現在の日本は、明治維新が生み出した。
白井聡著「永続敗戦論」では、原発事故で露呈した現在の日本の劣化が、戦後の「敗戦への向き合い方に端を発している」という考察を知った。その白井聡と内田樹の対談「日本戦後史論」では、内田が、日本政府のTPPへの対応など、ある意味破滅的な政策は、かつて負けると理解しながら対米戦争に突入していった戦前の軍部の破滅的な暴走と類似しており、さらに、それは明治維新の戊辰戦争で賊軍となってしまった東北の藩の怨念をルーツとしているのではないかという考察を行っていた。そういえば最近再読した司馬遼太郎の「世に棲む日々」の中でも、幕末における長州の、藩を上げての狂気ともいえる暴走と、戦前の軍部の暴走が似通っているという指摘があった。ひょっとしたら、現在の政府の強引な原発政策、安保政策には、幕末/明治維新に、その源流があり、それが戦前、戦後と続き、現代まで続いているのではないか…。とすれば、それは一体何だろう。そんな疑問を感じていたところ、答になりそうな本を発見。それが本書である。
著者は昭和21年京都・伏見生まれで、幼少時代を近江、佐和山、彦根で過ごし、司馬遼太郎と同 じ大阪外国語大学を卒業、広告・編集の世界に入った人。マーケティングプランナー、コピーライター、クリエイティブ・ディレクター、として活動している。小 説やエッセイも出している。いわゆる団塊世代より少し上の世代。
敗戦後の占領を自覚しなかった日本人。
著者が生まれた年に米軍の占領が始まり、小学校に上がる前年日本は独立を回復する。ところが日本人自身に、自国が外国に占領されていたという自覚がほとんどないと著者はいう。また日本が歩いた敗戦に至る過ちを「総括」することもなかった。ただ単純に、昨日までは軍国主義、今日からは民主主義と囃し立て、軸を大きくぶ らしたにすぎなかったと。そして明治維新の時も同じだったと著者は主張する。それまでの時代を全否定し、ひたすら欧化主義に没頭した。没頭したあげく、吉田松陰の主張した対外政策を忠実に従って、大陸進出に乗り出していったのだという。日本に近代化をもたらしたとされる「明治維新」を一度も総括することが なく、ただ極端から極端へとぶれることを繰り返しただけなのだ、と著者はいう。
僕らが知っている明治維新は、官軍の創作にすぎない。
歴史というものは、勝者が作り上げるものであり、そこには多かれ少なかれ嘘や捏造が紛れ込んでいる、という認識はある。しかし、その多くが、薩長政権による創作であるとしたら、どうだろう。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」が描くような吉田松陰や門下生による幕末/明治維新は、本当に存在したのだろうか。松陰や門下生の活躍を描いた司馬遼太郎「世に棲む日々」を読むと、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作たちがやったことは、現在でいうならテロである。異国船での密航、英国公使の暗殺未遂、英国公使官の焼き討ち、幕府老中の暗殺計画などは間違いなくテロである。司馬遼太郎は、それらを「革命」という言葉で救っているが、果たしてそれは正しかったのか?
官軍教育が教える明治維新とは。
著者はまず、薩長政権が作り上げた「明治維新」とは何かを提示する。長く鎖国が続き、封建体制のまま停滞していた日本を、欧米の列強による植民地化から防ぎ、大いなる近代化をもたらした革命。その立役者が薩長土肥の下級武士を中心とした「志士」たちだった。長州の桂小五郎、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、山県有朋、伊藤博文、井上馨、薩摩の西郷隆盛、大久保利通、土佐の坂本龍馬、板垣退助、後藤象二郎、肥前の大隈重信、江藤新平などである。彼らは幕府や佐幕派の勢力の弾圧に屈せず、「戊辰戦争」に勝利して、討幕を成し遂げ、日本はようやく近代化への道を進み、今日の繁栄があるのだ。それが著者が教えられた「官軍の 歴史」である。しかも学校での教育だけではなく、エンターティンメントの分野でも「新撰組など悪の勢力と戦い、勤皇の志士を助ける正義の味方、鞍馬天狗」などの作品が「明治維新」を国民に刷り込んでいったのだ。「竜馬がゆく」を書いた司馬遼太郎にも、その責任の一端はあるという。著者は、この「官軍による明治維新」をほぼすべて否定する。そして勝者ではない側の視点から幕末史をもう一度見つめ直そうとする。
テロリスト集団、長州藩。
著者がまず注目するのは、薩長土肥の勤皇の志士の人物像である。彼らは、今でいうなら「暗殺者集団」、つまりテロリストであると著者はいう。我が国の初代総理大臣は「暗殺者集団」の構成員だったのである。また維新の精神的支柱と言われた吉田松陰が、事あるごとに、どれだけ暗殺を主張したか…。著者は、本書で多くのページを費やして、長州、そして薩摩のテロリストぶりを紹介していく。高杉晋作による英国公使の暗殺未遂や英国公館の焼き討ち、久坂玄瑞らによる京での残虐なテロの数々。そして天皇の拉致、御所への砲撃も辞さなかった長州のクーデター計画。幕府を挑発するために、江戸において火付け、強盗、強姦、殺人など暴力の限りをつくした薩摩の赤報隊。「大政奉還」や「王政復古」をめぐる薩長勢力と幕府や佐幕派の熾烈な暗闘。そこで薩長が仕組んだ、天をも恐れぬ策略の数々…。そして著者は、テロリストたちの元凶とも言える吉田松陰の実像に迫っていく。
吉田松陰像の嘘。
長州の志士たちの中でも、最も嘘で固められているのが、吉田松陰であると著者はいう。松陰は、乱暴者が多い長州人の中でも、特に過激な若者に過ぎず、いわば地方都市の悪ガキであると著者は決めつける。松陰が開いたとされる松下村塾は、実は松陰の叔父の玉木文之進が開いたものであったという。松陰が神格化されるのは、維新後しばらく経ってから、自らの出自を権威づけたかった山県有朋の手によってであるという。松陰の思想というのも稚拙なもので、北海道の開拓、北方の占拠、琉球の日本領化、朝鮮の属国化、満州、台湾、フィリッピンの領有などを主張している。奇妙なことに、長州閥が支配する帝国陸軍を中心とした勢力は、松陰が主張した通りにアジアを侵略し、そのあげく日本を滅ぼしてしまうのだ。
松陰の思想のルーツは水戸学。
著者は、さらに松陰や長州の志士たちを駆り立てた思想のルーツは「水戸学」にあると指摘する。吉田松陰は、水戸学の中心人物である藤田東湖を崇拝したという。著者によると「水戸学は学問といえるような代物ではなく、空虚な観念論を積み重ね、それに反する生身の人間の史実を否定し、己の気分を高揚させて自己満足に浸るためだけの〝檄文〟程度のものと考えて差し支えない。この気分によって水戸藩自身が、四分五裂し、幕末には互いに粛清を繰り返すという悲惨な状況に陥った。」という。水戸で生まれた浅薄な狂気の思想が長州を狂気に駆り立て、幕府を滅ぼし、その後も水戸藩ゆかりの人物たちによって日本ファシズム運動として受け継がれていく。この流れが昭和初期に5.15事件や2.26事件を惹き起こし、日本を大東亜戦争へと導いていく。戦後にいたっても、三島由紀夫の楯の会の学生たちは水戸学の信奉者であったという。この水戸学を生み出した張本人が2代目藩主である水戸光圀(水戸黄門)と9代目の徳川斉昭であると著者はいう。水戸の攘夷論の特徴は「誇大妄想、自己陶酔。論理性の欠如」につきると著者はいう。大言壮語しているうちに、自己陶酔に陥っていく。この傾向は長州軍閥にそのまま継承され、昭和陸軍が、結局、軍事という最も論理性を求められる領域で論理性を放棄し、自己陶酔と膨張本能だけで中国戦線を拡大していったことにつながっていったという。
有能なテクノクラートが揃っていた幕末の幕府官僚たち。
第4章の水戸学の章で、著者は徳川斉昭を海防参与という職に就かせた老中、阿部正弘について語る。狂信的な攘夷主義と勤皇主義を唱える水戸の徳川斉昭を、「海防参与」に就かせ、国政に関わらせたことは阿部の最大の失策であったと著者は主張する。しかし阿部は、その後の近代につながる政策を次々と打ち出した。日米和親条約の締結、講武所や長崎海軍伝習所の設立、西洋砲術の導入と推進、大船建造の禁の緩和、優秀な若手人材の起用など。中でも、動乱の時代の幕政を担った若い官僚たちの活躍には目を見張るものがあるという。例えば勘定奉行の川路聖謨(かわじ としあきら)は北方四島をめぐる対露交渉でプチャーチンと外交交渉を重ね、ロシア側の譲歩を引き出している。もしも薩長勢力による倒幕が成功せず、江戸幕府が、慶喜が想定したようなイギリス型公儀政体を創り上げ、小栗上野介が実施しようとした郡県制を採り、優秀な官僚群がそれぞれの役割を発揮すれば、長州・薩摩の創った軍国主義国家ではなく、スイスや北欧諸国に類似した独自の立憲国家に変貌した可能性は十分にあったと著者は語る。
会津・二本松の悲劇。
第5章は、戊辰戦争最大の山場ともいえる会津戦争を中心に、二本松藩、会津藩の悲劇と官軍の残虐ぶりを、会津側に立った同情的な視点から描いていく。NHK大河ドラマ「八重の桜」で描かれた世界だが、従来の官軍側の視点でなく、賊軍側の視点で戊辰戦争を見ると、こうも違うのかと驚かされる。
西南の役と士道の終焉。
維新後の政権は薩長閥の政権と言われながら、実質は長閥(長州閥)の政権であったと著者はいう。薩摩は、維新後間も無く大久保と西郷の対立によって分裂する。これによって、薩摩の力が弱まり、実質的には、長州閥が支配することになり、このことが国を滅ぼすことになったという。政府は、昨日まで攘夷・復古を掲げながら、今日になった途端180度方向転換し、卑しいほどの西欧崇拝を押し付けたのだ。廃藩置県は、武家によって武家の存在を抹殺するクーデターであった。これに対して不平士族の反乱が次々に起きる。西南の役は、不平士族の最後の反乱であった。西郷は武士であり、武士を愛していた。しかし日本が国民国家に変身するためには武士は消えなければならない、ということも理解していた。西南の役は、行き場を失った西郷と武士たちを自ら始末する場であったのだ。
切腹の作法を母から教わったという著者。
著者が本書の中で長州や水戸のことを書くのと、会津藩や二本松藩を書く言葉使いからして違っている。長州の志士たちのことは、暗殺者集団、テロリスト、テロリストの元凶、チンピラ、はねあがり、悪ガキ…。藤田東湖など、「まるで盗賊の親分」と紹介している。著者の視点は完全に官軍ではなく、賊軍のものである。著者は少年時代、母親から切腹の作法を教わったことがあるという。母親は、途絶えていた「実家」を再興しようと彦根市役所に相談に行ったという。現在の民法では、戦前のように家を再興する手立ては存在しなかった。そんな著者のマインドは、完全に武士のそれである。だから本書は、かなり偏った視点で書かれていると言えるだろう。しかし、ここには、僕がずっと感じている疑問に対する「答」があると感じられる。かなり高飛車とも思える語り口も、著者が武士であるなら許せるかもしれない。
長州閥パワーは、2015年の現在でも続いているのだろうか?
内田樹・白井聡の対談「日本戦後史論」では、「現在の政権の暴走が、戊辰戦争に負けた賊軍のルサンチマンから始まっている」ということだったが、本書の結論は違っている。長州と、そこからさらに遡って「水戸学」に、そのルーツがあるという結論である。首相の発言を聞いていると、水戸学の特徴である「誇大妄想、自己陶酔。論理性の欠如」は揃っているようだ。
これまで「サヨク」とちがって「ウヨク」が、どこから始まったのかよくわからなかったが、本書を読んで、そのルーツが水戸学にあることを納得した。特にテロに走る極右集団は、間違いなくそうだ。明治維新から昭和にかけての日本近代〜現代史をもっと知らないと…。宿題が増える一方の、最近の読書です。