加藤典洋「さようなら、ゴジラたち」

加藤典洋という文芸評論家は2冊目。1冊目は、もう20年以上前に読んだ「君と世界の戦いでは、世界を支援せよ」である。タイトルに釣られて購入。ただでさえ「味方」の少ない世の中なのに、「君と世界の戦い」で、君自身が「世界の側」に立って戦いなさい、ってどういうことだ!と思って手に取った記憶がある。情報やメディア、市場経済といった「社会」が「私」の中に浸透してきて、もはや「私の中の私の部分」が消え去ろうとしているような時代に、どのような創作が可能なのか?というようなテーマの文芸評論だったと思う。取り上げられた作品は島田雅彦の「優しいサヨクのための嬉遊曲」だった。そこで展開されたロジックに納得したわけではないが、この言葉は、いつも自分の中のどこかに居座り続けてきた。あれから20年以上の歳月が流れた。ベルリンの壁が壊れ、湾岸戦争が起きて、阪神大震災が発生し、サリン事件を経て、失われた10年と呼ばれる時代があった。加藤典洋の文章は、時折、新聞などの文芸時評で読むぐらいだった。本書によると、1997年に、かなり過激な「敗戦後論」という本を出して様々な議論を巻き起こしたらしい。また、それによってかなり「右寄りの人物」として位置づけられることも多くなったという。実はもう1冊買っている本があって、「村上春樹イエローページ」という本なのだが、当時、文壇がほとんど認めなかった村上春樹の作品の意味をいち早く評価していたことも記憶にある。
本書は、書名になっている「さようなら、ゴジラたち」をはじめ、「敗戦」「戦後」「憲法九条問題」を論じた評論集。自分には、この本を評価するだけの知識も見識も無く、批評を書くなど、ありえない。以下に記すのは自分なりの理解のために整理したメモと感想である。

いちばん共感できたのは「戦後を戦後以後、考える」。団塊の世代である著者は学生運動以後、徹底して政治的な発言を拒否して生きていたという。それが再び社会との関わりを持ち、さらには戦争や憲法に関する評論を発表するようになった経緯を語っている。ノンセクトラディカルの活動家であった著者は、連合赤軍事件を境に、それまでの全能感、高揚感が凍りつき、社会との命綱が切れてしまったという。それ以来、著者は社会的なつながりを拒否し、「文芸批評」の世界に沈潜していく。政治的な事柄を語ったとしても、それはあくまでも「文学の世界」の事柄であると意識していたという。変化のきっかけは湾岸戦争だった。著者を驚かせたのは、それまで「シラケ世代」と言われ、無関心、享楽派を自認していた若い人々が急にマジメになって、世を憂える社会派になったことだった。例えば、いとうせいこう田中康夫など…。しかし著者は、その風潮に反発を覚え、反社会的な姿勢を崩そうとはしなかったという。著者を動かしたのは、著者が教えている大学の学生たちだった。その頃、学生たちは、突然の戦争にけっこう怯えていた。「これはどう考えればいいのか」ということを聞きにくるのだ。著者は「急にいま、そんなことに真剣になってもしょうがないんじゃない?いままで遊んでいたんだから、もう少し遊んでみたら?」みたいなこと語っていたという。しかし、ある時、一人の学生から、「先生の頃は、学生運動があってよかったですね。僕らには何もないですから」と言われた時に、虚をつかれた。著者にとって学生運動は、長い間、マイナスの経験としてしか捉えていなかった。それは「穴ぼこ」のようなもので、そのためにひじょうに生きづらくなっていた。だからそんなものがなければないほうが生きやすいだろう、くらいに思っていた。いつの間にか「穴ぼこ」が「避難所」になっていた。自分にとってマイナスだったものが、学生にはプラスのものとして受け止められていることに慌てたという。いま、若い人間にはこの戦争に対処するまったく何の用意もない。戦争に怯える、どう対処したらいいかわからない、というのが一番まともな、戦争に対する態度なんじゃないだろうか。そう考えたら、結局、学生運動の経験という「財産」をもち、そこからものを考えている著者は、あの戦争体験を手放さず考えている人々と同類の、たとえようもなく鈍感で“マッチョ”人間に思えてきたという。この体験をきっかけに、著者は、憲法や戦後の平和思想について考えはじめる。湾岸戦争の翌年、著者は「人間と平和」という講義を行う。いまの学生を前に、平和のことをどういえるのか、そういうところに自分をおいてみよう、と著者は初めて思ったという。その講義のタイトルが「なぜ平和について語ることは、こんなにカッタるいか」。後半は、この時、著者の内側で何が起きていたのか?を、ラカンや、たぶん発達心理学のエピソード、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を例にあげながら考察していく。わかりにくい概念だが、要約してみよう。人間の心の中心には、根源的な無実性、白紙性(イノセンス)を持った場所がある。人間は誰でも窮地に陥った時に、そこに逃げこんで「自分には責任がない」と言える、いわば駆け込み寺のような場所があるという。そのイノセンスは、人間が、自分がいつどこで生まれるかを選べないという根源的受動性から来ているという。若者たちが「関係ねえよ」と叫ぶのは、このイノセンスから出てくるのである。そして「関係ねえよ」と叫んだ彼を、周囲が承認した瞬間、彼は「オレには関係ねえけど、責任は引き受ける」という成熟を見せるのだという。著者が社会との関わりを引き受け、「敗戦後論」を書くに至った根本のところには、こういうプロセスがあったのだ。この文章は、著者と同じ団塊の世代よりも少しだけ年下である自分の世代のほうが共感できるのではないか。1954年(偶然にも初代ゴジラ上映の年)に生まれた自分たちの世代は、すぐ上の全共闘世代を反面教師として眺めていたせいか、三無主義(無気力・無関心・無責任)と形容されたり、シラケ世代と呼ばれたり、社会的な部分が希薄なところが特徴であった。本書は、戦争を直接体験もせず、学びもせず、政治や社会に関わることを避けて、いままで生きてきた自分のような人間にも、「戦争なんて関係ねえよ!」という立ち位置から、平和や憲法自衛隊を語ることができるかもしれない、という可能性を見せてくれた気がする。
書名にもなっている「さようなら、ゴジラたち」と「グッバイゴジラ、ハロー・キティ」は面白いロジックだとは思うが、強引すぎると思う。著者によれば「ゴジラ」は南太平洋の深海で目を覚まし、繰り返し日本を襲ってくるのは、ゴジラ第二次世界大戦で戦死した兵士の亡霊だからであるという。その後も50年近く、28作品にわたって制作され続けた理由も、戦死者たちの亡霊であるとことを表しているという。それは制作者たちの意図を超えて、時代の空気や無意識が生み出した産物だったという。確かに1954年に上映された初代「ゴジラ」は、戦争の影響を多く残している。深夜、東京湾から上陸し、東京を破壊していく様子には東京大空襲のイメージがあったとも制作者たちは語っている。しかし「戦死者たちの亡霊」というのは穿ち過ぎのような気がする。確かに東宝特撮シリーズの中でゴジラは特別の存在である。自分にとっても思い入れのある怪獣なのだが、著者の考えには賛成できない。ゴジラが特別なのは、この映画が、いろんな意味で「原型」を作ったからだと思う。基本はモンスター映画である。ハリウッドの「キングコング」が何度もリメイクされるのと同じである。モンスター映画のアーキタイプを創り上げたからだと思う。「科学技術の進歩が生み出したモンスター」というのも、その後くりかえし作られる原型で、ヒントになったといわれる「原子怪獣現わる」や「ハエ男」「フランケンシュタインの怪物」と同じ出自である。ひょっとしたら、ゴジラには、ユングが言うような「人間の集合無意識が生み出した原型」のひとつかもしれないが、それが、どのような意味を持つのかはわからない。
ゴジラ」には個人的に思い入れがある。初代ゴジラの登場が、自分の生まれた1954年だったせいもある。自分たちの世代を「ゴジラ世代」と呼んでいたこともある。実際に映画館で出遭ったのは、1962年、3作目の「キングコング対ゴジラ」からで、怪獣対決シリーズの初期からである。すでに初代に見られた「反戦」「反原水爆」という主張は影を潜め、エンターテインメントに徹していた。しかも全部で28作品のうち、劇場で観たのは、上の「キンゴジ」の他に「モスラゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」のみ。全部で3作品しか観ていない。初代「ゴジラ」など幾つかの作品はビデオやテレビで観た。ゴジラ作品は、それほど観ていないが、いわゆる東宝特撮作品は、少年時代の映画体験のかなりの部分を占めている。「地球防衛軍」「モスラ」「マタンゴ」『海底軍艦」「妖星ゴラス」などをリアルタイムで観ている。
最後の「六文銭のゆくえ」は、埴谷雄高鶴見俊輔という二人の巨人の交流について語られた文章。はるか昔、埴谷雄高の「死霊」に挑戦し、その難解さに一巻すら読了できずに挫折した記憶がある。今の自宅の書棚のどこかに「死霊」が眠っているはずだ。いまなら読めるだろうか…。
本書を読み終えて、特に「戦後を戦後以後で、考える」を読んで、恐怖といってもいいような気持ちになった。自分は「世界を引き受けて」成熟するという過程を、きちんと通ってきただろうか。世界を受け入れることなく、社会と向きあうことを拒否したまま、子供のまま、今まで生きてきたのではないだろうか?「肝心な時にあなたは退いてしまう」と言われたことがある。話すのが苦手なのを言い訳にして、いつも誰かの陰に半ば隠れて、生きて来なかったか?自分の中に「幼児的な部分」があるのを自覚している。著者が言うように、自分の中のアルマン:根源的なイノセンスを追い詰めて、呼び出し、『関係ねえよ」と叫ぶところから始めて、フレドリックへと成熟していく必要があるのだろうか?
本書は、いろんなことを考えながら、格闘するように読んだ。少なくとも2度以上は読んだ。時間がかかった。