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村上春樹「騎士団長殺し」

サクサク・ストーリー。

これまででいちばんサクサク読めた。途中でひっかかったり、退屈したり、考え込んだりすることなく、ほんとうに、サクサク、サクサクとストーリーが進んでいき、2冊合わせて1000ページにもなる大作をいっきに読ませてしまう。元々ストーリーテリングが巧みな作家だが、本書では、絶妙というか、なんか巧妙な手品を見せられているようで、ちょっと気味が悪かった。そのせいか、読み終えたあと、思い返すと、いくつか破綻ではないかと思えるところが出てくるが、読んでいる間は、そんなことに全然気づかない。ひょっとして、この「サクサク感」こそが村上春樹の「キーワード」ではないかと思えてきた。あとで「サクサク感」の原因をじっくり考えてみよう。

 回想で語られる物語。

プロローグ。読者は、いきなり寓話的な世界に放り込まれる。そして「騎士団長殺し」が一人の画家が描いた絵であることを告げられる。そして第1章?が始まると、村上作品を読み続けてきた読者には、懐かしいようなハルキワールドが展開していく。主人公は、穏やかだが頑固に自分のスタイルを守り続ける職業人。今回は肖像画の画家という設定。主人公は、妻との結婚生活を一度解消し、9ヶ月後に、もう一度結婚生活を始めることになる。彼は、妻と暮らした家を飛び出し、長い旅に出る。旅から帰ってくると、美大時代の友人である雨田政彦の父であり、著名な画家であった雨田具彦が住んでいた小田原の山の上の家に、半ば留守番役として暮らし始める。その家の住人であった雨田具彦は、高名な日本画家であったが、認知症が進行し、伊豆の高級養護施設に入っているという。小説はこの9ヶ月を主人公が回想する形で語られてゆく。

画家と絵画という新しい枠組み。

主人公は、山の上の家に住みながら、地元の絵画教室で教え、人妻との関係を重ねながら、絵を描こうとするが、描けない日が続く。以前の家の住人であった雨田具彦は、かつては気鋭の洋画家であり、第二次世界大戦前のウイーンへ留学していた。帰国した画家は、6年の沈黙の後、日本画を発表する。それ以後は、日本画を描き続け、日本画家として成功を収める。主人公は、ある日、家の屋根裏で厳重に梱包された1枚の絵を発見する。それは「騎士団長殺し」と名付けられていた。それは発表されていれば間違いなく雨田具彦の代表作なったであろう作品で、日本画ながら、血なまぐさい殺人の場面を描いた絵であった。その絵を見つけた頃から、主人公の周りでは不思議なことが起きはじめる。近所の豪邸に住む謎めいた人物、免色渉から肖像画の依頼。そして深夜に聞こえてくる鈴の音…。お約束ともいえるパラレルワールドの冒険が始まる。以前と違うのは、作品のタイトルに、「顕れるイデア編」「還ろうメタファー編」というような、「これはパラレルワールドの物語ですよ」と、わざわざ謳っていることだろうか。「騎士団長殺し」の絵が、現実世界とパラレルワールドをつなぐ重要なアイテムになる。主人公は「絵」を媒介にしてパラレルワールドイデアの世界)に入っていくのだ。著者が、画家を主人公にした作品を書いたのは初めてではないだろうか。主人公が、肖像画を描きあげていくプロセスがしっかり描写されていて興味深い。現実の画家がこの部分を読んで、どんな風に感じるのか聞いてみたい。著者の創作のプロセスを、絵画に置き換えて描いたようにも読める。雨田具彦のモデルになった日本画家がいるらしく、話題になっている。井上三綱(さんこう)という人で、西洋と日本を融合した作風で知られ、小田原の山の上に住んでいたという。

上田秋成、ウィーンのアンシュルス南京虐殺カルト教団

小説の中で語られる様々なエピソードが興味深い。真夜中に聞こえてくる鈴の音のエピソードの中で語られる上田秋成の「二世の縁」の話。ウィーンでのナチスによる大弾圧「アンシュルス」の話、他に日本軍の南京大虐殺の話、秋川まりえの父が傾倒していくカルト教団の話など。それらのエピソードが物語の中で違和感なく組み込まれ、ストーリーが進んでいくのだ。

謎の人、免色渉(めんしきわたる)

本書の中で、主人公に関わり、物語を展開させていく重要な人物が、この免色渉である。著者は、免色のディテールを執拗に描写するが、なぜかリアリティが感じられないのだ。山の上の白亜の豪邸にたった一人で住み、お金があり余るほどあって、趣味みたいな感じで株や為替の取引をやっている人物だという。主人公がパラレルワールドの冒険から帰ってきた後、友人の雨田政彦に免色の話をすると、雨田は、「なんだか、火星の美しい運河の話を聞いているみたいだ。」という感想を語る。重要な人物なのに、空想の世界の人物を語っているようなリアリティのなさは何だろう。彼のルーツは、過去の作品の中にいるような気もするが、よくわからない。このあたりの解釈は、加藤典洋の「村上春樹イエローページ4」を待ちたいところ。

これまでと一番違うのは読後感だ思う。

これ以上中身を紹介しても意味がないので、感想を書くことにする。本書は読みなれたハルキワールドのように見えるが、ところどころ微妙に違ってきている。一番違っているのは、読後感だ。物語は、一応、ハッピーエンドっぽく終わる。しかし、なぜか未達感のようなものが後に残る。1000ページを越える長編なのに、何のストレスもなくいっきに読めてしまう。本書はサクサク読めるが、謎は増える一方だ。読み終えた後、「あれっ」と思うような「疑問」がいくつも湧いてくる。まりえの失踪と主人公のパラレルワールド(メタファーの国)の冒険は、もちろん関係あるのだが、何がどうつながっているのか、まったく見えない。免色渉とはいったい何者なのか?スバルフォレスターの男は?物語は終わったはずなのに、「顔のない男」は、なぜ主人公に肖像画を書かせようとするのか?などなど。加藤典洋の著作「村上春樹はむずかしい」ではないが、「村上春樹は、読むのは易しいが、理解するのは難しい」と言ってみたくなる。

ハルキワールドへ、おかえりなさい。

やはり著者は「喪失と冒険と再生の物語」に帰ろうとしているのだと思う。そして彼のストーリーテリングは、さらに冴え渡り、スムーズになって、ますますサクサク感が高まっていく。「なんか、物語のつながりに破綻が!」と思っても、「そんなこと、僕にはわかりません。物語に聞いてください。」という答えが帰ってきそう。