宮内悠介「ヨハネスブルグの天使たち」

このところ日本の新しいSF作家たちを読んでいる。囲碁や将棋など、ゲームを題材にしたSF短編集「盤上の夜」がなかなかよかったので、本書を購入。舞台は、前作とはガラリと変わって、近未来のリアルワールド。内戦により荒廃した近未来のヨハネスブルグ、9.11の同時多発テロから40年目のニューヨーク、十数の勢力が内戦を繰り広げるアフガニスタン、同じく内戦で荒廃したイエメン、外国人が多く暮らすようになった北東京の古い団地…。タイトルになった作品は、ヨハネスブルグの廃墟になった高層ビルから落下テストを繰り返す日本製の家庭用ロボットを、ビルに住み着いた孤児たちが救い出そうとする話。「ロワーサイドの幽霊たち」は、9.11のWTCの悪夢を2040年にロボットを使って再現しようとする話。

著者が作品の舞台に、内戦やテロなどで荒廃した都市ばかり選ぶのはなぜだろう。伊藤計劃が「虐殺器官」の舞台に、民族対立や内戦が続く国を選んだのと同じ理由かもしれない。著者自身が、内戦やテロにより社会秩序が崩壊してしまった、この世の地獄のような場所にこそ、SF的な跳躍が生まれると信じているかのようだ。各作品の後には、著者が作品を書くために読んだであろう参考文献がきちんと掲載されている。それらを読むだけでも、多くの時間とエネルギーを費やしたと思われる。作品の中に「タリバンが滅んだあとに〜…」とか、「イスラエルが崩壊した後〜」とか、ひと言で中東情勢の激変を語っている箇所があるが、これは何を意味するのだろう。今後、ますます混迷するであろう世界を、著者なりに予言したSF的跳躍だろうか?

作品の中に繰り返し出てくるのは、DX9と呼ばれる日本製の家庭用ロボットだ。少女の外観を持ち、歌を歌うことで人間に奉仕しようとするロボット。表題作「ヨハネスブルグの天使たち」では、日本企業が、高層ビルで、このロボットの落下テストを行っていたが、内戦の激化で撤退した後も、テストプログラムに従って自ら落下テストを繰り返すロボットたちが登場する。そして、このロボットが全作品に様々な役割で登場する。顔の部分を削りとられ、殺戮を繰り返す無人兵器。行き場を失った少数民族が、自らの人格を移植し、人間の住まない砂漠で暮らすためのプラットフォーム。テロリストが自らが自爆テロに向かう前に、自身の人格を移植しておく分身。9.11の悲劇を、実際の場所と航空機に加え、犠牲者やテロリストの行動をプログラムした多数のロボットを使って再現しようとするシミュレーターとして…。特に、高層ビルから落下する無数のロボットのイメージは悪夢のように繰り返し出現する。「落下の王国」という不思議な映画を思い出した。また「攻殻機動隊」などのアニメで、高層ビルの屋上から女性サイボーグがダイブするイメージが執拗にくりかえされるが、そのあたりの影響だろうか?

空気感染するLSD。大量虐殺。

そして、大量虐殺が起きる。戦争を終結させるために、ある女性科学者が開発した細菌は、強い感染力を持ち、脳の機能を低下させ、激しい幻覚を起こす。米軍は、細菌の試用中に誤って流出させ、ある部族を丸ごと全滅させてしまう。その事件を調べようとした研究者が何者かに殺害される。中東を旅する日本人の旅行者が、その事件に興味を持ち、調べ始めると…。様々な人物や事件が、緩やかに関連しながら、ある種の終末に近づいていく。その中に、テムジン、エノラゲイといったホロコーストのイメージが残像のように挿入される。「虐殺コレクター」という言葉を思いついた。昔、J.G.バラードの終末SFを「終末マニア」と呼んだ人がいたが、本書の著者にも、そんな志向を感じる。難しい題材、テーマ、そして舞台で、SFとして読ませる物語を紡ぎ出す筆力は大したものだ。