本が読めなくなった。

春頃から急に。

今年の3月頃から、急に本が読めなくなった。症状はこんな感じ。読み始めて数ページも進まないうちに集中が途切れ、本を閉じてしまう。目は文章をたどり続けているのに数行過ぎてから意味が入ってこないことに気づく。それとすぐ眠たくなる・・・。10代からずっと続けてきた読書は、僕にとって趣味というより食事や睡眠と同じ、生きる糧である。そしてこれからの老後の数少ない楽しみのひとつでもある。それができなくなった。困る。困るどころではない。本がない人生なんて生きててもしょうがないと思った。

白内障のせい?

まず疑ったのが、今年になって急に悪化した白内障。最初はランニング中に左目が眩しいと感じはじめ、そのうち左側の視野がぼやけるようになってきた。本を読むときも右目だけで読んでいる感じで疲れやすくなっているのは確か。以前から白内障と診断されていたが、それほどひどくないので、予防の目薬のみの治療で済ませてきた。眼科で診てもらうと、左目の白内障が進行していることが判明。早速手術を受けることにした。手術は少し手間取って、こわい思いをしたが、無事終了。左目の視界が戻ってきた。しかし本が読めない状態は変わらない。

これって認知症の初期症状?

認知症?思い当たる節は色々あって、まず、物忘れがひどくなっていること。短期記憶を中心に、直前の記憶が欠落することが多くなった。例えば、洗面所にいて「あれ、今、僕は歯を磨いたんだっけ?」と、ハブラシの濡れ具合を確かめたりする。廊下の物置を開いて「あれ、僕は何を取りに来たんだっけ?」みたいなことがしばしば起きるようになった。まあ、今のところ日常生活に支障を来すほどではないけれど・・・。他にも固有名詞が絶望的に思い出せなくなったこと。クルマの運転が下手になったこと。もうひとつ気になるのが走るのが遅くなったこと。以前と同じようなペースで走っているつもりなのに、タイムを見ると1kmで1分近く遅い。以前テレビの健康番組で「歩くのが遅くなったら、認知症を疑ったほうがいい」と医者が語っていた。走るのが遅くなるのは関係あるんだろうか?それと、昼間でもすぐ眠たくなって、よく寝ること。毎日10時間ぐらい眠るようになった。症状をあげていくとキリがないなあ。このまま認知症が進んで、要介護の老人になってしまうのだろうか。精神科で診てもらうことも考えた。でも、その前に、他に原因がないか探ってみよう。

「毎日が日曜日」と「コロナ禍」の巣ごもり。

この春、自分に起きたことを考えてみた。いちばん思いあたるのが「仕事がなくなったこと」定年後、細々と続けてきた仕事は、先細るいっぽうだったが、今年になってほぼゼロになった。昨年から契約していた求人誌の在宅ライターの仕事も、ペースや仕事の進め方になじめず、2月に契約を打ち切ってしまった。3月以降は完全な「年金生活者」になった。その変化を歓迎する気持ちもあった。「これからは思う存分本が読める。ランニングも毎日好きなだけ練習できる」と期待していた。しかし、フタを開けてみると、全然違っていた。それとコロナによる自粛も。

受注型人間。

半世紀近く続けてきた「働く」という生活が止まったこと。仕事で外に出かけ、人に会い、資料を読んだり、アイデアを出したり、文章を書いたり、誰かと飲んだり食べたり・・・。そんな生活のリズムがいっきに失われたインパクトは思った以上に大きかったのかもしれない。仕事にからんで様々な刺激が加わることで脳が活性化されていたのだろう。それと40年近く続けた広告制作の仕事で染みついた受注型生活。僕たちの仕事は、最初に課題やテーマを与えられ、それに応える形で動いてゆく、典型的な受注型ビジネスなのだ。だから仕事(課題)を与えられないと、脳のスイッチが入らないのだ。仕事がなくなって課題が与えられない状態になると、脳のスイッチが入らないまま、精神活動が止まってしまった・・・。それにコロナ禍による巣ごもり生活が加わって事態が悪化していったのかもしれない。本も読めず、外出もできず、テレビでコロナ報道ばかりを観ていた。すぐ眠たくなって、午睡が毎日の習慣になった。そんな生活が3カ月近く続いた。時々、近所の書店を訪れてみるが、どの本も読める気がしない。本を手に取ることもなく店を出ることが多かった。思い切って本を買って帰っても、読む気が起こらず、積ん読の山が高さを増すいっぽうだった。

模型づくり。

本の読めない、無為の日々から救ってくれたのが「模型づくり」。無意識のうちに、手を動かして何かを作ることを求めていたのだと思う。たぶんジグソーパズルとかテレビゲームでもよかったのだと思うが、 何かもう少しカタチがあって手応えのあるものを作りたかった。中学ぐらいまでは熱心な模型少年だったが、もう半世紀以上遠ざかっている。今の自分にもう一度模型など作れるだろうか?何を作ろうかと考えて、迷わず選んだのが「原子力潜水艦シービュー号」。1960年代半ばにテレビ放送された連続SFドラマに登場する潜水艦。かなり熱心に見ていたと思う。なぜ今頃「シービュー号」なのか、それを話すと長くなるので別の機会にしよう。メビウスというアメリカのメーカーが出している1/128スケールのプラモデルをamazonで購入。半世紀ぶりの模型作りがはじまった。本と同じように集中力が続かないのではないかと心配していたが、始めてみると、1日中でも飽きずに作業に没頭できた。60代半ばの年寄りが少年みたいに模型づくりに打ち込んでいる姿を家人は気持ち悪そうに見ていた。シービュー号の他に、プラモデルを2点、やまつみという地形模型、ペーパークラフトの「海底軍艦」を製作した。模型を作っていると、夢中で作っていた10代の頃を思い出す。

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武庫川ランニング

模型作りのおかげで、本が読めなくても、無為の苦しみも柔らげられ、コロナごもりの日々が過ぎていった。模型づくりに疲れると、着替えてランニングに出る。武庫川のそばに住んでいるので、三密を気にすることなく走ることができた。外の空気を吸って汗をかくと、落ち込んでいる気持ちがちょっと晴れる。毎日ランニングできる環境と習慣に感謝した。

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村上春樹「猫を棄てる」

6月の終わり頃だったと思う。近所の書店で、ふと目に止まったのが村上春樹の「猫を棄てる」小さくて、薄い本。新書サイズで100ページほど。著者が父のことを語ったエッセイらしい。なんとなく読めそうな気がした。思い切って購入することにした。さっそく家に帰って読みはじめた。驚いたことに、1時間ほどでいっきに読めた。著者特有の、サクサクと読みやすい文章のせいかもしれない。それとページ数対効果というのか、読む労力に比べて、得られるものが大きかった。ずっと村上作品を読み続けてきた者にとっては、「そうだったんだ」と腑に落ちる部分がたくさんあった。例えていうと、登山などで、長い道のりを歩いたあと、見晴らしのよい場所から、自分が歩いてきたコースを振り返って「僕が歩いてきたのは、こんなコースだったのか」と発見と納得と感慨が一緒に来るような感じ。小さな本なのに、読後感が驚くほど充実していた。どこが腑に落ちたかを少しだけ具体的に書いてみる。

それは村上作品の中に描かれた「戦争」のエピソードについてである。僕には、村上作品の中に、なぜ「ノモンハン事件」や「日中戦争」の話が出てくるのかが、ずっと謎だった。理屈は色々言われているが、いまひとつ納得できなかった。その謎が、本書を読んでいっきに氷解。書かれているのは著者の父の戦争体験である。父親は3度召集され、一度は日中戦争で戦った。過酷な兵役だった。除隊後も、父が属していた部隊は、ビルマなど、南方に送られ、ほぼ全滅に近い状態だったという。その体験は父親の人生に大きな影響を与えたようだ。著者は、子供の頃から、父が毎朝欠かさず長いお経をあげているのを見ていたという。父親は自らの戦争体験をほとんど語らなかった。しかし、その記憶は、父を通じて著者の心身にも刻み込まれている・・・。この本については、別に感想を書こうと思う。ともあれ、なぜか、この本がきっかけになって、他の本も少しずつ読めるようになっていった。次に読んだのが村上春樹の短編集「一人称単数」。この本の短編を1日1編ずつ読んだ。ちょっと不思議な話ばかりを集めた作品集で以前読んだ「東京奇譚集」の続編のような感じ。著者が少年時代を過ごした夙川や芦屋といった阪神間を舞台にした作品もあって、かすかに「猫を捨てる」と同じ空気が流れていると感じた。

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ツバメ号とアマゾン号

「猫を棄てる」「一人称単数」を読んだあと、少しずつ本が読めるようになってきた。まだ多くの本は、生理的に受けつけず、読める本は限られていた。かろうじて読めるのが昔読んだ本。それも10代の前半までに読んだ本。ある日、読めない本ばかりが並んでいる自分の本棚を眺めていて、1冊の本に目が止まった。アーサー・ランサムツバメ号とアマゾン号」イギリスの児童文学で、小学校か中学の図書館で借りて読んだ本。イギリスの湖水地方を舞台にした冒険物語で「ランサム・サーガ」と呼ばれるシリーズになっている。大人になってから、再読してみようと思ってシリーズの第1巻だけ買ってあった。箱入りの大きな本を引っ張り出して読んでみると、どういうわけか、十数ページをいっきに読み続けることができた。少年たちが夏の休暇に湖の中の小さな島で過ごす話。僕らが自転車に乗るのを覚えるように、彼らはヨットの操縦を覚え、湖の冒険に乗り出していく。そこには海賊(少女の姉妹)や敵、土人たち(大人たち)もいる。ヨットの操船に関しては子供向けとは思えないほどしっかりディテールが書かれていて、読み応えがある。毎日数十ページずつ読み進むことができた。「ツバメ号とアマゾン号」のあと、「ランサムサーガ」の作品を何冊か読んだ。7月の終わり頃には、それ以外の本も少しずつ読めるようになっていた。

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この文章を書いているのは10月4日。村上春樹、ランサムの次に読んだのはアーサー・クラーク「海底牧場」、ジュール・ベルヌ「海底2万里」、コナン・ドイル「マラコット深海」など。毎日少しずつ読んだ。どれも10代に読んだ本の再読。3月〜8月の半年間で読んだ本は10冊ほど。それまで月に5〜10冊は読んでいたので、驚くほどの少なさ。9月以降は、新しい本も読めて、月数冊ペースに戻りつつある。ようやくトンネルを抜けた感じ。それにしても、この半年間、僕に何が起きていたんだろう。
本が読めなくなるというのは、たぶん、老化によって現れる(失われる?)症状のひとつなんだと思う。少しずつ進んでいくこともあれば、ある日突然現れることもある。本を読む速度は明らかに以前より遅くなっているし、以前のように数冊を並行して読むのが難しくなっている。そこに定年やコロナ禍のような生活の大きな変化が加わると、症状がいっきに進んでしまうのかもしれない。