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佐伯啓思「さらば、資本主義」

ビジネス ライフスタイル 哲学 歴史 経済 批評

本書を読むきっかけになったのは、以前のエントリーでも紹介したNHKスペシャル「新・映像の世紀 第2集 グレートファミリー 新たなる支配者」。その中で紹介されたケインズの言葉。以下引用。

「今、 我々がそのただ中にいるグローバルで、かつ個人主義的な資本主義は、成功ではなかった。それは、知的でなく、美しくなく、公正でもなく、道徳的でもなく、 そして、善ももたらさない。だが、それ以外に何があるのかと思うとき、非常に困惑する」ケインズ 論文「国家的自給」(1933年)より。引用終わり。

この言葉が、今から80年以上も前に語られたことにまず驚かされる。現在の世界経済が抱える問題を表現した言葉として読んでもまったく違和感がない。資本主義を全否定しながら、それに代わる「◯◯主義」を提示できない現状…。なぜ80年も前の言葉が、今の時代を言い当てているのか?戦後の高度成長を含む70年とは、いったい何だったのか。それをきちんと語ってくれる本を探していた。「さらば、資本主義」というタイトルを見つけて、迷わず購入。著者は、経済学者で思想家。京大名誉教授。本書は月刊誌「新潮45」に連載していた「反・幸福論」(2014年9月号〜2015年6月号)に加筆し、新潮新書として出版された。

原発朝日新聞、地方の崩壊、不安定化する世界。

最初の4章は、時事的な話題から始まり、著者の目に映っている日本と世界の現状が語られていく。2014年公開されたハリウッド版「ゴジラ」から「原発問題」へ。朝日新聞の「集団的自衛権従軍慰安婦」の報道から「メディアの劣化」を。「地方創生」の話題から「地方と街の疲弊」。西洋に始まり、アメリカで発展した「近代化」がグローバル化によって逆に不安定化していく世界…。第5章「グローバル競争と成長追求」あたりから経済の話に移っていく。

アベノミクスの矛盾。

著者によるとアベノミクスの3本の矢の内、第一の矢である「超金融緩和」と第二の矢である「財政出動」は、マネタリズムケインズ主義という、犬猿の仲の相反する施策であり、両方を打ち出す政策は「矛盾している」という。また第三の矢である「成長戦略」も「グローバル競争に勝つための競争力をつける」というもので、日本経済が構造改革に明け暮れたこの20年ほどは、まさに「グローバル競争に勝つための競争力」をつけようとした壮大な実験であったという。その結果といえば、デフレの十数年であり、格差の拡大であり、停滞の20年だったではないかと指摘する。

トマ・ピケティの読み方

本書が俄然、面白くなってくるのは、第7章、「トマ・ピケティ『21世紀の資本』を読む」の章から。著者は、ピケティが主張する「資本格差によって所得格差は拡大する」という理論を、所得上位の1%の層が総所得に占める数字の増大によって検証する。確かに世界中で所得格差は拡大しているが、アメリカとヨーロッパでは事情が異なり、日本もかなり違っているという。それよりも著者が注目するのは、『21世紀の資本』が「資本主義はさして経済成長を生み出さない」という前提で書かれているということだ。ヨーロッパは戦後、70年代までは、一人あたりGDPで3〜4%で成長している。日本も高度成長期には高い成長を維持していた。しかし、その後は各国とも低い経済成長にとどまっているという。日本やヨーロッパでは、戦後の30年が例外であり、それは戦後の荒廃からの復興による成長であったのだという。その証拠に国内が戦場にならなかったアメリカでは、高度成長期はなく、同時期では2〜2.5%にとどまっているという。「r > g」という不等式で表される資本主義の元では、低い成長率しか望めず、資本収益率を下回るため、資本の所有者と労働者の所得格差は広がるいっぽうであるという。さらに経済成長率は、労働人口の増加率と技術革新による生産性の増加率によって決まるため、人口増加率が低下すると予測される将来は、所得格差が拡大するいっぽうであるという。グローバルな自由競争を肯定する新自由主義は、実のところ経済成長をもたらすことなく格差を拡大するばかりなのだという。

アメリカ経済学への批判

著者によるとピケティの「21世紀の資本」にはアメリカの経済学に対する厳しい批判が書かれているという。ピケティは、20代でアメリカに渡り、MITに職を得る。しかしアメリカの経済学研究に失望して、すぐにフランスに戻ったという。当時のアメリカでは、数学理論を駆使した、純粋理論的な手法が中心であり、経済学者の内輪だけの学問に陥っていたという。本来、経済は、その国の歴史や文化と深く関係しており、それらと切り離して研究することはできないという。しかし、アメリカでは、冷戦下、マルクシズムに対抗するため、自由経済体制の正しさを科学的に証明する必要があった。そこで経済学者たちは、経済のすべてを数字で表現する「経済科学」を確立しようとした。そこでは経済を形づくる様々な要素は、抽象化され、単純化されていった。社員のやる気や、企業イメージなど、数値化しにくいものはどんどん切り捨てられ、理想の市場理論モデルが作り上げられていく。「経済とは『自由競争」のもとで『効率よく」機能することで『成長」していくものである。」それは完結した経済科学となり、教科書が書かれ、世界中からやってきた学生たちが勉強し、アメリカ経済学のスタンダードとして世界に拡がっていった。それが、今日、グローバルスタンダードと呼ばれるものの正体である。いまや大きな経済成長が望めず、格差が拡大するいっぽうの現在において、有効ではない「資本主義」を考え直す時ではないのか?

現代のイノベーションは大きな成長をもたらさない。

第9章で著者が指摘する動向で、とても気になることがあった。それは現代のITによるイノベーションが大きな経済成長をもたらすわけではない、ということ。2010年の時点で、グーグルの雇用者は約2万人、フェイスブックが1700人、ツィッターが300人。これはかつて膨大な雇用を生み出した自動車や電機などによる経済効果からすれば微々たるものだという。もはやイノベーションによって経済成長ができる時代は終わったのだと、著者はいう。今、我々に求められているのは「成長戦略」ではなく、「脱・成長主義社会への移行」であると。

本書の中に「答」は書かれていない。

残念ながら、本書の中に「答」は書かれていない。僕らは果たして「資本主義」に代わる「◯◯◯主義」を見つけ出すことができるのだろうか。「成長をめざさない経済」、「グローバル市場で競争しないビジネス」、「最大効率を求めない事業」。この時代に、そんなことが可能なのだろうか。高度成長期以来、親たちも、僕たちも「成長」を当たり前のことだと信じて生きてきた。そして「進歩すること」「新しいこと」が「善」だった。広告の世界に入ってからは「新しいこと」がいちばんの褒め言葉だった。「古い」と言われたらおしまいだった。そんな生き方をいまさら変えることができるのだろうか。資本主義は間違っているという。その理屈はわかる。しかしそれで納得して、今日から自分の生き方をどう変えていけばいいのか見当がつかない。コピーライターをやめて、自分に何ができるというのだ。それともコピーライターとしてできることがあるのだろうか?この年齢になって、自分がこんなに悩んだり迷ったりするとは思わなかった。最近の若い人の行動を見ていると、僕らの世代とは明らかに違う価値観を持った人が出てきたような気がする。大学を出て猟師になろうとする人。大企業を飛び出し、限界集落とも言えるような山奥に移り住む可能性を探る若者。Iターンで、地域に移住して、農業を始める若者…。そこに可能性がなくはないような気がする。