ほとんど生理的と言ってもいいほど強い拒絶反応が起きる。「なんで自分の声は、こんなに薄っぺらで、フニャフニャしてて、貧相なんだ」と耳を塞ぎたくなる。著者の調査によると日本人の80%は、自分の声が嫌いであるという。自分の耳で聴いている自分の声と、録音された自分の声が全く 違って聞こえ、しかも嫌悪すら感じるのはなぜだろう?。その一方で、ある人物の声が、大きな会場の空気を、一瞬で変えてしまった現場に居合わせたことがある。数年前、あるシンポジウムで聞いた哲学者の内田樹の声がそうだった。パネラーの一人だった内田が、ちょっと耳がくすぐったいような声で話し始めると、会場の空気がすうっと透明になり、とても穏やかで、精緻で、知的な空間が出現した。他のパネラーが話し始めると、その魔法は一瞬で解けてしまう。そんな体験は初めてだった。内田の声だけをいつまでも聞いていたかった。友人のHさんは、歌手の玉置浩二の声をコンサート会場で聴くと、ホールの天井が消え、眼前に星空が広がっていくような体験をしたという。「声」とは、なんと不思議な現象だろう。人はなぜ自分の声が嫌いなのか?あの人の声は、なぜ心を揺さぶるのか?」身近でありながら、よくわかっていない「声という現象」を知りたくて、本書を購入。聴覚の仕組み、声の仕組みを解説する第一章、第二章は、少し退屈だ。それを我慢して読み続けると、第三章辺りから俄然面白くなってくる。一番の読みどころは、第五章の「政治家の声はどこまで戦略的?」と第六章の「ブルーハーツの歌はなぜ若者の心をつかんだのか」なかなかスリリングな読書体験になった。

声は脳の全体に影響を及ぼす。

著者はまず、声を聴く「聴覚」の仕組みについて語る。聴覚は、空気の振動を神経パルス(電気信号)に変換する耳と、その信号を処理する脳によって成り立っている。信号は、脳の聴覚野を通って、新皮質の言語野に送られ、言葉の内容を受け取る。それと同時に旧皮質にも送られ、「好き、嫌い、心地よい、不快」などの本能的な反応を引き起こすという。人が話すのを聞いていて、内容は間違っていないのに、なぜか反発を感じたり、嘘っぽく感じたりすることや、話の内容は大したことが無いのに、なぜか説得されてしまう、というようなことが起きるのは、この旧皮質と新皮質の問題なのかもしれない。最近の研究では、声は、さらに脳のほぼ全体に影響を与えていることがわかってきたという。

声専用の器官はない。

著者は、次に、声を生み出す仕組みについて語る。声は、気道の入口に位置する薄い膜である声帯と、咽頭、口腔などで生まれるという。しかし、これらの器官は、もともと声を発するために備わっているわけではない。声帯は、もともとは食物を食べたり飲んだりする時に気道に誤って食物が入ること(誤嚥)を防ぐ器官であった。咽頭、口腔も、呼吸や食物摂取のための器官である。声は、肺の不要な空気を吐き出して、声帯を震わせ、喉頭、口腔、鼻腔などを共鳴させることで生まれる。オペラ歌手になると、さらに頭蓋骨や胸郭を含む全身を共鳴させることでオーケストラの大音量に負けない声量を発することができる。声は、声専用ではない身体の器官によって生み出される。だから、声には、その人の心身の特徴が意図せずとも露わに出てしまう。声を聴くだけで、その人の身長、体格、顔の骨格、性格、体調、心理状態などがわかるという。

声は社会によって作られる。

さらに声には、身体的な特徴だけでなく、その人の生育環境や職歴も現れるという。人は自分が聴いてきた全ての音を基にして自らの声を作り上げる。石造りの家が多いヨーロッパでは、音がよく響くため、声は、低く、深くなる。一般に東に行くほど、人々の声は薄く扁平になっていく。それは乾燥した砂漠と土の家に適した発声であるという。アラブの人々は、体格的には西洋人と変わらないにもかかわらず男女とも甲高い声で話すという。これはイスラム教の地域で1日に5回も響き渡る「アザーン」の影響が大きいらしい。声を張り上げ、情熱的にコーランを唱える習慣が彼らの声を高くしているのだ。イスラム過激派アルカイダの司令官であったウサマ・ビン・ラディンは、身長が193cmもあったにも関わらず、声明などで聴くその声は驚くほど高かったという。彼の声は、低く豊かに響く声を好む西洋人に強い違和感を与えたのではないか、と著者は推測する。

雑音の日本。

そして日本を含む東アジアになると、家は紙と木で作られ、音はさらに響かなくなり、周囲の物音は筒抜けになる。そんな音環境の中で、日本人は、高く張り上げる声を和らげるために、雑音を含んだ声を好むようになったという。楽器においても、三味線にはサワリと呼ばれる雑音を出す仕組みがあり、笛類は風のような音を出すように進化した。辻弁士、ガマの油売り、バナナの叩き売りの口上には独特のリズムとともに多くの雑音が含まれているという。

声を戦略的に活用した政治家。

そんな「雑音の国、日本」で、声を戦略的に活かした政治家がいた。田中角栄元首相である。彼の体格や骨格からすると、本来は、もっと金属的な澄んだ声の持ち主であったという。しかし政治家に成り立ての頃に、田んぼや畑にどんどん入り込んで話をした経験から、戦略的に雑音を含んだ浪花節を思わせる声を使うようになっていったらしい。角栄氏が来るとなると、どこの会場も超満員。雑音を含んだダミ声で「いやあ、どうもどうも」と聴衆の気持ちを引きつけ、盛り上げる演説は大したものだったという。

日本人の女性の声は異常に高い。

様々な場所で多くの人の声を分析している著者が、最近気になっていることがあるという。それは日本人の若い女性の声の高さ。一般に身長が低ければ声帯が短くなり、声は高くなるが、かなり身長が高い女性でも、不自然に高い声で喋っているという。周波数でいうと350ヘルツ前後で、先進国の女性では信じられない高さであるらしい。女性の声の高さは「未成熟・身体が小さい・弱い」ことを表している。女性がそのような声を出すのは、男性や社会がそういう女性像を求めていて、女性が無意識に過剰な適応をしようとしているからだ。一般の女性だけでなく、テレビのアナウンサーの声にも、その変化は表れている。戦後から70年代半ばまでの女性アナウンサーの声は、喉を締めつけた、とても高い声で、息は短く、語尾に余韻のない硬い声が主流だった。自由な発声を押さえ込んだその声は、超がつくほど男性優位であった日本社会が求めた女性像だった。その後、バブル期に入ると女性アナウンサーの声も落ち着いた低い声が聞かれるようになってきた。男性に頼らずバリバリ働く女性の台頭、CNNなど、女性アナウンサーが低い声で話す英語ニュースの放送、低い声で話すバイリンガルの女性アナウンサーや、身長が高く地声の低いアナウンサーの起用なども、声が低くなった原因らしい。ところがバブルが崩壊し、混沌とした90年代を経て、21世紀が明けると、再び女性アナウンサーの声が高くなりはじめたという。戦争や不況や金融危機、大災害などで社会が不安定になると、人々の声は高くなる。危機を感じた人々の脳からストレスホルモンが出て全身の筋肉を固くし、喉周りの筋肉もこわばって固く張り詰めた声になるという。そうやって出された声がそこかしこで聞かれるようになると、ストレスホルモンが出てない人も影響を受けてしまう。社会不安の影響を受けるのは政治家も同じである。第二次世界大戦直前の各国首脳の声にもはっきりと現れていたという。著者は、声によって、現在の日本が向かっている方向を心配している。

声の制服、マニュアル声とアニメ声。

現在の日本では、話す人が違っても、まるで同じ人が喋っているような「作り声」の「職業声」が増えているという。特に接客業や営業職に多く見られる職業声は、まるで声をマニュアルか制服のように扱っているかのようだ。著者によると、自分の個性を消してうわべの職業声で話すことは、人間対人間の場面で個人を放棄することだという。それは楽かもしれないが、心身には大きな負担になっているはずだと指摘する。さらに2000年代初頭から、少女のような甲高いアニメ声がテレビのナレーションにも使われるようになったという。アニメ声は10歳前後の小学生の声の高さと発声を大人が模しているもので、テレビ以外でも様々な場所で聴かれるようになってきた。その結果、一般の若い女性もアニメ声を真似るようになっている。それは意図しているわけではなく、テレビでよく見かけるタレントの声に知らず知らずのうちに自分の声を似せてしまう同調作用である。コンビニやファミレスなどの接客でもアニメ声が増え、街でも大人の女性が、普通の顔をしてアニメ声で話している。それはとても異様な光景で、まるで成熟に背を向けているように感じられるという。

声の影響力 宗教編。

ラジオも、印刷技術も無かった時代、人々を動かしたのは声による伝道だった。地中海のマルタ島にある、紀元前2500年頃の古代遺跡の一つに「ハル・サフリエニの地下墳墓」がある。その中に「神託の部屋」と呼ばれる空間があり、そこでは女性の声はすぐに消えてしまうのに、男性の声の低い周波数帯(70〜130ヘルツ)だけが共振を起こし、最大で8秒もの残響があるという。「神託の部屋」で実際にその音を再現した研究者は「自分の中を声の響きが突き抜けて、同時に深いリラックスがもたらされた」と述べており、脳活動のモニターでも変化が確認できたという。アイルランドにも、さらに古い「ニューグレンジ」と呼ばれる遺跡でも音が特別に響く場所が発見されている。最近、ロシアのゲノム研究グループが「声に含まれる周波数が体内の遺伝子を修復する」という論文を発表した。古代の人々は、声に含まれる特別な周波数の成分が心身に及ぼす影響を知っていたのではないか。その後生まれたキリスト教イスラム教、仏教も、伝道者たちの声の力によって、教えを広め、人々を動かし、広がって行ったのではないか、と著者は考察する。

政治家の声の力。

20世紀が始まり、ラジオが生まれると、声の影響力は一気に拡大する。本書の一番の読みどころは、この章だ。最初にラジオを使って国民に語りかけたのは、アメリカの第32代大統領、フランクリン・D・ルーズベルト。彼は1932年に大統領選挙に勝利すると、Fireside chats(炉辺談話)と名付けられた毎週のラジオ放送で国民に語りかけ続けた。大恐慌時代、絶望と孤独に苛まれる人々に、どっしりと落ち着いた暖かい声は救いを与え続けたという。

テレビ討論をチャンスに変えたケネディ

次にメディアを巧みに活用したのが第35代大統領、ジョン・F・ケネディ。彼は大統領選挙で、勝利が確実だと言われていたリチャード・ニクソンを、初めてのテレビ討論を活用して勝利する。スーツやネクタイの色までテレビ映りを狙ったという。しかし、著者の見るところ、当時のモノクロ画面では、その効果は疑わしく、勝敗の鍵を握ったのは、やはり声だったのではないかと推測する。ケネディの声は張りがあって若干高め。対するニクソンは、ソフトで悪声ではないものの、演説を始めると大きく差が出たという。ケネディは話すときにほとんど顔を動かさないため、音声が安定している。そして大切な単語を最も出しやすい音程で効果的に響かせている。さらに声のピッチを下げて不安定にする「まばたき」を単語の切れ目や単語の初めに持ってくることで、話の内容をまっすぐ視聴者の心に届かせたという。一方、ニクソンは、とにかく無駄なまばたきが多く、その度に声が不安定になってしまう。さらに話している最中に顔を前後左右に動かすため、声が揺れてしまう。ケネディの声は、自信と誠意に満ちてストレートに心に届くのに、ニクソンの声から不安を感じ、自信がなさそうで、なんだか嘘っぽい…。そんなイメージが視聴者の中に堆積していき、投票間際に「ニクソンではダメだ」という決定的な印象を作り上げてしまったのではないかと著者は推測する。

戦争の世紀に声が果たした役割。チャーチルヒトラー

 「戦争の世紀」と言われた20世紀。新聞、ラジオなどのマスメディアは国威発揚の道具として力を発揮し、国民を戦争へ駆り立てていった。著者は、第二次世界大戦で、ナチスドイツの攻撃を受けたイギリスにおいて「決して降伏しない」と国民を鼓舞したウィンストン・チャーチルの声を紹介する。その声は、安定感のある低めの声で、あまり明瞭でない発音ながらも、話しながら、ゆっくりと情熱を高めていく。演説の内容は、攻撃的なのに、どっしりとしたテンポで自国の防衛力の堅固さと守られる安心感をイメージとして国民に植え付けた。チャーチルの声は、周到で、少々狡猾な性格がうかがわれる声だという。一方、アドルフ・ヒトラーの地声はさしたる特徴がなく、むしろ穏やかで弱々しい声だった。しかし彼はスピーカーなどの音響装置を巧みに使い、演説を演劇のように演出するパフォーマンス能力に長けていた。長い沈黙で聴衆の注意を引きつけ、演説をはじめると、熱狂する聴衆の力に呼応して自らのテンションを高めてゆく。そして最高潮に差し掛かると、切迫感を持って聴衆を息もつかせず煽りたてる。クライマックスのフォルテの連続、その異様なエネルギーが、逼迫する経済に疲弊した人々の絶望や怒りに共鳴し、増幅しあって、理性を失った殺戮へと国民を巻き込んでいったのだという。そして、数百万人のユダヤ人を強制収容所に送った責任者の一人であるアドルフ・アイヒマンの声は、あまりに平凡。おとなしく几帳面な役人風で、大量殺人者とはとても思えない。しかし、その平凡な声の裏には、他者を拒絶する頑迷さが見え隠れするという。アイヒマンは、裁判で、最後まで「私の罪は従順であったことだけだ」と自分の責任を認めようとはしなかった。著者によると、アイヒマンのような声は、現在の日本でもそこかしこで聞かれるという。そして、気になるのが、国会でも、そのような声が増えていることだという。1930年代に、800万人とも1000万人ともいわれる人を死に追いやったスターリンの声は、凶暴性よりも、非常に強い不安を帯びた声だった。そのほか、第二次世界大戦時のルーズベルト東條英機の、感情を抑えられない高ぶった声は、いま聞いても、当時の情勢がまざまざと感じられ、恐怖をおぼえるという。戦争が近づくと政治家の声が高くなる。それは第二次世界大戦直前の各国首脳の声にはっきりと現れている。著者は、現在の状況を見ると、日本が向かっている方向が気になるという。

冷戦を終結させた二人の声。

長く続いた冷戦の終結に向けて歩み寄った二人の政治家、ロナルド・レーガンミハイル・ゴルバチョフは、どちらも芯のある明朗な声で、笑みを含んでいるような温かみがあったという。このような声を持ち、演説の名手でもあった二人が、同時期に米ソのトップであったことは面白い。

最も魅力的な声の政治家は?

著者によると、歴代の政治家の中で最も魅力的な声を持った政治家はバラク・オバマ大統領だという。長身な上に、口腔の奥行きに広さがあるため、声の資質自体が恵まれており、さらに知性と理想の高さ、健康的な人間味がミックスされていて、話し始めると、すぐに人々を引き込む力があるという。現在のドナルド・トランプ大統領の声は、少々ハスキーではあるが、悪声ではないという。むしろ自分の声の個性をよく知って、上手に活かしているらしい。ただし、首から上だけで共鳴させている浅い声からは、どこか空虚で独りよがりな印象を受けるという。非常に長いフレーズを息もつかずに話すところには、頭の回転の速さと性急な性格が現れている。彼を一言で表すなら「せっかち」だという。面白いことにフランスで台頭してきた極右政党「国民戦線」の党首、マリーヌ・ルペン氏も、ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」党首のフラウケ・ペトリー氏も、女性ながらトランプ氏と同じタイプの声だという。若干の擦れ音と雑音が含まれ、声帯やその周辺が高齢でもないのに硬化していて、伸びやかさがなく、耳障りに聞こえる。口先だけで言葉をこねて、頑迷さを感じるところも共通しているという。

声の力を使えている日本の政治家は?

著者によると、日本は「声の後進国」で、政治家でも、声の力の5%ほどしか活かせてないという。首相をはじめ、何人かの議員は、アメリカに倣ってスピーチトレーニングを受けているようだが「声の意識」が薄く、的外れに終わっているという。著者は、田中角栄氏以降で、声が魅力な政治家を二人あげている。本書では具体的な名前はあげられていないが、人物説明から、一人は、9月の自民党総裁選で敗れた石破茂氏であるとわかる。彼の声は柔らかく明朗で、言葉の選び方や間の取り方や単語の目立たせ方も申し分ないという。もう一人は、小池百合子東京都知事である。彼女の声は、とても若々しく、聞いた瞬間は30〜40代と思えるほど。日本女性に多い喉を締め上げた高い声は欠片ほども出さず、ほどよく低く落ち着いていて伸びやかな声。女性らしくしっとりと滑らかな声でありながら、弱さや媚びが全く出ない隙のない声である。理知的な上に感情表現も巧みで、政治家のみならず、教師や実業家としても間違いなく成功できる見事な声の使い手であるという。ふーん、二人ともちょっと意外。どうせなら安倍首相の声も分析して欲しかった。

歌の声の力。

個人的には本書の一番の読みどころであると感じたのが第6章「ブルーハーツの歌はなぜ若者の心をつかんだのか」著者はまず言葉と音楽の起源について語る。感情表現としての音声が強調されて歌となり、その中で獲得された構音や抑揚が概念言語を作り出していったという説があるという。歌(音楽)は言語に先立って生まれ、その歌から言語が生まれてきたというのは興味深い。著者は、この章でポピュラー音楽の歌手の声について分析を試みる。

ユーミンは不器用な声

まずは40年以上も活躍し続ける松任谷由実。彼女は呼気が強く、音感も良いが、発声に関してはとても不器用だという。一般に、音程をとって歌うということは、聴覚から受け取った情報を、瞬時に声帯の張りを調節する神経に伝え、筋肉に反射させて動かすという大仕事だが、ユーミンは、その反射神経が人より少し遅いのではないかと著者は推測する。そのせいか、彼女はうまく出せない音や響きの部分を短く切ったり、ヒュッとフェイドアウトさせてしまっている。そこが彼女の歌の弱点であるという。曲を作り始めた頃、彼女は自分の声にコンプレックスを持ち、自ら歌うことを考えていなかったという。そのせいか初期の作品では、声を作ろうとしているところがあったが、最近の曲では、彼女そのものの声、地声で表現できる音域で構成されているという。著者は、彼女がどこかのタイミングで、好きではなかった自分の声を受け入れたのではないかと推測する。「不器用な発声」という弱点と、自分の声を受け入れているからこそ出せる「強く張った地声」の力強さ。彼女の歌を聴いて感じるのは、身近な友人のような親近感と「これが私だから」と自らを肯定する芯の強さだという。

B'zの稲葉浩志の声はアスリート。

ユーミンとは逆に、「こういう風に歌いたい」と思い描いた理想をぴたっと形にしてしまえるのが稲葉浩志の歌だという。彼は、本来持っている声道の広さで声を響かせるのではなく、声道をグッと狭め、音を反響させる距離を縮めることで高い周波数の声を出している。このような声道を狭めて出す声は、普通は、歌っている人はもちろん、聴いている人にも、どこか息苦しさを与えるという。ところが稲葉浩志は、その状態を当たり前にし、聴き手に苦しさを感じさせないところまで磨き上げていったのだという。こうしたことができる人は稀で、彼はおそらく美意識が高く、自分の声を磨くことに対する努力を惜しまない人なのだろうと著者はいう。その姿はアスリートを彷彿させるという。そうなんだ。声を出すということは、声帯周辺の筋肉や口腔や鼻腔周りの筋肉を、イメージ通りに瞬間的に動かすという一種の運動なんだと納得。声にも運動神経があるということか。僕が歌が苦手なのは、声の運動神経が鈍いんだな、きっと。

パワフルな高音とか弱い低音。ドリカム吉田美和の声。

吉田美和の声の魅力は、パンッと張った高音にある。一般に、高い周波数の音は、人間の脳を活性化するという。特に聞き取りやすい周波数が440ヘルツ(ラの上)で、吉田美和の声はまさにその領域で本領を発揮する。ドリカムの曲を聴いて「元気が出る」「勇気づけられる」という人が多いのは、この声によるところが大きいという。著者によると、吉田美和が本来持っているパワフルな高域と、低い音域のコントラストが、彼女の声の魅力になっていると分析する。パワフルな高音域に比べると、彼女の低音域は、あまり力強くないらしい。もちろんトレーニングをすれば低音域も強化できるのだが、彼女の場合は、あえてそうしないようにしていると感じるという。彼女の低音域のか弱さを感じさせる声が聴き手にまず共感を与え、そこからパーンと張ったパワフルな高音域の声を聴くと、弱さを含めて肯定されたような気持ちになり、元気になれる。それが魔力的といってもいいくらい人を虜にする彼女の声の魅力なのだという。

 星野源スガシカオの声。

近年大ブレイクした星野源の声は初期の頃に比べ大きく変化しているという。初期の頃の、どこか独白的な歌詞にあてがわれた声は、声帯にかぶさっている縁の部分だけを使って、ずっと半ファルセットで歌っている。それが最近の曲になると、すごく直線的に伸びる歌声に変化しているという。これは自信があったり、前向きな気持ちになって、呼気が強くなったことの表れだという。では星野源吉田美和のように歌声に強さがあれば、人を引き込めるのかというと、必ずしもそうでもないところが声の複雑さと面白さだと著者はいう。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」のテーマソングである「progress」を歌っているスガシカオの声は、初期の星野源と同じように声帯の薄い縁の部分を中心に使っていて、バーンと力を入れられる声ではないという。しかも使っている音域がとても高く、声の質もかなり中性的である。このような圧のない、言い換えればマッチョさがない歌声に、安心感や居心地の良さを感じる人は多いのではないかと著者は考察する。スガシカオの曲の歌詞には、しばしばむき出しの毒やエグみが含まれているが、「むき出しの言葉+むき出しの声」ではなく、声が言葉を押し付けてこないため、人の袂にすっと入っていくことができる。それは男女共ガツガツせず、自分の領域に入ってこられるのが苦手な人が増えている時代のムードと共振しているのではないかと著者は推測する。

甲本ヒロトの声はなぜ人の心をつかむのか。

最後は元ブルーハーツ甲本ヒロト。著者は、この分析を始めるまで、ブルーハーツというグループも甲本ヒロトも知らなかったという。初期の「リンダリンダ」や「青空」を聴いたときの感想も「音程もよくないし、パンクロックとはこういうものですかね」といった程度だったという。しかし声に集中して聴き進めるうちに衝撃を受けたという。彼が話す時の声は、喉周りが脱力していて、最低限の声門閉鎖で済ませているような、呼気もあまり強くなく、嗄れてる。本気で何かを伝えようとしていないような、話すことが好きではない声のような印象を受けるという。しかし歌声になると、ほどよい張りが出て、絶妙な雑音と透明感の混ざった声になる。しかも、その声がデビューから30年経ってもまったく変わらず劣化していない。むしろ味が加わってパワーアップしているという。ふつう声は年齢とともに変化する。前に取り上げた稲葉浩志のように鍛え上げれば長く同じ声が出せるが、甲本の場合は、意図して鍛えたとは感じられないという。著者は甲本自身の言葉をあげてその理由を説明しようとする。「ロックンロールが僕の目的なんだ。ロックは手段じゃない」甲本は若くして自らの生きる目的を見つけ、純粋に気持ちがいいからずっと続けている。『彼の声は、出している本人にとって最も気持ちよく、身体に無理な負荷をかけない声』だという。彼の声を無理やり何かに例えるなら「幹細胞」ではないかと著者。幹細胞とは、器官を再生する細胞のことで、バラバラに切り刻んでも、それぞれが完全な個体として再生する。プラナリアは全身に幹細胞があるので、どこを切っても元の姿に再生する。『甲本の声はどこを切ってもロックとして再生する。歌うことの喜びが常に完全体である。意図も作為もなく、ロックであるためのすべてを希求し続けている。』著者は、彼の歌声が、『私たちが社会生活を営んでいくうえで避けられないしがらみから解かれて、人ひとりとして立った時にあるべき人間の姿を感じさせる』という。『もともとロックとは、そういうものではなかったか?』と。「だからこそ理屈ではなく、もはやひとつの生体として、多くの人の心を、とりわけ生きづらさを抱えやすい悩める若者たちの心をつかんできたのではないか」と感じるのだという。著者が甲本ヒロトの声を最後に取りあげたのは、それが第3部『自分を「変える」声の力』につながっていくからだ。どうせなら本章で、日本一歌がうまいと言われる玉置浩二や、井上陽水桑田佳祐、忌清志郎中島みゆきの声も分析してほしかったが…。

第3部。自分の声と向き合う。

 ここで著者は、最初の問いかけに立ち戻る。「どうして自分の声が嫌いなのか?」そして、実際に録音した自分の声を聞いた人々の反応を紹介する。「私の声は、こんなにキンキンしていない!」「こんなに鼻にかかった声じゃない!」「もう嫌だ、自分の声なんて聞きたくない。」これほど自分の声を嫌だと感じるのは、普段自分が聴いている骨導音ではないので、違和感がある、というだけではない。もっと本能的な、身体の底から湧き上がるような嫌悪である。それは「本物の声」ではないからだという。

本物の声とは。

では、本物の声とは何か?著者によると「その人の心身の恒常性に適った声」であるという。生体の恒常性とは、「人間の心身を正常で健康な状態に安定させる仕組み」である。例えば、暑くなると、汗をかいて体温を下げようとする。寒くなると、毛穴が収縮して鳥肌が立ち、身震いをして体温を上げようとするのも恒常性である。身体だけでなく、心理面においても恒常性が機能しているという。いやだと思う行動を強いられると、身体はそれを回避するためにストレスホルモンを出す。ストレスホルモンは、イライラするなど心理面だけではなく、頭痛や胃痛、下痢など、身体の様々な異常を引き起こすことがある。著者は、ここで第1部で語った「声が、声専用の器官ではなく、呼吸など生命活動に必要な機能を使って出される」という事実を読者に思い出させる。声にも「恒常性維持の働き」は強く関わっている。姿勢が悪かったり、喉の声帯周りを締めつけたり、声帯を圧迫したり、さらに精神的に緊張やストレスがかかったりすると、身体は本来の状態からはずれ、それは声にも表れるのだという。また周囲や社会に適当しようとして、自分を少しでもよく見せようとして無意識に声を作る。そんな作り声を続けていると心身に不調をきたす。それは「呼吸がちゃんとできてない」「姿勢が苦しい」「喉をそんなに締めつけないで」と、身体が警告を発しているのだという。それは「本物の声」に対する「偽りの声」と言える。「偽りの声」は心身を蝕む。録音された自分の声への強い嫌悪は、この「偽りの声」に対する心身の拒絶反応から来るのだと著者は結論づける。どうすれば「偽りの声」ではなく「本物の声」を出せるのか。

本物の声の見つけ方。

最後は、「本物の声」をいかに見つけるか、具体的な方法について語られている。著者によると、まず現在の自分の声に向き合うことだという。具体的には、普段話している自分の声を、スマホやICレコーダーで録音し、聴いてみることだという。録音した声は、今現在、あなたが人に聴かせている声だ。作っていたり、装っていたり、媚びたり、自分のコンプレックスがあらわに出ている…。それは現実のあなたの姿である。そこから目をそらしてはいけない。聴き続けているうちに、その嫌な声の中に、ときおり「あれ、この声は嫌じゃない」と思う声があるという。それは作り声ではなく、妙にテンションが高くもない声、そして嫌悪を感じる声より幾分低い声であることが多いという。それがあなたの「本物の声」「恒常性に適った声」だという。そこで、その声を出したときのシチュエーションや、自分の感情や身体の状態をできるだけ細かく思い出してみる。どのようなときにその声が出るのか、人それぞれだという。著者は、このとき、理性的な分析を行わずに、声の音を愚直に聴いて「好きか嫌いか」だけで判断すべきだという。また、よくわからないからといって、他の人に聞いてはいけないという。それは自分の「本物の声」は、「自分の脳」にしか判断できないからだ。

何度も繰り返す。

自分の本物の声を見つけたら、その部分を何度も聴いて、記憶させる必要がある。次に、その声を思い出しながら改めて録音する。いいなと思った声と同じ状況のつもりで、同じ言葉を何回か繰り返して録音する。録音した声は、その場ですぐ再生して聴いてみる。最初のうちは作り声になってしまって、がっかりするかもしれないが、何度も繰り返しているうちに、「いいな」と思える声が増えてくるという。そんな声が一つも見つからないという場合は、普通に話すより少し低めの声を意識して出してみるといい。わずかに顎を引き、いつもよりゆっくり呼吸をして、ゆっくり話ししてみる。それだけを注意しながら、いろんな場面を想定して録音して聴いてみること。今度は「いいな』と思える声が見つかるはずだという。「いいな」の声が見つかったら、今度は、それを定着させるように、いつも少しづつ意識する。話すときは自分の「本物の声」を頭で反芻しながら出す。

聴覚フィードバックによる声の自動補正。

私たちが話そうとする時、脳の中に、うっすらと声のテンプレートが浮かび、それを声に出している。出てきた声は自分の耳と聴覚を通して脳に伝わり、脳内のテンプレートと比較され、ズレがあれば修正していく。これ「聴覚フィードバック」の仕組み。本物の声を見つけ、定着させていくのは、この「聴覚フィードバック」の仕組みを活用するのだ。それは、なりたての若いタレントが、テレビに頻繁に出るようになると、どんどん垢抜けてキレイになっていくのと似ている。キレイになっていく最大の理由は「映された自分の姿を観る」ことだという。録音した自分の声を何度も聴くだけで、聴覚フィードバックによって声の自動補正機能が働き、自然に「いい声」になってくる。

自分を変える声の力。

こうして身につけた「本物の声」は、その人の心身を変えていくという。前の方でロシアのゲノム研究グループが、ある種の音声がDNAの損傷を修復するという論文を発表しているという話があった。著者は、いくつかのエピソードを紹介する。学級崩壊に苦しんでいた小学校の先生。英語で話し始めると、別人のような豊かな声になる日本人女性。鬱病がひどくてほとんど喋れない女性など、声によって、心身はもちろん、仕事や人生にまでプラスの効果を及ぼしたたケースが語られる。

ここから僕の感想。

声というよりは、話すことが苦手だった。小学校の頃の高学年で、授業中に左利きを矯正されたことがきっかけになって、吃音が始まったらしい。特に数人以上の前で喋ると、吃音がひどくなった記憶がある。高校では、それを克服しようと演劇部に入ったぐらいだ。人前で話すことにはかなり慣れてきたと思うが、いまでも苦手意識が強い。その理由は、自分の声だった。取材などで、録音された自分の声を聴くと、自己嫌悪に陥るぐらい嫌なのだ。それは自分の声と喋り方が良くないせいだと、ずっと思っていた。音程が悪く、声量もなく、滑舌も悪い。本書は、僕の長年の思い込みを正してくれた。本書が教える「本物の声を見つける」トレーニングをやってみてもいいかなと思っている。「録音した自分の声を繰り返し聴く」という苦行に耐えられるか、どうか自信はないが。

最後のクルマ選び その3

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散々迷った挙句、「最後のクルマ選び」の決め手となったのはディーラーの近さとは。そして決めたのは、エコカーでもEVでもハイブリッド車でもなく、ましてやディーゼル車ですらない、オーソドックスなガソリンエンジン車。VW ゴルフ バリアント。クルマ選びを始めた頃には思いもよらなかったゴールである。Y田さんをはじめ、いろいろとアドバイスをくださった方には感謝。納車から4ヶ月。走行距離はたったの1500kmちょっと。一番遠くまで走ったのが、今月、災害ボランティアのために向かった岡山県総社市。エントリーの最後に、4ヶ月間が過ぎた印象を記しておこう。

納車。

注文から約1ヶ月、納車の日がやってきた。徒歩5分の近所にディーラーがあるので、自宅ではなく、ディーラーに出向いて受け取ることにする。朝オープンしたばかりのショウルームを訪れると、担当のSさんが早速出てきて、商談ブースに案内される。支店長やサービスの担当者がやってきて挨拶を受ける。ほぼ終わっている手続きと説明が済むと、お祝いのシャンパン(ノンアルコール)の栓を抜いて乾杯。最近の納車は、こんなセレモニーがあるのだ。その後、用意された新車に乗り込んで説明を受ける。これが1時間近くかかった。デジタル化の進んだ現代の自動車は、操作も複雑で、1度聞いただけではとても覚えきれない。説明を受けなければエンジンを始動することすらできないだろう。一通りの説明を聞き、最低限の操作を覚えて、おそるおそるエンジンをかけ、アクセルを踏み込んでいく。ディーラーにいる全てのスタッフがずらりと並んで見送る中を、恐縮しながら出口へ向かう。緊張でウィンカーとワイパーを間違えた。ああ、恥ずかしい。いよいよゴルフ・バリアントとの日々が始まった。

ちょっと後悔。「意外に硬い乗り心地」。

市内を数キロ走って、家に戻る。その第一印象は「硬い」。「GTi」や「R」ではなく、一番大人しいグレードなので、乗り心地はもう少し柔らかいのかと思ったら、意外や「かなり硬め」。少し前にレンタカーで借りたマツダ・デミオを思い出した。段差や凹凸では、ズンと鋭く突き上げられ、けっこう尾てい骨にひびく。アルデオの、飛ばすと頼りないが、普段は、柔らかくフラットな乗り心地とは正反対だ。そのぶん足腰がしっかりしていて、速度を上げて行っても安心感はあるのだが…。5名の乗員と荷物をたっぷり積めば、もう少しフラットになるのかもしれないが、一人や二人の乗員では、どうしても硬く感じられるのかも。この「硬さ」には、少しがっかり。やはりしなやかな「猫足」を望むなら、プジョーを選ぶべきだったのかも。

ちょっと後悔その2。黄色でなく「金色」に見える。

納車から4ヶ月。その印象を記しておこう。まず色について。ゴルフ・バリアントは、デザインが地味なので、白やシルバーだとカローラ・ワゴンみたいに見えるので、この色(ターメリックイエロー)にしたのだが、少しだけ後悔している。初めて見た人は、「わあ、輝いてますね。金色、派手!」「これは目立つわ!ゴージャス!お金持ちい!」などとおっしゃる。「普段着感覚で乗れて、道具感覚で使いこなせるクルマ」を目指していたのに、これでは正反対。道具感がバリバリ出ている地味系カラーのスバル「XV」を見るたびに「こっちにしとけばよかった」という思いが浮かんでくる。この先、乗り慣れてくると「金色」でも道具感が出てくるのだろうか?

狭くなった室内。遠くなったパーキングチケット。

アルデオより幅は10cmほど広くなっているが、室内は、逆に狭くなったと感じる。広くなった10cmは、ボデイのみで、室内の広さは変わらないのだろう。そのぶんドアがぶ厚く重い。クラウン並みのキャビンスペースが売りだったアルデオは、室内の前後長も広く、後部座席のレッグスペースも明らかに広く、ゆったりしていた。全高も数センチ高いので、室内空間はとても開放的だった。乗り換えて幅が広くなったのに、室内空間は、狭く窮屈になったのが、なんだか損したような…。ゴルフに乗り換えて顕著なのが駐車場の入り口でのパーキングチケットの取りにくさ。侵入する際、発券機にギリギリまでクルマを近づけないと、チケットに手が届かないのだ。アルデオに比べ、幅が増えたのは、ボディのみで、窓の位置が発券機から数センチ遠くなっている。また着座位置も低くなったため、よけいに届かなくなったのだと思う。乗り換えた直後は、いつも利用するショッピングモールの駐車場の発券機に手が届かず、クルマをわざわざ降りて、チケットを取りにいくことが何度かあった。

ハードウエアに不満なし。何もかも重い。

エンジン、足回りなど、ハードウェアはとても良くできていて不満は無い。1.4リッターターボエンジンのパワーやレスポンスに不足は無いし、ソリッドなハンドリングや足回りも申し分ない。シートや内装の質感も高く、文句のつけようがない。アルデオから乗り換えて一番気になるのは「重さ」。何もかもが重たいのである。ドアの開閉、レバーやスイッチ類など、相応の力を入れないと動かない。中でも一番戸惑ったのはクラクション。例えば、前方の脇道からバックで出てこようとしているクルマを発見した時。アルデオの時は、ステアリング中央のホーンボタンを軽く叩く感じで、短く鳴らしていた。同じような状況で、ゴルフのホーンボタンを軽く叩いたが、うんともスンとも言わない。ホーンボタンは、しっかり力を込めて押さないと鳴らないのだ。ウィンカーレバーも、アルデオでは指1本で軽く触れる感覚で操作していたが、しっかり力を込めて動かさないといけない。家人を見ていると親指と人差し指でしっかりレバーを掴んで動かしている。「操作は、しっかり掴んで確実に動かすように」とクルマに叱られているような感じ。ドイツ人は、みんな力が強いのかしら。

未完成な運転支援。

質実剛健ではあるが、完成度の高いハードウェアに比べて、情報系、運転支援系の機能は、まだまだ中途半端に感じる。前を走る車に自動的追従するアダプティブ・クルーズ・コントロール機能やレーンキープ機能、交差点などでブレーキを踏み続けなくても停止状態を維持してくれるオートホールド機能。それらの機能は、ドライバーが自分で設定や解除を、しかも別々に行う必要があり、とても煩わしい。さらにステアリングやブレーキのアシストの仕方がドライバーの感覚と微妙にずれているのである。レーンキープが維持する左右の位置は、僕の運転よりもわずかに右に寄っていて、気持ち悪い。減速のタイミングも僕より遅いような気がする。「運転支援モード」にしておけば、クルマが最適なモードを選び、しかもドライバーの癖などを学習して、違和感のない統合的なアシストをしてくれる。そんな風になるまでは、まだまだ時間がかかるのではないか。このような運転支援の現状を見ていると、自動運転というのは、そう簡単に実現するものではないのだと思うようになってきた。

最悪のマニュアル。

納車の時に受けた説明では、とても全部を覚えきれない。そこで頼りにするのが「マニュアル」だ。ゴルフには分厚いマニュアルが付いている。クルマ全体のマニュアルとナビなど情報系のマニュアルだ。しかし、このマニュアルが最悪で、ほとんど使えない。目次で知りたい機能を調べ、目的のページを探すが、欲しい情報に辿りつけない。当該ページの文章を読むと、すぐに「◯◯ページを参照」となり、そのページにとんでも、また「◯◯ページを参照」と指示され、いつまで経っても欲しい情報にたどり着けない。まるでマニュアルの中をたらい回しにされているような感覚。ディーラーの担当者に苦情をいうと、「私たちも使いにくくて困っているんです」と開き直られる。多分ドイツ本国で作成されたマニュアル原本を各国語に翻訳しているだけなのだろう。そして、その原本も、世界各地で仕様が違っている製品の情報を網羅するために、参照だらけのマニュアルになっているのだろう。あまりに使いにくいので、クルマには、分厚いマニュアルではなく、薄いクイックガイトのみを積むようになった。VWは、このマニュアルを製作するために少なからぬコストを費やしていると思うが、出来上がったのがこの状態では、ユーザーをないがしろにしているとしか思えない。広告やカタログを作ってきた同業としては、許せない。その気になれば、もっとユーザー視点のわかりやすいマニュアルが作れるはずだ。早急の改善を望みたい。

結論

4ヶ月前に始まった「最後のクルマ選び」は、最初は、時代の潮流と老後のニーズにかなった「コンパクトなエコカー」を探すところから始まった。ところがディーラーで実車を見たり試乗したりしているうちに、どんどんブレて行って、結局、全然違うクルマを選んでしまった。どうしてそうなったのかというと、僕自身や家人のクルマに対する価値感が昔と対して変わっていないことではないか。口では、エコカーだ、コンパクトカーだ、道具車だと言ってても、無意識のうちに、高級や高性能に魅かれてしまっていたのではないか。それがVW(大衆車の)ゴルフ(コンパクトカーの定番の)バリアント(ステーションワゴンの)というねじれまくった結論になったような気がする。どう見ても金色にしか見えないメタリックの黄色を選んだのも無意識の高級志向だったのかも。

最後のクルマ選び その2

人生最後に乗るクルマは、どんなクルマになるだろう。

子供はいない。当然、孫とかもいない。介護すべき親もこの世にいない。夫婦二人だけの老後。そんな生活にふさわしいクルマってどんなクルマだろう。基本は、毎日が休日で、毎日がプライベート。趣味や自宅で過ごす時間が中心になるだろう。たまに旅行に行くこともあるだろう。密かに田舎暮らしを目論んでいるので、荷物や道具を運ぶ機会は多くなるかもしれない。そんなことをあれこれ考えながら「最後のクルマ」の情報を集め始めた。

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小さなエコカーにしよう。

アルデオの時代は、クルマへの興味を封印していた20年間だったが、広告屋として、自動車業界の動向は一応把握していた。しかし、それはあくまでも、マーケティングブランディングの対象としてのクルマへの興味であり、自分が所有して運転する対象としてのクルマではなかった。今回のクルマ選びも、広告屋的目線で、なんとなく「コンパクトなエコカーがいいかな」ぐらいの気持ちでスタートした。定年後の二人暮らしで、車で遠出することも少なくなった生活に大きなクルマは必要ない。また、老後のための蓄えを減らしたくないので、価格や維持費は安い方がいい。さらに、運転に自信がなくなって来たので、小型車の方が扱いやすいだろう、というぐらいの理由。まず候補にあげたのは、トヨタ・アクアホンダ・フィット、日産・ノートe POWR、マツダ・デミオ、軽自動車のホンダ・N-ONEなど。トヨタのアクアをあげたのは、アルデオで20年近く面倒を見てくれたトヨタのディーラーの印象がよかったので「買うならトヨタで」と思っていたから。ただし、アクアのデザインが好きになれず、他メーカーで「小さなエコカー」を探すと、ホンダ・フィットや、日産・ノート、マツダ・デミオにも目が行く。この中で、デザインが好きなのは、ホンダ・フィットだ。金属の塊から削り出したような、ソリッドで、直線的なデザインが小気味よい。それに比べると、アクアは、薄い板を曲げて成形したような、薄っぺらな感じのデザインに見える。ノートのePOWERは、シリーズハイブリッド方式というユニークなHVに興味を覚えた。シリーズハイブリッドは、エンジンが駆動を受け持たず、発電のみを行い、駆動はモーターのみで行う方式であり、一般のハイブリッド車より、低価格になる。また、回生ブレーキを積極的に利用して、ほとんどアクセルペダルのみで速度がコントロールできるという、ワンペダルドライブが特色だ。難点はデザイン。ガソリンエンジン車がベースであり、エコカーらしい新しさを感じない。ホンダの軽自動車、N-ONEも候補の中に入れておこう。知り合いで、定年を迎え年金生活に入って、普通車から軽に乗り換えた人がいる。N-ONEは、普通車から軽自動車に乗り換えた人たちが選んでおり、軽自動車とは思えない性能と質感を実現しているという。マツダ・デミオは、ディーゼル車の常識を覆した、静かでパワフルなディーゼルエンジンに興味があり、存在感のあるデザインも好ましく感じていた。マツダが、ここ何年か展開している“Be a driver.”のキャンペーンは、広告屋としても、1人のユーザーとしても共感できる。住んでいるマンションでも、最近、マツダ車が増え、そのうち3台はデミオである。デミオは、今回の有力候補と思われた。ちょうど九州に出かける用事があって、現地でレンタカーを借りることになった。フィットを借りたかったが、車両の手配がつかずデミオになった。初めて乗ったデミオの、あまりに硬い乗り心地にびっくり。一般道では、路面の段差や継ぎ目をしっかり拾って、突き上げが半端じゃない。少し速度を上げて走るように心がけると、改善され、高速道路に入るとさらにフラットになるが、硬い乗り心地には最後まで慣れなかった。このクルマは、やはり運転を楽しむスポーティカーなのだと実感した。

運転席でのウラシマ体験。

20年近くも同じクルマに乗り続けていると、最新の自動車事情に疎くなるのは、当然のことだが、ここまでギャップを感じるとは思わなかった。最初に見に行ったのは、ホンダのフィット。ところがフィットの運転席に乗り込んだ家人の反応が芳しくない。「なんか見にくい」という。家人に代わって、運転席に座ってみて、驚いた。運転席から見える世界が全然違っているのだ。ボンネットは全く見えず、その向こうの路面は、はるか彼方に見える。リアウィンドウも小さく遠く、これでバックするのは至難の技だと思えた。ボディ全体が四角くて、窓が広く、着座位置が高いアルデオから乗り換えると、フィットの視界は、恐怖を覚えるほど狭い。燃費向上のために空力特性を極限まで追求したフィットは、フロントウィンドウの傾斜がきつく、ボンネットは全く見えないのはもちろん、その先に見える路面もはるか遠い。車両感覚というのか、自分が運転しているクルマの四隅が把握しづらいのだ。そして、フィットだけでなく、候補にあげた他のクルマも、視界の狭さという点では同様だった。アクアも、ノートも、デミオも同じだった。最新のクルマたちは、空力特性を極限まで追求した結果、ドライバーの視界を犠牲にしてるように思えた。ディーラーのスタッフに、そのことを聞くと、「最初は戸惑うお客様も多かったのですが、皆さんすぐに慣れます」という。そういうものかもしれないが、運転席からの視界や車両感覚というのは、いわばヒト・クルマ・外部のインターフェイスの基本ともいえる要素だ。そのインターフェイスが、進化した最新のクルマで後退しているという事実には、かなりショックを受けた。この時の体験が、家人の印象を悪くしたのか、結局、彼女は、フィットを気に入らなかった。さらに他のコンパクトカーも嫌だと言い出す始末。もっと他のクルマも見てみよう、という話になった。「コンパクトなエコカー」に絞り込んでいたクルマ選びは、振り出しに戻ってしまった。

SUV輸入車

コンパクトカーの印象が悪かった時、家人の印象が良かったのが、そばに展示してあったSUV。以前にパジェロに乗っていたこともあるが、視界の良さという点では、視点が高く、視界の広いSUVに好印象を持ったようだ。さらに「人生最後のクルマになるかもしれない」という僕の言葉にも影響を受けたのか、「BMWとかはどうなの?」と仰天の発言が飛び出してきた。輸入車は、考えもしなかったので驚いた。あまりに選択肢が広がって、収拾がつかなくなってきた。

プリウスの人相。

現在のアルデオを購入したディーラーには、20年近くお世話になったこともあり、次のクルマは、トヨタで購入しようと思っていた。次はエコカーをと考えていたこともあり、最初はアクア、次にプリウスも候補にあげていた。しかし結局は、プリウスも、他のトヨタ車も選ばなかった。その理由の一つがプリウスのデザインである。トヨタの新しいプラットフォームであるTNGAによるパッケージングはよさげに見える。デザインも未来っぽく、空力特性を重視した全体のプロポーションは、昔のSF映画に出てくる「未来の自動車」みたいだ。問題はディテール。特にフロントまわり。余計な線が多すぎるのだ。プリウスに限らず最近のクルマは「人相」が悪くなったと感じる。LEDライトで小さな電球が使えるようになったせいか、切れ長目、つり目が増え、エヴァ風の人相が多くなった。プリウスには、能面の小面のような不気味さを感じてしまう。一般に、自動車における新しいデザインが出てきた時、最初は違和感が生じ、醜いとさえ感じるものだが、見慣れるにつれて、好ましいと思えてくることが少なくない。ところがプリウスの場合は、いつまで経っても最初の違和感が消えないのだ。このデザインをトヨタの社長が良くないと発言したそうだが、さもありなんである。後から出てきたプリウスPHVでは、フロントまわりの処理が変更され、かなり改善されたと思う。このPHVプリウスのデザインを普通のプリウスにも採用していたら、僕はプリウスを選んでいたかもしれない。自分はデザインにこだわるほうではないと思っていたが、プリウスのデザインはどうしても許せない。いろいろなクルマを見ていくうちに、別にEVやハイブリッド車でなくてもいい、と思うようになっていったこともトヨタ車を選ばなかった理由の一つ。

草食系道具車。

実は、以前から気になっているクルマがあった。数年前に、確か高速道路のサービスエリアで見かけた、ルノー・カングー。くすんだ淡いブルーのそのクルマは、荷室に3台のロードバイクをきれいに並べて積んでいた。確か前輪を外してあったと思うが、「どうやって自転車を固定しているんだろう」と興味を持って室内を覗き込んだ。DIYで作ったらしい固定具や、道具箱、パーツ棚などが、きちんと配置されているのを見て、「いい趣味だなあ。このクルマは、趣味のために生まれたクルマなんだ」と羨ましくなった。走りに徹した高性能車やヘビーデューティーなSUVとは正反対の草食系道具車。元々自分は、DIYやアウトドアが好きだったということもあり、これを機会にDIYやアウトドア生活を復活させる手もあるかもと思った。カングーを移動基地にして、アウトドアざんまい、などと夢が膨らむ。ただし、現在のカングーは、サービスエリアで見たカングーではなく、モデルチェンジしたカングーで、かなり大きくなり、デザインも、もっさりして、先代の軽やかさが失われたように感じられる。同じようなコンセプトのクルマは他にないのだろうか。ある。先代のトヨタ・シェンタは、このカングーをスケールダウンしたような草食系道具車だった。少し前に、全く違うコンセプトとデザインでモデルチェンジした。スポーツバッグをイメージしたというデザインは、当初、抵抗があったが、見慣れると悪くないデザインに思えてきた。新しいシェンタは、売れているようで、街でもよく見かける。タクシーとして走っているのを時々見るし、介護サービスなどの送迎などにも使用されているようだ。また、トヨタはタクシー専用車を売り出しているが、そのベースにもなっている。シェンタのカテゴリーはミニバンらしいが、デザインの巧みさのせいか、大きめハッチバック車に見えるのも好ましい。蛍光色と黒のツートンカラーのデザインは派手だが、黒/黒や白/黒のおとなしいカラーリングを選ぶと、カテゴリーの違うクルマに見える。僕一人で決められるなら、カングーか、この新シェンタを選んでいただろう。ルノー・メガーヌとコンパクトSUVルノー・キャプチャーを見に行った時に、そばに展示してあったカングーを家人に紹介した。中年のセールスマンが近づいてきて「フランスではほとんど商用車として使われているが、日本ではなぜか一般の人が買っている」と説明してくれる。家人の反応は「こんな商用車みたいなクルマは嫌」の一言。新シェンタも、蛍光グリーン/黒を見て、「若すぎ、高齢者が乗るクルマではない」と即座に却下。「移動基地になる草食系道具車」の夢は儚く潰えた。

CGのジャイアントテスト 。

SUVから輸入車まで、「なんでもアリ」になってしまって、途方にくれていると、書店で、購読をやめてから20年以上経っている雑誌「CAR GRAPHIC」4月号の特集に恒例の「ジャイアントテスト」を発見し、即、購入。内外の300万円台のクルマの比較テストである。ルノー・メガーヌ/ルテーシア、プジョー・308/208、シトロエンC3、ミニ、VW・ゴルフ、国産車ではホンダ・シビックとスバル・インプレッサが選ばれている。この特集を熟読して、最新のクルマたちの情報を仕入れることにした。しかし、よく考えて見ると、この中にハイブリッド車も電気自動車も入っておらず、ある意味でかなり偏った車種選びであることがわかる。さらに比較テストではないが、300万円台カーの番外編として、BMWの1シリーズ、ルノー・カングー、フィアット500アバルトの試乗記も掲載されている。この特集記事により、候補をいくつか選び、ディーラーに出かけて行くことにした。

 シトロエンを諦める。

最初に行ったのがシトロエンのショウルーム。目当てはC3。ずっとシトロエンに憧れていた。映画「ファントマ」に登場する「空とぶDS」に始まり、全てを油圧で制御するハイドロニューマチックの魔法のような乗り心地やセルフレベリング、1本スポークのステアリングホイールなど、ドイツ車でも、米国車でも、英国車でも、イタリア車でもない、まして、他のフランス車とも大きく異なるユニークな発想と技術とデザインは、自動車に興味を持つようになって以来の憧れだった。80年代の終わりに1度だけXMを買おうと真剣に考えたことがあるが、結局買わずに、三菱のパジェロを選んだ。それから30年近く経ち、もはやハイドロニューマチック・サスペンションを搭載したモデルは消え、グローバル化の波によって、かつてのユニークさは失われている。復活したDSには、宇宙からやってきたような初代DSの斬新さはどこにも無い。ショウルームで見たC3には、かつてのシトロエンのようなユニークさはもう見られない。それでも2017年度のCGアワードを獲得し、CGジャイアントテストでは、Bセグメントながら、乗り心地などでCセグメントのクルマたちを凌いでいる。ちょっとコンパクトSUVっぽいスタイルにPOPで過激なディテールを加えたデザインがユニークで面白い。しかし長年の夢も、家人からは「若い女の子が乗る車みたい」の一言で却下される。

 隣りのプジョー

シトロエンのショウルームと同じ敷地の中にプジョーのショウルームもあり、そちらも覗いてみることにした。展示してあった308SWというモデルに目が釘付けになった。ほとんど黒のような紺のステーションワゴン。余計な線がなく、緩やかな曲線のみで構成された、シンプルなシルエットが美しい。家人も気に入ったようで、乗り込んでみる。ボリューム的には、アルデオとそう変わらない。着座位置も若干高いようで、ボンネットもなんとか見える。エンジンは1.2L 3気筒ターボと1.6Lディーゼル。試乗車は無かったが、裏の駐車場に止めてあったモデルのエンジンをかけてもらう。ディーゼルエンジンの方は、驚くほど静かで、とてもディーゼルとは思えない。ガソリン車の方は、さらに静かで、エンジンが動いているのかどうかがわからないほど。白のクルマを欲しいと思ったことは一度もないが、パールホワイトというのか、艶のある白いボディが、大きな海棲獣のように見えた。ただし、デザインを優先しているせいか、ウエストラインが後ろ上がりで、後部座の閉所感が強く感じられるのが気になった。

駐車場問題。

コンパクトカーが気に入らなかった家人が、最初に「このクルマなら大丈夫そう」と言ったのが、マツダSUVCX-5だ。視点が高く、フロントウィンドウの傾斜もきつくないため、視界が広い。座席ポジションを一番高くするとかろうじてボンネットも見える。アルデオの前に乗っていたパジェロに近かったせいもあるだろう。かなり乗り気になっていたようだ。以前、同じマンションに住む人がCX-5ディーゼル車に乗っていたことがあり、随分褒めていたことがあって印象は悪くない。しかしスペックを見ると、ボデイの幅が1840mmもある。マンションの立体駐車場の制限が1850mm以内なのでギリギリである。駐車パレットにおさめるのが難しそうだ。そこで試乗の時に自宅まで行き、実際に駐車場に入れられるか試してみることになった。駐車スペースが端っこの難しい場所だったこともあり、案の定、駐車パレットにうまく載せられない。タイヤとパレットの枠のわずかな間隙を保ちながらバックしないといけないのだ。うまくいかない理由の一つが、窓を開けて下を見ようとしても、家人の身長ではタイヤが見えないのである。CX-5は、ボディよりウィンドウ部が、内側に後退しているため、窓から首を出してもボデイに遮られてタイヤが見えないのだ。標準で装備されているリアビューカメラもあまり役に立たない。サイドミラーを下に向けて、タイヤの位置を確認するしかない。昼間はなんとか駐車できるにしても、夜に帰ってきて駐車するのは困難に思われた。CX-5がNGとなると、マツダ車の中で欲しいと思うクルマがなくなってしまう。

スバルはどう?

ある日、家人が「スバルはどう?」と言い出した。TVCMを見て気になったらしい。個人的には、スバルは悪くないと思っている。多くの名機を生み出した中島飛行機をルーツに持つ技術集団というイメージ。世界でも数少ない水平対向エンジンを採用し、最近では“i sight”という自動運転システムの評判がいいらしい。村上春樹の小説にも登場する。しかし、スバルの車種構成がよくわからない。「レガシー 」という上級モデルがある。その下に「インプレッサ」があり、「フォレスター」というSUVに特化したモデルもあったなあと言う程度の理解。現在乗っているアルデオがワゴンであることもあり、レガシーの「ツーリングワゴン」というコンセプトはいいなと思っていた。ところがディーラーに行ってみるとレガシーのツーリングワゴンという車種がなく、レガシーアウトバックというSUVっぽいモデルがあるのみ。セールスのスタッフ(女性)は、商談席に僕らを座らせて、いきなりアイサイトなどスバルの自動運転技術の優位性を説明し始めた。こちらの要望も聞かず、自動運転の技術の説明を始めるのは唐突すぎないか?説明の後、レガシーのツーリングワゴンを見たいというと、レガシー・アウトバックのところに案内された。アウトバックは、やたらでかく見えた。スバルのスタッフは、それならとレヴォーグとXVのところへ連れていく。ディーラーの裏の駐車場で見た真っ黒のレヴォーグは、高性能車らしい凄みのあるオーラを放っていた。運転席に乗り込むと、インテリア周りも黒中心の男性的な印象で、着座位置も低め。戦闘的という言葉が浮かんだ。エンジンはなんと300馬力だという。老人には、そんなにたくさんパワーは不要です。サイズはアルデオより幅が10cmほど大きいだけだが、随分と大きく感じられた。次に見たのがXV。SUVらしいが、同じSUVであるフォレスターとの関係はどうなっているのだろう。道具感というのか、普段着感覚のデザインが好ましい。3車を見終わって、アウトバックレヴォーグ、XV、それぞれの位置付けが今ひとつ理解できず、どの車種が自分向きなのか、よくわからないまま、ショウルームを後にした。家人も同様らしく、その後はスバルの名が出てくることはなかった。あとで調べてみると、レヴォーグが、レガシーツーリングワゴンの後継モデルらしく、XVは、インプレッサSUV版ということらしい。レヴォーグ(2.0Lの300馬力版ではなくて1.6L版)とXVを候補に残しておこう。スバルのクルマを見たことで、自分が求めている方向性がステーションワゴンにあるのだとわかってきたことも収穫だった。

徒歩5分のフォルクスワーゲン

フォルクスワーゲンというメーカーに興味を覚えたことは一度もない。ゴルフは、小型車のベンチマークとしての地位を保ち続けている堅実で地味なドイツ車という印象。上のクラスにパサート、下のクラスにポロなどがある。2015年にディーゼル車の排ガス規制における不正が明らかになった時、このメーカーの車に乗ることは一生ないだろうなと思った記憶がある。当然、今回のクルマ選びの候補にも入っていなかった。しかし、歩いて5分の場所に新しいショウルームができてからは、しょっ中前を通るようになり、嫌でも目にするようになっていたことも事実。ある日、ディーラー巡りの帰りに、「ちょっと立ち寄ってみようか」と車を乗り入れた。お目当ては、ゴルフ。CGジャイアントテストでも取り上げられていて、評価は悪くなかった。しかし現在のゴルフ7と呼ばれるモデルが登場してから5年以上経過しており、そろそろ次のモデルの登場が噂されそうな時期でもある。この頃には、頭の中が「ステーションワゴン」になっていたので、迷わずゴルフ・バリアントに目が行く。大きさはプジョー308SW、スバル・レヴォーグとほぼ同じ。アルデオと比べても、幅以外はほぼ同じで違和感が少ない。しかしデザインが地味だ。遠目には「え、カローラ・ワゴン?!」と思うほど大人しく、輸入車のありがたみが全くない。しかし、僕は、この、何の変哲も無い「地味デザイン」に引っかかってしまった。定年をすぎた年金生活者には、このような目立たないデザインのクルマが相応しいのではないか…。

幅1800mm問題。

候補に残ったのはスバルのレヴォーグとXV、プジョー308SWとゴルフ・バリアントの4車。どれにするか?その前に確認したいことがあった。4車とも幅が1700mmを越え、1800mm前後。マンションの立体駐車場のパレットに楽に停められるか?ゴルフ・バリアントの試乗の時に、自宅まで足を伸ばして、実際に駐車してみることにする。ゴルフでできれば、サイズがほぼ似通ったあとのクルマでも可能だろう。下記に各車のサイズを記しておこう。

トヨタ・アルデオ 4640X1695X1515mm  ホイールベース:2700mm

ゴルフ・バリアント 4575X1800X1485mm ホイールベース:2635mm

プジョー・308SW   4585X1805X1485mm  ホイールベース:2730mm

スバル・レヴォーグ 4690×1780×1490mmホイールベース:2650mm

スバル XV             4465×1800×1550mmホイールベース:2670mm

果たして試乗の結果はどうだったか。たった100mmほどの差なのだが、駐車は格段に難しいと感じられた。その理由は、ボディとウィンドウの位置関係にあった。アルデオは、ボディとウインドウがほぼフラットなため、窓から首を大きく突き出さなくても、リアタイヤがよく見える。しかしゴルフはウインドウの位置がボディから後退しているため、目一杯首を突き出さないと、リアタイヤが見えないのだ。最近のクルマは、デザインや安全設計のために、ボデイよりウインドウの位置を後退させているのだ。前にもマツダCX-5で試してみたが、さらに幅広い1840mmというサイズもあって、運転席からリアタイヤがほぼ見えなかった。ゴルフは、CX-5よりは幅が小さいこともあって、夫婦ともなんとか駐車することができた。この試乗により、幅1800mmでもOKという結論を出した。

結論。

僕の中では4車が残っていたが、家人の中では、プジョーとゴルフしか残っていなかったようで、スバルの試乗はもうしなくてよいということになった。再度ディーラーを訪れ、見積もりを出してもらったが、2車はほぼ同じ金額。デザインの良さでは二人ともだんぜんプジョーだった。しかし僕はプジョーの後部座席の閉所感と3気筒エンジンの少し雑味のある音が気になっていた。さらにディーラーの遠さ。VWは、徒歩5分の場所だが、プジョーは、クルマで30分ほどかかる場所にあった。アルデオを買ったトヨタのディーラーも徒歩10分の距離にあって、点検や修理など、とても便利だったのだ。色の問題もあった。プジョーならディーラーで見た黒に近い紺にしようと決めていた。ゴルフの方は、スタイルが地味なので、白とかだと、カローラ・ワゴンみたいに見えてしまうので、明るい目立つ色にしようとターメリックイエローと呼ばれるメタリックイエローを選んだ。しかし、この色は、日本ではあまり人気が無く、ほとんど入ってきておらず、ディーラーにも在庫がないという。国内の他のVWの販売会社に問い合わせてみて、在庫があれば交渉して譲ってもらうことになるという。他の色は考えていなかったので、イエローのモデルがなければ諦めることにして、VWのディーラーを出た。翌日、電話で「黄色が見つかりました」という連絡が入った。これで決定。年明けから3ヶ月近くかかった「最後のクルマ選び」がようやく終わった。

 

 

 

 

松本 創「軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い」

2005年4月25日、JR福知山線宝塚駅9時4分発同志社前行き快速。

3年間の東京勤務を終え、予定通り4月から関西に戻っていれば、僕は、この電車に乗っていた。大阪で働いていた頃は、毎日、この電車に乗って通勤していた。宝塚が始発なので、必ず座ることができた。当時は煙草を吸っていて、ホームの大阪寄りの一番端に喫煙コーナーがあったため、乗車前に1本吸ってから、1両目か2両目に乗り込んでいた。ところが、担当していた仕事が長引き、大阪に戻るのを1ヶ月伸ばすことになった。東京のオフィスで事故のニュースをネットで見た瞬間、背中が冷たくなったことを覚えている。上空から見た、マンションの壁に巻き付くようにひしゃげた2両目の車両の姿は忘れられない。最初は、これが1両目だと誤認され、車両の数を数えて初めて1両足りないことがわかり立体駐車場に飛び込んで大破した1両目が発見されたという。

107名が死亡、562名が負傷した「福知山線脱線事故」。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の事故調査報告書によると、事故の直接の原因は、運転士のブレーキ使用が遅れたため、半径304mのカーブに制限速度の70km/hを大幅に越える約116km/hで侵入し、脱線に至ったとされた。また運転士のブレーキ使用が遅れた理由について、ミスに対して厳しい懲罰処分や日勤教育を行う、JR西日本の運転士管理方法が関与した可能性があるとされた。

事故で妻と妹を奪われ、娘が重傷を負わされた遺族の一人が、都市計画コンサルタントの淺野弥三一氏だった。彼は、この調査報告に納得できなかった。運転士のブレーキ使用が遅れたことも、その原因になったとされる懲罰処分や日勤教育も、ATSの未設置も「結果」でしかなく、本当の原因は、分割・民営化以降の18年の経営によって形作られた組織的欠陥だ。そう確信した淺野は、遺族の責務として、事故の原因追求と安全のための改革をJR西日本に求めてゆくことを決意する。「4・25ネットワーク」という遺族の集まりの世話人となり、JR西日本と対峙していく。彼は、本業の都市計画や震災復興の仕事で培った交渉力を武器に、JR西日本に辛抱強く働きかけていく。本書は、十数年にわたるその闘いを辿った力作である。

表面上は謝罪を口にしながら、その実態は傲慢で組織防衛に走るJR西日本。事故の責任はあくまで運転士にあり、組織や運行システム、安全対策には問題がなかったと頑なに主張を繰り返して、取りつく島がなかった。当初は一枚岩に見えたJR西日本にも、繰り返し接しているうちに、淺野の言葉に耳を傾け、自分の言葉で対話しようとしている人間もいることに気づく。その一人が、子会社から呼び戻され、JR西日本で初めて技術屋出身の社長になった山崎正男である。浅野と山崎は、遺族と加害者企業のトップという関係でありながら、同世代の技術者として通じ合うことができた。二人の奮闘が、巨大な組織を動かしてゆく。著者は、この二人の動きを軸に、国鉄の分割民営化から始まるJR西日本の歴史、それを牽引した「天皇井手正敬の独裁に遡り、さらに巨大組織の企業風土が劇的に変わってゆく過程をじっくりと描いてゆく。著者の視点は、終始淺野に寄り添うが、感情的にならず、JR西日本の人々を描くときも偏りがない。読み終えて、静かな感動に包まれる。

2017年の重大なインシデント。

安全改革が確実に進みつつあると、著者が筆を置きかけた2017年暮れ、重大事故に繋がりかねない異常が発生する。東海道新幹線 博多発東京行き「のぞみ34号」の台車部分に亀裂が見つかり運転を取りやめたトラブルである。亀裂は台車枠に長さ14cmにわたって発生し、破断寸前だった。台車枠が破損すれば、車軸を固定できず、高速走行中に脱線していた恐れもある。さらに問題となったのは、車掌や指令員、保守担当など複数の社員が異常に気づいていながら運行を続け、博多駅出発直後に車掌の一人が異音を聞いてから、3時間20分も走り続けたことだ。曖昧な報告、思い込み、聞き漏らし、言葉の行違い、確認ミス、判断の相互依存、いい加減な引き継ぎ…。まさにヒューマンエラーの連続によって、重大インシデントは発生したのだ。

2月になって、亀裂の発端とみられる事実が発覚する。台車を製造した川崎重工が台車枠に使用する鋼材を加工する際、設計基準の7mmより薄く削ったために強度が不足していたのだという。設計基準が現場の作業チームで共有されず、基準を超えて削っていたのだという。同様の欠陥は、川崎重工からJR西日本が購入した100台で見つかり、JR東海保有車両でも46台にも見つかった。川崎重工の幹部は、会見で「班長の思い違いで間違った指示を出していた。加工不良という認識がなく、情報は上に伝わっていなかった。」「現場の判断任せで、基本的な教育が欠如していた。」と現場のミスを強調するように語った。著者は、問題はそれだけでなく、同社全体の品質管理体制、JR西日本のチェック体制、引いては日本が誇ってきた「モノづくり」全体に欠陥が潜んでいることを物語っているという。日本の製造業では近年、不正が次々と発覚している。三菱自動車の軽自動車燃費試験データ偽装、日産自動車SUBARUの無資格従業員による出荷検査、神戸製鋼所のアルミ・銅製品の検査データ改ざん…。不正な行為だという認識がないまま、数十年にわたって常態化してきたケースも少なくないという。「現場力」の低下を指摘する声がある。現場を知らないために見過ごしてしまう経営陣。この現場と経営陣の分断は、80年代後半のバブル景気前後に原点があるという。利益と経営効率ばかり追求し、バブル崩壊後は、人員やコストの削減に走るあまり、日本企業全体で安全や品質という「倫理」が軽視され、おろそかになった。その結果が今、噴出しているのだと。

本書を読んで感じたこと。

事故や事件についてのノンフィクションは、できるだけ読むことにしている。どんな事故も事件も、時代の潮流とつながって発生すると信じているから。そこには、自分が、これから向かうべき方向のヒントがある。もしくは、向かってはいけない方向を警告してくれるヒントがあると思っている。本書を読んで思うのは、あの事故につながる潮流が、戦後間もない時代にあったのではないかということ。国鉄の歴史は、人員整理などで合理化を進めたい国や経営陣と反対する労働組合の闘争の歴史であった。国鉄は、最大50万人もの組合員を擁する「国労」や運転士の組合である「動労」を中心に、日本最大の労働運動の拠点となっていた。様々な労働運動によって、国鉄は赤字に転落、現場は荒廃していた。国鉄の解体と分割・民営化は、こうした状況に危機感を覚えた若手官僚による「革命」だった。その中心にいたのが井手・松田・葛西の三人組だった。誕生したJRの本州3社の中で、最も経営基盤の弱いJR西日本に赴任した井手は、自ら「野戦」というほど、現場に立ってトップダウンで民営化を牽引した。時速120km運転に対応した新型車両の開発と大量導入、在来路線を再編成するアーバンネットワーク京都駅ビルの大規模改革、旅行業や商業施設への多角化…。業績は右肩上がりで伸びて行った。こうした利益追求・成長路線を突き進む中で、安全への意識が失われていった、と著者は推測する。私鉄王国と言われる関西で、ライバルに勝つために、さらなるスピードアップやダイヤの過密化を推進。そのしわ寄せは、現場の運転士たちの負担となっていった。事故やトラブルが起きると、井手は怒って「その社員をクビにしろ」と怒鳴ったという。ミスが起きるのは現場の人間がたるんでいるからだ。プロ意識が足りないからだという精神主義だった。そこには「人間はミスをする」というヒューマンエラーの考え方は見られなかった。厳しい懲罰主義や日勤教育も、今ならブラック企業と呼ばれるだろう。こうした歪みは組織の一番弱いところを壊してゆく。それがあの朝の運転士だったのではないか?

戦後の労働闘争に始まり、分割・民営化による市場主義の導入。グローバル競争の激化による利益追求と効率化、その結果としての企業モラルの低下による事故や不正…。このような連鎖は、国鉄から民営化されたJRという特殊なケースだけはなく、フクシマの原発事故、さらには多くの日本企業にも当てはまるような気がする。そのルーツは昭和の労働運動時代に遡る。本書にも紹介されている、国鉄の解体と分割民・営化を描いたノンフィクション、牧久著「昭和解体 国鉄分割民営化30年目の真実」西岡研介著「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」を読んで見ようと思う。

最後のクルマ選び その1

ほぼ20年ぶりにクルマを買い換えることにした。

いま乗っているクルマは(後述)もうすぐ20年になる。できれば、あと数年は乗り続けて、そのあとは自動運転のEVを、所有するのではなく、カーシェアサービスなどで、利用することになるんだろうな、と漠然と思っていた。ところが、昨年の夏頃からクルマの調子が思わしくなくなってきた。足回りがへたってきたのか、路面の段差や、継ぎ目を通過するショックと音が明らかに大きくなってきたようなのだ。ディーラーで点検してもらうと、サスペンションのパーツ交換が必要で、修理に数万円かかるとのことだった。「まあ近所に買い物に行くぐらいなら大丈夫です。ただ、段差にはくれぐれも注意してください」と言われた。しかし、どうしても遠出しないといけない用事があり、心配なのでパーツを交換してもらうことにした。症状は少し改善したものの、以前の状態には程遠く、足回りそのものがへたってきているようだった。同じ頃、カーナビのディスクを読み込まなくなったり、カーオーディオの電源が入らなくなったり、シートベルトの警告ランプが点灯したままになったり、と小さなトラブルが続くようになった。家人からは「来年5月の車検前に買い換え」という言葉が出てきた。

クルマのウラシマ状態。

しかし、20年も同じクルマに乗り続けていると、近年、急速に進歩を遂げているクルマ事情に取り残され、どんなクルマを買えばいいのか、皆目見当がつかなくなっていた。しかし、当初はたかをくくっていた。もう、この年齢になって、クルマへのこだわりもなくなっているのだから、まあ何でもいい。適当に選べばいいのだ、と。しかし、コトはそう簡単には行かなかった。定年を過ぎ、もうすぐ始まる年金生活。子供もいない、介護すべき親もこの世にいない、夫婦二人だけの生活。そんな暮らしにふさわしいクルマって何だろう。そして、これが僕の人生最後のクルマになるかもしれない。そう考えると、とても悩ましい問題になっていった。

最後のクルマ。

問題を難しくしている要因の一つが「今回、購入するクルマが、たぶん自分で運転する最後のクルマになる。」ということ。そう考える理由が、1昨年に90歳で亡くなった父の晩年のことだ。父は70歳を越えても自分で運転して、どこへでも出かけていたが、70代の半ばになって、運転が怪しくなってきた。車体に細かい傷ができるようになり、横に乗って観察していても、運転が雑になったと感じられた。几帳面であった父は、助手席に乗ると、シートのポジションやハンドルを持つ手の位置、さらにブレーキを踏むタイミングや交差点での停止位置までうるさく指示する人だったので、この変化は、とても気になった。ある日、通い慣れた、姉の家への15分ほどのルートで道に迷い、1時間近くかかってようやくたどり着くという出来事があった。当時から高齢者による事故や逆走などが問題になっていた。このまま放っておくと危険だと思い、姉と相談して、クルマを取り上げることにした。ちょうど父が風邪をこじらせて肺炎になって入院した時に、クルマを廃車にしてしまった。それを知った父の怒りは激しく、しばらくは母に当たり散らしていたという。この時、自分の意に反してクルマを取り上げられたことは、父のトラウマになったらしく、後に認知症が始まった時に「誰かにクルマを盗まれた」という妄想になって繰り返し現れてきた。父の運転が怪しくなったのが70代半ば以降であり、僕自身にも同じことが起きるとすれば、自分で運転できるのは、あと10年と少しだろう。

運転が下手になった。

上の話と関連するが、ここ数年で運転が随分下手になったという自覚がある。特に駐車する際にそれを強く感じる。いわゆる車庫入れが一発で決まらなくなった。1度は切り返さないと駐車スペースに収まらない。また駐車出来ても、降りてみるとクルマが斜めになっていたり、駐車スペースの片側に寄っていたりする。このぶんで行くと、あと数年で、晩年の父のように、車体に小さなキズをいっぱいつけることになるかもしれない。老化によって、男性ホルモンの一種であるテストテトロンが減少するという。このテストテトロンは、男性的な身体特徴を形づくり、攻撃性を高めるほか、空間の把握や、距離や速度の把握能力を高める効果があるという。老化によって、運転が下手になるのは、テストテトロンの減少によるもだという説がある。女性の場合は、老化によって、女性ホルモンの分泌が減ると、相対的にテストテトロンの比率が高まり、クルマの運転が上手くなったりすることがあるらしい。運転が下手になって、危険な状態になる前に、運転免許を返上しようと思っている。その頃には、カーシェアや自動運転など、新しいサービスや技術が実用化されていることだろう。自分でクルマを所有したり、運転しなくてもモビリティを確保できる時代が来ることに期待しよう。というわけで、「人生最後になるかもしれないクルマ選び」の始まりだ。

20年乗ってきたクルマ。

新しいクルマ選びについて語る前に、20年近く乗ってきたクルマについて記しておこう。トヨタのビスタ・アルデオというモデルである。名前を聞いて、クルマの形が思い浮かぶ人は少ないのではないか。不人気の名車と呼ぶ人もいる。カムリから派生したビスタは、1998年、カムリとはまったく違う系統のクルマとなってデビューする。5ナンバーの枠の中で最大限の居住空間を追求したセダンというのが売り物だった。実際、車高が高く、キャビンが広く、座席は、クラウン並みに広かった。コラムシフトの4速ATというのも珍しかった。このビスタの、ステーションワゴンがアルデオである。とても地味なクルマで、あまり人気がなかった。そのせいか、よく人に「このクルマ、何ていう名前ですか?」とよく聞かれた。その前は10年ほどパジェロに乗っていたから、「自動車好きの人が、なんでこんな地味なクルマを選んだんですか?」とよく聞かれたものだ。

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空気のようなクルマだった。

アルデオを選んだ理由は、当時の自動車を取り巻く社会の状況の変化と、僕自身のクルマに対する気持ちの変化にあった。当時、初代プリウスがデビューし、クルマは急激にエコに向かっていた。さらにトヨタメルセデス燃料電池車の開発を進めており、化石燃料を使う自動車は、早晩消え去る運命にあると思っていた。そんな時代に高性能なスポーツカー、馬鹿でかいRVなどは無用の長物と思われた。「もうクルマに趣味性を求めるのは止めよう」という思いから、スポーツカーやRVとは正反対の地味なファミリーカーを選んだのだ。運転しても全然面白みはなかったが、同乗者には、広くて快適なキャビンが好評だった。CMはアルデオ星人というへんなキャラクターが登場する、商品の特性をまったく伝えない内容であり、不人気の原因のひとつがCMのせいではないかと思っている。後に女優の鶴田真由を起用して「キャビン・ファースト」という、まともなコンセプトの広告を展開するようになった。その当時、僕自身も、自動車に対する興味を急激に失いつつあった。そのきっかけは、1995年の阪神大震災だと思う。十代の頃から30年以上愛読していたCAR GRAPHICの購読をやめ、創刊号から買い続けてきたNAVIも買わなくなっていた。クルマでドライブに出かけることも極端に少なくなっていった。僕は「自動車好き」を卒業したのだ。今から考えると、あの頃は、クルマ、バイク、オーディオといったメカニズム信仰が終焉を迎えつつあったのだと思う。オーディオの仕事がしたくて、広告の世界に入った自分だったが、市場は縮小する一方で、オーディオの仕事はほとんどなくなっていた。ちょうど同じ頃、「若者のクルマ離れ」が話題に上るようになっていた。アルデオは、そんな時代と僕の変化の象徴だった。この日記に載せようと、アルデオが写ってる写真を探してみたが、驚いたことに、20年近い期間の写真ライブラリーの中に皆無だった。旅行やドライブなど、あちこちに、このクルマで出かけたはずだが、まったく写っていない。まるで空気のように、20年近くの年月を一緒に走り続けてきたアルデオが、昨年あたりからくたびれてきたのは冒頭に書いた通りだ。購入した最初の年にミッションを交換した以外は、故障らしい故障もなく、エンジンは今でも快調そのものだが、足回りがへたってきたのである。同乗者には好評だった快適な乗り心地が失われると、このクルマの魅力が半減するように感じられた。「あわよくば、自動運転&ライドシェアの時代まで、あと数年は乗りたい」と思っていたが、結局叶わなかった。

クルマの進歩に取り残された浦島太郎のクルマ選び。

空気のようなクルマに20年近く乗り続けたあと、クルマの進歩から取り残されてしまっていた僕は、昨年の秋頃から、最新のクルマ事情を知るべく情報収集を開始した。仕事の上では、EVや自動運転のテクノロジーに関する企画に関わっていたので、10年〜20年先のクルマに関する知識はかなりリサーチしていた。しかし、今、自分が買えるクルマに関しての情報や知識は皆無だった。

 

山折哲雄・上野千鶴子「おひとりさまvsひとりの哲学」

面白すぎて、いっきに読了。痛快対談。

意外な組み合わせに興味をひかれて購入。上野は「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」「おひとりさまの最期」など、独居老人のリアルな老後を考察した「おひとりさま」シリーズを著した社会学者。彼女は、西洋的な合理主義で無神論を貫き、「死後の世界など要らない」と過激である。いっぽう山折は「ひとりの哲学」「ひとり達人のススメ」などの著書がある高名な仏教哲学者で、死についての著書も多い。

冒頭から戦闘モードの上野がくりだす言葉のパンチに山折は翻弄されっぱなし。真正のおひとりさまである上野は、妻子もある山折を「ニセおひとりさま」と決めつけ、先制の一撃を放つ。その後も、上野の執拗な攻撃に、山折は防戦のいっぽうである。どちらかというと「ひとり」の思想的な面のみを考察している山折は、老後をどう生きるかという実践を追求する上野のリアルなつっこみに反論することができない。

野垂れ死に願望は思考停止

日本の思想の中に、「単独者」の系譜が連綿とあり、世間から背を向ける世捨て人、流れ者、放浪者など、西行に始まり、鴨長明松尾芭蕉へと続く流れがある。上野は、彼らが、放浪といいながら、日本中いく先々に受け皿があり、弟子たちが待ち構えていて、歓待してくれる。それで何が世捨て人だ、放浪者だ、と疑問をぶつける。近年では、種田山頭火や尾崎放哉がいるが、上野は、彼らの作品をいちおう評価するものの、山頭火は「赤提灯のおじさん好みのセンチメンタリズム」、放哉も、「生き方は、知人に無心の手紙をいっぱい書くなど、甘ったれている」と批判する。また鴨長明の「方丈記」やソローの「森の生活」にあこがれる男性が多く、ひとりで世捨て人のように人里離れたところで世間に背を向けて暮らしたいという。彼らに「最期はどうするのか?」と聞くと「野垂れ死にしたい」という。上野はそれを「野垂れ死にの思想」と呼び、思想だけで実践した人を見たことがないという。男たちの「野垂れ死に願望」を、彼女は「自分の老いと死に対する思考停止」と切り捨てる。沖縄のある島に、高齢の男たちがひとりで移り住み、誰ともつきあわず、現地の医療や介護を受けながら、死んでいくという。ひとりで死ぬのなら、人の手を煩わせずに死ねばいいのに。せめて不動産を購入するなど、現地の経済に貢献しろよ、と上野はいう。彼女がバッサリ切り捨てる男たちの「甘ったれたロマンチズム」や「野垂れ死に願望」は、そのまま読者である僕自身のものだ。放浪の生涯を送った西行山頭火は大好きだし(円空も)、ソローの「森の生活」にも強い憧れがあり、できもしない自然の中の簡素な小屋ぐらしを夢想している。しかし、男たちの身勝手な夢想を容赦なく切り捨てる上野のラディカルさには、反発を覚えるよりも、一種の痛快さを感じてしまう。

なぜ男たちは最期の最期に宗教に救いを求めるのか?

若い頃は、人間は死んだら遺体というゴミになると考えていた山折も、最近は、死んだら土に還るのだ、と思うようになったという。いっぽう上野は、高名な近代合理主義の知性である加藤周一中井久夫、さらに彼女が師と仰ぐ吉田民人が、晩年になってカトリックに入信したり、仏教に傾倒していったことにショックを受けたという。死後の世界など要らないときっぱりと割り切る上野にとって、男たちの、このような「転向」は裏切りのように感じられるのだという。対談は、このように上野のいらだちや攻撃がリードする形で最後まで行ってしまう。結局、ふたりの対話は噛み合うことなく、すれちがいで終わってしまう。それでも本書が面白いのは、ひとりで生き、ひとりで死んでゆく覚悟を決めた上野の潔さと、彼女の言葉に反論もせず、ゆったりと戸惑う山折の人柄が、すれ違いながらも、豊かに響き合っているせいだろうか。

有栖川有栖「幻坂」

ちょっと寄り道読書。昨年3月に散策した天王寺七坂を題材にした短編集ということで購入。著者の作品を読むのは初めて。「大阪ほんま本大賞」というのがあるそうで、『大阪の本屋と問屋が選んだ、ほんまに読んでほしい本』ということらしい。本書は、2017年度第5回受賞作である。

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大阪は平坦な土地だとずっと思っていたが、実は、住之江のあたりから北にむかって、高さ20mほど、幅2kmほどの上町台地が伸びている。古代以前、この上町台地は大阪湾に突き出た岬で、あとは海だったという。その後、淀川や大和川による堆積によって、大小の洲や島が生まれ、大阪という土地ができあがっていった。聖徳太子が建立したという四天王寺は、この上町台地の西の端の崖の上にあり、その先は海だったという。四天王寺の西側の谷町筋から松屋町筋に向かって崖を下るのが天王寺七坂である。この一帯は、驚くほどお寺が密集しており、大阪でもっとも古いたたずまいが残っているエリアである。中沢新一の「大阪アースダイバー」によって、上町台地と大阪の成り立ちを知り、新之助の「大阪高低差地形散歩」によって天王寺七坂の存在を知り、昨年春に友人を誘って七坂を歩いてみた。北から「真言坂」「源聖寺坂」「口縄坂」「愛染坂」「清水坂」「天神坂」「逢坂」。ミナミの喧騒のすぐ近くに、こんなに静かで風情ある場所があるのかと驚かされる。

7つの坂をめぐる9つの怪談。

作品は、すべて怪談といってもいいと思う。著者は、それぞれの坂の歴史や伝説をかららめながら、現代の怪談・奇譚として語ってゆく。あまりこわくはない。喪失や死別のせつなさや哀しみを淡々と語っていく。「口縄坂」は坂に棲息する美しい白猫の話で、そういえば散策の途中、やけに猫が多い坂があったことを思い出した。あれは口縄坂だったか…。最後の2編は、現代ではなく、松尾芭蕉の最期と、歌人藤原家隆が出家して庵を結んで往生した話を題材にしている。本書を読んで、また、あのあたりを散策したくなった。