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高城剛「私の名前は高城剛。住所不定、職業不明」

数年前から、自らのライフスタイルを一変させ、オーガニック・ノマドと言ってもいいような生活を送っている高城剛が、自らを語った初めての本。この人は、どこか胡散臭くて信用できない、という人もいるが「時代を見る眼の確かさ」「物事の見きわめの早さ」「変身の素早さ」は、本物だと思っている。日本には、彼ほど成功したクリエイターは他にいないのではないか。だから著者の書いた本の大半は、出るたびに、何となく買ってしまうということを十数年続けてきた。昨年「オーガニック革命」を読んだが、「もうデジタルの時代は終わった。これからはオーガニックの時代。僕は財産や持ち物を処分して、世界中を移動しながら有機農業なんかをやってる」という彼の主張がぴんと来なかった。しかし1年経ち、本書で彼が発する言葉には、強い説得力と存在感が加わっていることに驚かされる。本の形式はQ&A形式だが、安易なインタビュー物ではない。インタビューをベースにしているとしても、本人による執筆や推敲をかなり綿密にしていると思う。それほど内容が濃い。覚えておきたい言葉が一杯出てくる。この本から、自分は、たくさんのヒントを得たと思う。本書を要約したり批評してもしかたがないと思うので、気になった言葉の一部を紹介しておこう。その中で、いちばんドキリとしたのは次の言葉だ。
「アートやクリエイティブは(中略)今後は別の仕事で稼いで、権利や作品そのものをフリーにする時代へ。クリエイティブを自由に!な、運動が起きるでしょう。」
そして、今後は、従来型の著作権を主張するクリエイターとフリーを主張するクリエイターの間で軋轢が起きるだろうと予測する。彼の目には、今も問題になっている音楽や映像、書籍など、デジタルコンテンツの未来が、もうそんな風に見えているのではないか。この予測が当たっているとしたら、こわい話だが、いまのネットやデジタルが向かっているのは、間違いなくこちらだろうという気がする。
以下、気になった言葉たち。
「アイデアは移動距離に比例します」
「移動距離と真実を見る目は比例する」
「二十世紀が、テレビ、コンピュータ、デザインといった網膜の時代だとすれば、これからの100年は神経の時代、目に見えないけど感じる時代、となります。」
「カッコいいとは不自然なことを言うのです」
「脱クール。これが二十一世紀のセンスになるでしょう」
「無駄な情報を抱えれば抱えるほど満足する『情報デブ』が増えている」
「現代メディアは、『恐怖を与えること』で構築されています。」
「鋭いけど、ソフトであること。そこに、いまの『和』を見いだしています。」
「『まじめに』と『楽しく』が反対語であることが日本人の問題のひとつではいか、とずっと思ってます。」
「個人としてはいかに働かないかを真剣に考えるべき時代だと思います。」
「株式上場をめざすのではなく、遊ぶ時間が欲しいから、起業するのが時代的には正しいでしょう。」
「日本の場合だと良くも悪くも2018年に新しいムーブメントが誕生するんではないかと、期待を込めて考えています。逆に言えば、そのときに新しい日本を提案できなかったら本当に終りかもしれません。」
「日本とはなにか」を考えはじめると、伊勢とか出雲とか、日本の起源に目を向ける人が多くなるでしょう。」
「ただのリゾートではなく、環境そのものを観光するようなものです。」
「いつも仕事場には、圧力玄米釜とコーヒーメーカーを持ち込んでいます。意外とこういうもののほうが、仕事のワークフローで重要。」
「悪いことほど、早めにオープンにする。失敗を誤魔化したり、隠したりするほど、経験上ですが、物事は悪化する。」
「問題点に限らず、あらゆる物事をオープンにすることによって、人々がすべてを見ることができて『あれとこれを足せるかも』のような統合しやすい環境になるので、結果、相対的なパワーが増大します。」
「流行ともに洋服を変えるようなスタイルはもうだいぶ前にやめました。もう、それが流行じゃないから。」
ツイッターは、やっていません。SNS全般やっていません。」
「僕はインターネットこそが、オーウェルの言うビッグブラザーかもしれないとも思っています。」