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須田桃子「捏造の科学者 STAP細胞事件」

結局、STAP細胞事件とは、何だったんだろう。先月、理研小保方晴子元研究員への告訴を見送る方針であるとの報道があった。あれほど世間を騒がせたSTAP細胞事件が、「誰が、いつ、どんな動機で、どのように捏造を行ったのか?」という肝心の点が解明されないまま、幕引きを迎えようとしている。これまでに判明したことを整理すると、以下の通りだと思う。①STAP細胞というものは存在しない。②小保方氏が作り出したというSTAP細胞は、ES細胞由来であったこともほぼ間違いないらしい。③しかもそのES細胞は若山研究室から紛失したES細胞だったという。④そのES細胞を、誰かが故意に盗み出し、実験中に混入させた疑いがある。⑤現時点でその犯人を特定できる証拠がない。さらに⑥ES細胞が偶然混入した可能性も否定できない。以上である。「ええっ、それで終わり?」というのが正直な気持ち。こんな時は、事件の周辺にいて、事情がちゃんとわかっていて、きちんとした見識がある著者が書いたドキュメンタリーを読むのが一番だ。そこで選んだのが本書。他に、ちょっと怪しい本が何冊か出ているが、無視しよう。

著者は毎日新聞科学環境部のリケジョ記者。

本書の著者は、略歴によると、毎日新聞東京本社科学環境部の記者。早稲田大学大学院理工学研究科で物理学を専攻したリケジョである。彼女は、これまで生殖補助医療、生命科学ノーベル賞などを担当。特にiPS細胞については、2006年の開発当初から山中伸弥教授のノーベル賞受賞までを継続的に取材した経験を持つ。また森口尚史氏による「iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術」の発表を疑い、記事化を見送った経験もあるという。昨年の記者発表には、自殺した笹井氏から「須田さんの場合は、絶対来るべきだ」というメールをもらって参加したという。当初は「世紀の発見」という理研の発表を信じ報道を行ったが、疑義が指摘されるようになると、様々な関係者に独自の取材を行い、スクープを連発している。また、彼女は、笹井氏には再生医療の取材で何度か協力してもらったことがあり、今回の事件においても40通にもおよぶメールをやりとりしている。再生科学などに対する理解の深さから、研究者たちからは信頼されていたようで、笹井氏以外にも、若山昭彦氏丹などの関係者に直接インタビューをしたり、メールをやりとりしながら取材を進めている。

「世紀の大発見」から「科学史に残るスキャンダル」へ。

第1章で、異例づくしの記者発表と、「iPS細胞を超える世紀の大発見」「小保方フィーバー」を描いた後、第2章以降は、一転して、ネット上に早くも出現した様々な疑義に焦点が移っていく。画像の流用、画像の切り貼り…。次々に明らかになってくる論文の不備。著者は、その取材に追われながら、笹井氏、若山氏、丹羽氏に独自の取材を続けていった。事件の経緯を、この日記の中でおさらいする気はないが、本書を読むと、メディアの興味本位の無責任な報道と違い、事件の関係者と親しかった著者のていねいな取材と苦悩が 伝わってくる。一方で、著者は、理研以外の再生科学の研究者にも幅広く取材を続け、同じ分野の研究者たちが事件をどう見ているかをも伝えようとする。その一人の一言「小保方さんは相当何でもやってしまう人ですよ」にドキリとする。著者は誠意ある取材を 続けようと奮闘するが、理研や関係者たちの対応は、それを裏切るものだったという。様々な疑義が浮上してきたにも関わらず、笹井氏、丹羽氏、そして理研は、楽観的にかまえていた。「論文に小さな不備はあるが、STAP細胞の存在自体は揺るがない」「再現には時間がかかるのが当たり前。」理研は実験の再現にこだわり、小保方氏の不正疑惑を熱心に調査に熱心しようとはしなかった。そして論文の不備は、それだけにとどまらなかった。次々に新たな疑義が明らかになる。そして遂にはSTAP細胞の存在自体が捏造ではないかという疑惑に発展していく…。STAP細胞の万能性の証明のかなめである「テラトーマ画像」と「TCR再構成」。この二つが崩れた。さらに「キメラマウス」の画像にも致命的な欠陥が発覚する。そして論文の撤回。笹井氏の自殺…。そこにはメディアが報道しなかった関係者たちの声がていねいに取り上げられている。それは関係者たちと直に交流のあった科学部の記者という視点から来るものだろう。ただ、中心人物であった小保方氏への直接取材はできていない。

読み終えて、僕の頭の中で、次のような図式ができあがった。

理研は、年々、研究費を削減され、予算の獲得に躍起になっていた。笹井氏は、研究予算を獲得するのが上手な研究者であり、予算獲得のためなら、かなり大胆なことをやっていた。STAP細胞の研究も、そのひとつだった。そんな状況を知って、何者かがSTAP細胞の捏造を企んだ。犯人は、若山研究室にあったES細胞を盗み出し、STAP細胞の実験に紛れ込ませた。そのニセSTAP細胞ES細胞)を、そうとは知らず、若山氏はキメラマウスを作り出した…。ES細胞を盗み出し、STAP細胞実験に紛れ込ませた犯人は、O氏である可能性はあるが、それを証明できる証拠がない。偶然、実験に紛れ込んだ可能性も排除できない。

CDBは元々再生科学の研究機関ではなかった。

著者が取材した研究者よると、CDBは元々再生医学の研究機関ではなく、英名は「center for developmental biology」(発生生物学研究所)であったという。それが発生生物学のピークを過ぎても巨大な予算を獲得できていたのは、再生医療のけん引役という看板があったからで、これはある意味で嘘に近いという。実態との大きな違いを作ったという点では笹井氏も責任が大きいという。またSTAP細胞の論文を掲載したネイチャーなどの科学誌の商業主義も指摘されている。

科学の歴史は捏造の歴史。

著者は、STAP細胞事件を、2002年に米国ベル研究所で発覚した論文捏造とされる「シェーン事件」と比較している。理研ベル研究所の体質の類似、ベテラン研究者との共同研究の問題、科学誌の査読システムなどを論文捏造の背景として上げている。その後も、韓国の「ファン・ウソク事件」など、論文不正は、後を絶たないという。著者は、本書出版後も、取材を続けて、毎日新聞に記事を書いている。願わくば、今後も、独自の取材を続けて、事件の真相を解明してほしい。本書の続編を期待する。