内田樹「邪悪なものの鎮め方」


2月のエントリーに本書の購入エントリーがある。ちらっと「1Q84」について書かれた章を読んで、ちょっと遠ざかっていた。同じ著者と釈徹宗との対談「現代霊性論」を先に読み、さらに他の本にいろいろと浮気している内に家人に先に読まれてしまい、なかなか戻ってこなかった。「あなたも読んだら。面白いわよ」と家人に逆に薦められなかったら読まなかったかもしれない。テーマは釈徹宗との掛け合い講義集「現代霊性論」と重なる部分もあるが、もっと幅広い。裁判員制度から、全共闘幽体離脱、草食系男子までを、内田先生独自のユニークな論理で切りまくる。でも基本はタイトルの「邪悪なものの鎮め方」の指南書である。人は、どうしていいかわからないような邪悪なものに出会って、しかし正しい選択をしなければ死んでしまうような時に、どうすれば正しい選択ができるだろう。古来より「物語」は、そのような「どうしていいかわからないのに、正しい選択をして生き延びた主人公」の話に満ちている。ナチスホロコーストルワンダのジェノサイド、ボスニア民族浄化…。世界を邪悪な狂気が覆い尽くそうとする時、その狂気に呑み込まれずに、正しい行動で、人々を救える人物がいる。彼は、なぜ正しくふるまうことができたのか…。内田先生は、それをディセンシー「礼儀正しさ」、「身体感度の高さ」と「オープンマインド」であるという。そこから生まれるのは「常識」であるという。しかし、それだけなのだろうか?例えば「少子化という問題は、「問題」ではなく、環境的に考えると逆にソリューションではないか」というような発想は、そんな常識から出てくるだろうか。これは普通の人々が持っている「常識」ではないと思う。いわば「超常識」ともいえるような内田先生の感覚は、どこから出てくるのだろう。一つは武道がもたらす身体感覚であることは間違いない。そして自らの内なるセンサーが捉えた「微かな違和感」を感じとり、その原因を探り出し、誰もが理解できる言葉で表現できる力それが「超常識力」。本書を読んでいて、いくつもの「気づき」「発見」が得られる。しばらくは内田先生の本から目が離せない。