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大田俊寛「オウム真理教の精神史  ロマン主義・全体主義・原理主義」

夏の間、読書日記が書けなかった理由の、もう一つが本書。本書を読んだ直後に、著者による、ほぼ同じテーマの新刊「現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇」が出版され、こちらのほうも合わせて読むことにした。この日記を始めて以来、最長の感想。うまく感想にならず、下手な要約になってしまった。いま、なぜオウムなのか?。僕自身は、これまでにオウム真理教が出版した大量の本・雑誌の類を、読もうと思ったことも、読んだこともまったくない。彼らが主張している教義など、どうせ既存の宗教やトンデモ本からの寄せ集めで、とうてい読むに耐えないもの、という認識だったからだ。しかし、その「読むに耐えない教義」が、多くの若者を動かし、信徒を増やし、遂には国家の転覆を企む集団を造り出したことも事実である。また、以前のエントリーでも書いたが、若い仏教徒の一部が「自分もオウムに入っていたかもしれない」と告白したことにも驚かされた。さらに、村上春樹高村薫篠田節子が、事件から十年以上経った時期に、ほぼ同時にオウム事件に触発された新興宗教がテーマともいえる小説を書いたこと…。オウム事件は、色々な意味で、終わっていないのだ。著者は宗教学者である。彼によると、オウム事件は、宗教学者にも責任の一端があったという。そして宗教学者とオウムの関わりも、いまだ総括されていない。誰かが学問的な見地で、オウムの事件をきちんと考察し総括すべきである、というのが、著者が本書を書いた理由であるという。
オウム関連書籍をほぼ読破。学問的研究は不十分。
著者は、本書を書くにあたって、これまで出版されたオウム関連の本を、ほぼ全部読破する。本書の冒頭に、読んだ本の紹介と批評が簡潔に書かれている。元オウム信者の早川紀代秀や林郁夫、上祐史浩の著作をはじめ、江川紹子などジャーナリストの著作、村上春樹によるインタビュー集「アンダーグラウンド」、藤原新也の「黄泉の犬」なども網羅している。さらに学問的な著作として中沢新一宮台真司、大沢真幸、島薗進島田裕巳の著作が取り上げられている。これらの本を読み終えた後、著者は、信者/元信者、ジャーナリストや作家の書いた著作は一定の役割を果たしていると評価した後、中沢をはじめとする学問的な著作の批判にとりかかる。その舌鋒はとても鋭い。我らが中沢新一先生の著作も「読むに耐えない」「オウムの犯罪に加担した」「反省がない」とバッサリ切り捨てられ、宮台真司も「ナンセンス」、島田裕巳も「学問的というよりジャーナリスティックな記録の水準に留まっている」と容赦ない。そして著者は、学問的な著作において、十分な水準の著作がいまだに現れていないと結論づける。
「何と軽薄にして、荒唐無稽な『教義』だろう」
冒頭近くで、著者は、まずオウム真理教の世界観や教義を簡潔に要約してみせる。そして驚く。オウムには膨大な出版物や雑誌、麻原の講話などが存在するが、その教義は、わずか1ページにも満たない文章に収まってしまう。著者は「何と軽薄にして、荒唐無稽な『教義』だろう」と呆れたあと、次のように続ける。「しかし、このような宗教的幻想がそもそもどこから生まれたのか、また、何ゆえに、ある種のリアリティを獲得し得たのか、という問いに答を見出すことは、それほど容易ではない」その答を導き出すために、著者はユニークな方法で考察を始める。まず、著者は「明確に『近代宗教』の特質を備えたオウムを理解するためには、そもそも「宗教」とは何か、「近代」とは何かについて理解しておく必要がある」と説く。「えーっ、そこまで遡らなけれいけないの?」と思ってるうちに、著者による「宗教の発生と歴史」の講義がいきなり始まってしまう。しかし安心していい。「宗教の発生と歴史」の講義は20ページほどで終わり、さらに「近代とは」の講義も飛ぶように駆け抜ける。おそろしく簡潔な「宗教史」と「近代史」の講義をあっという間に終えた後、著者は、休む間もなく「ロマン主義全体主義原理主義」の講義に突入する。こちらのほうは、かなり丁寧に語られる。
近代思想の2つの潮流「啓蒙主義」と「ロマン主義」。
国家や王権と結びつき、教会組織によって社会の中枢に大きな地位を占めていた宗教(特にキリスト教)は、西欧の近代化によって、その社会的な地位を失っていく。さらにその衰退を早めたのが、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」あたりから始まる、「啓蒙主義」である。「人間は、自身に内在する『理性の光』によって世界を照らし出すことで、その隅々まで正確に知ることができる。また理性に基づいて合理的な国家や社会を建設することができる---。」という合理思想によって、宗教は「個人の内面的なもの」に追いやられ、さらに力を失っていく。著者によると、このような啓蒙主義への反動として「ロマン主義」は出現してくる、という。近代化によって社会は、巨大化、複雑化し、人々の生活も大きく変わっていく。かつて農業や牧畜、漁業が中心であった職業は、工業や、運輸、金融やサービス業など、第二次産業第三次産業が主流となり、人々は故郷を離れ、都市に集合して「群衆」というアノミー的な根なし草的生活を強いられるようになる。近代以降、このような社会の巨大化、複雑化、流動化が、右肩上がりに進行していった。このような社会で人々が心理的に求めるものは何だろう。それは「世界の全体像を知りたい」ということである、と著者は言う。社会はあまりに巨大化しており、誰もその全体像を一つの視野に収めることができない。また世界は、あまりに複雑化しており、誰もその詳細を見通すことはできない。しかし人々は、自分が生きている世界の構造を知り、その全体像を見渡したいという欲望を断念することができない。そこから幻想的な「世界観」が生まれてくることになる。さらに人々は「自分が生きている意味」を知りたいと欲しはじめる。複雑な社会の中で一つの部品のように生きている「交換可能な自分」ではなく、「かけがえのない唯一の存在としての自分」を実感したいと思うようになっていく。近代人の、このような心理的欲望から、多種多少な幻想が生まれてくる。ロマン主義は、その主要なもののひとつであるという。
神秘体験、宇宙との合一、宗教の本質。
著者によると最初の「ロマン主義」の萌芽は、啓蒙主義の台頭による宗教の衰退に危機感を抱いた神学者の中から出てきたという。ドイツの神学者で思想家のフリードリッヒ・シュライアマハーの「宗教論」が先鞭をつけ、哲学者であるウィリアム・ジェイムズの「宗教的経験の諸相」などが発展させていった。彼らの主張が従来の宗教と大きく違うのは、従来の教会のような組織や権威を一切否定していること。著者によると、その特色は、以下の通りになる。1、宗教の本質は修行によって神秘的経験を体験することにある。2、人は修行を積み、宇宙との一体化という神秘経験を通じて、神のような存在になりうる。3、究極的存在を人格神と見なさず、「宇宙」と名指した。この宇宙の内容を知るために、様々な宗教からの知見を活用すべきである。4、理想的な教団とは、全員が平等な立場にある「共和国」である、そこでは神秘経験の深さによって「指導者」が決定される。
ユング集合的無意識
ロマン主義」は、当時、始まったばかりの心理学の中にも現れてくる。スイス出身の心理学者ユングは、フロイトとともに人間の意識の下に隠れた「無意識」を発見したが、この「無意識」の解釈をめぐって、二人は決別する。フロイトの理論では無意識は、家族内の人間関係の力学によって生み出される個人的な領域、あるいはリビドーという性的なエネルギーに満たされた領域とされた。ユングは、無意識を、より広大な領域として想定し、その深層に「集合的無意識」という領野が広がっていると考えた。集合的無意識のイメージのまぎれない特徴は、「宇宙的なもの」であるという。集合的無意識は、民族や人類によって集合的に保持されている意識である。それは原理的に、個人の限界を、その生死の限界を超えている。ゆえに、集合的無意識のなかから現れた新しい意識の中心点としての「自己」の存在は、当然のことながら「不死の理念」と結びつく。ユングは、集合的無意識の概念によって、世界中の宗教や文化を論じてた。キリスト教神学、グノーシス主義錬金術神秘主義、禅、密教、ヨーガ…。その心理学的体系は、自己神化を目的とした神秘主義としての傾向を強めていく。しかしユング自身は自らを科学者として位置づけていたため、自らヨーガの身体技法を実践したり、死後の世界や、輪廻転生説について明言することはなかった。
ブラヴァツキー夫人と神智学。
オウムにつながる近代宗教の枠組みを創り出したのは「神智学」である。宇宙に触れることによって本当の自分に目覚めるという思想は、ヒンドゥー教に由来する宇宙論や身体論、特に「アートマン:真我」と「ブラフマン:宇宙」究極的同一性を主張する「梵我一如」という観念によって肉付けされていく。そうした東西思想の融合を成し遂げる上で決定的な役割を果たしたのが、神智学という宗教思想運動であった。神智学の創始者はロシア出身の霊媒、ブラヴァツキー夫人。ウクライナに生まれ、若くしてニキフォル・ブラヴァツキー将軍と結婚するが、間もなく夫と別れ、世界各地を転々とする。イギリスの有名な霊媒であるD.D.ホームとも接触があり、自らも霊媒として活動していた。1873年にアメリカに移住、霊媒現象に強い関心を抱いていたヘンリー・S・オルコット大佐に出会い、75年、共同でニューヨークに「神智学協会」を設立する。その4年後、協会の本部をインドのアディヤールに移転するが、その頃からブラヴァツキーは、「マハトマ」と呼ばれる霊的な大師:マスターから、宇宙に関する特別な教えを伝授されたと吹聴しはじめる。彼女によればマハトマは、チベットの奥地に存在する聖地シャンバラで「グレイトホワイト同胞団」という神聖な秘密結社を結成しており、そこでは宇宙と人間の起源に関する秘儀が伝承されているという。その教えは、世界中のさまざまな神話や宗教の源泉であり、不完全な仕方でそれらの中にも表現されているが、神智学はその教えをもっとも純粋かつ完全に復元したものであると主張される。彼女は、マハトマからのメッセージが何もない空間から手紙の形で現れると称していたが、84年に英国心霊研究協会の調査によって、そのトリックが暴かれ、インドの神智学協会本部は大騒動に陥ったという。ブラヴァツキーは、インドを離れ、ロンドンに移住し、著作の執筆と後進の育成に努めながら、その生涯を終えた。彼女の没後、神智学は、女性運動家アニー・ベサント、聖職者志望から神智学に転向したC・W・リードビーター、ドイツ・ロマン主義系譜を引く思想家ルドルフ・シュタイナーなど、多くの後継者の働きによって、世界各地で発展していく。ブラヴァツキーの著作は、難解をもって知られ、西洋オカルティズムに重心が置かれていたが、その後リードビーターによってヨーガの理論が本格的に導入されるとともに、平明な体系化が図られた。
7つの界面を持つ宇宙。5つの身体。
リードビーターによれば、目に見える宇宙の背後に、不可視で広大な宇宙が多次元にわたって存在しているという。高次元なものから「神界」「モナド界」「精霊界」「直感界」「メンタル界」「アストラル界」「物質界」と名付けられている。人間の身体も、その周囲にはオーラのような高次元の身体が存在し、肉体を包み込んでいる。これも高次元なものから「コーザル体」「メンタル体」「アストラル体」「エーテル体」「肉体」に区分される。さらに重要なのは霊性進化という考え方。人が生きる目的とは、霊性を高めることによって、より高次の世界に進むことにある。霊性を進化させるために必要なことがらを、人はたった一度の生涯で学びつくすことはできない。いったん肉体を脱ぎ捨てた者も、再びこの世に転生し、さらなる学びを続けなければならない。その際に人間は、因果応報に基づく「カルマの法則」に支配される。現世での行いは、来世も続く未来の自分のありかたを決定することになる。また霊性を高めるための、より直接的な方法がクンダリニー・ヨーガの技法である。尾てい骨付近に蛇の形で眠り込んでいる「クンダリニー」という名の性力:シャクティーを覚醒させ、脊椎に沿わせて頭頂へと上昇させる技法を指す。その上昇の過程で生命エネルギーの結節点である7つの「チャクラ:輪」が開いてゆき、修行者は、これまで秘められていた超自然的な能力を獲得することができるとされる。また生命力が上昇して知覚が鋭敏化し、他人の心を読むことが可能になるとともに、エーテル体やアストラル体といった、これまで不可視であった身体が目に見えるようになる。クンダリニーが頭頂部のサハスラーラ・チャクラにまで到達すると、蓮華(王冠のチャクラ)が開花し、シヴァ神との合一という究極的状態を達成することができる。こうなると人は意識を持ったまま肉体を離れることができるようになるという。それは、死によって意識が肉体から離れる状態と事実上同義であり、修行者は、生きながら死後の世界を体験することができる。
世界へ飛び火する神智学の体系。
リードビーターは、インドで出会ったバラモンの青年クリシュナムルティを神の化身であると捉え、彼を教祖に据えて「東洋の星の教団」という宗教団体主催しようとする。しかしリシュナムルティ自身が教祖になることを拒否したことにより、教団は空中分解してしまう。しかし、リードビーターが創りだした神智学の体系は、世界中の様々な宗教運動へと飛び火していった。その一つがアメリカのニューエイジ思想であり、さらには、オウムを含む日本の精神世界運動である。
北米から世界へ広がったニューエイジ運動。
ヨーロッパにおいては、ロマン主義は、その多くがナチズムと結びついたため、第二次世界大戦後に大きく発展することは無かったが、アメリカにおいては、その思想は、「ニューエイジ思想」と呼ばれる精神文化運動に受け継がれ、大発展を遂げる。60年台のカウンターカルチャーに起源を持つ、この運動の名称は、西洋占星術に由来し、これまでの魚座の時代が終り、水瓶座アクエリアス)という新しい時代(ニューエイジ)が幕を開けるということを意味しているという。ニューエイジ思想は実に多様な側面を備えているが、著者は、ケン・ウィルバーなどが提唱した「トランスパーソナル心理学」とティモシー・リアリー等による「ドラッグ神秘主義」、インドのグルを指導者とする「ヒッピーコミューン」などを取り上げている。特に、バグワン・シュリ・ラジニーシというグルを中心に生まれたコミューンの話は興味深い。タントリズムに基づく瞑想法を提唱して大きな人気を得ていたラジニーシは、彼が設けた南インドの修行場が、地元の反発が強まったため、アメリカのオレゴン州に移転。「ラジニーシプーラム」という巨大なコミューンの建設を開始した。しかしユートピア的な自治都市の建設を始めた、この頃から、教団は変質を始める。ラジニーシの愛弟子である女性たちが他の信者に独裁的な権力を振るうようになり、コミューン以外に帰属先を持たない信者たちに強制的な労働を強いた。また住民の少ない田舎町に突然巨大なコミューンが作られたことに、地元民から大きな反発が起こり、対立が激化した。コミューンの内部では、数年以内に破局的な核戦争や地震が発生するという終末論が説かれ、コミューンは戦争に備えて大量のライフルや機関銃を備蓄するようになる。地域住民とのあいだに多くの裁判が発生、コミューンに有利な判決を出させるために、教団は法律改正を求めて政治進出を目論んだ選挙の直前、住民の投票を妨害するために、町の中心のレストランでサルモネラ菌を散布するという事件を起こす。それによって700人の被害者が出たが、幸い死者は出なかった。ラジニーシは国外退去処分となり、コミューンは崩壊する。まるでオウムのような事件が、10年も前に起きていたことに驚かされる。
日本のロマン主義、「精神世界」。
19世紀に生まれたロマン主義の潮流は、20世紀後半、アメリカのニューエイジ思想を経て、1960年代以降、日本社会にも流れ込んでくる。特に日本では、「精神世界」というカテゴリーが作り出され、アメリカのニューエイジ運動以上に雑多な内容のものがそこに放りこまれた。東西の神秘主義錬金術、ヨーガ、密教、禅、仙道、輪廻転生、超能力、チャネリング、深層心理学、UFO、古代偽史…。その結果、「精神世界」は、社会のあらゆる層に浸透し、広がっていった。小説、漫画、アニメ、映画、ゲーム。80年台以降に作られた作品で「精神世界」の影響を受けていない作品を探すほうが難しいかもしれない。日本における「精神世界」の潮流は、超心理学を提唱した本山博と阿含宗の教祖である桐山靖雄が大きな役割を果たしているという。
超心理学と本山博。
霊能者の母を持ち、幼少時から滝行や断食などの修行を通じて数々の神秘的現象を体験していた本山は、大学で博士号を取得した後、自らの神秘的体験を科学的に検証することを志す。1964年、最初の著作「宗教経験の世界」を発表。この著作の中で、超感覚的な現象を科学的に探求する試みが世界中で始まっていることを紹介している。ESPテストや神経機能検査による実証的検証、ユングの深層心理学等による理論的把握必要性が主張されている。その後の本山の活動は「超心理学会」の開設や「宗教心理学研究所」の運営など多岐にわたるが、もっとも重点がおかれたのは、ヨーガの実践方法、特にクンダリニー・ヨーガの技法を紹介・指導することであった。1978年の著作「密教ヨーガ」では、ヨーガの目的が「身体や心を健全にするだけでなく、人間の存在そのものを霊的に進化させ、宇宙の絶対者と一体にならしめるところにある」と説いている。この著書の中で、本山自身の体験として、一時的に身体が空中に浮揚したことが述べられている。また著書の中で、ヨーガの本格的な実習のためには、師からの指導を直接受けることが推奨されている。本山自身もクンダリニー・ヨーガの道場を開き、ヨーガを指導したという。オウム信者の中には、本山の著作や指導によって最初にヨーガに触れたという者も数多く存在したという。
桐山靖雄阿含宗
ヨーガや密教の修行をさらにポピュラーにしたのは桐山が立ち上げた阿含宗であると言われる。オウムの初期信者も多くが阿含宗に所属しており、麻原もかつては阿含宗で修行を行っていた。桐山の名を一躍有名にしたのは、1975年に公刊され、ベストセラーになった著作「変身の原理」である。それによれば、密教とは人間の能力開発のための科学的な技法であり、その教えを信仰する必要はない。そのシステムに従ってトレーニングを積めば、誰でも超能力が得られるという。脳生理学によれば、脳の機能は、脳幹、脊髄系、大脳辺縁系、新皮質系に三分されており、桐山によれば、現在の人類は、思考や理性を司る新皮質系の機能に頼りすぎているという。密教のトレーニングによって大脳辺縁系に直接的な刺激を与えると、それまで眠り込んでいた潜在的な意識と能力を覚醒させることができるという。桐山は、自分が超能力を持っている証明として、念力で火を熾して護摩を焚くことができたという。翌1972年に公刊された「密教ーー超能力の秘密」では、神智学者リードビーターの著作が参照され、クンダリニー・ヨーガこそが人間の超能力を開花させる最も有効な方法であると論じた。クンダリニーを覚醒させ、チャクラを開くことによって、人は「ホモ・サピエンス」から「ホモ・エクセレンス」へと生まれ変わることができると桐山は考えたのである。人間はこれまで、サルから、猿人、原人、旧人、新人(ホモ・サピエンス)へと進化を遂げてきたが、新人の作り出した文明は、今や行き詰まりを見せている。ホモ・エクセレンスへの進化を成し遂げなければ、人類は滅亡の危機に瀕することになるという。1981年には「1999年カルマと霊障からの脱出」という著作を公刊し、当時流行していたノストラダムス・ブームに乗っかり、悪しきカルマの増大によって世界に破局が訪れるという「終末論」を唱えた。
中沢新一チベット密教
阿含宗の関連会社である平河出版社から、1981年、宗教学者中沢新一の著書「虹の階梯ーーーチベット仏教の瞑想修行」が公刊された。中沢はネパールの寺院において、ケツン・サンポという名の師(ラマ)から、約1年半にわたってチベット仏教ニンマ派の瞑想修行を受けた経験を持っている。「虹の階梯」は、「クンサン・ラマの教え」という19世紀のテキストをもとにケツン・サンポが行った講義の内容を中沢が記録・整理したものであるという。中沢によれば、瞑想によって心を支配するすべての幻影を突き抜けたとき、心が放つ自然な輝きが、立ち上る虹のような美しい姿で現れるという。そこに至るまでには、いくつもの修行の階梯を踏む必要があり、「虹の階梯」にはその方法や内容が詳細に叙述されている。本書の著者は、アカデミズムの世界に身を置く中沢が、チベット密教の瞑想やそこで起きる神秘的体験についてポジティブに語ることには社会的に大きな意味があるという。それは従来の宗教学や人類学で行なわれてきた「参与観察」の範疇にかろうじて入れることができる行為だったという。しかし通常の研究であれば、参与観察によって得られた知見に対し、歴史的背景や学問的理論に照らして分析を行い、対象を客観的に把握することが目指されるべきだが、中沢は、それを行なわなかったという。その意味で彼は、きわめて確信犯的な仕方で「ミイラ取りがミイラになった」のだと著者は批判する。
精神世界論とポストモダニズム論。
その後、中沢は、チベット密教の世界観やそこで得られる神秘的体験を、ジュリア・クリステヴァジル・ドゥルーズといったフランス現代思想の理論家たちのレトリックを用いて表現しようとした。1983年に公刊された「チベットモーツァルト」では、自身が経験したポワの修行や、空中浮揚を行う「風の行者」の伝説などについて、それらに見られる特異な身体性は、ドゥルーズの論じる「器官なき身体」のイメージと共振するものではないだろうかといった考察が飽きもせずに延々と論じられているという。当時、この書物はベストセラーとなり、中沢は「構造と力」を著した浅田彰と並んで、ニューアカデミズムの旗手と見なされるようになったという。著者によれば20世紀後半のポストモダニズム、そして日本におけるニューアカデミズムの運動は、ロマン主義と同種の反近代主義を基調としており、そこでは「無底」「リゾーム」「交通空間」「郵便空間」などといった数々の潜在的時空が喧伝され続けた。ポストモダンのイデオローグたちは、しばしばそうした不可知の時空の存在を感知する特別な能力を持ったカリスマであるかのように振る舞ったという。言葉使いは違っても、精神世界論とポストモダニズム論は実は大枠の構造において同型であり、そこに麻原と中沢の間に共鳴が生じた原因や、当時の代表的な知識人がオウムを適切に批判できなかった原因があったと著者は指摘する。
全体主義ーー超人とユートピア
オウムの教団においては、教祖である麻原が信者たちの絶対的なグルであると見なされ、彼の命令がいかに理不尽に思われようとも、それに反対することは許されなかった。このようなオウムの体制は、正確に「全体主義」と呼ばれるべきものだと、著者は言う。では「全体主義」とはいかなるものか?ここでも著者は「全体主義の起源」について、過去に遡って考察をはじめる。全体主義は、人々が故郷を離れ、都市に集まり、工場などで働くようになった近代以降に出現してくる。大都市で生活する群衆は、社会や世界はどのように構成されているのか。自分は何者なのかということを明確に理解することができない。また原因のよくわからない金融恐慌がしばしば発生して、それまで蓄えてきた財産を根こそぎ奪われる。都市の住民は巨大で複雑で流動的なネットワークの中に投げ込まれたような状態で、その生活を送るのである。このような状況に置かれた大衆は、自らの目に見えるものを信じることができなくなり、カリスマ的な指導者が提供する「わかりやすい一貫した世界観」を、いともたやすく受け入れてしまうという。たとえ、それが「幻想的な」ものであっても…。それは例えば、ナチズムにおいては、肯定的な存在でいえば「ゲルマン民族の血の高貴さ」であり、否定的な存在としては「ユダヤフリーメイソンの陰謀」であった。さらに著者は、全体主義に不可欠の存在とも言えるカリスマ的指導者について考察する。催眠術の創始者でもあるメスマーが立ち上げた、神秘的でロマン主義的なメスメリズムの運動、ニーチェの超人思想、マックス・ウエーバーが著したカリスマ論、フランスの社会学者によって提唱された群衆心理学」の知見。さらにフロイトが取り上げたパラノイア(妄想症)の症状…。カリスマの世界感とパラノイアの妄想には、強い類似性が見られるという。まず自己の存在がきわめて重要かつ巨大なものであり、自らの意識状態やふるまいが、世界や宇宙全体に影響を与えるという考え(誇大妄想)。自分はそうした重要人物であるため、その行動はある勢力によって密かに監視されているという考え(注察妄想)。また、そのような秘密の勢力が、自分の活力や才能がうまく発揮されるのを妨げているという考え(被害妄想)。そして、これまでかろうじて支えられてきた世界の秩序が、今にも崩壊しかねないという考え(世界没落妄想)。精神分析によれば、このような思考は、幼児的な意識状態への退行から生まれるという。全体主義が生まれる時代背景やカリスマについての考察を行った後、著者は全体主義の最も典型的な例であるナチズムについて語る。
ヒトラーナチズム
自伝「わが闘争」によると、美術学校受験に失敗した後のヒトラーは、日雇い労働に追われ、浮浪者収容所などを転々とする惨めな生活を送っていたようだ。当時のウィーンには様々な地域や民族出身の群衆が集まっていたが、その生活環境は劣悪を極めた。労働者は、景気が変動するたびに仕事を奪われ、住居を失い。簡単に浮浪者に転落していった。貧しく不安定な生活環境は、人々の精神を荒廃させていった。自らも惨めな群衆の一人であったヒトラーは「われわれの生活は、なぜかくも惨めなのか?」と、孤独な思索を続けていたが、あるとき雷光が光ったかのようにその「答」を発見する。彼はウィーンの町中で、長いカフタンをまとい、黒い縮れ毛を伸ばした人間に出くわした。その人物は東欧出身のユダヤ人であったが、ヒトラーは彼の外観や臭気に、嘔吐を催すほどの嫌悪感を覚える。そして彼は、町で売られていた反ユダヤ主義のパンフレットを初めて購入して、一読し、その世界観に急速に染まってゆく。「わが闘争」の中で、ヒトラーは、単なる比喩表現とは思えない仕方で、ユダヤ人を繰り返し「寄生虫」や「伝染病」と呼んでいる。ヒトラーによると、ユダヤ的なるものは、人々の精神や肉体の見えない部分に侵食しているという。しかしヒトラーの彗眼は、様々な領域に潜むユダヤ性を隈なく探り当てる。民主主義、議会主義、新聞や雑誌などのマスメディア、マルクス主義、金融資本家、売春業…。ユダヤ人たちはこれらの活動を背後から操ることによって、人間の心から高貴さを奪い取り、彼らを欲望に満ちた家畜のような存在に貶めようしているという。このようにユダヤ民族を悪しき存在として描けば描くほど、それと対照的にヒトラーの目に際立って映るようになるのは、ゲルマン民族の本来の優秀性である。大都市ウィーンの喧騒にまみれ、薄汚れた生を送っているのは、その真の姿ではない。ゲルマン民族は本来、金髪碧眼の美しい身体を持ち、道徳的には高貴な意志と強い責任感を有している。ヒトラーゲルマン民族賛美は、「アーリア人種」に関する当時の学説と結びつき、アーリア人こそあらゆる文化を創造してきた特別な人種であるという「偽史」を生み出すことになる。次にヒトラーユダヤ人攻撃のために持ち出してきたのは、当時すでに偽書であるとされていた「シオンの賢者の議定書」である。この文書は20世紀初頭からヨーロッパに広まり始めた文書であり、ユダヤの賢者たちによって行なわれた、ある秘密会議の議事録であるという。その内容を要約すると以下のようになる。近代の自由主義的風潮によって従来の貴族主義は没落し、民衆は政治的な主体性を手に入れた。しかし。彼らは無知で無能なため、適切な政治を行うことができず、金銭の力や政治的憶測に左右されて支配者を選択する傾向にある。ゆえに、フリーメイソンのような秘密結社を使って民衆の意見を分裂させ、国家間の対立を扇動すれば、民衆や国家の力は徐々に弱体化していくだろう。そのとき、ユダヤ人の持つ強力な金融力を背景に「ユダヤの王」を押し立てれば、容易に全世界を支配することができるはずである…。
アーリア人種論。
アーリア人種論は、イギリスの言語学者ウィリアム・ジョーンズが、サンスクリット語とギリシア語やラテン語のあいだに言語的類似性を発見したことに始まる。ジョーンズは、インドからヨーロッパにかけて分布する様々な言語が、ある共通の「祖語」から派生したのではないかという仮説を唱えた。これが今日、インド・ヨーロッパ祖語と呼ばれている説である。当時この説は、単なる言語史に関する理論でしか無かったが、次第に民族や文化の歴史全般に関する理論へと変化していく。その過程で大きな役割を果たしたのがロマン主義の影響を受けたドイツの学者たち。彼らは、この祖語を共有する諸民族に対し、「高貴さ」を意味する「アーリア」人種と呼ぶべきであると主張した。そしてインド人やゲルマン人などのアーリア人種によって生み出された文学や芸術が、ユダヤ人に代表されるセム人種の文化よりも、思想的・道徳的に優れていると主張するようになった。アーリア人種に関する理論は、このように学問的な領域を離れ、幻想的なものへ変化していく。その中から、アーリア人種にはじまる、人類の起源が北極付近にあったという説が浮上してくる。神智学の祖とされるブラヴァツキーも、歴史上に登場した人種を7つの種族に区分し、最も原初的な人種である「第一根源人種」は北極付近にある不滅の聖地にエーテル状の存在として現れたと論じた。アーリア人種は、かつて大西洋上に存在した北方大陸に文明を築いた「第四根源人種」アトランティス人から派生した「第五根源人種」であると主張した。こうした潮流は19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ国内に現れた数多くのオカルト結社に継承され、そこではアーリア人種の根源性、優越性がいっそう強調されるようになっていく。そしてそれと同じほどに強力な、反ユダヤ主義的姿勢が打ち出された。第一次大戦後、急速に拡大し、ナチスの前身になったオカルト的結社「トゥーレ協会」のトゥーレとは北方に存在する伝説の島を意味し、この地こそアーリア人の故郷であると考えられていたという。神に向かって進化してゆく神人であるアーリア人種と獣化していくユダヤ人種、神人と獣的大衆、あるいは神々と獣たち、ニーチェ思想の、そしてダーウィン的進化論の、何とグロテスクな翻案だろうかと、著者は呆れる。しかしヒトラーは本気であったのだ。
強制収容所と「生命の泉」。
著者によると、ナチスという党がそのもっとも根本的な「政策」に位置づけていたのが、劣等民族たるユダヤ人を追放、あるいは絶滅させ、優良種族たるアーリア=ゲルマン人を保護繁殖させるということであった。前者については、1935年に制定されたニュルンベルク法によって本格的に開始され、最終的には「ホロコースト」と呼ばれる大量虐殺へと至る。後者については、生命の泉:レーベンスボルンと養護施設をドイツ国内や占領地域の各地に建設し、純粋なゲルマン人の人口増加に努めた。占領地においても金髪碧眼の特長を備えた子供たちは強引に拉致され、ドイツ名を与えられ、ドイツ語教育を施した上で、ドイツ家庭の養子として入籍させられたという。
国家ではない全体主義ヤマギシ会。
ヒトラーナチス全体主義を振り返った後、著者は国家以外の全体主義について考察する。例として挙げられているのが、アルメニア生まれの神秘主義者ゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフと日本の農業ユートピアを目指した「ヤマギシ会」である。ここではヤマギシ会についての考察のみを紹介する。ヤマギシ会は、山岸巳代蔵が1953年に「無所有一体」をスローガンとして創立した農業コミューンである。その後、全国各地に「実顕地」と呼ばれる農業共同体を建設していった。ヤマギシ会はあらゆる私的所有を禁じているため、会に参加しようとするものは、これまで蓄えてきた財産を、すべて、ヤマギシ会に供出することが求められた。しかし会に供出するのは物質的な財産だけではない。本人の身も心も差し出すこと、すなわち、自我を捨て去り、ヤマギシ会のために盲目的かつ献身的に労働することが求められたのである。ヤマギシ会において会員の意識を変革するために行なわれる「研鑽会」という集団研修がある。特に入会時に必ず受講しなければならない研鑽会は、特別講習研鑽会、略して「特講」と呼ばれる。「特講」は人里離れたヤマギシ会の施設に一週間ほど幽閉され、自我の枠組みを解体するための徹底した操作が行われるという。そこで参加者は、これまで作り上げてきた自我の輪郭が崩れるのを感じ、恍惚とした変性意識状態を経験するという。特講によって、自我を喪失した腹の立たない人間たちによって形成されるヤマギシ会は、我欲や争いのない地上のユートピアとなるはずだった。しかし、実際にそこに出現したのは、ユートピアとはほど遠い、いびつな共同体の姿だった。私財をすべて供出した会員たちは、ヤマギシ会を追い出されると自活することができなくなったため、会の方針にひたすら盲従することを余儀なくされた。またプライバシーが存在しないヤマギシ会の社会において、会員の行動は常に監視され、それに抗議すると、まだ我欲が残っていると見なされて、再び強制的に研鑽会へと送りこまれた。さらに会の運営は、山岸が存命中は彼の一存に委ねられる傾向が見られ、彼の死後は、一部の幹部による独裁が行なわれるようになった。そこに現れたのは紛れもない全体主義の共同体であったという。
狭義の原理主義は、アメリカで生まれた。
近年では原理主義といえばイスラム原理主義を思い浮かべるが、もともとは20世紀初頭のアメリカに現れた、キリスト教プロテスタントはの一派を名指すために使われ始めた用語であるという。当時のプロテスタントにおいては、近代的な倫理観や自然科学観に合わせて、神学や聖書学を再構築しようとするリベラルな態度が主流となりつつあった。しかし、アメリカの保守的な福音派は、これに強く反発した。彼らの一部は「諸原理:Fundamentals」という名のパンフレットを発行し、遵守すべきキリスト教信仰の原理を改めて明文化したのである。その原理とはすなわち、(1)聖書の無謬性、(2)キリストの処女降誕、(3)十字架におけるキリストの贖罪、(4)キリストの肉体的復活、(5」終末におけるキリストの再臨、に対する信仰である。こうした主張を掲げる者たちは、アメリカの福音派のなかでも、信仰に対していっそう厳格な態度を保持していたため、周囲から「原理主義者:Fundamentalist」と名指されるようになったという。新約聖書は、終末論的文書として有名な「ヨハネ黙示録」のみならず、福音書やパウロ書簡を含む多くの文書が、近いうちにこの世が終焉を迎え、神の国が到来するという切迫した「終末主義」に基づいて叙述されているという。聖書を無謬の書物であるとする原理主義においては、聖書に記された終末論を近い将来文字通りに実現するものとして信じることを意味している。つまり原理主義においては特定の文書が聖典として絶対視され、その他の近代社会の諸原則は、宗教的聖典の重要性に劣る二次的なも、あるいはそれに反するものとして退けられる。そこでは世俗国家が主権性を掌握している現在の世界秩序は誤ったものであり、いずれ破局に直面するか、善の勢力と悪の勢力のあいだに勃発する「最終戦争」により、いずれ終焉を迎える。その後、神が主権性を掌握する神権的な国家が出現し、終末を生き延びた善なる者たちがそこに住まうことになるという。
アメリカのキリスト教原理主義
上で述べたアメリカのキリスト教原理主義は、20世紀初頭に始まったが、戦後になって急速に広がっていく。その理由はテレビの普及である。「テレビ説教師」と呼ばれる人物が登場して、イスラエルの建国に注意を促しながら、聖書に記された終末へのプロセスが進行しつつあることを訴えたのである。彼らが主張した原理主義歴史観は、一般に「ディスペンセーション主義」と呼ばれ、「神の摂理」を意味し、神が計画した通りに世界の歴史が進行するということを表す。それによれば、(1)ユダヤ王国再建、(2)携挙の開始、(3)ハルマゲドン開始、(4)キリスト再臨、(5)千年王国開始、(6)千年経過後天国に移住、というプロセスによって進行するという。ハル・リンゼイが1970年に公刊した「今は亡き大いなる地球」によれば、1948年のイスラエルの再建を、終末への「カウントダウン」が開始された確証であると見なす。同時にイスラエルの素材は中東情勢を不安定化する主な要因となっており、メギドの丘に「諸国の王」が呼び集められ、最終戦争が引き起こされるための条件が整いつつある。リンゼイは旧約聖書の『エゼキエル書」38章にイスラエルの敵として登場する「ゴク」をソ連のことと捉え、両者の間に核戦争が勃発すると予測した。世界情勢は聖書の予言通りに進行しており、今やハルマゲドンは間近に迫っている、と。
ブランチ・ダビディアンの衝撃。
リンゼイの予言は何ひとつ当たらなかったが、彼の手法は、その後も広く受け継がれ、「今は亡き大いなる地球」の焼き直しといえる書物が次々と量産されていった。リンゼイが唱えたような、黙示録的な終末幻想は、ベストセラーとなった数々のオカルト本や、テレビ説教師たちによって20世紀のアメリカ社会に広く浸透した。そうした土壌のなかから「終末カルト」と称される多くの宗教団体が登場する。そのなかでも、社会に特に大きな衝撃を与えたのが、1993年にATFやFBIと直接戦った、ブランチ・ダビディアンという宗教団体である。ブルガリア出身の移民、ヴィクター・ハウテフはブランチ・ダビディアンの前身となる宗教組織を立ち上げた。彼は、キリスト再臨後に形成される千年王国、すなわち「ニューイスラエル」が、アメリカの中央部に建設されるはずだと考えるようになる。彼はその場所を、テキサス州のウェーコという町を想定し、ウェーコ近郊の丘陵地に、1930年代、数百人規模のコミューンを築いた。コミューンは数十年にわたって存続したが、1990年にヴァーノン・ハウエルという青年がリーダーになってからその性質を大きく変えていく。ハウエルは聖書の読解に没頭し、自分こそが黙示録に記された「七つの封印」を解くことができる人物であると考えるようになる。彼は自分の名前を、旧約聖書のメシアを思わせる「デビット・コレシュ」に変え、教団の若い女性を独占するとともに。来るべきハルマゲドンに向けて、機関銃やライフル、手榴弾といった武器を、コミューン内に大量に備蓄する。そして彼は、コミューンの人間こそが最終戦争の後の世界を生きのびることができる「選民」であると説き始めた。しかし、コミューン内部で未成年への性的虐待が行なわれているとの情報や、度を越した大量の武器が備蓄されていることに不審を覚えたATFは、1993年、コミューンへの敷地内への強制捜査に踏み切る。しかし、十分な警戒態勢をとらずに接近したATFに対して、信者たちは激しい銃撃をもって応戦したため、ATFは多くの死傷者を出して、撤退を余儀なくされる。ATFでは教団の武装に対抗できないと考えた連邦政府は担当をFBIに変更し、数十台の戦車や装甲車、武装ヘリによってコミューンを取り囲んだ。しかしコミューンの信者たちは投降せず、施設内に立てこもり、50日におよぶ膠着状態が続いた。しびれを切らしたFBIは、戦車を建物内に突入させた。その直後、建物のの一角から火の手が上がり、またたく間に建物全体が炎に包まれた。これによって教祖を含む81名が死亡し、生存者は9名を残すのみだった。事件のあと、政府が同教団に取った態度は適切であったのか、また信仰の自由や自衛のための銃所持の権利は十分に守られたのかということをめぐり、アメリカ議会での議論は紛糾したという。原理主義は、聖書を絶対視することにより、世の中の大勢から外れ、より先鋭化していき、その世界観はますます幻想的なものとなっていく。その行き着く先の一つが来るべきハルマゲドンに生き残るために「武装する教団」であった。
日本のキリスト教原理主義、「日ユ同祖論」と「竹内文書」。
アメリカで隆盛を極めたキリスト教原理主義は、やがて世界に広がっていく。日本においても、アメリカで学んだ神学者や牧師の活動を通じて、その思想が伝達された。しかし日本におけるキリスト教徒の人口自体、恒常的に少ない状態が続いていたため、原理主義キリスト教の思想として広がっていくことはなかったという。しかし、その潮流は、極めて特異な偽史的世界観や、オカルト的な終末思想と混淆することによって、ポピュラリティを獲得していったという。著者は、キリスト教原理主義から、突飛な「日ユ同祖論:日本民族ユダヤ民族が、同一の種族であったという説」を唱えたキリスト教者の中田重治、さらに「日本民族こそがユダヤ民族を含む世界の人種の起源である」と主張する酒井勝軍(かつとき)、酒井に大きな影響を与えた荒唐無稽な偽書竹内文書」を発表した竹内巨麿(きょまろ)を紹介する。特に「竹内文書」における、「日本民族至上主義」ともいえる歴史観が、ナチスイデオロギーとなった「アーリア人種至上主義」と酷似している点に注目する。
宇野正美のユダヤ陰謀論
第二次大戦中から戦後にかけて、日本では、最終戦争や終末論に関する言説は一時的に影を潜める。しかし1970年代になると、終末論は再び活気を取り戻す。アメリカのキリスト教原理主義の代表的な著書「今は亡き大いなる地球」で描かれた終末論を焼き直した書物が数多く出版される。その代表が宇野正美の著書である。宇野は、大学生の頃から聖書の研究に没頭し、高校教師を11年勤めた後、1975年に「中東問題研究センターを設立。イスラエルの建国以降、緊迫が続く中東情勢や世界情勢を、聖書に記された終末論の枠組みで読み解くという手法で、著作を公刊していく。1980年代前半に公刊された「旧約聖書の大預言」「新約聖書の大預言」で、はハル・リンゼイ流の終末論を展開する。アウシュビッツの悲劇と、それに続くイスラエルの建国によって、終末へのカウントダウンの口火が切られたとし、EC同盟、エジプト、ソ連イスラエルに侵攻することにより、第三次世界大戦が始まり、ハルマゲドンへと雪崩れ込んでゆくと予言される。当時の日本では、中東情勢や聖書の予言に馴染みがなく、宇野の著書は大きな反響を得ることはなかった。そんな状況を見た宇野は、キリスト教の終末論に加え、「ユダヤ陰謀論」を唱えるようになる。1986年に出版された「ユダヤが解ると界が見えてくる」「ユダヤが解ると日本が見えてくる」の二作は、百万部を超えるベストセラーになる。これらの著作においては、イスラエル国家の存在がハルマゲドン勃発の引き金になるという従来の主張と同時に、随所で、偽書である「シオンの賢者の議定書」が参照が行なわれている。それによれば、世界情勢のすべての動向は、世界征服を目指したユダヤ人の秘密の計画に支配されているという。著者は、この他に、「地球ロマン」「UFOと宇宙」「迷宮」といったオカルト雑誌を次々と公刊し、雑誌「ムー」や「トワイライトゾーン」などのメジャーなオカルト雑誌の発刊や編集にも間接的に関わった武田崇元、累計で250万部を売り上げたベストセラー「ノストラダムス大予言」の五島勉、さらに突飛なアイデアを提示した「滅亡のシナリオ」の川尻轍を紹介する。これらの著書の中で語られる終末の物語のほとんどは、陳腐でチープなファンタジーとしか言えないようなものであったが、麻原のなかでは、現実の世界のなかで遂行すべきシナリオとしてリアリティを獲得していく。
オウム真理教の軌跡。
宗教とは何か?、近代とは何か?という問いかけに始まり、ロマン主義全体主義原理主義という、オウム真理教を形作った思想の「素材」や「断片」を網羅したあと、著者は、ようやく、それらの素材を駆使して、麻原とオウム真理教の軌跡をたどり始める。しかし、そこで語られる麻原の半生やオウムの教団史は、僕たちがすでに知っていることでしかなく、新たな発見はない。しかも前章までの考察によって、オウムや麻原の教義や世界観が何であったかという問いに対する答は、すでに出てしまっている。最終章を読むことは、前章までで提示されたジグソーパズルのピースを、現実の展開に当てはめていくような徒労感があった。ただひとつ、麻原の視力喪失について、藤原新也による新しい仮説が紹介されている。藤原は著書「黄泉の犬」において、麻原の兄の証言として「自分も智津夫も、幼少の頃は、正常に見えていたが、自分が八代海で釣ってきた魚を二人で食べているうちに、手足が震えはじめ、視力が失われていった。役所に水俣病患者として申請したが、八代は水俣と離れているという理由で却下された」という話を取材している。麻原が幼少期を過ごした時期には、八代にも水俣病の症状を示す患者が数多く現れていたという。
暴走のきっかけ、真島事件。
また著者は、麻原の思考が反社会的なオカルトに大きく偏向していったきっかけとして、88年の、在家信者であった真島照之の死亡事件を挙げている。富士山の総本部道場で開催された「極限の集中修行」に参加していた真島は、突然、錯乱状態になり、暴れ始める。それを見た麻原は、水をかけて頭を冷やすよう命じる。幹部たちは真島を風呂場に連れていき、頭に水をかけたところ、真島は次第にぐったりとなり、ついには脈拍が止まってしまった。幹部たちは慌てて、人口呼吸や心臓マッサージを行い、麻原もエネルギーの注入などを施したが、真島はそのまま死亡してしまう。本来なら死亡事故として警察に届け出て公表すべきだったが、教団の評判が落ちるのを危惧した麻原は、内部で秘密裏に処理することを命じた。真島の遺体はドラム缶で焼かれ、骨は金槌で砕かれ、湖に散布された。翌89年、真島事件を知って教団を脱退しようとした出家信者の田口修二を殺害する。これらの事件をきっかけに、麻原の妄想は肥大していく。そして外部に公にできない様々な「シークレットワーク」に手を染めていった。また事件に関わった幹部たちも、教団内の重要な秘密を共有するものとして、その実動部隊の中心メンバーとなっていったという。
個人的な感想。
麻原は、僕よりも1年遅く生まれている。つまり、彼と僕は、ほぼ同じ時代の一画を生きてきたということだ。東京オリンピックケネディ暗殺、アポロの月面着陸、万博なども同じぐらいの年令で体験しているだろうし、同じ流行歌を聞き、同じテレビ番組を見ているかもしれない。しかも、70年代以降は、僕自身も本書が考察したようなロマン主義的な世界に傾倒していったと思う。終末論は、その顕著なものだろう。本書で紹介されている「終末論の著書」は、ほとんど読んだことがないが、それでも10代後半から、20代前半にかけて、なぜか「終末」をテーマにした本ばかり読むようになった。いわゆる「地球最後の日」的な作品から、J.G.バラードの「結晶世界」「沈んだ世界」などの終末シリーズがいちばんの愛読書だった…。しかし、いわゆる「精神世界」の書物には強い拒否反応があり、長い間、書店でも、「精神世界の本」コーナーに近づいたことはなかった。それが30代になると、少しずつ精神世界やニューエイジの世界に染まっていったように思う。ライアルワトソンの「スーパーネイチャー」「生命潮流」にはじまり、グロフの「脳を超えて」などのトランスパーソナル心理学。ドラッグによる意識の変容を唱えたティモシー・リアリーやジョン・C・リリーの著作を読んだのもその頃だ。さらに本書でも登場する中沢新一の著作も、難解すぎて理解できないにも関わらず懸命に読み解こうとした。友人に誘われて自己実現セミナーに参加したこともあるし、降霊術めいた会に面白半分で参加したこともある。また大峰山修験道のツアーに参加したこともあった。サイババに会いにいった糸井重里を羨ましいと思った。友人に、「もう本を読むのは止めて、これからは実践で生きたい」などと語っていた。また、体外離脱の体験を記したロバート・モンローの「体外への旅」、臨死体験を描いたキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」など、徐々に「精神世界」に染まっていった。僕自身は、「ノストラダムスの大予言」など、本書で紹介された本は、1冊も読んだことがないが、それにも関わらず、本書が描いたような世界観にはまったく違和感がないのはなぜだろう。
映画、アニメ、小説、世界は、ロマン主義に溢れている。
霊性進化論、神人と獣人、隠された神の王国、ハルマゲドン…。それらは、ずいぶん前から僕らの回りに氾濫している。スピルバーグやルーカスのSF映画も、海外のテレビドラマも、宮崎アニメも、エヴァも、村上春樹の小説も、そうだ。A.C.クラークをはじめ、10代から親しんだSFの半分は、本書流に言えばロマン主義だ。世界はロマン主義に溢れている。人は、合理だけでは生きられないのだ。
無宗教で生きていこう。
本書を読み終えて、感じたこと。オウムに入信した人たちと自分の違いは何だったのだろう。きっとほんの少ししか違わないのだ。「精神世界」に最接近していた頃に、身近な人にオウムの信者がいたり、誘ってくれる人がいたら、自分も入信していたかもしれないなあ、と思う。その一方で、誰かに熱心に誘われても、たぶん入らなかったのではないかとも思う。いまでも書店の「精神世界の本」コーナーには、なぜか生理的ともいえるような拒否反応が起きる。宗教の本を読むのは好きだが、入信しようとは思わない。人類の生み出した文化としての宗教に興味はあるが、信じることはしない。こんな風に感じるのは、ひょっとしたら僕が10代から読み続けているSFのせいかもしれない。サイエンス・フィクションは許せるが、ファンタジーは、いまいち好きになれないのだ。 僕たちは「ラララ、科学の子」で生きていこう。