明智憲三郎「本能寺の変 四二七年目の真実」

こんな面白い本が2年以上も前に出版されていて知らなかったとは…。まず著者の経歴が面白い。本能寺の変、山崎の合戦の後、秀吉の残党狩りを生き延びた光秀の子、於寉丸(おづるまる)の子孫であり、情報システム会社の役員を務める、理工系の方である。著者は、現在、一般的に知られている本能寺の変の通説に大いに疑問を感じ、情報システム分野で培ったノウハウを駆使して、真実を探っていったという。著者によれば「本能寺の変」には、今だ解き明かせない7つの謎があるという。⑴謀反の動機は何か?⑵なぜ信長は無警戒で本能寺にいたのか?⑶なぜ光秀は本能寺の変をやすやすと成功させたか?⑷用心深い家康がなぜ無警戒な安土城訪問と上洛を行ったか?⑸光秀は本能寺の変の後、どのような政権維持策を持っていたか?⑹三河に戻って織田領を攻め取った家康になぜ咎めがなかったか?⑺秀吉の中国大返しがなぜ成功したか?歴史というものは、勝者によって創られていくもので、本能寺の変も例外ではなく、秀吉が乱の後、大村由己に書かせた「惟任退治記」によってその真実が歪められしまったと著者は主張する。著者が生涯をかけて調べあげ、たどり着いたその真相とは? ネタばれになるので書けないが、実に驚くべきものだ。「事実は小説より奇なり」というが、通説よりも、こちらのほうが遥かに面白い。自分には著者の説を検証できるだけの見識もないが、けっこう説得力もあると思った。面白かったのは、本能寺の変で唯一生き残った小姓である黒人、弥助の証言が歴史的なエピソードとして現在にまで伝わっていること。また著者が、本能寺の変の謎を解き明かそうとしたきっかけは、現在の本能寺の境内で織田信長の子孫に出会ったこと。また謎を解くヒントとなったのは、光秀の出自である土岐一族の子孫の会を知ったことであるという。また日光東照宮に残ると言われる光秀と家康の関係を示す様々な伝説…。信長、秀吉、家康に比べて、ちょっと影の薄い印象があった光秀の人物像が、少しくっきりとして見えてきた。歴史好き、戦国好きなら、読む価値大いにあり。