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伊藤計劃「ハーモニー」

コンセプトはある。プロットも巧みだ。しかし物語の核心がない。
最初に言っておくと、この作者が書いた前作の「虐殺器官」は、自分の中で、ここ数年読んだ本の中で、最も重要な1冊であると思っている。読んでいるうちに、この作者の思考や狙いが、こわいほどシンクロしてくるのだ。しかも作品を書くために作者が確実に読んだであろうと思われる書籍まで数多くシンクロしている。この部分はあの本から来ている。この部分は、あの本を読んでいなければ決して書けない…。こんな読書体験は、これまでしたことがない。http://d.hatena.ne.jp/nightlander/20100330/1269947548
本書は「虐殺器官」 に続く2作目。テーマは「前作」の発展といえる。前作が「9.11同時多発テロ以降、高度なセキュリティネットワークが社会の隅々にまで浸透し、あらゆる暴力が追放されたはずの世界で、究極の暴力である「虐殺」が頻発する。」という話だった。本書は、その後日談と言えないこともない。「虐殺」がエスカレートし、世界は「大災禍」といわれる全面核戦争に見舞われ、生き残った人類も、放射能による突然変異が原因の、あらゆる病気に苦しめられる。「大災禍」を経験した人類は、医療ナノマシンによって、健康状態をリアルタイムにモニターし、あらゆる病気や怪我を撲滅した高度な福祉厚生社会を創り上げる。生命を人類共通のリソースとして尊ぶ「生命主義」が支配するユートピアの誕生だ。すべての人間が健康で幸福に暮らす、この理想郷は、心身ともに徹底的に管理される超管理社会でもある、主人公の少女たちは、この社会そのものを拒否し、そこからの脱出・・・自殺を試みる。と書いてしまうと、SFとしてはありがちなストーリーと思えてくる。
本書のオリジナリティは、そこに「進化心理学」が明らかにしつつある理論を持ち込んだことだろうか。
「意識」というものは、人類という生物が生存のために進化させた「機能」のひとつにすぎない、という考え方。喜び、怒り、憎しみなど、あらゆる心の動きは、ヒトが、生存競争に勝ち抜いて、自らの遺伝子を広く伝えるための機能の進化にすぎない。「心」なんて、いまや役に立たない、盲腸みたいなものである…。しかし、その「盲腸」が変調を起こした時、暴力や虐殺など、あらゆる悪が生まれてくる。人々が健康で幸福でくらす平和なユートピア。しかし、そこで唯一管理することができないもの、それが「意識」だった。文明が進み、人々が社会化されて過程で、「意識」は、盲腸のような「不要な器官」になりつつある。盲腸と同じように「意識」も切除してしまってもいい…。人類が「意識」を失った時、世界に完璧なハーモニー(調和)が訪れる。これが、本書の中で語られるテーマである。「虐殺器官」が描こうとしたのは、人類の「心」の中のある部分---器官が、虐殺に関わっているということ。その器官を特定し、さらに機能させる方法を発見した研究者が、途上国で実際に実践して「虐殺」が発生する。しかし意識の中のどの部分が、虐殺をもたらすのか、一番肝心な部分が描かれていないと自分は指摘した。それは誰の心の中にもある、極めてありふれた機能でありながら、ひとたび動き出すと、破壊的な作用をもたらすのである。「虐殺---悪」が、小さな腫瘍のように生まれ、成長し、やがて宿主である人間を殺してしまう。その詳細なディテールを描いて、はじめて「虐殺」を描いたことになる。しかし「ハーモニー」でもそこは描かれることはなく、「意識」全体をブラックボックスとして捉え、切除してしまおうというストーリーで終わってしまう。「虐殺器官」で感じた不満は、本書でも解消されていない。著者は、そのことを自覚していたと思う。本書の解説の中に引用された著者自身の言葉「『その先の言葉』を探していたんですけど、やはり今回は見つかりませんでした、ていうある種の敗北宣言みたいなものであるわけで。」に、作者の心残りが表れている。
SFという手法が制度疲労を起こしている。
さらに本書を読んで感じた2つの「物足りなさ」について書いておこう。1つ目は、作者が選んだこのテーマを書くのに「SF」がよかったのだろうかという疑問だ。SFという手法を用いたために、かえって対象から遠ざかってしまったのかもしれない。未来のテクノロジーが登場しない、ごく日常的な何の変哲もないディテールの中に、作者が求める答が潜んでいるのではないか…。もうひとつは「虐殺器官」に比べて、作品のリアリティが希薄になってしまった気がするという点。「虐殺器官」が描く世界は、ゼロ年代の終り頃になって世界が陥っている状況を先取りしていたような気がする。世界は、いま、「収束」に向かっているのではなく、混沌へ進んでいるように見える。世界は不安定化し、格差は拡大し、人々の混乱と不安は増大しつつある。チュニジアに始まった政権交代も、革命の形であると思うが、混乱の増大を招いているように見える。世界は本書が描くような「病気のない完璧な福祉厚生ユートピア」という方向に向かっていないと感じる。国内を見回しても、経済や雇用、医療など、むしろ不安が増大しいているように見える。SFが、未来に向かっての警鐘であるべきだとしたら、告発すべき相手は「生命主義「や「医療の進歩」ではない。いまは、むしろ、その反対なのだと思う。
作者が構想したコンセプトは間違っていない。作者には、このコンセプトを作品にする時間が無かっただけだ。このコンセプトを受け継ぎ、さらに血と肉を与え、作品にしてくれる作家の登場を切望する。