数多久遠(あまたくおん)「黎明の笛」kindle版

前回エントリーの「深淵の覇者」の著者のデビュー作。著者は航空自衛隊の元幹部自衛官。本書に先立って2008年に軍事シミュレーション小説「日本海クライシス2012」をネットで発表。その後、本書の原型となった「黎明の笛 KDP版」を個人出版。それが出版社の編集者の目にとまり、改稿の上、祥伝社から出版されたという。紙の本でも読めるが、Kindle版で読んだ。

「深淵の覇者」がハイテク軍事スリラーだとすると、本書は軍事ミステリーか。

冒頭、自衛隊の隊員らしき人物が何者かに殺害されるプロローグから始まる。彼は何かのグループに属しており、そのグループのメンバーに殺害された模様だ。主人公は航空自衛隊・航空総隊司令部の情報課情報班の倉橋日見子三等空佐。彼女は、陸上自衛隊の特殊作戦群に属する秋津和生二等陸士と2年越しでつきあっており、先週、プロポーズを受けたばかりである。彼女は、上司である情報課長の浜田から、秋津と結婚すれば、彼女の「防適」(防衛適格性)が失われるため、結婚を考え直すように言われる。防衛適格性とは、防衛秘密にアクセスする資格の基準であり、情報課に属する彼女の仕事には不可欠の資格であった。「防適」を失えば、彼女は、秘密に接する必要がない総務や広報、教育職などに配置転換されることになる。納得できない倉橋は、自分が「防適」を失う理由を調べようと決意する。「防適」剥奪の理由は、婚約者である秋津にあるはずである。そして気がつくと彼女の周辺には監視者が出没するようになっていた。倉橋は部下の安西の協力を得ながら、婚約者の情報を探っていく…。ミステリー仕立てで始まる物語は、秋津が関わる或る計画へと急展開していく。秋津をリーダーとする陸自の特殊作戦群の部隊が韓国が実効支配する竹島を上陸占領。国内の演習場からは37名の自衛官とともに数台の軽装甲車と武器が姿を消していた。

2つの謎解き

物語は、空自の情報課員である主人公が、様々な情報をもとに事件の謎を解き明かしていく過程として描かれていく。秋津たちの意図は何なのか?空自が関わって何をしようとしているのか?主人公はなぜ事件に巻き込まれたのか?ここから先はネタばれになってしまうが、この謎解きの面白さが、本書を単なる軍事シミュレーション小説以上のエンターティンメントに仕立てている。

女性の主人公

本書の主人公と彼女を監視する情報保全隊の隊員、杉井は、女性である。女性を主人公にした理由は、著者によると「女言葉を使うことで、主人公のセリフを認識しやすくできるのではないかという、なんとも言い訳がましい消極的なもの」ということらしいが、彼女たちのキャラクターはなかなか魅力的だ。軍事小説で、女性が主人公の作品は多くないが、あることはある。ステルス駆逐艦の活躍を描いたJ.H.コッブ「ステルス艦カニンガム出撃」などに登場する女性艦長アマンダ・ギャレットは、美人なのに知略に長けた戦士という設定で、とても魅力的である。本書の倉橋も、メタルフレームの眼鏡をかけた切れ長の眼が「冷たくはないものの、きつい感じのする目だ」と表現され、存在感がある。本書では彼女の頭脳がフル回転して謎を解き明かし、彼女が次々に繰り出す大胆な作戦が物語を急展開させていく。迫るタイムリミットと緊迫した状況が、彼女に大きなプレッシャーをかける。しかし彼女は微笑すら浮かべて、それを楽しんでいる…。

自衛隊とは軍隊である。

本書を読んでいちばん強く感じたのが、当たり前のことだが「自衛隊は軍隊である」ということ。いままで自衛隊自衛官を主人公にした小説をほとんど読んだことがなかったので、よけいにそう感じたのかもしれない。なんというのか、著者が元自衛官であるせいか、自衛官たちの日常というか、生活感のようなものが感じられ、それが僕たちの日常とはまったく違うものだという気がした。いままで自衛隊といえば、専守防衛に徹した、軍隊ではない、中途半端な組織というイメージがあった。しかし本書を読むと、いざ戦闘という場面になれば、ためらうことなく戦闘に突入していく臨戦態勢にある軍隊というイメージを持った。そこには米国の軍人が書いた軍事小説と共通する空気がある。それが良いとか悪いとかいうのではなく軍隊とは本来そういうものなのだろう。外国から見れば、れっきとした軍隊を、国が「自衛隊」という名称で覆い隠しているにすぎない。その事実を突きつけられて、僕らは愕然とする。本書はエンターティンメント小説であるが、色々と考え込んでしまった。

 

数多久遠「深淵の覇者」

大好きな海戦&潜水艦モノ。

舞台は、尖閣諸島付近や沖縄トラフなど東シナ海。著者は航空自衛隊の元幹部自衛官。帯に「これはただのフィクションではない。警告の書だ!」とあるが、「尖閣諸島をめぐる日中の紛争」という点では、設定にリアリティが足りず、かわぐちかいじの「空母いぶき」のほうが説得力がある。しかし海戦モノ、あるいは潜水艦どうしの戦闘という点では、半端じゃないリアリティとスリルがあり、読み応え充分。僕の中での本書の位置づけはハイテク軍事スリラー。トム・クランシー「レッドオクトーバーを追え」から始まったジャンルだ。土日で一気に読んだ。

新型ソナー兵器と5年前の潜水艦事故。

2016年、防衛省技術研究本部が開発した新型ソナー兵器「ナーワルシステム」の完成が近づき、そうりゅう型潜水艦「こくりゅう」での実用試験が始まろうとしていた。開発の中心である防衛省の技官、木村美奏乃は、システムに細工を施し、自分が「こくりゅう」に載らなければ試験が行えないようにしていた。彼女は、5年前の潜水艦事故で恋人の橋立真樹夫を亡くしており、その事故の真相を探ろうとしていた。その頃、中国では人民解放軍に動きがあり、海軍が何らかの軍事行動を目論んでいるとの情報が入ってきた。「こくりゅう」がナーワルシステムの試験を続けている頃、尖閣諸島に中国駆逐艦「石家荘」が接近。日本政府は海自の護衛艦「あきづき」を派遣する。魚釣島近海で国籍不明の潜水艦を追跡していた「あきづき」が消息を断つ。「こくりゅう」は実用試験を中止し、尖閣諸島へ向かう。

「見えない潜水艦」VS「最速潜水艦」

潜水艦「こくりゅう」が実用試験を行っている「ナーワルシステム」は、オーディオのノイズキャンセルと同じく、敵艦から照射されたアクティブソナーを検出し、それと逆位相の音を発して音を消すシステム。ナーワルシステムが機能している間、敵の艦船や対潜航空機からは位置が特定できず、「見えない潜水艦」として、戦闘で優位に立てる。この「こくりゅう」と戦う中国の潜水艦は、ロシアのアルファ級原潜に改造を加え、60ノットというありえないような高速航行を実現した「長征十三号」。魚雷でも追いつけないほどの高速移動により、戦闘をリードする「最強の潜水艦」を自負する艦である。この「見えない潜水艦」VS「最速潜水艦」の戦いが本書のクライマックスである。

女性総理の決断。

中国は、空母遼寧」を核にした機動部隊を尖閣諸島に派遣することにより領海権を主張しようとするが、日本の御厨首相(女性)は、「遼寧」を撃破することにより中国軍の意図を阻止することを決意。「こくりゅう」の艦長、荒瀬に空母攻撃を命じる。

潜水艦事故の謎。

5年前の事故の真相を探ろうとする美奏乃は、事故が起きた潜水艦の副長であった荒瀬に接近する。海自の発表では、潜水艦「まきしお」は海溝壁に衝突し、その損傷で魚雷室に浸水し、そこにいた水雷長の真樹夫が溺れ死んだことになっていた。しかし真樹夫の遺体には、全身に打撲の傷があり、単に溺死では説明がつかなかった。美奏乃は、真樹夫の弟で、兄と同じ潜水艦乗りになっている嗣夫の協力を得て、事件の真相に近づいていく。

息詰まる戦闘シーン。

本書の面白さは戦闘シーンのリアリティと迫力に尽きると思う。海戦、潜水艦戦を描いた小説は数多く読んできたが、海外作品でもここまでの迫力は表現できていないものが多い。新しい才能の出現だと思う。著者の前作「黎明の笛」も読んでみよう。

 

 

沢木耕太郎「キャパの十字架」

いやあ面白かった。400ページ近いボリュームにも関わらず、一晩で読了。本書の内容は、2013年にNHKの番組で放送されたものと同じだと思うが、残念ながら見逃している。文庫になって購入したが、この内容なら単行本で買ってもよかった。

写真「崩れ落ちる兵士」の謎。

「死の瞬間」または「崩れ落ちる兵士」と呼ばれる写真がある。1936年、スペイン内戦において、共和国軍の兵士が反乱軍に頭部を撃たれて倒れる瞬間を捉えた、あまりに有名な写真である。無名の青年だったキャパを一躍有名にしたこの写真は、ピカソの「ゲルニカ」と並んで、ファシズムとの戦いのシンボルとされるようになる。それにも関わらず、この写真が、いつ、どこで撮影されたのか、撃たれた兵士は誰なのか、という詳細が一切不明。キャパ自身も、この写真についてほとんど何も語っていないため、多くの謎が残されたままであった。後に、場所についてはコルドバのセロ・ムリアーノとされ、兵士についても、歴史家が、身につけていた弾薬入れから個人名を特定し、一応の決着がついたとされている。しかし、あまりに完璧に死の瞬間を捉えていることや、兵士の頭部に負傷が見られないことから、写真の真贋が問題になっていた。その後、バスク大学の教授が、撮影された場所が、セロ・ムリアーノではなく、56km離れたエスペホであることを発見する。そのエスペホにキャパが滞在していた間、戦闘は起きていないことが判明している。つまり「崩れ落ちる兵士」は実際の戦闘で死んだのではなく、演習中に転んだか、キャパたちに頼まれて、撃たれるポーズをしているだけではないか、という疑惑が生まれてきたのである。また、キャパが使っていたライカでは、残されている写真の縦横比は不可能で、一緒に行動していたゲルダが持っていたローライフレックスによって撮影されたという可能性も浮上してきた。この写真は、本当にキャパが戦場で撮影したものなのか。キャパの伝記を翻訳したこともある著者は、この世紀の謎解きにもう一度挑戦してみようと決意する。関係者に取材したり、現地に何度も出かけていったり、軍隊経験のある作家の大岡昇平に取材したり、ライカに詳しいカメラマン田中長徳に相談したり…。著者は、気の遠くなるような推理と検証を繰り返しながら真実に近づいていく。それを読むのは、よくできたミステリーを読むようなスリルと感動がある。これ以上内容に踏み込むとネタばらしになるので書かないが、著者がたどり着いた「崩れ落ちる兵士」をめぐる結論は驚くべきものだ。

「十字架」の意味。

この写真は、よくも悪くも、その後のキャパの人生を決定づけてしまう。キャパは、その後も、憑かれたように危険な最前線に飛び込んでいく。まるで「崩れ落ちる兵士」を超える戦争写真を撮ろうとしているかのように…。女優、イングリッド・バーグマンと恋をするが結婚には至らず、戦場へと還っていく。1954年5月、第一次インドシナ戦争の取材中に地雷に触れ、死亡。本書の中で、キャパは、生涯自宅を持たず、ホテル暮らしだったことが紹介されていて、興味深い。著者が、キャパが撮影した場所をたどる「キャパへの追走」も読んでみよう。

宮本喜一「ロマンとソロバン-----マツダの技術と経営、その快走の秘密---」

11/19のエントリーでマツダの広告について書いたが、

マツダの「Be a driver.」キャンペーンに感じたこと。 - 読書日記

マツダに何が起きているのか、俄然、興味が湧いてきた。企業が外部から見えるほど変化している時、その内部では驚くほど大きな変化が進行しているものだ。ちょうど、よい本を発見。マツダの全社革命ともいえる大改革を克明に描いた本だ。読み終えて、NHKの人気番組だった「プロジェクトX」を思い出した。中島みゆきの、あの歌をバックに、あの独特のナレーションが聞こえてくるようだ。こんな風に始まるだろうか。「マツダは出遅れていた。」「時代はエコカーを求めていた。しかしマツダにはエコカーと呼べるクルマがなかった。」「独りの男が立ち上がった。常務執行役員、金井誠太。金井は技術者たちに向かって、こう語りかけた。」「君たちにロマンはあるか?」「世界一のクルマをつくろう」 「最初は半信半疑だった技術者達も金井の情熱と本気に真剣になっていく。」「金井はさらにヨーロッパから戻ったばかりの商品企画ビジネス本部長であった藤原清志をチームのリーダーに選んだ。」「金井は思った。世界一のクルマには世界一のエンジンが必要だ。」「社内の研究部門で定年が近い独りの技術者がいた。彼の名は人見光夫。人見には一つのアイデアがあった。」「それはターボやモーターなどの機器を付加することなくエンジンの燃焼効率を飛躍的に高める『高圧縮』の技術だった。」「プロジェクトのリーダー藤原は、人見のアイデアに賭けることを決意する…。」

「X」であれば、こんな風に語られただろうか?それにしても「X」の「語り」の手法はよくできていたなあ。これならスイスイ語れそうだ。続けてみよう。

「多くの困難を乗り越えて、画期的なエンジンが生まれる。このエンジンを核にして、マツダのクルマは生まれ変わろうとしていた。」「開発、生産、デザイン、販売が一丸となって『世界一のクルマ』が生まれようとしていた。」「その時、思いもよらない事件がマツダを襲う。2008年9月の『リーマンショック』だ。」「消費はいっきに冷え込み、業績は悪化、売上は27%減少、経常利益、当期利益も大幅な赤字に転落した」「引退を考えていた社長は、資金調達に奔走しなければならなかった。」「2011年、3月、追い打ちをかけるように『東日本大震災』が発生。生産が止まった。」「しかし、マツダには過去に多くの困難な状況を乗り越えてきた底力があった。2011年5月には生産台数が前年比90%を確保。6月にはほぼ通常通りの生産体制に復帰していた。」「2012年2月、ついに運命の日がやってきた。スカイアクティブエンジンを搭載した最初のクルマ、『CX-5』がデビューする。」「山内社長兼CEOは発表会で静かにこう宣言した。『マツダはこの新世代商品の第一弾であるCX-5によって、新しい市場を創造します。社運を賭けております。』」「CX-5」は予想を裏切る大ヒットなる。そして9ヶ月後の11月、第二弾の「アテンザ」も1ヶ月で7300台を受注した。マツダの業績も劇的に改善していった。」

以上「X」風終了。最後のメキシコ工場完成のあたりでは、エンディングテーマ「ヘッドライト、テールライト」が流れてきそうだ。

これは日本のモノづくりの物語である。

長々と「X風」で紹介してきたのは、本書が描いたマツダの革命が、日本のお家芸である「モノづくりの物語」であったと思うから。困難を抱えて行き詰まる企業や組織。その中から不屈の男たちが立ち上がり、様々な障害を乗り越えて奇跡の大逆転を起こす。60年代〜80年代、日本中のあちこちでモノづくりのドラマが生まれていた。マツダにも、ロータリーエンジン車の開発や、小型オープンスポーツの発売など、多くの「日本のモノづくりのドラマ」があった。本書が描く大改革も、その延長線上にあると思う。

自動車産業は、日本のモノづくりの最後の砦かもしれない。

かつて、モノづくり王国、日本のもうひとつの象徴であった家電、電子機器、通信機器の分野では、日本企業の優位性は、とっくに失われてしまっている。それはビジネスの勝敗が、モノ=ハードの品質によって決まるのではなく、サービスやソフトウエア、プラットフォームなど、別のルールによって決まってしまうからだ。家電メーカーのライバルは、家電メーカーではなく、マイクロソフトや、GoogleAmazonAppleといった新しいグローバル企業になってしまい、そこでは競争のルールが全く違っていたのだ。そう考えると自動車産業は日本のモノづくりにとっての最後の砦なのかもしれない。

自動車の基本形は、100年以上変わっていない。

化石燃料を燃やす内燃機関によって動力を作り出し、人間が操縦して走らせる」自動車の基本形は、この100年変わっていない。動力の一部が電気になったり、水素になったりはしているが、依然として多くの自動車が石油をベースにした燃料で走ることに変わりはない。またナビゲーションにGPSやインターネット経由の情報を利用しているといっても、運転は、結局、人間が行っている。自動車は基本的にスタンドアローンな製品なのである。そしてエンジンや車体の技術もきわめて複雑で、いまだに進化を続けている。また、製品が人の生命に関わることもあり、高度な安全性が求めらる。以上のようなことから、他の分野からの参入が難しいことも幸いしているかもしれない。自動車は、日本のモノづくりの優位性を保つことができる数少ない分野なのだと思う。

10年、20年先のライバル企業

本書の中で、マツダは第二世代のスカイアクティブで、今後の5年間で、燃費をさらに20%改善するという。驚くべき数字だが、たぶん実現可能なのだろう。問題は、その先だ。「より少ない燃料で、より遠くまで、速く、安全に、移動できるクルマ」という100年間変わらない「クルマの基本概念」の中で、マツダは画期的なイノベーションを実現することができた。今、その基本概念が変わろうとしている。東京モーターショウで見た未来のロータリースポーツのコンセプトカー「RX-VISION」も、その延長線上で提案されたものだ。あの美しくエモーショナルな、そしてレトロフューチャーなデザインは、ガソリンエンジンで走る車の歴史への最後のオマージュのように見えた。今年の東京モーターショウを見る限り、他のメーカーは「自動運転」や「コネクテッドカー」のコンセプトを打ち出しているケースが多かった。米国テスラは、電気自動車で自動車に参入してきた。Apple電気自動車への参入を計画しているという。国内でも電気自動車のビジネスに自動車メーカー以外から参入する動きが始まっている。Googleはすでに自動運転の公道実験を始めている…。その変化は、言うまでもなく動力源が単にガソリンから電気に変わるだけではない。まったく違うビジネスモデルによる競争になっていくのだ。トヨタや日産は、そんな時代を見据えたビジョンを描いているように思える。10年先、20年先、自動車メーカーのライバルは、自動車メーカーではなく、きっとGoogleAppleマイクロソフトなどのIT系企業やロボティクス企業になる時代がやってくる。その時、マツダは、どんなロマンを語っていくのだろう。

かわぐちかいじ「空母いぶき1/2」

「これはもう空母じゃないか」

海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」が就役した時、「おいおい、これは空母そのものではないか」と思った。ヘリコプター搭載空母というのだろうが、ちょっと改造すれば戦闘機を搭載できるのではないかと思った。本書に出てくる「空母いぶき」は、まさに「いずも」に改良を加え、スキーのジャンプ台のような滑走台を装備し、垂直離着陸機であるF35BJを20機搭載するという設定だ。そして本書が描くのは、尖閣諸島をめぐって日中が衝突するという物語なのだ。作者は「沈黙の艦隊」「ジバング」のかわぐちかいじ。コミックであるが、本書が描き出す事態は生々しく恐ろしい。

尖閣諸島問題。

発端は、尖閣諸島の南小島に中国の漁船の遭難を装った3名の工作員が上陸し、海保がヘリを派遣して救援に向かうところから始まる。3名は日本の海保の救援を拒否し、中国による救援を要求する。中国は、海警局艦船だけでなく、空母遼寧」を含む艦隊を尖閣諸島に向かわせた。日本はこれに対抗して海自の「あたご」「てるづき」を派遣。日本の領海に侵入してきた中国海警局の艦を阻止しようとした日本の海保の艦が中国の艦と衝突する。一触即発の事態の中、空母遼寧」を飛び立った戦闘機「殲15」が「あたご」に向かって対艦ミサイルを発射。ミサイルは「あたご」をかすめて海中に落下する。レーダー照射によるロックオンのない威嚇攻撃だった。自衛隊中国軍の全面衝突を恐れた日本の首相は、遭難した中国漁民の引き渡しを決意する。その時、インド洋にあったアメリカの第7艦隊は、中国との対立を恐れて、動かない。今回の衝突は、中国がアメリカの出方を探るための作戦であったと推測する首相は、建造を進めていた「ペガソス計画」を急がせる。この「ペガソス計画」こそが「空母いぶき」を核とする艦隊の創設であった。

日中戦争へ。

事件の1年後、「いぶき」は第5艦隊として就役する。その演習航海に出ている時に、中国軍が攻撃を開始する。空母「広東」の艦載機「殲20」が与那国島宮古島のレーダーサイトを破壊。さらに大規模な空挺部隊与那国島に降下して島を制圧、与那国島を警備する自衛隊150人が捕虜となり、島民約3000名が支配下に置かれる。また中国海軍揚陸艦「長白山」から発進したホバークラフトが多数の海兵隊尖閣諸島魚釣島、南北小島に上陸させ、中国国旗を掲げる。さらに同様の作戦を多良間島でも展開していた。「いぶき」を含む第5艦隊は急遽、尖閣諸島へ向かう…。途中、艦隊の行く手を阻もうとする2隻の中国軍潜水艦に遭遇。艦隊は、魚雷発射管を開いて威嚇する中国潜水艦に屈して迂回することなく、尖閣諸島に向かう。中国政府は、これ以上戦線を拡大する意志がなく、日本との交渉を望んでいることを発表。その頃、多良間島を偵察していた自衛隊機が、中国の戦闘機に撃墜される。日本政府は閣議を開き、自衛隊の創設以来初めての「防衛出動」を閣議決定する…。

ありえない話ではない。

海戦小説というのか、第二次世界大戦以降の、海を舞台にした戦争の物語をたくさん読んできた。その中には「もしも日中が戦えば」というような架空の戦争の物語もあるが、開戦の理由に説得力がなく、その分安心して読むことができた。しかし、本書は違っている。南沙諸島での中国のふるまいを見ていると、本書が描くようなリスクは、十分ありえると感じられる。日本側の対応も、今のところ、安倍政権なら喜びそうな強気の展開である。このような事態になった時、日本はどう対応すればいいのだろう。平和主義に徹して、あくまで外交で問題を解決すべきなのか?最低限の武力で、中国を追い払うべきなのか?僕には明確な答が出せそうにない。戦後、歴代の政権は、尖閣諸島竹島の問題を曖昧なままの状態に留めおいてきたという。2012年に日本政府が尖閣諸島を国内に住む地権者から購入し、国有化した時から問題が深刻化したという人もいる。いずれにせよ本書は、日本が抱える安全保障や戦争の問題をシビアにえぐり出そうとしている。単行本は、まだ2巻しか発売されておらず、本格的な日中衝突は始まっていないが、ちょっと目が離せない。

NHKスペシャル新・映像の世紀「02 グレートファミリー新たな支配者」

NHKスペシャル 新・映像の世紀「02 グレートファミリー新たな支配者」。録画しておいたのをようやく視聴。「01 百年の悲劇はここから始まった」もよかったが、今回も見応えがあった。20世紀に入って急速に台頭してきた大富豪たちに焦点を当てて資本主義の爆発的な発展と、その光と影を描いたドキュメンタリー。ロックフェラー、J.P.モルガン、ヘンリーフォード、デュポンなどのファミリーの歴史、1929年に始まる大恐慌に翻弄される世界を、新たに発掘された貴重な映像を交えて紹介する。

ロックフェラーセンターのクリスマスツリー。

番組の始まりは、ニューヨーク、ロックフェラーセンターの巨大なクリスマスツリー。ロックフェラーは、当時アメリカ各地で採掘が始まっていた石油に目をつけ、巨万の富を築いた。彼は、自らは採掘に手を出さず、掘り当てられた石油を買い集め、精製し、販売するビジネスを立ち上げる。さらに石油を精製する技術を高め、どんな品質の石油でも精製できるシステムを作り上げた。彼が精製し販売する石油が世界の基準になることを示す「スタンダード石油」を社名とした。全米の石油産業でのシェアは90%に達していたという。ロックフェラーは、大統領よりも有名なスーパースターとなり、メディアは彼と彼の家族の生活を競って報道した。しかし民衆との格差は広がる一方で、各地でストライキや暴動が発生する。スタンダード石油の従業員たちが起こしたストライキを、ロックフェラーは武力で鎮圧し、30人もの死者が出た。

空前の繁栄と突然の暗転。

戦勝国に貸し付けた多額の債権を回収するために、ドイツに多額の賠償金を課すことを主張した金融王モルガンは、USスチール、GEなどの大企業に融資し、政治にも強大な影響力を及ぼした。この他、自動車王のヘンリー・フォード、発明王エジソン、火薬メーカーであり、ナイロンなどの化学製品で財を築いたデュポンなどが紹介される。彼らの一族はグレートファミリーと呼ばれ、アメリカを世界一の経済大国に押し上げる。空前の繁栄を遂げるアメリカ。その富に惹かれて大量の移民がやってくる。ロシアの迫害を逃れてやってきたユダヤ人は映画ビジネスを始めようとするが、映画の様々な特許を握っていたエジソンの支配を逃れ、西部に移動し、ハリウッドで映画産業を立ち上げる。美容師から化粧品メーカーを立ち上げたマックスファクターなど、多くのサクセスストーリーが生まれた。自動車や住宅のローン販売など、現在につながる金融の仕組みも、この頃生まれている。さらに投資熱も高まり、わずかな資金で株が買える仕組みが人気を集めていた。景気の過熱を懸念するフーバー大統領に対して、モルガンは、「経済がコントロール不能に陥っていることを示唆する要素は何もない。我々は世界で最強の富と確固たる未来を持っている」というレポートを提出した。その5日後、ウォール街で株が暴落した。借金をして株を買っていた人たちは次々に破産。恐慌は、またたく間に世界に広がっていく。モルガンは議会の聴問会に召喚される。過剰な投機をあおり、自分はいち早く資金を引き上げ、暴落の被害を免れたことや脱税の罪に問われたのである。それから80年後、我々は同じ場面を見ることになる。リーマンショックで。

ケインズの言葉。「資本主義は、成功ではなかった」

今回、最も印象に残ったのが、ウォール街の暴落から始まる世界恐慌を描いた後、ケインズの以下の言葉がテロップ入りで紹介される場面だ。

「今、 我々がそのただ中にいるグローバルで、かつ個人主義的な資本主義は、成功ではなかった。それは、知的でなく、美しくなく、公正でもなく、道徳的でもなく、 そして、善ももたらさない。だが、それ以外に何があるのかと思うとき、非常に困惑する」ケインズ 論文「国家的自給」(1933年)より

いまから80年以上前の言葉が、21世紀の今も、一言一句そっくりそのまま通用することに驚く。資本主義は、大恐慌時代以上に、電子マネー、インターネット によって、スピードと規模を増し、世界を席巻するようになっている。それによって世界の格差はますます広がり、紛争や難民、テロにつながっている。資本主 義を全否定しながら、それ以外の選択肢を提示できない経済学者の苦悩が伝わってくる。世界経済を襲った大恐慌で、人々は資本主義に絶望する。その絶望の中から、ドイツ、イタリア、日本で、ファシズムが台頭してくる。

ロックフェラーの孫が建てたツインタワー。

象徴的なエピソードがある。ロックフェラージュニアは、資本主義が健在であることをアピールするために、巨大なロックフェラーセンターを建設する。この建設よって、7万人の雇用が生まれたという。それに感謝した労働者たちがポケットマネーを出し合って巨大なクリスマスツリーを立てたのだという。そして、ロックフェラー一族の哲学である「World Peace  Through Trade」(自由貿易による世界平和)をアピールするためにロックフェラーの孫が建てたのは、僕らが見慣れた、あのツインタワーだった。それは「World Trade Center」と呼ばれた。

加古隆パリは燃えているか」の旋律。

前回の時、サウンドトラック盤のCDを思わず買ってしまったが、今回もアレンジを変えて登場。番組の中で、メインテーマである「パリは燃えているか」の旋律が聴こえてくるだけで、否応なしに感情を鷲掴みにされてしまう。悲しいような、愛おしいような、とてもエモーショナルな音楽である。かなりシリアスでシビアなドキュメンタリーなので、音楽はもっと控えめでよいかな、と思うのだが…。この旋律が流れてくると「やっぱりそうなんだ。あの出来事が現在のあの出来事につながっているんだ。人間って、どうしようもなく愚かで、悲しい生き物だよね。歴史って因果応報!」みたいな判断停止状態になってしまうような気もして、もっとドライな音楽でもいいのではと思う。まあ音楽も番組の大きな魅力のひとつではあるのだけれど…。音楽以外にも、ナレーションや、演出が絶妙で、思わず涙が出そうになる場面がある。今回もサウンドトラック盤CDを購入してしまった。

 

 

鎌田浩毅「西日本大震災に備えよ  日本列島大変動の時代」

異色の火山学者。

著者は、このところ頻発する火山噴火のせいか、時々テレビで見る火山学の先生。最初に見た時は、赤い革ジャンとスキンヘッドという異色の風貌が印象に残った。いつも読む地震学の研究者とは違う視点を期待して購入。タイトルの「西日本大震災」とは、南海トラフ沿いに発生する3つの地震を指している。東海地震東南海地震、南海地震である。3つの地震は連動して発生する可能性が高く、3つが同時に起きた場合はマグニチュード9.1の巨大地震になる可能性があるという。南海地震は、ほぼ100年周期で発生し、現在では最も予測可能な地震とされている。地震学者によると2030年代、著者も2040年までには発生するであろうと予測している。予測の根拠として著者が紹介する、高知県室津港の海底の隆起と沈下のデータが興味深い。室津港の漁師たちは、江戸時代から、地震による海底の隆起で漁船が出入りできなくなることを知っており、水深を測り続けていたのだという。港の海底の地盤は、地震の発生により1.8m〜1.2mの範囲で隆起する。そして地震直後から地盤沈下が緩やかに始まり、隆起がゼロになった頃、次の地震が発生するという。地盤の隆起の大きさは次の地震発生までの時間と連動しており、隆起が大きいほど次の地震までの時間が長くなるという。1707年/1.8m。147年後の1854年は1.2m。92年後の1946年は1.15mである。ここから予想される南海地震の時期は2035年になるという。

3.11以降、列島は大変動の時代に入った。

著者によると、戦後から高度成長期〜90年台の日本は、地球学的に見て僥倖と言えるほど平穏な時期であり、地震も火山噴火も極端に少なかったという。それが1995年の阪神淡路大震災以降、さらに3.11以降、日本列島は、本来の姿である地震と火山噴火が頻発する時代に入ったという。しかも1960年台以降の日本は、地震や噴火が頻発した9世紀の日本に酷似しているという。整理してみると。

818年 北関東地震              1965年 静岡地震

827年 京都群発地震             1974年 伊豆半島地震

830年 出羽国地震

832年 伊豆国 噴火

837年 陸奥国 鳴子 噴火          1983年 日本海中部沖地震

838年 伊豆国 神津島 噴火                                1984年 長野県西部地震

839年 出羽国 鳥海山 噴火

841年 信濃地震、北伊豆地震

850年 出羽庄内地震             1995年 阪神淡路大震災

863年 越中・越後地震            2000年 鳥取県西部地震

864年 富士山・阿蘇山 噴火         2005年 福岡県西部沖地震

868年 播磨地震 京都群発地震                            2007年 能登半島地震 中越沖地震

871年 出羽国 鳥海山薩摩国 開聞岳 噴火  2008年 岩手・宮城内陸地震

869年 貞観地震(東日本大震災 M9クラス)  2011年 ※東日本大震災

878年 相模・武蔵地震(首都圏直下型 M7.4) 2020年? ※首都直下地震

887年 仁和地震(南海地震 M9クラス)     2029年? ※南海地震

この中で注目すべきは最後の3つの地震貞観地震と酷似しているといわれる2011年の東日本大震災と2020年?(東京オリンピック)の首都直下地震と2029年?の南海地震だ。もちろん、この年号の通り地震が発生するわけではないのだが、現在の日本が9世紀と同じ大変動期に入っているとしたら、とんでもないことになるという。

日本は火山大国。

3.11以降、日本列島の火山活動が活発化しているらしい。陸地面積では世界の400分の1にすぎない日本列島に世界の火山の7%がひしめいている。現在110個の活火山が活動していて、その内20個ほどが活発な活動を見せている。火山学では、VEI:火山爆発指数と呼ばれる基準があり、VEI0〜1が「小規模な噴火」、VEI2〜3が「中規模な噴火」、VEI4が「大噴火」、VEI5〜6が「巨大噴火」、VEI7以上が「超巨大噴火」とされている。現在起きている噴火は、そのほとんどが小〜中規模の噴火である。大噴火は、 100年で数回という頻度で発生するが、20世紀に入ってからは、1914年の桜島と1929年の北海道の駒ヶ岳の2例のみ。それ以降、現在までの100年近くは、異常なほど大噴火は少なかった。また巨大噴火も1707年の富士山と1739年の樽前山の噴火以降、300年は起きていない。3.11以降、活発化しはじめた日本の火山は、いつ大噴火や巨大噴火を起こしてもおかしくないという。巨大噴火の中でも特に規模が大きなカルデラ噴火は、一つの文明を滅ぼすほどの激甚災害となる。日本でも、最近の10万年は7000年に一度くらいの頻度でカルデラ噴火が起こっているという。北海道と九州に多く、最も新しいものは、今から7300年ほど前に、鹿児島の薩摩半島沖の薩摩硫黄島で起きたカルデラ噴火である。この噴火では、大量の火砕流と火山灰を噴出、高温の火砕流は、海を越えて流走し、40km以上離れた屋久島や種子島に上陸した。火砕流は九州本土にも上陸し、南九州一帯を焼き尽くし、当時、そこに暮らしていた縄文人を全滅させたという。このような巨大噴火も、7000年の間、発生しておらず、いつ起きてもおかしくない状況だという。ただし、巨大噴火は、ある日突然起こるのではななく、小噴火や中噴火が頻発し、さらに大噴火の時期を経て、最終的なクライマックスとして大噴火を起こすので、準備を整えることができるという。国は、食料1年分の備蓄や、西日本に人が住めなくなった場合、東日本だけでどう生き残りを図るか、などを対策を早急に検討しなければならないだろう、と著者は主張する。

大地大変動時代の生き方。

3.11以降、大変動時代に入ったという日本列島。百年周期で発生する南海地震。三百年周期で発生する東海・東南 海・南海の連動地震。そして、いつ起きてもおかしくない首都直下地震。さらに300年発生していない大噴火や7000年発生していないというカルデラ噴 火…。以前にドイツの災害保険会社が世界の主要都市の自然災害の危険度ランキングを発表したことがあった。それによると東京、横浜は、次点のサンフランシスコ やロサンゼルスを大きく引き離してダントツのワースト1だったという。治安などでは世界一といってもいい東京だが、地球科学的には、3つのプレートがひしめき合う「地震の巣」の上に構築された砂上の楼閣であるという。日本人は、これから、どこで、どのように生きていけばよいのだろう。例えば、「首都移転」を行えばよいのだろうか?著者は、 それでは意味がないという。地球科学のスケールで考えると、日本列島のどこにも直下型地震のリスクは存在し、首都移転でそのリスクが回避できるわけではな いという。ニューヨークやパリに住む著者の仕事仲間は「東日本大震災の後、西日本大震災が必ずやってくるというのに、ヒロキはなぜ日本を脱出しない?」と著者の生き方を訝しむという。著者は、「日本を脱出すること」を人生の選択肢から最初に外したという。著者は、現在、京都を拠点に「大変動時代の日本をどう生きるか」というジャーナリズム活動を続けている。

 「長尺の目」という思考。

著者が本書の中で繰り返し主張するのが「長尺の目」の思考。地球の誕生から46億年のの時間を研究する地球科学にとって、地震や火山活動は、最小でも百年、千年、1万年というスケールで考えるものであって、数年や数十年という時間は、一瞬に等しいという。地球科学のスケールで考えると、100年に1度の南海地震は必ず発生するし、富士山の巨大噴火も必ず起きる。1000年に1度と言われていた東日本大震災も現実に起きたのである。しかし、地球科学も地震学も火山学も素人の僕には、この「長尺の目」思考というのが難しい。たぶん100年足らずの寿命しか持たない人間には、自らの命の長さを超える時間の長さを実感として捉えることが簡単ではないのだと思う。民主党政権時代に事業仕分けで、「200年に1度の大洪水に備えるよりも、先に手掛けなければならない事業があるのではないか」と主張した議員のことを思い出す。100年先という未来ですら、僕らには永遠と同じくらい遠い未来に感じられてしまう。著者のような研究者でさえ、3.11以前は、1000年に1度の大地震が自分たちが生きている時代に起きるとは考えていなかったという。しかし3.11が、そんな人間のスケールの常識を打ち砕いてしまった。

ストックからフローへ。
 ここで、著者は地震や火山から離れ、人類の文明の発展を俯瞰する。大雑把にいうと、西洋の文明はストックの文明であり、環境問題などの行き詰まりは、このストックの価値観に原因があるという。ストックとは備蓄や在庫を表す経済学の用語であり、持ち家や株式など、人が蓄える資産という意味もある。要するにモノを抱え込む生活を「ストック型生活」と呼ぶ。資本主義経済は、まさにストックを基に成り立っているという。こうしたストック型の生活から、フローの生活への転換が必要であると著者は主張する。現在の、自然の操作と改変、そして進歩と拡大を前提とした西洋のストック型生活から、人類が長い間、そのフローの一環として続けてきた狩猟採集の生活へ、大きな価値観の転換が必要だという。この辺りのロジックは、それほど新しいわけではない。本書の面白いところは、そのフローの生活を著者自らが実践しているところだと思う。

気流の鳴る音が聞こえる。

著者は、ここでフローな生き方のヒントになる二人の学者を紹介する。一人は、真木悠介ペンネームで知られる社会学者の見田宗介。真木の著者で「気流の鳴る音」という本がある。未開地域で原始的な生活を送っている人々が、何十キロメートルも遠くで気流が鳴る音が聞こえる、という世界を表現している。こうした未開民族が、我々文明人が及びもつかない五官の能力を持っていることを社会人類学者が明らかにしてきたという。我々文明人は、様々なメディアにより地球の裏側のことを知ることができるようになったいっぽうで、人間が本来持っていた感覚が失われていったという。

体の声を聞く。

もう一人の学者は、野口晴哉という昭和の思想家。人間には、言葉による意識をつかさどる大脳を中心とする「錐体系」と、自律神経や意識外の動きをつかさどる「錐体外路系」があり、後者の働きを増すことが大切だと述べる。「錐体外路系」の働きが鋭い人は、地震の前に危険を察知することができるという。著者に知り合いにも、なぜか危険な時に、その場所にいない、という人がいるようだ。たとえば、ふとした思いで歩く道を変えたために、交通事故の現場に遭遇せずに済んだという人。それは全くの偶然かもしれないが、その人は普段の生活の何かが違うのかもしれない。それは「気流が鳴る音が聴こえる能力と無縁ではないと著者は考える。最新の地球科学が予測する「日本列島の大変動時代突入」という知識や情報を十分理解した上で、錐体外路系の訓練も必要ではないか、と著者は考える。緊急時において人間の身体は「行動すべきこと」を知っているという。

日本人には幾多の自然災害をくぐり抜けてきたDNAが引き継がれている。

3.11の直後、多くの外国人が日本から逃げ出した。しかし日本人の多くは、無意識のどこかで、こうしたことは過去にいくらでもあったと知っっている。我々には近い将来の大変動を乗り越える知恵が組み込まれている。自然がもたらす変動を生き抜く力強いDNAがあるという。

東京出張の時は首都直下地震に備える。

本書の面白さは、3.11以降の「日本列島大変動」の話と、それに対して著者自身が、どう生きようとしているかの話が一緒に読める点になる。京都に住む著者が仕事などで東京にいく時の話は、興味深い。著者が東京に行く時は、気合を入れて出かけるという。首都直下地震がいつ起きてもおかしくないと認識しているからである。鞄やリュックの中には、常に懐中電灯と予備の電池、500mlのペットボトルの水、ドライフルーツを入れて持ち歩いているという。僕も、阪神大震災以来、キーホルダーには小型の懐中電灯をぶら下げ、鞄の中にも、もうひとつ懐中電灯を用意している。さらにポータブルのFM/AMラジオ、レザーマンのマルチツールを持ち歩いているが、著者はさらに水と非常食を持ち歩いているのだから徹底している。本書を読んでから、僕も従来の装備に加え、水と非常食を持ち歩くことにした。

軽い気持ちで読んだが、読み込むと、かなりディープ。

薄い新書で、タイトルもいかにもな感じで躊躇したが、「西日本大震災って何だっけ?」という疑問から購入。半日もかからず読み飛ばしたが、感想を書こうとすると、意外に中身が濃く、再度じっくり読み、感想を書きながら、何箇所も読み直した。後半は内田樹先生ばりにぶっとんでいる部分もあるが、共感しながら読めた。本書の中に出てきた真木悠介「気流の鳴る音」と野口晴哉「風邪の効用」も面白そうなので読むことにした。