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菅野完「日本会議の研究」

本書は、ずいぶん売れているようだ。大手書店でも新刊コーナーで平積みされているところが多い。5月のはじめに発売されてから1ヶ月足らずでAmazonのレビューも100件を超え、さらに増加中。売れて当然だと思う。「日本会議」は、安倍政権の閣僚のほとんどが参加する保守系の団体であり、政局を左右するほどの影響力を持ちながら、その実態がはっきりしない組織。テレビ、新聞などのメディアにはほとんど取り上げられず、この組織について書かれた書物もほとんどない。安倍政権を動かす圧力団体、というより安倍政権と一体となって、安保法案など、様々な政策を次々に実現している団体。また在特会ヘイトスピーカー、「行動する保守」と呼ばれる集団ともつながりがあるといわれている。彼らは何者なのか、どこから来たのか、いま何をしているのか、そして、これからどこへ行こうとしているのか?本書は「日本会議」について、その実態解明に取り組んだ、初めての本だと思う。著者は、ネット上ではかなりの有名人のようで、本書は、著者が連載するWebマガジン「ハーバービジネスオンライン」の「草の根保守の蠢動」が元になっている。

彼らはどこから来たか?1966年、長崎大学。もうひとつの学生運動。 

彼らのルーツは、1966年の学生運動に遡る。当時、左翼側では「ブント」が再興されたり、三派全学連が羽田闘争を開始するなど、後年の「70年安保」や全共闘運動と呼ばれる学生運動の下地が整いつつあった頃である。全学連など、左翼側の学生運動に対抗して、右翼側でも「生長の家」信者の子弟からなる「生長の家学生会全国総連合」(生学連)が結成されたという。

右派宗教団体「生長の家」。

生長の家」は、谷口雅春が1930年に創設した、過激な反共意識にもとづく右派的な宗教である。戦後、公職追放されていた谷口雅春は、処分が解けた直後から「明治憲法復活」「占領体制打破」などをスローガンに掲げ、積極的な言論活動を展開しており「愛国宗教家」の異名を持つほどであった。彼は強烈な反共意識と、勢力を伸 ばし始めた創価学会への警戒心にもとづき、積極的な社会運動を60年安保の頃から展開していた。彼が推進するこのような運動は、当時盛んであった学生運動の分野にも広がっていく。

民族派学生運動のヒーロー、椛島有三

左翼学生運動 は拡大を続け、全共闘運動は全国に波及し、各地の大学はバリケードによるキャンバス封鎖や左翼セクトによる自治会占拠などが相次いでいた。右翼学生は各地 の大学に存在したが、質・量ともに太刀打ちできなかった。そんな中、日本社会主義青年同盟社青同)を中心とする左翼学生が占拠していた長崎大学を、生長 の家信徒の学生が「正常化」することに成功する。このニュースは、全国各地の大学で圧倒的劣勢に立っていた右翼学生の希望の星となった。長崎大学正常化を勝ち取った学生たちは、その後、長崎大学学生協議会(長大協:椛島有三議長)を結成し、民族派学生のなかで一躍ヒーローとなる。その活動は九州の他の大学にも広がり「九 州大学学生連絡協議会」(九州学協)となる。この時の彼らの運動手法は「九州学協方式」として全国の右翼学生に取り入れられていく。そして1969年には 「生長の家学生会」「原理研」「日学同」などの右翼セクトが団結し、民族派全学連をめざして「全国学生自治連絡協議会」(全国学協)が結成される。しかし時すでに遅しであった。学生運動そのものが、安田講堂事件や日大闘争を境に下火になりつつあった。戦う相手を失った民族派学生運動は迷走を始め、ご多分にもれず内ゲバに走るようになる。

日本を守る会」との出会い。元号法制定。

1974年、鎌倉円覚寺貫長・朝比奈宗源を発起人として、明治神宮浅草寺臨済宗佛所護念会教団生長の家など、複数の宗教団体が、元号法制定をめざす連合運動組織とし て「日本を守る会」を結成する。元号法制定運動とは、明治・大正・昭和といった元号が、戦後、GHQの占領政策による「皇室典範」の改定により法的根拠を失い、元号制の維持 が危うくなっていたのを、法制化することで存続させようという運動のこと。当時、神社本庁遺族会をはじめとする保守陣営が、躍起になって元号法制定の運動を続けていたが、いっこうに盛り上がらなかった。ちょうど、生長の家を代表して「日本を守る会」の事務局を取り仕切っていたのが、後に参院の法王とまで呼ばれるようになる村上正邦だった。彼は「日本を守る会」のデビューイベントとして「昭和天皇在位50周年奉祝行列」をプロデュースし、成功させるが、肝心の「元号法制定運動」の手応えをつかめずにいた。そこで彼が目をつけたのが全国学協のOB組織として結成された「日本青年協議会」である。その 中心にいたのは、長崎大学正常化を導いた民族派学生のヒーロー、椛島有三である。こうして「日本青年協議会」は、1977年、「日本を守る会」の事務局に入る。椛島は、「日本を守る会」の動員力を利用して、短期間で全国に広がる運動を推進し、わずか2年で元号法制定を実現させてしまう。椛島が、この運動で見せた戦略は

①「国会や政府をゆり動かす」ため、

②「各地に自分たちの問題として取り上げるグループを作り」

③「県議会や町村議会などに法制化を求める議決をしてもらひ」

④「この力をもって政府・国会に法制化をせま」る、

と いうものだ。この戦略は、まさに現在の「日本会議の運動戦略」そのものだという。長崎大学正常化の立役者であり、民族派学生運動のヒーローであった椛島は、短期間の運動で元号法制定を成し遂げ、その実績をベースに「日本を守る会」の中で頭角を現すようになる。長崎大学の闘争から50年近い歳月が流れた。彼は、今「日本会議」の事務総長として、「日本青年協議会」の会長として 我々の前にいる。

 現在の「日本会議」には「生長の家」が参加していない。

日本会議」は、1974年設立の「日本を守る会」と1978年設立の「日本を守る国民会議」を前身として1997年に生まれた。「日本を守る会」に参加した宗教団体の中で現在の「日本会議」には加わっていない宗教団体がある。それが「生長の家」である。「生長の家」は、1983年以降、一切の政治活動、社会活動を停止しているという。現在は「エコロジー左翼」とでもいうような活動を続けており、「日本会議」との人的交流などは一切ない。実は、この「生長の家」との関わりが日本会議の 実態を見えにくいものにしている。

一群の人々。

日本会議の界隈に、著者が「一群の人々」と呼ぶ人達がいる。安倍政権の筆頭ブレインとされる「日本政策研究センター」所長の伊藤哲夫。安倍政権のイデオローグともいえるポジションにいる日本大教授の百地章。さらに中国の南京事件の記憶遺産登録に対して日本政府がユネスコに対して提出した反対意見書を起草した明星大学教授高橋史郎、内閣総理大臣主席補佐官の衛藤晟一。著者は過去の膨大な文献を調べあげ、ほぼ全員が、かって「生長の家」の信者・関係者であったことを突き止める。さらに著者は、椛島有三率いる「日本青年協議会」と伊藤哲夫が率いる「日本政策研究センター」という2つのラインの他に、第3のラインがあるのではないかと推測する。それが「安倍後継の最有力候補」と異名を持つまでになった自民党政調会長稲田朋美と、「谷口雅春を学ぶ会」の代表で、機関誌「谷口雅春を学ぶ」の編集人、中島省治の存在だ。二人とも、政治活動や社会活動から撤退した、現在の「宗教法人生長の家」とは何の関わりもないが、自らが、教祖である谷口雅春の思想を継承していると主張する「生長の家」原理主者である。彼らのつながりの先に、「在特会」や「チャンネル桜」、ヘイトデモの嚆矢ともいえる西村修平など、いわゆる「行動する保守」界隈の人々がいるという。本書の220ページに、著者の問題意識について、要約した文章がある。とても簡潔に日本会議について総括してあるので引用する。『安倍政権の反動ぶりも、路上で巻き起こるヘイトの嵐も、「社会全体の右傾化」によってもたらされたものではなく、実は、ごくごく一握りの一部の人々が長年にわたって続けてきた「市民運動」の結実なのではないか?』

 改憲に王手をかけた日本会議

現在、「日本会議」が最大の力を注いでいるのは、憲法改正である。2015年、現行憲法の下でも、解釈によって集団自衛権を行使できる法案を成立させ、9条を骨抜きにしておきながら、それにとどまらず、今度は憲法改正を持ち出してくる神経は理解しがたいが、憲法改正は、日本会議の最終目標であり、それに向かっていよいよ王手をかけてきた、と著者は言う。改憲の照準は、2016年参院選直後。まずは「緊急事態条項」であるという。彼らが、それほど「改憲」にこだわるのはなぜだろう。しかし、「日本会議」や自民党からは、どのような憲法に改正していくのかという具体案は提示されていない。そこで著者は、ある集会の模様から、それを読み取ろうとする。それによると、彼らが目指すのは最終的には「明治憲法の復元」であるという。また、安保法制のみならず、安倍政権が、これほど憲法をないがしろにするのは、彼らの中に、現在の憲法を認めない「反憲」の意識があるからだと著者は指摘する。明治憲法の復元をめざす彼らにとって、日本国憲法は、GHQから無理やり押し付けられた憲法でしかないのだろう。

活動の実態。集会に参加してみると。

著者は、日本会議の活動の実態を知るために、2015年11月10日、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が開催する「今こそ憲法改正を!武道館一万人大会」に参加する。大量の観光バスを連ねてやってくる参加者、駅から徒歩で来る参加者、ハイヤーで来る政治家たちを、誘導員たちが合理的かつスムーズに誘導していく。著者は、ガードマンでもイベント会社のスタッフでもない大会関係者による手慣れた運営に感心する。参加者の9割が崇教真光などの宗教団体だという。一般市民の参加者が少なくても、1万人を容易に達成できる。この動員力こそが「日本会議」の力の秘密ではないかと著者は推測する。この動員力は、選挙の時にも発揮されるはずだ。政治家にとって、これほど魅力的なことはないだろう、と。

若い大会スタッフは、どこの所属なのか。

参加者は高齢化が進んでいる。いっぽう運営側のスタッフは若い。彼らはどこの所属だろうと、著者が尋ねると、若者は答えてくれない。強引に「日本青年協議会の人?」と問い詰めると「そうです」と下を向いたまま答えてくれたという。彼らは、どのようにして「日本会議」や「日本青年協議会」に参加するようになったのだろうと、著者は疑問に思う。

櫻井よし子、ケント・ギルバート百田尚樹君が代斉唱。

大会は14時に始まり、2時間きっちりで終わる。司会のあいさつに続いて君が代斉唱。国家斉唱は、大会の中で、会場に、数少ない一体感が生まれた瞬間の一つだった。グルーブ感さえあったという。さらに、会場に一体感が生まれた瞬間が2回あったという。「日本国憲法を作ったアメリカから来た」と自己紹介したケント・ギルバートが「(九条を堅持するのは)怪しい新興宗教の教義です」といった瞬間と、百田尚樹が「(日本人の目をくらますのは)朝日新聞、あ、言ってしまった」と発言した瞬間だ。利害関係も大きく異なる各教団や団体の連帯感を生むのは、国家斉唱とリベラルの揶揄しかない。ひと昔前に掃いて捨てるほどいた、小林よしのりを読んで何かに目覚めた中学生と大差ない。この幼稚ともいえる糾合点が、日本会議の手にかかると、見事に圧力装置として機能しはじめるという。

学生運動時代のつながりが今も続いている。そんなことがありえるのか?

60年代から始まる右派学生運動を戦った生長の家学生信者たち。そのつながりが今も続いていることに著者は疑問を持つ。彼らと戦った左翼学生運動の組織は、その後、内ゲバや集合離散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿をとどめていないのとは好対照である。その一体感はどこから来るのか。なぜ同志の紐帯を維持し続けることができたのか?著者は、彼らの中心に強い求心力を持ったカリスマが存在するのではないかと推測する。椛島有三伊藤哲夫、中島省治は、それぞれ有能だが、カリスマではない。そこで著者は、日本会議の原点が60年代の長崎大学正常化の運動であったことから、その人物も、あの時代の、あの場所のどこかにいるはずだ、と仮定して調べ始める。著者は長崎県立図書館に籠り、当時の新聞を漁ってみる。その中から一人の人物が浮かび上がってくる。長崎大学紛争を伝える1967年の新聞に、「学生協議会初代議長 安東 巌」の名を見つける。椛島より前に学生協議会議長であった人物がいたのだ。そして同時に「生長の家青年会」の副会長まで登りつめていた安東 巌。「日本政策研究センター」所長の伊藤哲夫は当時、安東の部下だったという。「安東こそが、日本会議の一群の人々の強い結束を作り出し、維持してきたカリスマではないか?」という疑問を、安東を知る関係者にぶつけてみると、「安東はね、そんな生易しいもんじゃないんだよ」「君ね、安東だけはやめなよ。触っちゃいけないよ」「安東はね、怖いんだよ。オレは話さないよ」という反応が返ってくる。関係者たちの脅かしにもめげず、著者は安東の生い立ちを調べ始める。幸い、安東自身が書いた本が見つかる。

神の子。

安東巌は、1939年生まれ。高校生の時に心臓弁膜症の一種で、肺動脈弁狭窄症を患い、長く病床に伏したため、手足も硬直して動かなくなった。そんな状態のまま闘病生活は7年目を迎えた。友人達は大学に進学し、卒業していった。彼は満足な治療を受けさせてくれなかった母を恨むようになっていた。そんな彼に転機が訪れる。自分のように病気で苦しんでいる人が他にもいるはずだから、そういう人とつながる「病友会」をつくりたい、という投書を朝日新聞に送る。投書は掲載され、はげましの手紙が届くようになる。その中に「病友会の結成よりも、光明会の結成こそ、貴殿の使命である」というハガキがあった。同じ差し出し人から「月刊生長の家」が送られてきた。安東は「月刊生長の家」を貪るように読み、谷口雅春の説く教義に魅了されていく。生長の家の根本経典である「生命の実相」を読んだ彼は、ますますその教えの虜になる。「生命の実相」では「人間神の子、本来、病なし」と説く。その一節を安東は、繰り返し、一生懸命唱えた。やがて、「人間神の子、本来、病なし」という教えを心底から「悟った」と言える境地に達した。その途端、病状が軽くなり、上半身がどうにか動くようになった。しかし下半身はまだ動かない。そこで安東は、「生長の家」の地方講師から個人指導を受けることにする。地方講師から「親への感謝がなければ病気など癒えない」と、きつく指導される。安東は母親を恨んでいたことを懺悔し、親への感謝を念じるようになる。すると、たちまち病は癒え、立ち歩けるまで回復し、「生長の家」の青年部の活動に邁進できるほどになった。安東 巌に起きた、この神秘体験は、教祖である谷口雅春の口から語られることになる。谷口雅春は、全国各地で多くの講演を行ったが、その講演の中で、安東のことを語っている。日本会議の「一群の人々」の中で、谷口雅春に、その名前を語られた人物は、安東巌ただ一人である。

椛島有三と出会う。

病気が癒えた安東は、高校に戻り、学業を再開し、1966年には長崎大学に入学する。そこで6歳年下の椛島有三と出会う。二人が始めた学園正常化運動は大きく育ち、衛藤晟一百地章高橋史朗といった面々を巻き込みながら「民族派全学連」と言われた「全国学協」に発展していく。「全国学協」はやがて社会人組織「日本青年協議会」を生み、その会長である椛島有三は、現在も日本会議の事務総長を務めている。

鈴木邦男との暗闘

長崎大学の正常化より半年前、早稲田において、左翼ではない学生が一般学生の支持を取り付け、選挙で勝利しバリケードを撤去する成果を生んでいる。その運動を牽引していたのが、当時、早稲田大学学生連盟の代表を務めていた鈴木邦男である。熱心な「生長の家」の信者でもあった鈴木は、教団内部でも高く評価されるようになり、1966年5月に結成された「生長の家学生会全国総連合」(生学連)の初代書記長に選出される。その半年後、長崎大学正常化が実現し、安東と椛島が作り上げた運動のスタイルが、九州から全国へと広がっていく。すでに鈴木のいる「生学連」があるにもかかわらず、「地域学協」が全国各地で展開されるようになった。しかし、1969年に結成された「全国学協」の初代委員長に選ばれたのは鈴木邦男だった。しかし、そこから安東による鈴木邦男潰しが始まる。鈴木を尾行させ、情報を集め、ワナにかける。鈴木の悪い噂を流し、組織の中での立場を悪くしていく。1969年末、学生運動にも生長の家にも自分の立場がないことを悟った鈴木は、失意のまま、仙台に帰郷する。

奇跡の人。

安東巌の「不思議な力」について、著者は各所で聞かされる。安東が講演でしゃべる。話がうまい。しかし、それだけではない。「車椅子のおばあちゃんが安東の話を楽しそうに聞き終えたら、なんと歩いて帰ったんだ」著者も安東の講話を3度ほど聞いたことがあるという。信者に混じり、彼の話を聞いていると、取材の意図や目的を忘れ、話に引き込まれ、爆笑し、号泣してしまっている自分に気づくという。日本会議の、本当の怖さは、その中心に安東のような強烈な求心力を持った「神様」がいることなのかもしれない。

あとがき:日本会議は大きくない、強くない。

著者による「あとがき」を読んで考え込んでしまった。著者は、Webマガジンの連載を始めた頃は、日本会議がもっと大きな組織であると思っていたという。しかし取材を進めるにつれて、その弱さや小ささが目立ってきたという。豊富な資金力があるわけではなく、巨大なスポンサーがいるわけでもない。ひと昔前なら、これぐらいの規模の団体はたくさんあった、と著者はいう。そのなかで日本会議だけが、なぜ、これほどの影響力を持つようになったのか。著者は、他の団体が高齢化と長引く不況のせいでその力を失ってしまったからだという。さらに、日本会議がこれほどの影響力を持つ理由が他にもあると著者はいう。そしてある種の敬意すら込めて、日本会議の人々の熱意を評価する。この文章は、日本会議と日本の現状を見事に総括し、僕らが進むべき方向を示してくれる。長くなるが引用する。

『しかしながら、その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。本書で振り返った、70年安保の時代に淵源を持つ、安東巌、椛島有三衛藤晟一百地章高橋史朗伊藤哲夫といった、「一群の人々」は、あの時代から休むことなく運動を続け、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、今、安倍政権を支えながら、悲願達成に王手をかけた。この間、彼らは、どんな左翼・リベラル陣営よりも頻繁にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名集めをしてきた。彼らこそ、市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに、愚直に、市民運動の王道を歩んできた人々だ。その地道な市民運動が今、「改憲」という結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは、「緊急事態条項」しかり「家族保護条項」しかり、おおよそ民主的とも近代的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には「明治憲法復元」を隠した、古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は、間違いなく、民主的だ。

 私には、日本の現状は、民主主義にしっぺ返しを食らわされているように見える。やったって意味がない、そんなのは子供のやることだ、学生じゃあるまいし……と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ、陳情、署名、抗議集会、勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。そして大方の「民主的な市民運動」に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となった。このままいけば、「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これは悲喜劇ではないか!

だが、もし、民主主義を殺すものが「民主的な市民運動」であるならば、民主主義を生かすのも「民主的な市民運動」であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない。賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。2016年夏の参院選まで、あと数か月。絶望するには、まだ早い。』引用終り。

彼らの力の源。宗教とステルス性。

日本会議」の力の源の一つは、宗教団体を中心とした動員力である。実際に1万人を集めたり、動かしたりできる団体や組織は、今や少なくなっており、政治家たちを惹き寄せるのだ。もう一つの力の源は、運動を動かして確実に実績を上げてきた運用力や実行力だ。教義などに全く共通点が無い、複数の宗教団体が連合できるのも、この日本会議(実質は日本青年協議会)の実行力の高さのためなのである。それともうひとつ本書を読んで感じたのは、「日本会議」(その運営実体である日本青年協議会)の力が、その実態をうまく隠してきたステルス性にあるのではないかということ。本書の中でも、日本会議の地方での運動が「あたかも地方発の草の根運動に擬態する」点が指摘されている。大会を運営しているスタッフも、自分たちの所属を隠すように指示されているようである。さらに目的に合わせて「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のようなフロント組織を立ち上げ、活動主体である彼ら自身の姿は、その陰に隠れて見せないようにしている。活動主体が見えない時、その活動は、まるで社会現象のように見えてしまうのかもしれない。本書のような書物で、彼らの正体を可視化することによって、その神通力を奪うことができるのではないかと期待している。今後、本書以外にも多くの「日本会議の本」が出てくるようだが、とても良いことだと思う。これからも著者の活動を応援していきたい。こんな奴らに負けるわけにはいかない。