NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会』

今年の2月にテレビで「無縁社会」を見てから10カ月が経っている。
http://d.hatena.ne.jp/nightlander/20100208/1265596923
住所や氏名が不明で、引き取る遺族もない死者のことを「行旅死亡人:こうりょしぼうにん」と呼び、その実態は自治体も警察も把握していなかった。NHKが独自に調査すると、年間三万二千人の「行旅死亡人」が発生していることが判明。家族と故郷ともつながりを失い、さらに職を失うことで社会との縁を断たれた状態で死んでいく人々が急増している。そんなドキュメンタリーだった。自分が生きているこの社会が、いつの間にか、無慈悲な、冷たい世界に変貌してしまっている。番組を見ながら、足元から冷気がじわじわ上ってくるような感覚に襲われた。
番組放送中から反響が大きくインターネットの掲示板やツィッターで、30代、40代の視聴者が反応したという。この反響の大きさに、NHKは「追跡AtoZ」「ニュース番組」などで引き続き特集を組んだ。夏には100歳以上の高齢者が行方不明になっていることが次々に発覚。この10カ月の間に、自分の周辺にも変化があった。独身のまま中年を迎えていた知人のひとりが、脳梗塞で倒れ、発見が遅れたため、亡くなってしまった。東京でずっと生活してきた友人が、両親の介護のために、長年勤めた職場を辞め、関西に戻ってきた。秋になって、今度は80歳を越えた自分の母親が緊急入院し、認知症かと思わせるような状態に陥ったため、親の近くに住む姉と、介護の相談をしなければならなかった。結局、姉は仕事を辞めざるを得なくなった。その間、藤森克彦「単身急増社会の衝撃」を読んで、冷静になったり勇気づけられたり、坂口恭平「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」で開き直ったりしていた。周囲にも同じことを感じた人がいて、「まあ、覚悟を決めるしかないよな」と話しあったりしていた。幸い、母はすぐ退院し、意識のほうも、ほぼ回復してきている。「無縁社会」という言葉がもたらした当初のインパクトはかなり弱まってきていた。先週末、書店で本書を見つけた時も、「今ごろ出てくるかな」と一瞬迷ったが、購入した。通勤の往復と夕食時、就寝前に読んで1日で読了。基本は番組と同じ内容だが、番組の中では描かれなかった事実や情報も書きこまれ、内容がより深く、濃密になっている。また数人の記者による執筆だが、記者の個性が微妙に現れていて興味深い。番組で紹介された元大手銀行員の男性や、共同墓に申し込んだ生涯未婚の女性の話は、よりきめ細かく書かれており、番組の時よりも共感することができた。さらに番組放映後の後日談ともいえるエピソードも加えられており、少し安堵させてくれる。元銀行員の男性は、番組を見た北海道の親戚から手紙が来て、交流が始まり、故郷の墓に入れるようになった。生涯未婚の女性のほうはガンが再発し、手術をすることになった。また長年の一人暮らしに限界を感じ、老人ホームを探し始めている。また、一人暮らしの高齢者を狙って高価な商品を売りつけるビジネスが後を断たないという現実もある。
番組の衝撃は、高齢者だけでなく、若い世代にも拡がっていった。第6章では、ネットの掲示版やツイッターに投稿した若い世代の反応が取材されている。「自分の未来の姿だ」「他人事ではない」「無縁死、20年後の自分」という若い世代の反応。故郷を離れ、都会で単身で暮らすフリーライターや、仕事以外は、ほとんど人間関係を持たない「ひきこもり」システムエンジニアなど、自分を「無縁死予備軍」と自覚する若者の日常が描かれる。
行旅死亡人」「共同墓」「直葬」「特殊清掃業」など、初めて耳にする言葉だが、水面下では、すべてがつながっている。少子高齢化、単身世帯の増加、生涯未婚の増加、非正規雇用の急増、ワーキング・プア、ネットカフェ難民、ひきこもり、介護、医療、年金…。この数十年の間に、日本の社会が見捨ててきたもの、気づきながら放置してきたもの、そして忘れ去ったものが、今になって、ことごとくつながって表面化してきているのだ。人々の絆を次々に絶ち切っていった犯人は何者だったのだろう。この状況が、そう簡単に変わるとは思えない。きっとさらに深刻化していくだろう。単身世帯は拡大し続け、無縁死も増え続けるだろう。北欧などの状況を見ると、文明が進歩していくに従って、個人は孤立していくのものなんだと思う。問題は「孤立していく個人」をサポートするシステムを社会が創りあげてきたかどうかだ。日本はそれを怠ってきた。家族や個人に、その負担を押し付けてきたのだ。社会は、地縁を断ち切り、血縁を薄め、いまや社縁さえも奪い去ろうとしている。これこそが、私たちが直面している現実なのだ。すぐそばにあった無縁死に、いままで気づいていなかっただけなのだ。そして、これからしばらくは、この状況が続くだろう。「新しい絆」を作っていこうという試みは、あちこちで、もう始まっていると思う。それが成果を生み出すまで、誰もが自分の力で、対処していくしかない。最後の時が訪れる前に、自分を看取ってくれる人を確保しておくこと。血縁以外のつながりを作っておくこと。老後を過ごす充分な資金も用意しておくこと。そして、いよいよ行き詰まったら例の「都市型狩猟採集生活者」になる手もある。要は絶望しないことだ。「無縁死」という言葉の響きに負けてはならないと思う。そして少しでもいいから、自分から動いて、新しい「絆」を作っていこうと思う。