最後のクルマ選び その1

ほぼ20年ぶりにクルマを買い換えることにした。

いま乗っているクルマは(後述)もうすぐ20年になる。できれば、あと数年は乗り続けて、そのあとは自動運転のEVを、所有するのではなく、カーシェアサービスなどで、利用することになるんだろうな、と漠然と思っていた。ところが、昨年の夏頃からクルマの調子が思わしくなくなってきた。足回りがへたってきたのか、路面の段差や、継ぎ目を通過するショックと音が明らかに大きくなってきたようなのだ。ディーラーで点検してもらうと、サスペンションのパーツ交換が必要で、修理に数万円かかるとのことだった。「まあ近所に買い物に行くぐらいなら大丈夫です。ただ、段差にはくれぐれも注意してください」と言われた。しかし、どうしても遠出しないといけない用事があり、心配なのでパーツを交換してもらうことにした。症状は少し改善したものの、以前の状態には程遠く、足回りそのものがへたってきているようだった。同じ頃、カーナビのディスクを読み込まなくなったり、カーオーディオの電源が入らなくなったり、シートベルトの警告ランプが点灯したままになったり、と小さなトラブルが続くようになった。家人からは「来年5月の車検前に買い換え」という言葉が出てきた。

クルマのウラシマ状態。

しかし、20年も同じクルマに乗り続けていると、近年、急速に進歩を遂げているクルマ事情に取り残され、どんなクルマを買えばいいのか、皆目見当がつかなくなっていた。しかし、当初はたかをくくっていた。もう、この年齢になって、クルマへのこだわりもなくなっているのだから、まあ何でもいい。適当に選べばいいのだ、と。しかし、コトはそう簡単には行かなかった。定年を過ぎ、もうすぐ始まる年金生活。子供もいない、介護すべき親もこの世にいない、夫婦二人だけの生活。そんな暮らしにふさわしいクルマって何だろう。そして、これが僕の人生最後のクルマになるかもしれない。そう考えると、とても悩ましい問題になっていった。

最後のクルマ。

問題を難しくしている要因の一つが「今回、購入するクルマが、たぶん自分で運転する最後のクルマになる。」ということ。そう考える理由が、1昨年に90歳で亡くなった父の晩年のことだ。父は70歳を越えても自分で運転して、どこへでも出かけていたが、70代の半ばになって、運転が怪しくなってきた。車体に細かい傷ができるようになり、横に乗って観察していても、運転が雑になったと感じられた。几帳面であった父は、助手席に乗ると、シートのポジションやハンドルを持つ手の位置、さらにブレーキを踏むタイミングや交差点での停止位置までうるさく指示する人だったので、この変化は、とても気になった。ある日、通い慣れた、姉の家への15分ほどのルートで道に迷い、1時間近くかかってようやくたどり着くという出来事があった。当時から高齢者による事故や逆走などが問題になっていた。このまま放っておくと危険だと思い、姉と相談して、クルマを取り上げることにした。ちょうど父が風邪をこじらせて肺炎になって入院した時に、クルマを廃車にしてしまった。それを知った父の怒りは激しく、しばらくは母に当たり散らしていたという。この時、自分の意に反してクルマを取り上げられたことは、父のトラウマになったらしく、後に認知症が始まった時に「誰かにクルマを盗まれた」という妄想になって繰り返し現れてきた。父の運転が怪しくなったのが70代半ば以降であり、僕自身にも同じことが起きるとすれば、自分で運転できるのは、あと10年と少しだろう。

運転が下手になった。

上の話と関連するが、ここ数年で運転が随分下手になったという自覚がある。特に駐車する際にそれを強く感じる。いわゆる車庫入れが一発で決まらなくなった。1度は切り返さないと駐車スペースに収まらない。また駐車出来ても、降りてみるとクルマが斜めになっていたり、駐車スペースの片側に寄っていたりする。このぶんで行くと、あと数年で、晩年の父のように、車体に小さなキズをいっぱいつけることになるかもしれない。老化によって、男性ホルモンの一種であるテストテトロンが減少するという。このテストテトロンは、男性的な身体特徴を形づくり、攻撃性を高めるほか、空間の把握や、距離や速度の把握能力を高める効果があるという。老化によって、運転が下手になるのは、テストテトロンの減少によるもだという説がある。女性の場合は、老化によって、女性ホルモンの分泌が減ると、相対的にテストテトロンの比率が高まり、クルマの運転が上手くなったりすることがあるらしい。運転が下手になって、危険な状態になる前に、運転免許を返上しようと思っている。その頃には、カーシェアや自動運転など、新しいサービスや技術が実用化されていることだろう。自分でクルマを所有したり、運転しなくてもモビリティを確保できる時代が来ることに期待しよう。というわけで、「人生最後になるかもしれないクルマ選び」の始まりだ。

20年乗ってきたクルマ。

新しいクルマ選びについて語る前に、20年近く乗ってきたクルマについて記しておこう。トヨタのビスタ・アルデオというモデルである。名前を聞いて、クルマの形が思い浮かぶ人は少ないのではないか。不人気の名車と呼ぶ人もいる。カムリから派生したビスタは、1998年、カムリとはまったく違う系統のクルマとなってデビューする。5ナンバーの枠の中で最大限の居住空間を追求したセダンというのが売り物だった。実際、車高が高く、キャビンが広く、座席は、クラウン並みに広かった。コラムシフトの4速ATというのも珍しかった。このビスタの、ステーションワゴンがアルデオである。とても地味なクルマで、あまり人気がなかった。そのせいか、よく人に「このクルマ、何ていう名前ですか?」とよく聞かれた。その前は10年ほどパジェロに乗っていたから、「自動車好きの人が、なんでこんな地味なクルマを選んだんですか?」とよく聞かれたものだ。

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空気のようなクルマだった。

アルデオを選んだ理由は、当時の自動車を取り巻く社会の状況の変化と、僕自身のクルマに対する気持ちの変化にあった。当時、初代プリウスがデビューし、クルマは急激にエコに向かっていた。さらにトヨタメルセデス燃料電池車の開発を進めており、化石燃料を使う自動車は、早晩消え去る運命にあると思っていた。そんな時代に高性能なスポーツカー、馬鹿でかいRVなどは無用の長物と思われた。「もうクルマに趣味性を求めるのは止めよう」という思いから、スポーツカーやRVとは正反対の地味なファミリーカーを選んだのだ。運転しても全然面白みはなかったが、同乗者には、広くて快適なキャビンが好評だった。CMはアルデオ星人というへんなキャラクターが登場する、商品の特性をまったく伝えない内容であり、不人気の原因のひとつがCMのせいではないかと思っている。後に女優の鶴田真由を起用して「キャビン・ファースト」という、まともなコンセプトの広告を展開するようになった。その当時、僕自身も、自動車に対する興味を急激に失いつつあった。そのきっかけは、1995年の阪神大震災だと思う。十代の頃から30年以上愛読していたCAR GRAPHICの購読をやめ、創刊号から買い続けてきたNAVIも買わなくなっていた。クルマでドライブに出かけることも極端に少なくなっていった。僕は「自動車好き」を卒業したのだ。今から考えると、あの頃は、クルマ、バイク、オーディオといったメカニズム信仰が終焉を迎えつつあったのだと思う。オーディオの仕事がしたくて、広告の世界に入った自分だったが、市場は縮小する一方で、オーディオの仕事はほとんどなくなっていた。ちょうど同じ頃、「若者のクルマ離れ」が話題に上るようになっていた。アルデオは、そんな時代と僕の変化の象徴だった。この日記に載せようと、アルデオが写ってる写真を探してみたが、驚いたことに、20年近い期間の写真ライブラリーの中に皆無だった。旅行やドライブなど、あちこちに、このクルマで出かけたはずだが、まったく写っていない。まるで空気のように、20年近くの年月を一緒に走り続けてきたアルデオが、昨年あたりからくたびれてきたのは冒頭に書いた通りだ。購入した最初の年にミッションを交換した以外は、故障らしい故障もなく、エンジンは今でも快調そのものだが、足回りがへたってきたのである。同乗者には好評だった快適な乗り心地が失われると、このクルマの魅力が半減するように感じられた。「あわよくば、自動運転&ライドシェアの時代まで、あと数年は乗りたい」と思っていたが、結局叶わなかった。

クルマの進歩に取り残された浦島太郎のクルマ選び。

空気のようなクルマに20年近く乗り続けたあと、クルマの進歩から取り残されてしまっていた僕は、昨年の秋頃から、最新のクルマ事情を知るべく情報収集を開始した。仕事の上では、EVや自動運転のテクノロジーに関する企画に関わっていたので、10年〜20年先のクルマに関する知識はかなりリサーチしていた。しかし、今、自分が買えるクルマに関しての情報や知識は皆無だった。