吉村作治・梅原猛『「太陽の哲学」を求めて』


福岡伸一の対談集「エッジエフェクト」の梅原猛との対談の中に出てきた本。個人的な課題図書としていた本である。2008年、梅原猛吉村作治の案内でエジプトを旅することになった。彼は出発までにエジプト文明の予習をしておこうと吉村作治の著書を読み、すっかりエジプトにとり憑かれてしまう。旅のはじめのころ体調の思わしくなかった梅原猛は、エジプトを旅するにつれて、同行者が驚くほど元気になっていったという。彼は、自分がエジプトの太陽神、ラーの神霊に触れて、すっかり健康を回復したと語る。梅原猛思索の魅力は、彼が実際にその場所に立ち、そこで得たインスピレーションによって思索を展開していくところにある。実際、対談の冒頭で、彼は、哲学者には、西田幾多郎のように、ひたすら自らの思索に集中するタイプと、和辻哲郎のように外界の刺激を受けて、そこから思想を創り上げていくタイプがあり、自分は後者を手本としていると語る。本書は、この旅の途上、エジプトの地で行われた対談集である。梅原猛は、この旅において2つのインスピレーションを得る。ひとつは太陽神を崇めるエジプト文明天照大御神を崇める日本の古代文明との類似である。そして、もうひとつは、西洋文明の起源をギリシア哲学とユダヤ教キリスト教に求める従来の歴史観が誤りであり、それ以前のエジプト文明の影響を少なからず受けているという認識である。さらに彼は、西洋文明が、太陽神や多神教を捨て去り、一神論を成立させ、近代文明を築きあげたことが現代の人類の不幸につながっていると論じる。人類は、もう一度太陽神を中心とする多神教の思想から出発した哲学を創り上げるべきなのだ、と。こう書くと簡単だが、それを論証するのは途方も無い努力が必要になる。梅原猛は、残された人生をこの「太陽の哲学」の体系化に捧げたいと決意する。ここまでのロジックは概ね理解できる。しかし、実際にその論証を理解することは容易なことではない。エジプトの文明は、もちろん、その後に生まれたユダヤ教や、キリスト教イスラム教の発生を辿り、さらにギリシア哲学がどのような影響を及ぼしたかを理解し、そして中世や、近代から現代にいたる思想の潮流までを、根底から再考する試みである。しかも縄文時代弥生時代多神教、太陽信仰からつながる神道や、仏教など、東洋思想の潮流までも視野におさめた考察が必要になる。これは壮大な目論見であり、その意義は大きいと思うが、自分の知識レベルでは到底理解できそうにない。梅原先生の超人的なインテリジェンスに期待しよう。本書で面白かったのは、ピラミッドやスフィンクス、巨大な神殿が、生と死が永遠に循環するという古代エジプトの世界観を実践するために建設されたという話と、ユダヤ教キリスト教などの一神論が生まれてきた経緯だ。「バビロン捕囚」「出エジプト」「十戒」等、歴史の教科書で出てきた事件や人物に再会できる。