山崎亮「コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる」

知人のtwitterのつぶやきで知り、「情熱大陸」でも紹介された話題の人。本が出ている。こんな風に急に話題になる人の本は、あっという間に書店でもネット書店でもあっと言う間に売り切れになるので、すぐ買いに行かねばと、打合せの帰りに茶屋町のマルゼン&ジュンク堂書店に立ち寄った。店に入った途端、話題の本コーナーに並べてあるのが目に飛び込んできた。あ、そうなんだ。みんな知ってんだ。知らなかったのは自分だけか、と、ちょっとヘコむ。何だか悔しいので、1Fでは買わず、検索端末で検索して4Fにあるのを確認して、4Fへ。4Fでも、エスカレーターで上がったところにある話題の新刊コーナーで大量にディスプレイしてある。著者の他の本も探したりして、ようやく購入。帰宅の電車で早速読み始めた。なんかすごい。実にいろんなことを考えさせられた。世の中を変えていく人って、こういう人物なんだなあ、と思う。まず押し付けがましくない。そして素晴らしいバランス感覚。どんな場所にでも、初めての場所でも、難しい場所でも、スルッと入って行ける。内田先生が言うところ「誰も対処できないような事が起きた時に、なぜか正しい道を選ぶことができる人」なのかもしれない。有馬富士公園にはじまるプロジェクトの進め方は、まるで過去にモデルケースがあるかのように、自然に正しい方法を見つけ出し、スイスイ進めていくように見える。しかし、それは前例のない、答のない新しい難しいケースなのである。ダム建設の中止が決まった地域、高層マンションと、その建設に反対する住民によるワークショップなど、舞い込んでくる難題にも、著者は自然体で取り込んでいく。プロジェクトの進め方も、その地域や住民の事情に合わせて、変幻自在というか、ある時はネガティブな大人たちの代わりに、子供たちをプロジェクトの中心に置いたり、対立している男たちの代わりに女性たちを動かしたり、その女性たちとつながるために、学生のチームを編成したり…。この「柔軟さ・定型のなさ」こそが著者のいちばんの武器ではないかと思った。そして「プロ」とは何かを考えこんでしまった。うまく引き出せば、住民自身や、子供たち、経験の少ない学生たちでも、プロ顔負けの素晴らしい力を発揮することができる。著者のように、様々な人々を動かして、組織化し、成果をあげていくしくみをつくる人が「プロ」ではないか、という人がいるかもしれない。しかし、自分は、その能力を、プロに求めることはできない、と思う。著者の、この能力は、訓練や学習によって作れるものではないからだ。それは著者が生まれながら身につけている「人格」のようなものではないか、と思ってしまった。自分にはできないと思った。
すべては現場から始まる。フィールドワークの重要性。
この本の中で紹介されるワークショップの中で「KJ法」を使って、アイデアを出したり、整理したりする場面が出てくる。「KJ法」とは懐かしい。クリエイティブの現場で、今もKJ法でアイデアを出したりしているクリエイターは皆無だと思うが、著者によると、まだまだ有効なようだ。大事なのは、現地に行くこと。そして、そこに生きる人と会って直接話を聞くこと。自分たちクリエイターは、ますます現場から遠ざかっている。自分が広告の世界に入って来たころ、仕事は、つねに取材から入ったものだ。技術者や製造現場、店頭に出かけていって、様々な人の話を聞くところから始まっていた。ところが、今は、仕事が断片化して、企業の中の誰かが作成したマーケ戦略のパワーポイントの資料を見て、制作に入っていくようになっている。本書でひとつだけ気になったのがお金のこと。ひとつのプロジェクトに数年もかけて、著者の会社は儲かっているのだろうか?
企画書を書きたくなった。
読んでいる内に、高揚してきて、企画書を書きたくなった。冒頭のほうで著者が勤めていた事務所で、先輩に「とにかく企画書をたくさん書きなさい」と言われる。企画書をいっぱい書いて、何度も何度も書きなおして、物事は進んでいくという。
元気になった。
自分たちの業界を取り巻く環境はますます厳しくなっている。しかし、この本を読むと、元気になる。今まで、自分たちの仕事のフィールドを、自分たち自身が狭めていなかったか?「つくらないデザイン」「つながりのデザイン」これまで仕事とは思えなかったところに新しい仕事があるかもしれない。この本は、デザインやコミュニケーションに関わる、すべての人に読んでほしいと思った。「まだまだ状況は好転させられる」という著者の言葉に賛成。