春企画の新開さんに紹介してもらった。出るべくして出てきた本。タイトルの「『消費』をやめる」とは過激だ。僕たちは、物心ついてからずっと、自分たちが消費者であると教えられてきた。それを疑いもしなかった。そんな僕たちにとって「消費をやめる」というのは、つまり「生きることをやめる」に等しい。「消費」は「生活」とほぼイコールの言葉だ。本書は、それを真っ向から否定する。
著者は消費者第一世代の団塊世代。
著者は1950年生まれの団塊世代。1970年に内田樹とともに翻訳会社を設立。1999年には、アメリカのシリコンバレーでベンチャー企業の立ち上げと成長を支援するインキュベーション事業を立ち上げ、その日本法人の社長に就任。しかし事業はうまく行かず5億円の資金を10年で使い果たし、会社を畳んだという経歴を持つ。著者自身が「暗黒の10年」と呼ぶ、その時の経験から、株主主権や成長至上主義の原則に疑問を持つようになったという。著者によると、「消費者」という言葉が一般的に使われるようになったのは、そんなに古い時代ではないという。少なくとも戦中世代にとって消費者というより生産者(労働者?)が一般的であった。消費者という言葉を自然に受け入れたのは、著者のような団塊の世代からであるという。団塊の世代は、アメリカに始まった消費社会に憧れ、受け入れ、急速に消費文化を取り込んでいった。その過程で多くのものが失われてしまったと、著者は言う。さらに80年代に始まったグローバル化の波は、地元の商店街や小さな零細事業を駆逐していく。消費社会がもたらしたのは、すべての価値をお金に置き換えるお金万能主義と、個人の顔を持たないアノニマスな消費者の出現だという。
経済成長しない社会
日本は、国も企業も消費者も、グローバリズムや成長神話に囚われたままであり、現在はそのどんづまりに来ていると著者は指摘する。そこから脱出するには、消費しない生活と経済成長しない社会を実現しなければならないと主張する。それは半径3km以内で生活することだという。自宅の近くで「小商い」の商売をし、地元の商店街で顔の見える買い物をし、地元の銭湯へ行って、近所の人とつきあう、というような生活である。著者自身も仲間と一緒に自宅近くで隣町珈琲という喫茶店をオープンした。しかも会社のオフィスをその近くに移転。朝はゆっくり家を出て隣町珈琲でコーヒーを飲み、オフィスに出で仕事をし、疲れた時は、午後3時頃、近くの銭湯に行って汗を流し、仕事場に帰る、という生活をしている。
「銭湯経済」は、ちょっと疑問。「消費しない」は大賛成。
著者が言う「消費しない生活」が地元の3km圏で生活するというのは、考え方は理解できるものの、ちょっと狭すぎるような気がする。著者のように都会で生きている人間には、そのような生活も可能だが、地方の農村や山村では、都会とは違う「消費しない」生活を考えなければならないだろう。可能であれば、地方や農村、山村なども取材して、様々な「消費しない生活」を提示してほしかった。ベストセラー「里山資本主義」が提唱する地域循環型経済も「消費しない社会」のひとつのありかただと思う。すでに多くの人々が絶え間ない成長や消費が間違っていることに気づき始めている。本書は、その潮流に的確な名前を付けて、世の中に力強く発信した1冊だ。そこは大いに評価したい。みんなに読んでほしい本だ。