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阿古真理「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」

以前のエントリーで書いた「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」の著者による本。その後、著者の本を数冊読んだが、本書は、その中で最も面白かった著作である。「なぜ日本のフランスパンは〜」が、単なるグルメ本ではなく、食文化の変遷を通して見た日本の近代史であったように、本書も料理研究家を通して、近代以降の日本の社会史、生活史、女性史に深く踏み込んでいる。僕自身、料理をする習慣を身につけていないにも関わらず、大変興味深く読めた。しかし、要約や感想を書くのは難しい。本書を読んだのは、今年の1月だが、感想を書くのに3ヶ月以上もかかってしまった。

 本書は「革命」の本である。

結論を言ってしまおう。本書は「革命」について書かれた本である。革命の舞台は、「家庭」「台所」「食卓」である。革命を起こしたのは女性たちで、武器は「料理」だ。そして本書で紹介される料理研究家は、いわば革命を扇動した思想家、革命家である。本書が描こうとしているのは、近代以降、特に戦後における、古い因習からの女性たちの解放運動ではないか。

近代が主婦と家事を生んだ。

著者は、まず社会の変化と、それにともなう家族や家事の概念の変遷を語り、さらに、そこで求められる女性の役割や価値観の移り変わりを語る。「家庭」や「家事」「主婦」という僕たちが自明のように使っている言葉は、実は近代になって生まれてきた概念であるという。農業従事者が大半を占めていた時代から、産業の発展にともない都市に人々が移り住むようになって、サラリーマンが生まれ、その伴侶である「主婦」が生まれ、さらに小さな家族の単位である家庭が生まれ、彼女たちの仕事である家事という概念が生まれた。家事の中でも料理は大きな比重を占めたが、故郷を離れ、都会に暮らす主婦たちには料理を教えてくれる姑が存在しなかった。そんな彼女たちの要求に応えたのが、料理研究家である。江上トミ、飯田深雪は、本格的な西洋料理を紹介して家庭料理の世界を広げた。さらに80年代、様々なファンシーな料理を提案した入江麻木、城戸崎愛、セレブな料理研究家、有元葉子を紹介した後、タイトルの一人である小林カツ代の章に入ってゆく。

先駆者、犬養智子桐島洋子

戦後の高度成長期、1960年代半ばには、未婚・既婚に関わらず職に就く女性が増えてきた。戦後の民主主義教育を受けた世代が大人になっていた。1日中家にいて夫や子供につくす戦前型の主婦は時代に合わなくなってきていた。1970年頃からウーマンリブの運動が起こり、やがてフェミニズム運動へと発展してゆく。そんな時代、評論家の犬養智子が書いた「家事秘訣集 じょうずにサボる法・400」が22万部のベストセラーとなる。家事、育児からおしゃれまで、12項目にわたって、自ら考案した知恵や工夫を紹介したノウハウ本である。書店では飛ぶように売れ、回し読みも多かったという。しかし、一部の男性から猛反撃を受けたという。ちょうどその頃、調理の手間を省く加工食品が次々と発売された。1958年、インスタントラーメンが登場。1968年にはレトルトカレー発売。その後、冷凍冷蔵庫の普及に伴い、冷凍食品が広がっていった。1971年にはマクドナルドが上陸する。そんな時代に警鐘を鳴らしたのが、フリージャーナリストの桐島洋子が書いた「聡明な女は料理がうまい」である。あえて未婚の母となり、恋多き女と思われていた彼女は、この本の中で「料理こそ自立を促し、人と人をつなぐ人生の一部であり、手放してはいけない」と主張した。「今や女たちの料理力はどんどん退化して無能な男のレベルに近づき、おいしいものをみずからの腕でほしいままにする自由を喪失している」「男性的な自由な発想で家事を合理的に再編成し、最も快適な秩序を自分のものにして台所を賢く支配していかなければならない」などと語る。桐島は、昆布やカツオ節や煮干しを、インスタント食品として扱う。当時流行ったホームフリージングも週末にまとめて作るのではなく、カレーやコロッケなどを多めに作って残りを貯蔵する、という「ついで料理」をすすめる。アイデアが合理的で、かつ本質を見定めていた。犬養智子桐島洋子も、料理界の外にいた人だからこそ、「簡便化」か「手作り自慢の凝り性」か、という二極分化し始めた家庭料理に警鐘を鳴らすことができたのだと、著者は言う。

クロワッサンの時代。

二人が活躍していた頃、のちに大ブームとなる雑誌「クロワッサン」が創刊される。創刊当時はニューファミリー向けを謳ったが、1年目からは方針を変更し、「離婚志願」「男を使う女たち 女性経営者・女性管理職」「亭主離れの時代」などの特集を組んで、女性の自立した生き方を提案していく。メディアの影響で結婚しなくなった女性たちが増えたことは「クロワッサン症候群」として論争を生むが、クロワッサン自身は、女性の生き方から手を引くようになる。クロワッサンが変わったのは、その頃から、時代の潮目が変わり、人々の関心が物欲へ向かっていったからだと著者は指摘する。女性の生き方に代わってクロワッサンで繰り返し特集されるようになったのが、文化人の食卓である。エッセイストの甘糟幸子、評論家の樋口惠子、女優の高峰秀子などが料理に対する心構えやノウハウを説きながら自慢料理を披露する。レシピではなく、料理するシーンを紹介し、自分なりの生き方を持つ人の魅力を伝えようとした。その頃のクロワッサンに時折登場していた料理研究家の一人が小林カツ代である。彼女は、著書「小林カツ代のらくらくクッキング」で常識を覆すような料理法を紹介し、賛否両論の注目を集めていた。

小林カツ代の革命。

本書は、40ページを費やして小林カツ代の足跡をたどっている。2005年にくも膜下出血で倒れるまで、第一線で活躍した。出版した本は230冊を超える。常識にとらわれない簡単でおいしいレシピを提供し、明るい笑顔で、視聴者や読者を励まし続けた。小林の活躍は、料理のみにとどまらない。反戦と護憲の立場に立ち、動物の保護活動にも力を注いだ。福祉や教育にも関わり、広い視野から発言した。夫を「主人」と呼ばず、仕事相手にも「先生」と呼ばせず、対等に接する姿勢を貫いた。1本筋の通った言論人だったと著者は言う。

誰もが料理できるようにしたい。

小林の主張のひとつが「誰もが料理できるようになってほしい」ということだった。以下引用「食の基本はやはり家の料理です。でも必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません。(中略)誰でもいいから家の人がおいしい料理を子どもに作ってあげることです。それが子どもの記憶にしっかりと残るんです。」

高度化しすぎた家庭料理への批判。

高度成長期に生まれ、強化されつつ、現代に至っている家庭料理の常識。小林はそれに批判の目を向けた。「毎日作るんだから、100おいしいことを目指さなくても、いいのよ。80おいしければいいじゃない。そうしないとやってられないわよ」デパ地下で惣菜を買う女性に眉をひそめる人たちに対して「本当に時間がなくて、それでも殺伐とした食卓だけにはしたくないと思ってる人が、時々はおそうざい売り場を利用してもいいではありませんか」ハンバーグやぎょうざ、ロールキャベツ、春巻きなど、人気の家庭料理は、手間がかかるものが多いという。毎食違う献立で、一汁三菜そろえるのが正しいとされ、手間をかけることがお母さんの愛情と、メディアはくりかえし訴えた。便利な台所、豊かな食材、一日中家事に時間を費やせる主婦の誕生。それらの条件が揃って、家庭料理のハードルは急上昇した。家電が普及しても主婦の家事労働時間はほとんど減らなかった。家事は減らしたい。でも家族にはちゃんと作って食べさせたい。そんなアンビバレントな気持ちを抱く主婦に、処方箋を示したのが小林カツ代であった。

ハッと驚くアイデア弁当。

小林が売れっ子になった時代は、自身の子育ての時期と重なる。そんな忙しい毎日の中から生まれた『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』は40万部ものベストセラーになった。同書には当時の常識を覆したアイデアが満載されている。ホームフリージングも桐島洋子と同じく、夕食の支度で余分につくるついでに冷凍することをすすめる。料理研究家である小林が文化人と違うのは、具体的な手順を示せることだという。

働く女性に寄り添う。

野菜をちぎってフライパンに重ね、チーズをたっぷりかけて作る「蒸し焼き野菜のイタリアン」、巻いた豚の薄切り肉を野菜と煮て「重ね豚肉ロール」と「春野菜のポトフ」を同時に作るといった、今や定番になっているスピード料理を、小林は1980年代から次々と生み出していった。そんな小林の考えが集約された本のひとつが『働く女性のキッチンライフ』である。その前書きで「女一人がきりきりするのではなく、家族すべてが食を大切にする方向に持っていくことです」と語る。

料理の鉄人」に出演。鉄人の陳建一に勝つ。

1994年8月、人気番組「料理の鉄人」に料理研究家として初めて出演する。「じゃがいも料理」がテーマで、小林は、「じゃがいもとエビの炊き込みご飯」「肉じゃが」など7品を作り、鉄人の陳健一に見事勝利、一躍時の人となった。本書では、それ以降、小林の定番となった「肉じゃが」の作り方を、第1章で紹介した城戸崎愛の「肉じゃが」の作り方と比較しながら紹介する。城戸崎の料理法だと煮るだけで30分はかかる。小林のほうは全部で15分。この速さが強みであった。「料理の鉄人」の製作者側は、小林を「主婦の代表」としてキャッチフレーズをつけたがったが、小林は断固拒否した。その理由をのちに雑誌で語っている。「『主婦』ということで私のステイタスを上げようとしているのなら、主婦でない人にも、主婦にも失礼ではないか。まして、この番組は、プロとプロの戦いだから面白いのであって、『鉄人』にも失礼じゃないですか」料理研究家は主婦とは違う。家庭料理を教えるプロである、というのが小林の主張だった。

時短料理、カンタンでおいしい料理の先駆者。

その後も小林カツ代は、カンタンでおいしい「時短料理」を提案し続けた。小林が考案した家庭料理の技は多い、と著者は言う。少なめの油を使う揚げ物の類。鍋でなくフライパンで煮物を作る料理。青菜の炒め方も変えた。そして何より時短料理の概念を変えた。それまでは材料を変えたり、献立全体の段取りを工夫するぐらいだったり、「早いけど味は…」という評価を下されがちだった。小林は、「簡単で、速いけどおいしい」という料理を定着させた。その後、小林に続くかのように時短料理を看板にする料理研究家が何人も登場しているという。

大阪人の出汁のこだわり。

小林は何でも省略し、簡単にしたのではない、と著者。手をかけるべきところは押さえ、こだわっている。特にこだわったのは出汁を取ること。出汁文化が豊かな大阪で育った小林は、出汁のおいしさをよく知っていた。著書の中で「削り節だし」「煮干しだし」「こぶと削り節だし」のつくりかたをプロセス写真付きで紹介している。小林いわく「「私の料理では、だしをとるのは基本の基本。市販の顆粒だしや科学調味料では深みのある味はなかなか出ません。忙しいから、面倒だから、と敬遠している人もいるけど、だしをとるのって実は簡単!家庭料理ですもの、料亭と同じに考えなくてもいいの」。他の著書でも「私はこれこそ、昔の人が考えたインスタント食品だと思うの」と語る。

おいしいものを食べて育った。

小林カツ代のルーツは、大阪と家族にある。大阪ミナミの中心街近く、製菓材料の卸問屋の家に、二人姉妹の次女として生まれた。住み込みの従業員が20人近くいた。父は経営者で、母は女中の先頭に立って仕切る女将さんである。父は「食べることに手間も暇も惜しまない」祖父の料理で育った。そのため、料理は女性のものという先入観がなく、取引のあった中国で教わった水餃子をよく作ってくれたという。庶民の味が好きでめし屋や中華料理屋に連れていってくれた。母は料理上手で父の要望に応えた。てんぷらや焼肉、そうめん、八宝菜、糠漬けなど、細かい気配りをした得意料理がいくつもあったという。同時にグルメであり、フランス料理や日本料理なども食べさせてくれた。仕出し屋や総菜屋に頼んでいた料理もあった。大勢のお客さんの時は、家で作るだけでなく仕出し屋さんにも少し頼んでいたという。おいしいものを食べて育ったカツ代は、台所仕事にまったく関心を持たず、21歳で薬学系研究者と恋愛結婚した初めての夜、乾燥わかめを大量に入れ、出汁も取らずに作った味噌汁のまずさに仰天。以来、母や魚屋、八百屋などに聞きながら料理を覚えていったという。小林カツ代の足跡を振り返る時、この大阪での生い立ちが、この稀有な料理研究家を育んだということがよくわかる。

息子、ケンタロウ。

2歳になる前から料理に興味を示したという息子は、母の後を継いで料理研究家になる。息子であることを隠すでもなく、折にふれて「カツ代は」と愛情をこめて語り、母の影響もこだわりなく披露する、まっすぐな性格が人気を呼び、十数年の仕事で出した本は74冊ににものぼる。2012年、バイクの事故で高次脳機能障害を負い、闘病生活を続けている。

カリスマ主婦、栗原はるみ

主婦という肩書きを拒否し、家庭料理のプロフェッショナルであることにこだわった小林カツ代に対して、主婦であることにこだわったのが栗原はるみである。彼女が出てきた背景を、著者は女性を取り巻く環境の変化から読み解こうとする。1980年代まで、会社員の女性のコースは二者択一だったという。子どもを産まずにキャリアを積むか、結婚して子育て中心の生活を送るか。2000年代になると女性の生き方は多様化していくが、変化の途上であった1990年代は、キャリアでも結婚でもない生き方が見えなかった。職場にも女性の先輩が少なく、3年目、5年目の曲がり角でつまづき、あてもなく辞める女性が少なくなかったという。しかし結婚生活に入った主婦たちも幸せとは限らなかった。1990年代、30代の女性向けのファッション誌、「VERY」「Domani」が成功を収め、2000年代に入ると、「STORY」「Precious」など40代向けのファッション誌が創刊される。「VERY」創刊号の表紙を飾った黒田知永子、その後を引き継いだ三浦りさ子は、雑誌で自分の生活を垣間見せることでファン層を拡大していった。主婦になっても、母親になっても自分自身であることを忘れない姿がかっこいい、とファンがついた。彼女たちは、そのライフスタイルからは生活の苦労を感じさせなかった。しかし現実には家事や子育てという、決して簡単ではない労働が存在する。それとどう折り合いをつけていけばいいのか。女性たちが、その回答を見た対象が料理研究家だったという。栗原はるみ加藤千恵、山本麗子、藤野真紀子は、全員が1940年代生まれのベビーブーマー世代。そして料理研究家である前に、理想の主婦として脚光を浴びたのである。彼女たちは「カリスマ主婦」と呼ばれた。その中で、トップに躍り出たのが、栗原はるみだった。

栗原がこれまでに出したレシピは、四千種類以上、料理本の累計発行部数は二千四百万部を超える。1995年には生活雑貨を扱う店とレストランを一緒ににした「ゆとり空間」を立ち上げ、1996年には栗原はるみを看板にした季刊誌「すてきレシピ」を創刊、2006年には「haru_mi」へと装いを替えて、現在も継続している。ファッションまで彼女を真似るファンが現れ、「ハルラー」と呼ばれた。まさにカリスマである。

栗原を一躍有名にしたレシピ本が、ミリオンセラーを記録した「ごちそうさまが、ききたくて。」である。著者による紹介を引用する。「エッセイ集のようなタイトルが、まず他のレシピ本と一線を画する。中を開くと栗原家のキッチンの写真があり、自身の生い立ちを綴るエッセイが添えられている。それぞれのレシピにも短いエッセイがつけられ、ところどころに料理する栗原の写真、キッチンやリビングの写真が入る。使われている食器はすべて栗原の私物で、料理も家族に出してきたものだ。これは、栗原のライフスタイルを見せる本なのである。」「栗原レシピは、生活という裏づけのあるノンフィクションなのである。」「実生活に裏づけされた家庭料理といっても、驚きのないレシピでは、プロになれない。意外な素材を組み合わせるレシピの元祖も、栗原はるみだったことが、『ごちそうさま〜』からわかる。」

小林カツ代との違い

10歳年長の小林カツ代は、プロセスを大胆に変えた時短レシピを提案したが、基本は味が想像できる安心感がある。対して栗原は、味に冒険がある。洋食や和食というジャンルにこだわらない。西洋料理、中華料理、日本料理とジャンル分けされた料理を外で食べてきたベースがある小林に対して、栗原は、実家で和食を、結婚相手の家で洋食をと、食べてきたものが家庭料理中心だったため、ジャンルにこだわりがなかったのではないかと、著者は考察する。また栗原が活躍を始めた80〜90年代はグルメの時代で、人々が、本格的な中華料理を味わい、イタリア料理とフランス料理の違いを知り、無国籍料理が流行った時代で、意外な組み合わせや新しい味が求められる時代だったという。

栗原はるみのプロ魂。

栗原のすごさは30年以上にわたり大量のレシピを提供し続けていることだ、と著者は言う。そしてNHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」で栗原が見せたこだわりを紹介する。彼女は「百人が作ったら百人がおいしく作れる」レシピをめざす。たとえば「エビと卵のチャーハン」。栗原は、フライパンで中華料理店のようなパラパラ感を出す方法を約一ヶ月間研究し続けた。火加減、油の量、入れるタイミング。何度も何度も作り、確実な方法を出そうとする。栗原は気になることを徹底的に検証するまで気がすまない。その「プロフェッショナルな」姿勢が、店を持ち、雑誌を主宰する源泉になっていると、著者は推測する。

和洋の家庭料理の中で。

栗原はるみは、静岡県下田市で印刷会社を営む両親と、祖母、叔母、兄、従業員、お手伝いさんと一緒に暮らしていた。母は、毎日、全員の朝食、昼食、夕食、そして夜食を整えたという。4時半に起きてゴマを摺り、朝食をつくっていた。地元の旧家に生まれた母は、9歳で父をなくし、働く母に代わって台所を切り盛りした。下田の家庭料理の伝統をしっかり身につけ、それを守って生きてきたという。栗原は、そんな母のもとで、お手伝いさんと一緒に朝6時に起き、朝食の支度から掃除まで手伝いながら、成長した。東京の短大を卒業する頃、下田は名高い建築家やデザイナーがセカンドハウスをかまえるリゾート地になっていた。兄の遊び仲間に入れてもらい、外国の音楽を聴いたり、本格的な西洋料理を初めて口にする。その仲間の一人にテレビキャスターの栗原玲児がいた。初めて栗原家に遊びに行った時、カルチャーショックを受ける。テーブルにはランチョンマットが敷かれ、花と果実が飾ってある。キッチンにはオーブンが内蔵され、4つもガス台があるコンロには牛肉のビーフシチューが煮えていた。玲児は、料理上手で知られていた。彼女は、26歳で、14歳年上の彼と、両親の反対を押し切って結婚。最初は専業主婦をしていたが、玲児に「僕を待つだけの女性でいてほしくない」と言われてしまい、自分にできることを、と思いついたのが料理。近所の主婦に料理を教え、主婦仲間と中華料理のシェフに料理を習いに行った。ある時、自宅に遊びに来ていたテレビ局関係者が彼女の腕前に驚き、フジテレビの「夕食ばんざい」という番組の裏方の仕事を紹介される。36歳だった。そして雑誌「LEE」から仕事の依頼が来る…。栗原はるみには、母譲りの家庭料理と栗原家での西洋料理という、2つの家庭料理の経験が息づいている。

家庭料理の空白期を埋める。

栗原はるみのファン層は世代が広いが、栗原と同じ世代の女性が目立つという。著者曰く「今さら習わなくていいようなベテラン主婦がなぜ、と思うのは家庭料理の厳しさを知らない人である。」昭和ヒトケタ世代は、本格的に料理を教わるべき十代を、食糧配給の時代に過ごしている。昭和10年代生まれは、子供時代が戦中戦後に重なり、ひもじい思いをした。十代は男女平等・民主主義を教えられ、家庭を持つ二十代は、高度成長期で、育った環境とはまるで異なる台所を手に入れた。戦後生まれのベビーブーマーたちは新しいものが次々と登場する時代に育った。昭和前半世代に共通するのは、家庭の中で受け継がれてきた知恵や家庭料理を知らずに育っていること。あるいは戦争を始めた世代に不信感を抱き、封建的なニオイがする戦前の文化を信用していない。その中には食文化も含まれるという。料理の基礎が身についていないコンプレックスもある。そんな彼女たちにとって、自分たちと同じような時代を生きながら、親からきちんと料理を教わり、おいしい料理を食べて育った、栗原はるみのような存在は驚異なのである。

女性のヒエラルキーの頂点に立つ。

栗原のファンは同年代だけではない。若い世代にも多くのファンがいる。その理由を、著者は、栗原が、女性が求めるすべてを手にしているからだという。彼女は、高い社会的地位と高収入を約束してくれる仕事を持ち、幸せな家庭を維持し、育て上げた子どもたちもいる。女性たちの間にある暗黙のヒエラルキー。その頂点に立つのは、仕事も、結婚も子どもも手にした女性。2番目が、結婚と子どもを手にいれた専業主婦。そしてシングルマザーだがやりがいのある仕事を持つ女性が続き、共働きで子どものいない女性がその下にいる。一番下が独身女性である。

和食の系譜。

小林カツ代栗原はるみ。対照的な二人を紹介した後、著者は、和食文化の継承者ともいえる料理研究家を紹介する。土井勝土井善晴の親子、庶民派の村上昭子である。さらに2000年代に注目を浴びた料理研究家、辰巳芳子に触れる。彼女の立ち位置は、これまで紹介した、どの料理研究家とも違っている。辰巳は、レパートリーの多さや発想の斬新さで勝負する人ではない。ときどき「クロワッサン」に辰巳芳子特集として登場する。NHKでも何度も特集が組まれる。どんなレシピを提供するかではなく、どんな発言をするかで注目を集めた。辰巳は、食を入口に人の生き方、社会のあり方まで視野を広げて発言する。彼女の発言を引用する。「もう一度人間らしい心を取り戻すには、心をこめて三食を整えていくこと。それはひじょうに身近で、誰にもできる有効な手段なのです」「食べることは生きることの一部。呼吸することと等しく私たちの生命の仕組みに組み込まれているものです。生命と呼応するものを調理すべきように作り、過不足なく食べること、これに尽きます」

いのちを支えるスープ。

彼女が注目を浴びるようになったのは、2002年に出した「あなたのために いのちを支えるスープ」がきっかけである。このレシピ本は、辰巳の父が1972年に脳血栓で倒れた後、8年に及んだ介護でつくり続けたスープが元になっている。最初は料理研究家だった母、辰巳浜子の提案だった。その母も、父より早く、1977年に逝く。辰巳は、その後、スープを教える教室を開く。そこに誘われた出版社の編集者、土肥淑江が編集し、この本が生まれた。大きな文字2段組のレシピ本は高齢者でも読みやすい。嚥下障害に苦しんだ父が口にできたスープは、どれも手がかかっていて滋養に富む。同書で紹介されるスープは、半分が出汁をもとにした和の汁もの、半分が洋風のスープである。レシピによると、これらのスープはお金と手間がかかり、注意深く正確に作れる技術を要する。著者は、このスープを生み出した辰巳芳子の生い立ちと、彼女を育てた料理研究家の母、辰巳浜子の生涯をたどる。

平成「男子」の料理研究家。

家庭科は、小学校高学年で初めて学ぶ時は、男女共修だが、中学校、高校は女子だけという時代が続いていた。1979年に国連女子差別撤廃条約を採択したことを受け、遅まきながら1993年に中学校で、1994年に高校で男女共修が始まった。その世代が大人になった。彼らの親も戦後生まれで共働きも多い。ケンタロウが2000年代に人気を博したのは家庭科共修世代に受け入れられたという面が大きいという。そして2008年、料理番組「太一×ケンタロウ 男子ごはん」が始まる。料理の技術指導的なことより料理する楽しさに重きを置いた、この番組は人気を得て定着する。1年分のレシピと番組紹介を兼ねた「太一×ケンタロウ 男子ごはんの本」はベストセラーになった。しかし、2012年2月、ケンタロウは事故で番組に出られなくなった。番組は、4月からの4ヶ月間ゲストを招いて様子を見たあと、8月から栗原心平をメインキャストに迎えた。このほか、ケンタロウの友人のコウケンテツを紹介している。

すぐそばに料理という王国があった。

僕自身、食べることは好きなのだが、これまで自分で料理をすることにまったく興味が持てなかった。周辺にいる料理男子諸氏を見るにつけ、羨ましく思うこともあり、何度か挑戦しかけたことはあるのだが、いつも挫折に終わっている。しかし本書を読むと、料理とは、なんと豊かで、興味深く、奥深い世界なんだろうと思い知らされる。自分のすぐそばに、思いもよらない巨大な王国が存在していたことに今まで気づかなかった迂闊さを後悔する。そこには家庭料理の世界を切り拓いた多くの先駆者や英雄がいる。革命家も発明家も思想家もいる。伝統を受け継ぐ匠がいる。そしてカリスマもアイドルもいる。本書を読んで、もう一度、料理に挑戦しようという気持ちになった。今度こそわが家の「男子ごはん」はうまくいくだろうか?

ルパート・サンダース監督「Ghost in the Shell」

劇場版アニメをロードショーで観たのが僕のささやかな自慢である。

アニメの原作が実写化されると失望することが多いが、本作品はとてもよかった。押井守監督の「Ghost in the Shell」の世界観、ストーリーをかなり忠実に実写化している。ストーリーやエピソードはもっと大胆にアレンジしてもいいと思うのだが、ルバート・サンダース監督は、劇場アニメ版の世界を丁寧にたどっていく。オープニングのアンドロイド誕生、冒頭の高層ビル屋上からのダイブ。「ブレードランナー」にルーツを持つ、荒廃した中華的都市の風景。偽の記憶を移植された哀れな男。水没した広場での光学迷彩をまとった少佐とテロリストの格闘。ラスト近く、多脚戦車との戦闘から、ハッカーとの接続、ヘリからの狙撃まで…。劇場アニメ版のエピソードを忠実に辿りながら、別の物語を展開していく。それは押井版、士郎正宗の原作には無かった、少佐が自らの過去を探す物語だ。

過去の自分探しの物語になってしまったのは残念。

少佐はかつて難民の一人であり、テロリストに襲われ、家族も、自らの身体も失われたとされているが、それは偽の記憶であり、実は草薙素子という日本人女性であることが明らかになってくる。このストーリーの改変は、個人的にはNGで、劇場アニメ版(コミック版も)のほうがよかった。ラストで少佐は、天才ハッカー「クゼ」との融合を拒否して、草薙素子として生きていこうとする。それはわかりやすく、共感しやすいストーリーかもしれないが、僕は、劇場アニメ版のように、ネット上に誕生した「生命体」と素子が融合して、新しい存在へと進化していくほうがずっといいと思う。桃井かおりが演じる、素子の母親が登場してきた時は思わずずっこけた。この改変によって、作品は安易なヒューマンドラマになってしまったと思う。劇場アニメが描こうとした「身体を失ったサイボーグの悲しみ」と、「人間の世界を捨ててネット上の生命体へと進化する人類の未来」がどこかへ行ってしまったのが残念だ。

とはいえ大満足!

個人的な難点を書いたが、100点満点に近い出来上がりに大満足なのだ。多脚戦車が登場した時は、涙が出そうになった。(ただし、戦車のデザイン、戦闘シーンのクールさ、迫力では、劇場アニメ版のほうがずっと勝っている。)その直後、「ヘリからの狙撃シーン」まで出てきた時は、椅子から転げ落ちそうになった。アニメ版では、スナイパーに対して「心肺機能の調整に入れ」という指令が出るのだが、そんなディテールまできっちり描いてほしかった。実写版でいちばん気に入ったのは「ゲイシャロボット」の造形かな。確かテレビ版のStand Alone Complexには出てきたと思うが、花魁風のコスチュームで登場し、襲撃を受けると、蜘蛛のように動いて壁を登っていく場面は素敵だ。多脚戦車やタチコマなど、蜘蛛や甲殻類から連想したと思われるロボットの造形は、原作者がこだわるイメージでもある。

興行的には、日本では成功しているようだが、米国ではそれほどでもないという。素子役をスカーレット・ヨハンセンという白人女優が演じたことが不振の理由だというが本当だろうか。

数多久遠「半島へ 陸自山岳連隊」

 

この時機に、あまりにタイミングが良すぎる!?出版。

実兄の暗殺、粛清される高官たち、ミサイル発射、核実験など、エスカレートする挑発行為…。迫る北の崩壊。その時、韓国、米国、中国はどう動くのだろう。そして日本は、自衛隊はどう対応するのだろう…。元幹部自衛官による軍事シミュレーション小説。竹島を題材にした「黎明の笛」、尖閣諸島を舞台にしたハイテク潜水艦同士の対決を描いた「深海の覇者」に続く第3弾。今回は「北の崩壊」と「生物兵器」がテーマだ。本書の中で、崩壊のきっかけとして実兄の暗殺をあげているが、本書が執筆されたタイミングは、当然ながら暗殺事件以前であり、出版直前に、その部分だけ書き加えられたのだろう。著者が元幹部自衛官のせいか、登場する自衛官たちの意識の描かれ方が、他の作家とは微妙に違っている。どこが、と具体的に指摘できないのだが、「そうか、そういう感覚なんだ」と感じることが何度かあった。外部から見ているだけでは、決して理解できない当事者感覚というのだろうか。そして、このことが本書のリアリティを高めている。

崩壊と同時に進められる作戦とは。

日本政府は、北の崩壊に合わせて、自衛隊による作戦を計画していた。自衛隊 特戦群・空挺団が米軍と共同で行う、弾道ミサイルの発見と破壊作戦「ノドンハント」。そして残された拉致被害者の一斉救出作戦である。さらに密かに進められるもうひとつの作戦があった。それは北が密かに開発を進めている生物兵器を発見し奪取する作戦である。生物兵器の研究所は急峻な山岳地帯にあり、陸自の山岳連隊である第13普通科連隊が投入される。

毎朝新聞の記者である桐生琴音は、自衛官の種痘接種による副反応被害を取材する内に、この作戦の存在にたどり着く。しかもその作戦に自分が好意を持っている自衛官、室賀が関わっているらしいことを知る…。これ以上ストーリーを紹介するのはネタバレになるので止めておこう。本書は、桐生琴音による謎解き、山岳連隊の侵入と戦闘、御厨首相(女性)を中心とした日本政府の対応という、3つのポジションで進んでいく。琴音の謎解きも面白いが、読み応えがあるのは、山岳連隊の戦闘場面だ。終盤に向かって、予期せぬ事態の発生など、スリリングな展開でいっきにラストまで引っ張っていく。2日間で読み終えた。

安保法制と機密保護法の使われ方。

今の自民党政権が成立させた法案が、本書の中で、実際に機能している。物語では、北朝鮮内での自衛隊の軍事作戦が当然のように実行されているが、その根拠は2015年に成立した安保法制である。「日本に対する直接の脅威が顕在化していなくとも、存立危機事態を認定して自衛隊を動かすことが想定されていた。」と解説されている。また琴音が取材中に、秘密保護法違反の容疑で拘束され、取り調べされる場面もある。そうか、あの法制は、こんな風に使われるのか、と、怖さを感じた。

現実の崩壊の時には、どんな作戦が計画されているのだろう。

緊張の高まる北朝鮮問題。崩壊は時間の問題だという人もいる。崩壊が現実のものとなった時、政府や自衛隊は、どのような作戦を実行するのか、計画されているのだろうか。本書のように自衛隊の特戦群や空挺団が北朝鮮に侵入してノドンハントや拉致被害者救出を行うのはとんでもないと思うが、実際には、そのような作戦が当然のように計画されているのかもしれない。そんな風に思わせるのも、この作品のリアリティかもしれない。それにしてもタイミングが良すぎで、ちょっと不気味。

前作で、トム・クランシーに匹敵するハイテク軍事スリラーの誕生と書いたが、今回はハイテクとは言えない。それでも面白いのは著者の筆力のせいだろう。タイトルから、村上龍の「半島を出よ」を思い出した。あちらは、北朝鮮軍が博多を占領する話だったが。

桐野夏生「夜の谷を行く」

著者の作品で読んだのは「魂萌え」「グロテスク」ぐらいだが、テレビドラマや映画になった作品は気になってけっこう見ている。著者は実際に起きた事件をモチーフにして作品を書くことがあるが、本書も連合赤軍の事件がモチーフになっている。事件は僕が高校の時に起きたが、当時は学生運動そのものに拒否反応があり、事件を詳しく知ろうとは思わなかった。その後もまったく関心が持てないまま時間が経ってしまった。閉ざされた集団の中でリーダーたちが徐々に狂っていく過程に興味を覚えて、ドキュメンタリーや小説を読むようになったのは、この10年ぐらい。カバーの不気味な写真は、よく見ると「ママチャリ」。ママチャリだって描き方しだいでホラーな絵になる。

40年前の事件が蘇ってくる。

主人公の西田啓子はかつて連合赤軍の兵士だった。彼女は、メンバー同士による「総括」と称する批判によってリンチで12人が殺された「山岳ベース事件」から脱走した一人だった。現在は、一人の妹以外は誰ともつきあわず、ひっそりと暮らしていた。事件から39年が経った2011年、元連合赤軍の仲間から連絡がくる。彼から最高幹部の永田洋子が死んだことを告げられる。そして彼女に会って取材したいというライターを紹介される。さらに元の夫からも電話がかかってくる。同じころ、姪の結婚が決まり、自分の過去を告げざるを得なくなり、妹との関係も険悪になっていく。封じ込めていた過去が永田洋子の死をきっかけに甦ろうとしているかのようだ。そして3月11日の東日本大震災が起きる。以後、震災報道の様子は、暗騒音のように物語を支配している。

むしろ淡々とした印象で読み進んでゆく。

主人公の、スポーツジムに通うのと図書館の本を借りて読むのが日課という、単調な生活のせいか、読んでいる印象は淡々としている。事件の頃を思い出す場面は出てくるが、事件のドキュメンタリーを読んだ時のような執拗さ、陰惨さは感じられない。主人公は、元夫や昔の仲間と話すうちに、自らも忘れていた事実と向き合わざるを得なくなる…。過激な武装闘争をめざす集団がなぜ、凄惨なリンチ殺人を犯すようになっていったのか?閉ざされた集団の中で、悪霊が生まれ、若者たちの心を少しずつ侵食していき、狂わせていった様子を描いてほしい。僕が連合赤軍の事件に関する本を読むのは、その過程を知りたいからだ。執拗な「総括」やリンチの描写を読む辛さを覚悟して読み始めたが、ちょっと肩透かしをくらった印象。著者は、あの事件の違った側面に光を当てようとしたのかもしれない。ネタばれになるので書かないが、ラストは鮮やかだ。静かな感動に包まれる。

 

村上春樹「騎士団長殺し」

サクサク・ストーリー。

これまででいちばんサクサク読めた。途中でひっかかったり、退屈したり、考え込んだりすることなく、ほんとうに、サクサク、サクサクとストーリーが進んでいき、2冊合わせて1000ページにもなる大作をいっきに読ませてしまう。元々ストーリーテリングが巧みな作家だが、本書では、絶妙というか、なんか巧妙な手品を見せられているようで、ちょっと気味が悪かった。そのせいか、読み終えたあと、思い返すと、いくつか破綻ではないかと思えるところが出てくるが、読んでいる間は、そんなことに全然気づかない。ひょっとして、この「サクサク感」こそが村上春樹の「キーワード」ではないかと思えてきた。あとで「サクサク感」の原因をじっくり考えてみよう。

 回想で語られる物語。

プロローグ。読者は、いきなり寓話的な世界に放り込まれる。そして「騎士団長殺し」が一人の画家が描いた絵であることを告げられる。そして第1章?が始まると、村上作品を読み続けてきた読者には、懐かしいようなハルキワールドが展開していく。主人公は、穏やかだが頑固に自分のスタイルを守り続ける職業人。今回は肖像画の画家という設定。主人公は、妻との結婚生活を一度解消し、9ヶ月後に、もう一度結婚生活を始めることになる。彼は、妻と暮らした家を飛び出し、長い旅に出る。旅から帰ってくると、美大時代の友人である雨田政彦の父であり、著名な画家であった雨田具彦が住んでいた小田原の山の上の家に、半ば留守番役として暮らし始める。その家の住人であった雨田具彦は、高名な日本画家であったが、認知症が進行し、伊豆の高級養護施設に入っているという。小説はこの9ヶ月を主人公が回想する形で語られてゆく。

画家と絵画という新しい枠組み。

主人公は、山の上の家に住みながら、地元の絵画教室で教え、人妻との関係を重ねながら、絵を描こうとするが、描けない日が続く。以前の家の住人であった雨田具彦は、かつては気鋭の洋画家であり、第二次世界大戦前のウイーンへ留学していた。帰国した画家は、6年の沈黙の後、日本画を発表する。それ以後は、日本画を描き続け、日本画家として成功を収める。主人公は、ある日、家の屋根裏で厳重に梱包された1枚の絵を発見する。それは「騎士団長殺し」と名付けられていた。それは発表されていれば間違いなく雨田具彦の代表作なったであろう作品で、日本画ながら、血なまぐさい殺人の場面を描いた絵であった。その絵を見つけた頃から、主人公の周りでは不思議なことが起きはじめる。近所の豪邸に住む謎めいた人物、免色渉から肖像画の依頼。そして深夜に聞こえてくる鈴の音…。お約束ともいえるパラレルワールドの冒険が始まる。以前と違うのは、作品のタイトルに、「顕れるイデア編」「還ろうメタファー編」というような、「これはパラレルワールドの物語ですよ」と、わざわざ謳っていることだろうか。「騎士団長殺し」の絵が、現実世界とパラレルワールドをつなぐ重要なアイテムになる。主人公は「絵」を媒介にしてパラレルワールドイデアの世界)に入っていくのだ。著者が、画家を主人公にした作品を書いたのは初めてではないだろうか。主人公が、肖像画を描きあげていくプロセスがしっかり描写されていて興味深い。現実の画家がこの部分を読んで、どんな風に感じるのか聞いてみたい。著者の創作のプロセスを、絵画に置き換えて描いたようにも読める。雨田具彦のモデルになった日本画家がいるらしく、話題になっている。井上三綱(さんこう)という人で、西洋と日本を融合した作風で知られ、小田原の山の上に住んでいたという。

上田秋成、ウィーンのアンシュルス南京虐殺カルト教団

小説の中で語られる様々なエピソードが興味深い。真夜中に聞こえてくる鈴の音のエピソードの中で語られる上田秋成の「二世の縁」の話。ウィーンでのナチスによる大弾圧「アンシュルス」の話、他に日本軍の南京大虐殺の話、秋川まりえの父が傾倒していくカルト教団の話など。それらのエピソードが物語の中で違和感なく組み込まれ、ストーリーが進んでいくのだ。

謎の人、免色渉(めんしきわたる)

本書の中で、主人公に関わり、物語を展開させていく重要な人物が、この免色渉である。著者は、免色のディテールを執拗に描写するが、なぜかリアリティが感じられないのだ。山の上の白亜の豪邸にたった一人で住み、お金があり余るほどあって、趣味みたいな感じで株や為替の取引をやっている人物だという。主人公がパラレルワールドの冒険から帰ってきた後、友人の雨田政彦に免色の話をすると、雨田は、「なんだか、火星の美しい運河の話を聞いているみたいだ。」という感想を語る。重要な人物なのに、空想の世界の人物を語っているようなリアリティのなさは何だろう。彼のルーツは、過去の作品の中にいるような気もするが、よくわからない。このあたりの解釈は、加藤典洋の「村上春樹イエローページ4」を待ちたいところ。

これまでと一番違うのは読後感だ思う。

これ以上中身を紹介しても意味がないので、感想を書くことにする。本書は読みなれたハルキワールドのように見えるが、ところどころ微妙に違ってきている。一番違っているのは、読後感だ。物語は、一応、ハッピーエンドっぽく終わる。しかし、なぜか未達感のようなものが後に残る。1000ページを越える長編なのに、何のストレスもなくいっきに読めてしまう。本書はサクサク読めるが、謎は増える一方だ。読み終えた後、「あれっ」と思うような「疑問」がいくつも湧いてくる。まりえの失踪と主人公のパラレルワールド(メタファーの国)の冒険は、もちろん関係あるのだが、何がどうつながっているのか、まったく見えない。免色渉とはいったい何者なのか?スバルフォレスターの男は?物語は終わったはずなのに、「顔のない男」は、なぜ主人公に肖像画を書かせようとするのか?などなど。加藤典洋の著作「村上春樹はむずかしい」ではないが、「村上春樹は、読むのは易しいが、理解するのは難しい」と言ってみたくなる。

ハルキワールドへ、おかえりなさい。

やはり著者は「喪失と冒険と再生の物語」に帰ろうとしているのだと思う。そして彼のストーリーテリングは、さらに冴え渡り、スムーズになって、ますますサクサク感が高まっていく。「なんか、物語のつながりに破綻が!」と思っても、「そんなこと、僕にはわかりません。物語に聞いてください。」という答えが帰ってきそう。

 

姫路城マラソン完走記(京都マラソン棄権)

 

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よりによって、こんな時に!初の京都マラソン一週間前、インフルエンザ発症!

大阪は5度、神戸は3度当選していたが、同時期に始まった京都は一度も当選したことがなかった。6回目となる2017年に初当選。初めての京都ということもあり、いつもは応援に来ない家人も、友人のH君を誘って応援に来てくれることになった。ゴール後、夕食を食べに行くお店も予約。そのまま三条のホテルに泊まり、翌月曜は仕事を休んで京都観光の予定も立てていた。その一週間前、こともあろうに夫婦揃ってインフルエンザの診断!その前の週の後半、咳がひどかった家人は、金曜日の夜には寒気を感じるようになった。土曜日に耳鼻科に行ったが、建国記念日で休診。しかたなく月曜日に病院に行くことになった。僕の方は、土日に10kmずつ走り、一週間後の本番に備えた。ところが、月曜になって仕事に行く途中、関節に軽い痛みを感じた。昼頃になると、寒気もしてきて早退する。家人のほうも午前中で早退していた。夫婦揃ってかかりつけの耳鼻科へ。なんと二人ともインフルエンザと診断。よりによって、こんなタイミングで。あんまりではないか!2014年の東京マラソンも、直前に正体不明の高熱と浮腫みに襲われ、泣く泣く棄権したことを思い出した。翌2015年も、ほぼ同じ時期に同じような症状が出て、篠山マラソンが危なかった。医者は花粉症を疑った。昨年は、2月初めから花粉症の薬を飲んでいたので、症状は出なかった。今年も2月初めから花粉症の薬を飲んで、マラソンに備えていたのだ。仕事は当然二人とも一週間休みになった。僕の方はフリーランスの身なので、休むのは難しくない。症状は夫婦とも軽めで、病状が回復したら走れるかもと一瞬思ったが、マラソンのように人が大勢いる場所にインフルエンザの患者が紛れこんでウィルスを撒き散らすわけにはいかない、と断念。お店もホテルもキャンセルした。幸いというべきか、二人ともインフルエンザの予防接種をしていたせいか、症状は軽く、火曜の夜には熱も下がった。関節の痛みが木曜までは残っていたが、金曜日にはほぼ回復した。

そうだ、姫路城マラソンにエントリーしてたんだ。

京都マラソンを断念した直後から「姫路城マラソン」のことが頭をよぎるようになっていた。東京マラソン京都マラソン、姫路城マラソンは、ほぼ同時期に開催され、抽選も同じ頃に行われる。昨年9月、まず姫路城マラソンの当選、東京の落選が決まった。京都の抽選発表はまだだったが、どうせ駄目だろうと思い、姫路城マラソンの入金も済ませてしまった。ところが2週間後、京都マラソンも当選になり、お金がもったいないと迷ったが、初当選の京都のほうを走ることにした。インフルエンザで京都を断念してから、姫路城マラソンを走りたいと思う気持ちが強くなってきた。家人に相談すると「駄目駄目!インフルがぶり返したらどうするの」と反対していたが、インフルの症状が思ったより軽く、回復も早かったせいもあって「勝手に走れば〜。ぶり返しても知らないよ、応援行かないからね」と冷たいながらOKの空気になってきた。姫路を走るとなると練習も再開しないといけない。日曜まで我慢して、10kmほど走ってみる。膝の関節に違和感を感じるものの、走れそうな感触があり、姫路を走ることに決める。4日前の水曜日にも10kmを走って、当日に臨む。

前日入り、ホテル泊。

当日は7時から荷物預かり。8時15分〜45分にランナー集合。スタートは9時。逆算すると7時半には会場に着きたい。姫路駅から会場まで徒歩15分なので、7時15分頃には姫路駅に着きたいところ。乗り換え案内で検索すると、あてはまる電車がなく、前日入りになってしまう。一番早いので7時30分だ。何度も乗り換えて山陽電鉄を利用して7時17分到着というルートがあった。最寄駅の宝塚南口出発は5時5分となる。「午前4時起きかあ」と悩んでいると、家人から「前日から行って、姫路に泊まったら。ビジネスホテルだったら出してあげてもいいよ」という助け船。さっそくネットで調べてみるが、さすがに姫路市内はどこも満室。エリアを広げると加古川駅前のビジネスホテルに空室があったので予約。前日、午前中、会計士さんが来て確定申告の相談、午後一番で買い物を済ませ、3時頃、家を出る。乗り継ぎが悪く、姫路に着いたのは4時45分頃。駅を出ると正面に姫路城が見える。駅とお城をまっすぐな大手前通りが結ぶ、このたたずまいは悪くない。ここが県庁所在地でもおかしくない。駅から15分ほど歩いて受付会場のイーグレひめじに向かう。受付を済ませ、マラソンまつりをさっと見て、長い本町通り商店街を抜けて姫路駅に戻る。駅の構内のパスタ屋さんでパスタを食べ、普通電車で15分ほどの加古川に向かう。駅から徒歩3分のビジネスホテル。部屋に入ってシャワーを浴び、ゼッケンをつけるなど、装備をチェックする。あとはベッドに入って本を読む。午後9時半ごろ就寝。寝つきのよい自分には珍しく、夜中に何度か目が覚めた。

当日。

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午前5時起床。6時朝食。6時20分チェックアウト。6時40分の普通電車に乗る。姫路駅6時58分着。改札を出ると高校生(中学生?)のブラスバンドが迎えてくれる。これはよいアイデアで気分が盛り上がる。気温は3度とけっこう寒い。大手前通りを進むと途中で昨日帰りに通った本町通り商店街に誘導される。まだ開いている店はほとんど無く、薄暗い中をランナーたちが進んでいく。昨日の受付会場の北側に大手前公園があり、その地下の駐車場が男子の更衣スペースと手荷物預かりスペースになっている。これはよいアイデアで、大スペースを確保できて、しかも大勢のランナーが入ると少し暖かいのもいい。ウエアに着替えて手荷物を預けると7時45分。地上に出て、お城のほうへ軽く走る。戻ってくると8時15分。ランナー集合の時間だ。

装備。

トップはCWXの厚めのジッパー付シャツに、姫路城マラソンの参加賞のTシャツを重ね着。ボトムはミズノのサポート機能なしの防寒タイツに膝丈のナイキ・エアフィット・パンツ。シューズは昨年の大阪マラソン、宝塚ハーフを走ったアディダスのジャパンブースト。帽子ではなくバイザーを被る。時計はGARMIN。前後に振り分けたウエストバッグには、ジェルのサプリを3本、塩飴3個、エアサロンパス(試供品のミニ)、ティッシュ2パック、iPhone6、予備のバッテリーパック。けっこう重装備になった。スタートまでは、防寒のためのビニールポンチョを羽織る。

 

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スタート。北へ。逆走ランナーと衝突。

8時45分、セレモニーが始まる。スタート地点のステージの上は見えないが、聞きなれた声。「世界遺産姫路城マラソン 応援軍師 黒田カンペイこと間寛平です!」という自己紹介から始まったセレモニーは短めで好感が持てた。いよいよスタートだ。インフルエンザ明けのフル挑戦が始まった。号砲からさほどのタイムラグもなく、動き出した。100mも行かないうちにランニングに変わる。姫路城を背に、大手前通りをまっすぐ南下。駅の手前で右折して西へ向かう。すぐに右折して北に向かい、左折して北西に向かう。3km地点でポンチョを脱ぐ。暑いマラソンになりそうだ。突然、前方からランナーが逆走してきて、激しくぶつかった。肩と脚がからまってあやうく転びそうになる。手袋か何かを落として、拾うため引き返したらしいが、他のランナーにもぶつかったらしく、後ろのほうから悲鳴が上がる。これは明らかにマナー違反。何かを落としたことに気付いたら、コースの端に寄って(できればコースを出て)、ランナーの迷惑にならないように後戻りする。落とした場所の少し手前からコースに戻り、流れに乗りながら、落し物に近づいて拾いあげる。というのが正しいやりかただろう。

15kmまでは登り。夢前川の上流へ。

行く手には播州地方特有の低い山が見える。道はゆるやかに北に曲がり、前方に書写山が見えてくる。7km付近で夢前川の左岸沿いに出る。山陽自動車道を越え、書写山に登るロープウエイを左手に見上げながら北上。ここまでは抜かれる一方で、ペースもキロ6分30〜40秒前後にとどまっている。いつもなら最初の10kmぐらいまでは周囲の速さに引っ張られてキロ6分前後のペースになるのだが、インフルエンザの影響か、ペースが上がらない。コース図によると前半の15kmまでは70mほどの落差の、気付かないほどの登りである。知らず知らずのうちにペースが落ちるので、キロ6分30秒を維持することに努める。あとから考えると、前半の、この頑張りが25km過ぎの失速につながったのだと思う。9km付近で橋を渡って右岸を行く。なだらかな山並みを縫うように流れてゆく早春の夢前川が美しい。しばらく行くと、道の左側に菜の花畑が広がる。

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15km付近で登りが終わり、ペースアップ。

夢前川は清流で、上流にはカジカが生息していると聞いたことがある。しかしマラソンのコースとしては単調で、同じような風景が続き、僕たち亀ランナーには辛いコースでもある。集落にさしかかると、村中の人が集まってきたような人数の応援で迎えられる。学校のそばにさしかかると、たいていブランスバンドや太鼓の応援があり、元気をもらえる。案山子の応援が2箇所あった。10kmを越えたあたりだろうか対岸の道を、折り返してきたランナーがやってきた。地元のFM局が、ランナーへの応援メッセージを大音量で流している。相変わらずペースが上がらない。15kmあたりでようやく登りが終わる。16km過ぎでやっと折り返して、少しペースが上がった。キロ6分10〜20秒台をキープできるようになった。折り返した後、20km付近の給水所で、ジェルのサプリを補給。川沿いの風景は相変わらず単調。集落での応援で、ちょっと元気をもらう。

姫路は美人が多い?!

気のせいか、沿道で応援してくれる女性に美人が多いと感じた。中高生から、主婦まで、はっとするような美人を何人も見かけた。これまでたくさんのマラソンを走ってきたが、こんな風に感じたのは初めて。コースが単調なせいで、そんなところに目が行くのかもしれないが…。姫路に多いのか?夢前川流域に多いのか、どっちだろう。

竹炭そば、たまねぎスープ、蒲鉾、ぜんざい…。

20kmを越えたあたりから、膝に違和感を覚えるようになった。インフルエンザで熱が下がったあとも膝の関節の痛みはしつこく残っていたから、その影響なのかもしれない。気分転換のために給食コーナーでしっかり食べることにする。竹炭を練り込んだそば、たまねぎスープ、蒲鉾、ぜんざいなどをいただく。しっかりストレッチもして、後半に臨む。この頃になると、周囲のペースが一定になり、同じ顔ぶれで走るようになってくる。25kmぐらいまではなんとか快調に走れたが、ペースが落ちてきた。この先が思いやられる。腰を高く保って、骨盤を立て、腕をしっかり振って、リズムを守る。

下流へ。30kmの壁。

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ようやく山陽自動車道が見えてきて、姫路市街が近づいてきた。しかし往路を戻るのではなく、27km付近で河を渡り、右岸をさらに下流へ向かう。ここからが長かった。道は土手上の散歩道のような狭い道になる。道沿いには桜が延々と植わっていて、お花見によさそう。しかし単調なのは変わらず。その上、対岸の土手道は折り返してきたランナーの列が延々と続いている。土手道なので、小さなアップダウンがあり、けっこうきつい。30kmを越えたあたりで、ついに足が止まった。これがマラソン名物「30kmの壁」。練習不足のツケはきっちりやってくる。こうなるともう我慢しかない。膝の違和感はすでに鈍い痛みに変わっている。立ち止まって、2本目のジェルサプリを補給し、ストレッチを念入りに行って、12kmの苦行に出発する。走り方も変える。腕振りを強くしてリズムを保ち、動かない脚を無理やり動かす。いつまで経っても対岸にわたる橋が見えてこない。33km手前でようやく橋を渡り、上流へ向かう。ここからの左岸の土手道も長く辛かった。歩幅が小さくなり、ペースはキロ7分台に落ち、気を抜くと8分台まで落ちてしまう。35km手前の冷却スプレーポイントで、ふくらはぎ、膝、太ももの後ろを冷却し、さらに水をかけて冷やす。土手道のすぐそばまで住宅地が迫り、庭や自宅の窓越しに応援してくれる。この付近でも、チョコやアメ載せたトレーを差し出して「どうぞ」と声をかけてくれる人がたくさんいるが、いただく余裕はなくなり、「ありがとう」と手を振りながら通りすぎる。

ゴール。動物園。

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38km手前で、ようやく、本当にようやく夢前川を離れ、姫路市街に向かう。最後の3kmほどは、気が遠くなるほど長くて辛い。前を走っている滋賀から着た女性に、先にゴールした男性が沿道を走りながら励ましている。女性は脚を痛めているらしく、走り方が痛々しい。「無理に走らなくてもいいよ。歩いても腕さえ振ってれば、スピードはそんなに変わらないから。」女性は、男性のほうを見ず、走り続ける。市街地に入っても、姫路城が見えてこない。見えてきたのは残り1kmを切ってからだ。外堀を渡り、内堀を渡り、ようやくゴール。ゴール直前、20km過ぎから前後を走っていたカップルを抜く。スポーツドリンクと完走メダルを受け取り、フィニッシャータオルをかけてもらい、ICタグを外され、ランナー順路という案内に従って進むと、なんと動物園の中。あちこちの動物の檻の前のベンチで休んでいるランナーがいるのが不思議。動物園を出て、大手前公園に戻り完走証を受け取って、地下の手荷物預け&更衣スペースに向かう。地下に向かうスロープを、痛む膝でゆっくり降りる。このぶんでは今夜は筋肉痛で眠れないかもしれない。40分ほどかけて着替えて、JR姫路駅に向かう。新快速で三宮まで行き、阪急に乗り換える。宝塚南口に着いたのが5時前。風呂に入って、洗濯を済ませ、録画してあった東京マラソンブラタモリを見ながら夕食。11時に就寝。膝の筋肉痛で夜中に何度も目が覚めた。走った後、こんな風になるのは最初のフルマラソン以来だ。練習不足、インフルエンザ、コース前半のゆるい登りによる消耗など、複合的な原因によるものかもしれない。

5時間8分35秒

ネットタイムは5時間7分46秒。記録は見るべきもの無し。ここ3年はサブ5すら達成できていない。もちろん練習不足が一番の原因だが、最近は練習していても「僕は、マラソンに向いてないのかも」と思ってしまったりする。

姫路城マラソンについて。

今年で3回目となる大会だが、運営や演出、ボランティア、ランナーのサポートなどは申し分なかったと思う。市民、学校などが一体となった応援も気持ちよかった。また走りたい。課題は、やっぱりコースだと思う。姫路城マラソンといいながら、コースの大半は夢前川沿いで、自然豊かな景観の中を走れるのは、いいと思うが、そればかりでは退屈してしまう。僕らのような亀ランナーにとって退屈は疲労につながり、辛いマラソンになってしまう。交通規制の問題でこうなったのだと思うが、これでは姫路の魅力を伝えるマラソンにはならない。コースを、もっと南の臨海部や、東西方向に広げれば、変化に富んだマラソンにできると思うが。

 

 

鳥居「キリンの子 鳥居歌集」

詩歌の本はほとんど読まないが、知人から本書を教えられて、即購入。著者のプロフィールが凄まじい。2歳の時に両親が離婚。目の前で母が自殺。児童養護施設に入るが虐待を受ける。小学校中退、ホームレスにもなった。拾った新聞で文字を覚え、短歌を作りはじめる。作品が入選し、歌集を出した今も、セーラー服を着て、母の形見である赤い傘をさしている…。こんな生い立ちの著者がどんな言葉を紡ぎだすのか?

鮮烈な言葉、凄惨なイメージ。

言葉が意味ではなく、ほとんど生理的ともいえる痛みとなって刺さってくる。母の自殺や目の前で電車に飛び込んだ友人、虐待の歌などは、読んでいて息苦しくなってくる。特に、友人が目の前で踏切に飛び込んで自殺した時の体験を歌った連作「紺の制服」は、歌人の目に焼きついた光景が、コマ落としの映像のように連続して動いていくのを読者は体験させられる。連作を読み終えて、思わず息を吐き出した。短歌でこんな体験をしたのは初めてだ。

歌われることで、救われていく。

救いは、少女が歌人になったことだろうか。泥にまみれ、地を這うような日々が、歌われることで詩に昇華され、救済されていく。描かれた体験は凄惨そのものだが、歌になった世界は、不思議と静謐で、読み手を癒してくれる。

なぜか懐かしさを感じる。

歌集を読み終えて、デジャ・ブというか、懐かしさのようなものを感じた。僕らがまだ十代だった頃、生きづらかったり、疎外感を感じたりしたことが、本書の中で極北の姿で歌われているのかもしれない。十代の終りに読んだ「天の鐘」という神経症の少女が書いた詩集を思い出した。地を這うような日々を生きる者は、大空や天に憧れる。著者も、歌の中で自らを天駆ける「キリンの子」であると歌いあげる。歌人は、今も複雑性PTSDに悩まされているという。