伊藤洋志「ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方」

平川克美「『消費』をやめる 銭湯経済のすすめ」を補完してくれる、もう1冊。前回エントリーの「フルサトをつくる」が「場所」をめぐる話だったが、こちらは「仕事」をめぐる話。著者は「フルサトをつくる」の著者のひとりである伊藤洋志。今、世の中で理想の働き方といえば「グローバルな能力を身につけて、グローバルな企業に就職し、グローバル市場で、世界のグローバル企業としのぎを削る」みたいなことになっているが、そういうのは著者によると「バトル型の人」の働き方であるという。では「バトル型でない人」にとって、どのような働き方があるかということを、バトル型でない著者が自らを実験台としながら奮闘した記録が本書である。
ベンチャー企業を肌荒れで退職。
著者は京大の大学院を終了後、東京の小さなベンチャー企業に参加するが、ストレスのせいか、肌荒れがひどくなり、退職。フリーライターを続けながら、「ナリワイづくり」をテーマに活動を開始。シェアアトリエ「スタジオ4」、京都の一棟貸し宿「古今燕」、「モンゴル武者修行ツアー」、「熊野暮らし方デザインスクール」等の企画運営をナリワイとして手がける。大学院時代は、全国の職人さんの見習いをしながら、弟子の技能の身に着け方と生計の立て方を調査。手仕事専業ではなく、農業や素材栽培も含め生業を営む染織工房がいきいきと働いている様子を見て、専業よりも、副業的生活に可能性を感じたという。著者のナリワイ志向は、大学院時代に培われたようだ。それにしてもユニークだ。以前に読んだ「ぼくは猟師になった」の著者である千松信也氏も、京大を出て猟師の生活を選んだが、京大というのは、ユニークな人物を生み出す土壌があるのだろうか。
職種の数は、大正時代の16分の1
本書の冒頭で、著者は、この数字を紹介する。大正9年の国政調査で国民から申告された職業の種類が約3万5000種。それが現在の厚生省の日本標準職業分類によると、2167種。90年間で16分の1以下に激減しているという。比較するデータに疑問はあるが、職業の種類が減少しているというのは本当だろう。日本は、様々な職業に分散していた労働力を大企業に集めることで生産力を高めていった。特に戦後は、労働力を、自動車、家電などに集約して高度経済成長を遂げていく。その過程で職業の多様性が失われていったという。60年代から80年代に大きく成長を遂げた企業の多くが、21世紀になると曲がり角を迎える。日本経済を牽引してきた製造業の業績不振、経営破綻が相次ぎ、かつて成長の花形だった家電メーカーや半導体メーカーも大規模なリストラを強いられている。その理由を、著者は仕事の専業化にあると指摘する。ひとつの仕事だけをやらなければならないから、どうしても競争が激しくなったり、その規模を無理矢理大きくしなければならず、努力のわりには結果が出なかったりする…。このあたりの理屈は、平川克美「消費をやめる」のほうが、すっきりと説明してくれる。
アメリカ発の大量生産/大量消費システム。
アメリカで生まれ、戦後日本に入って来た大量生産/大量消費の経済システムは、地方の労働力を呑み込んで大発展を遂げる。その過程で、地方の過疎化が進み、都市部でも零細企業や地域の商店街が駆逐されていった。そこにグローバル化が加わり、規模の大きな企業だけが生き残っていく。さらに企業は、売上拡大のために、より大きな市場への進出が不可欠となり、グローバル市場における、より強力なライバルとの競争に明け暮れることになる。しかも、その競争に生き残れるのは、ごく少数の勝者のみであり、多くの企業は、過酷な競争に負けて、結局は消え去ってゆく。その結果というべきか、かつて3万5000種もあった職種が2000種余りに激減してしまった。ニート非正規社員の急増は、このような社会変化に適応できなかった労働人口が顕在化しただけなのだ、と著者は言う。
ナリワイとは。
いちおう第1章の冒頭で、著者はナリワイを以下のように定義している。『個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を「ナリワイ」(生業)と呼ぶ。』また「これからの時代は、一人がナリワイを3個以上持っていると面白い」とも語る。著者は、「ナリワイ」を明確に定義するのは難しいという。「ナリワイらしきものをダーっと並べてみたら、ナリワイっぽい雰囲気がにじみ出てくる、というものだ。」ということらしい。
それにしてもちょっとわかりにくい。著者は「ナリワイづくり十か条」を掲げている。
ナリワイ十か条

●やると自分の生活が充実する。

●お客さんをサービスに依存させない。

●自力で考え、生活できる人を増やす。

●個人ではじめられる。

●家賃などの固定費に追われないほうがよい。

●提供する人、される人が仲良くなれる。

●専業じゃないことで、専業より本質的なことができる。

●実感が持てる。

●頑張って売上を増やさない。

●自分自身が熱望するものをつくる。

うーん、何となくわかるような気もする、というのが正直なところ。著者も、自分でどんどん付け足してほしいと言っている。
人生における支出を点検し、カットする。
 ナリワイづくりを目指す者は、まず自らの支出を点検し、無駄な部分をカットしなければならないと主張する。現代の我々の社会は不要な出費が多すぎるという。東京に住む著者は、シェアハウスや物々交換で毎月の出費を10万円少々に抑えているという。出費の中で大きな割合を占めるのは住宅費、家賃であり、地方の山間部に行くと、住宅費が安いため、月3万円の収入で、月1〜2万円貯金している友人の例を紹介する。また会社を辞めたいのに辞められない理由の一つが、会社を辞めると、収入が無くなるという恐怖であるという。著者は、この「恐怖」をきちんと見きわて「危機感」に変換することが大切だと説く。人は未知の挑戦に対して恐怖を抱くが、要は、恐怖の正体を明かりで照らし出して、明らかにすればよいのだ。著者は一定期間、家計簿をつけることを推奨する。著者は、自分が、日当りのよい寝床があって、温泉があり、いい食事ができれば十分らしく、この3つを満たすためのコストを調べて把握しているという。普段、暮らしに困らないという安心感があれば「仕方なく身を削る仕事」をする時間を極力減らして「将来につながる仕事」だけに集中できるという。

ライスワークに気をつけろ。

著者は、さらに警告する。ランニングコストのためのライスワークで稼いで、理想の仕事を「ライフワーク」で行うというのは一見現実的に見えるが、それは甘いという。ライスワークだとたかをくくってやっている感覚が染み付いて、自分の理想の仕事をする感覚を鈍らせるという。感覚はあっさり鈍化するのものである。「学生の頃に面白かった先輩が、数年後に会ってみたら業界のネタしかしゃべれないつまらない人間になっていた、ということはザラにある」という…。

こんな調子で、著者の主張をたどっていくときりがないなあ。最近はポストイットを持ち歩いて、気になった部分に印を付けているが、本書は、ポストイットだらけになってしまった。あとは本書を読んでもらったほうがいい…。ここには、企業に就職することに背を向け、自らを実験台としてナリワイづくりを実践してきた著者にしか語れない言葉が語られている。

ナリワイをつくろう。

では、どうやってナリワイをつくるか、という第3章。そこには魔法のような手法があるわけではなく、普通にアイデアを出す鍛錬の方法の紹介である。その一つは「未来を見る」であり、もう一つは「日常生活の違和感を見つける」だという。具体的には作業仮説の手法やKJ法を使ったりと、けっこうまっとうだ。ただ、著者が、これらの方法を使って、いくつかのナリワイを立ち上げ、成功させてきたケーススタディが描かれているので、説得力がある。

ナリワイをやってみる。

やるべきナリワイが見つかり、そのディテールが見えてきたら、次はそれを実行する段階になる。そこで著者は、自分のプランを友人知人に話し、忌憚のない意見をもらうことも重要だという。その際、最初は、なるべく前向きな意見をくれる人に会うようにしたほうがよいという。何事にも否定的な意見を言う人はいるもので、実績ゼロの段階でボコボコに否定する意見に出くわすと、あっさり心が折れてしまうことがあるらしい。お金よりやる気のほうが現代では貴重な資産であると著者は言う。さらに、ある程度実態が見えてきた段階では、とりあえず1回実行することが重要だという。実際に実行してみると、計画段階では決して得られなかった一次情報が手に入ることが何よりも貴重であると、著者は主張する。一次情報を得ることで、初めて二次情報が生きると。シェアハウスを始めた友人を見ていて「自分にもできそうな気がしてきた」というのは、まさにそういうことだと…。

社会の常識を疑え。真のリスクとは。

著者は最後の章で、リスクについて問いかける。会社を辞めることはリスクなのか?では、今の会社に居続けることで何かにチャレンジする機会を失っているという、見えないリスクもあるという。では、そういう時、何で決まるか。「嫌か嫌じゃないか」そんなもんで決まると、著者は言う。さらに「これは嫌だな」と思ったとき、「じゃあ、こうしよう」と行動できるかどうか、その判断の俊敏性は、会社に入ってしまうと磨くのが大変だという。自分が動くべき時に動けるような状態を保つということが最大のリスクヘッジになるのではないか、と著者は主張する。

市場経済社会からの完全脱出を目指していない。

著者は、自分の試みが、現在の市場経済社会から完全脱出を目指す、単なる自給自足志向ではなく、逆に、このグローバル化する市場経済の中で、経済的なチャレンジを仕掛けて行く基盤になるのではないかと考えているという。いざとなっても困窮して死ぬことはないし、ぼちぼち楽しい暮らしはできる、という最終的な心の余裕があるから、何かにチャレンジできるのである、と著者は結論づける。

皮膚感覚の確かさとしなやかな強靭さ。

「フルサトをつくる」でも書いたが、著者に感じるのは、皮膚感覚が優れていること。(だから仕事のストレスで肌荒れになった!?)それと、「戦わない派」でありながら、なかなかタフなところだろうか。というより、皮膚感覚のレーダーが鋭くて、危険を事前に察知して避ける能力が優れているのかもしれない。内田樹が、どこかに「未来の社会が必要とする人物は、現在の社会には適応できずに、どこかで埋もれている可能性が高い」というようなことを言っていた。きっと時代が、著者のような人物を必要としているのだと思う。これからは、世界のあちこちで、彼のような新世代が生まれてくるのだろう。その声に、僕らは耳を傾けなければならない。

8月はじめ、著者の監修による「小商いのはじめかた」という本が出た。「『消費』をやめる」を書いた平川克美に「小商いのすすめ」という本がある。偶然だろうか。また佐々木俊尚の新刊「自分でつくるセーフティネット」もアプローチは違うが中身が似ていると感じた。次に読むべき本が芋づる式につながっていく、ちょっと不思議な体験。

 

伊藤洋志×pha「フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方」

前回のエントリーで書いた平川克美『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』は、とても説得力がある強力な本だった。著者の主張は、ほぼ納得できたのだが「消費をやめる生活」のサンプルとして、提示された著者自身の生活(住居、喫茶店、仕事場、銭湯を結んだ半径3km以内の生活)は、都会の下町にのみで可能なものに思えた。地方都市や過疎化が進む地方での「消費をやめる生活」のお手本も提示してほしかったが、そこまで「消費をやめる」に期待するのは無理だろうと、他のお手本になりそうな本を探していたが、なかなか見つからない。しかたなく、「里山資本主義」でも読み直そうかと思っていたところ、本書に偶然めぐりあった。長年、読書を続けていると、とてもラッキーな本との出会いを何度か経験しているが、本書もそのひとつ。書店ではなく、ふと時間つぶしに入った雑貨店で発見。目次をぱらぱらめくっただけで「これだっ!」という閃きが走った。さっそく購入して読み始める。

著者は二人。伊藤洋志氏は京大大学院修了後、会社に勤めるが、肌荒れが理由で退職。ライターをしながら、身近な生活の中から生み出す、しかも頭と身体が鍛えられる「ナリワイ」づくりをテーマに活動を開始。シェアアトリエ、京都の町家の一棟貸しなどの運営や「モンゴル武者修行ツアー」、「熊野暮らし方デザインスクール」の企画、さらに家の床張りだけができる大工集団「全国床張協会」を設立するなど、ユニークな活動を行っている人物。彼には「ナリワイをつくる 人生を盗まれない生き方」という著書もあって、そちらも購入することにした。もう一人の著者pha氏は京大総合人間学部を卒業後、会社に勤めるも、ほどなく退職し、ニートの道を歩きはじめる。パソコンやネット好きな人が集まって暮らす「ギークハウスプロジェクト」の発起人でもある。

しなやかな過激さ。

本書を読みながら、ある衝撃を受けていた。圧倒的に世代が違うのである。「消費をやめる」の平川克美は、僕より少し上の団塊の世代であり、彼が語る反消費の考え方は、彼がその価値観の中で奮闘し、挫折を味わってきた反省から生まれてきたものだ。だから同じように消費社会の価値観を何の疑いも持たずに生きてきた自分には、彼の後悔と反省が、深い共感をもって読めるのだ。しかし本書はまったく違う。1979年生まれという著者は、サラリーマン生活に早々と見切りをつけて、ライターをしながら、ナリワイづくりの活動を続けてきたという。彼らがしていることは、ある意味で過激な「反消費」のアクションなのだが、そこには何の気負いもてらいもない。どこまでもフツーでしなやかなのである。本書は「暮らしの拠点は1カ所でなくてもよい。都会か田舎か、定住か移住か、という二者択一ではなく、その中間点のどこかに答があるのではないか」という問いかけを、著者自身の体験から語った本である。都会に暮らす若者が地方の山村に住むためには、様々な課題や問題が起こってくると思うのだが、彼らは大して悩みもせずに自然流で軽々と乗り越えていく。乗り越えていくというより、戦わない彼らは、自分の生理に合わないことに出会うと、ひょいひょいと巧みに避けてしまうのだ。地元の住民や先輩移住者から「この土地に骨を埋める覚悟はあるのか?」と問われても「まだ修行不足で骨になる覚悟ができていません」と、しなやかに受け流してしまう。彼らの身体感覚による敏感なセンサーが、田舎ぐらしに伴う様々な危険や問題を、無意識のうちに回避させ、正しい道に導いているかのように思える。自治体や先輩移住者が長い時間をかけてもできなかった地域の活性化や町おこしが、都会から来た「戦わない若者」によって、あっけないほど簡単に実現していくのだ。水害で取り壊す予定だった廃校を修理してカフェや書店を作ったり、そこで夏期限定の塾を開いたり、それこそ大学時代の合宿感覚で、古い家を修理し、地元を巻き込んだイベントを開催して、地元と街から人を集めてしまう。

旅行でも別荘でもない、田舎に行く生活。

著者は言う。田舎には空き家や耕作放棄地がたくさんある。都会では高い家賃を払わないと住めないような恵まれた家や田畑が、驚く程少ないお金で借りられたり、買えたりするのだ。それをもっと気軽に活用できないか。田舎に永住しようとするハードルが高いけれど、その土地が気に入って、ちょっと住んでみるのは、そんなに大変なことじゃない。しかし別荘みたいに、年に1、2度遊びに行くだけの生活ではなく、もっと地元と関わっていく生活をしたい、と。

著者たちは、たまたま熊野地方の山村に以前から移住して活動を行っている先輩移住者と知り合ったことで、山村の魅力を知り、地元の住民とも交流が深まり、頻繁に訪れるようになったという。何度か訪れるうちに、空き家を借りないかという話が持ち上がり、その家の修理も、仲間を集めてイベントにしてしまう。そのようなことが可能なのも、著者の周囲に、ニートや、フリーターといった、わりと自由に動ける若者が多いせいだろう。会社勤めに縛られない、ニートなど、現代の「遊民」が、都会と田舎の間にある境界を越えて流動し始めているのかもしれない。人の流動化が、都会と田舎、定住と移住という二者択一の概念を緩やかに壊していく。ノマドワーキングというが、都市での雇用や職業に縛られている人間は、本当の意味でのノマドワーカーではないのだろう。

田舎には実は仕事がいっぱいある。

若者の田舎居住を阻んでいる大きな理由のひとつが、仕事がない、ということであると一般には思われている。しかし著者によると、仕事はいっぱいあるという。田舎には会社に勤めるというような「雇用」はないが、仕事はいっぱいあるという。お年寄りが多いため、彼らをクルマで買い物に連れていく仕事、農作業の手伝い、草刈り、山仕事、家の修理や片付けなど、仕事はそれこそ無限にあるという。会社に勤めて毎月一定の給料をもらうような仕事はないかもしれないが、田舎で生活するのに必要な収入は十分得られる、という。

カフェと書店があれば、田舎でも退屈しない。

著者たちも1年の大半を東京で暮らす都市生活者であり、山村でしばらく暮らしていると都会の生活が恋しくなってくるという。クルマで30〜40分も走れば、コンビニやスーパー、ショッピングモールへ行けるが、そこにあるのは全国チェーンのショップであり、都会にあるようなマニアックな品揃えのお店は期待できない。そこで、彼らは、都会にしかない二つの空間を、廃校に作りあげることにする。それがカフェと書店だ。美味しいコーヒーが飲めるセンスのよいカフェと、こだわりの本を集めた書店さえあれば、山村でも、そこそこの都会感覚はかなり味わえるという。

田舎でネットを使いこなす。

現在の日本では、かなりの山村でもインターネットの接続が確保できているという。ネットを使えば、ほとんどのサービスや製品を手に入れることができるし、イベントなどで人を集めたい時もFacebooktwitterなどのソーシャルメディアで簡単に行えるようになったらしい。ソーシャルメディアのよいところは、大勢の人間を集めたい時と、来る人を選びたい時で使い分けられることだという。

しなやかな新世代の出現。

藻谷浩介の「里山資本主義」や山崎亮の「コミュニティデザイン」などで提唱されている地方の再生や地域のコミュニティづくりが、著者たちのような「戦わない若者」によって、いとも簡単に実現してしまっていることに、感心しながらも、呆然としている自分がいる。僕らとはまったく異なる時代感覚を備えた若者たちによる、新しい価値観や生き方が生まれようとしているのかもしれない。彼らは、バブル崩壊後の、長い長い不況時代を過ごし、高度消費社会という社会モデルの行き詰まりと破綻を、皮膚感覚で捉えているのだろう。マイルドヤンキーが、消費社会の最後に出現してきた「最後の消費者」だとすれば、著者たちは、次なる時代の、しなやかな先駆者なのかもしれない。数年前に読んだ三浦展「高円寺 東京新女子街」にも同じ傾向を感じた。大企業に勤めることから背を向け、高円寺の家賃の安いビルで、古書店、古着屋などをはじめる若者たち。シェアハウスで新しいコミュニティに加わろうとする都市生活者。京大を出て、猟師になった千松信也も同じ世代かもしれない…。悔しいが、定年を迎えた自分としては、あまりできることはない。せいぜい彼らの後についていくしかなさそうだ。同じ著者による「ナリワイのつくりかた」も購入済み。読む順序が逆になったが、そちらも感想を書いてみるつもり。

山崎亮「まちの幸福論  コミュニティデザインから考える」


著者の関わる本が、ほぼ同時に3冊出た。スタジオ-Lの仕事ぶりをアドベンチャーゲーム形式で手法で紹介した「コミュニティデザインの仕事」。対談集「幸せに向うデザイン—共感とつながりで変えていく社会」。本書は、著者の執筆とNHK Eテレの番組「東北発☆未来塾」で著者が講師となったキックオフプロジェクトのドキュメンタリーで構成されている。
第1章は、著者がコミュニティデザインの仕事をするようになった経緯が語られる。大学生の時に阪神淡路大震災に遭ったことが著者の進路に大きな影響を与えたという。その前著「コミュニティデザイン」でも紹介された有馬富士公園や堺市の環濠地区のプロジェクトなどが紹介される。面白いのは「主体形成ワークショップ」といって山崎流とされる手法が、実は著者独自のものではなく、SEN環境計画室などの先輩たちに教わったものであるということ。また、オーストラリア留学時代に、著名な建築家の妹島和世と出会った体験が、著者を「モノを作らないデザイン」に向わせたというエピソードも。先達とのいい出会いが今の著者を育んだのだ。
第2章では戦後、全国で、地域の集落が次々に消滅していった歴史が語られる。国は、1962年から「全国総合開発計画」をはじめとする国土の有効利用計画を打ち出してきた。そのほとんどは高速道路や新幹線などを整備し、東京一極集中を分散させようとするものだったか、計画通りには進まず、東京一極集中はさらに進み、地方の中山間地域の集落は、ますます人口が減っていった。またインターネット網など、新しいインフラが首都圏との格差を解消するものとして期待されたが、逆に中央の情報が地方に流れ、東京への人口集中を招くことになったという。
第3章は番組「東北発☆未来塾」の制作班による番組ドキュメンタリー。番組は、東日本大震災を体験した17人の学生と山崎氏によるワークショップ。前著の「コミュニティデザイン」では詳しく描かれなかったワークショップの具体的な進め方が描かれていて興味深い。初対面のメンバーどうしが打ち解け合うための「アイスブレイク」はどうするのか?ブレーンストーミングはどう進めるのか?実際に読んでみて、ワークショップの進め方で、これは新しい手法だというものはなかった。しかし、ブレーンストーミングなど、基本的なルールをきちんと守って進められていることに驚かされた。僕らの仕事では「ブレスト」は毎日のように行っているが、時間がないせいか、基本となるルールをかなり省略してしまっている。「出た意見に批判や判断をせず」、「質より量を優先し」、「笑いと奇抜さを重視しながら」、「相乗り、横取りは大歓迎」というルールである。今、僕らがやっている「ブレスト」は、出て来たアイデアを、即座に否定したり、つまらない意見を出すメンバーを叱ったり、そのアイデアはこういうことだね、とまとめてしまったり…。というようなことが多いと思う。すぐれたファシリテーターである著者の導きにより、学生たちは次第に優秀なプロジェクトメンバーとして動き始める。テーマは「農業」「エネルギー」「コミュニティ」の3分野。「たくさんの意見やアイデアを出し、次にそれをグルーピングする等で、まとめ、絞り込み、さらにまたアイデアをたくさん出す」というプロセスを何度も繰り返すことによって、「答」や「未来」が見えてくる。何かの専門家ではない学生たちが、このワークショップによって、プロにも考え出せないような、そしてプロも認めるようなアイデアやプランを作り上げることができる、というのは凄い。
第4章は、このプロジェクトに参加した若者たちに接して「ソーシャルネイティブ」ともいえる新しい価値観を持った世代を語る。人とのつながりやエコの考え方を当たり前のように身につけた若者たちが、すでに社会を動かし始めているという。
第5章は、著者のコミュニティデザインの仕事の進め方について語られている。印象に残ったのは、著者がファシリテーターとしてコミュニティづくりのワークショップを進めていく過程で、著者自身に正しい方向や答が見えていたとしても、それを著者のほうから提案するべきではないという。ワークショップの参加者自身が議論をし、考え抜いて、ベストな選択にたどり着くよう誘導しなければならないという。これからの世界に求められる人材とは、たぶん、このような適性を備えている人ではないかと思った。
第6章は本書のタイトルになっている「まちの幸福論」。ここで著者は、地域社会の衰退は、生活者が、暮らしを維持するための努力を他者の手にゆだねてきたことが原因であるという。生活者自身の活動が外部化し、確かに暮らしは楽になり、便利になった。近所どうしが助け合い、支え合わなくても生活していくことはできる。しかし、その先には人と人のつながりの希薄な「無縁社会」が待っているという。著者は韓国のインチョン市のソンドという地域に世界で初めて誕生する「ユビキタス都市」を紹介する。究極のネットワークが、都市の隅々を覆いつくし、交通も、学習も、ゴミの収集も、高齢者の介護も、すべてがネットワーク化され、サービスとして提供される「いたれりつくせりの社会。高齢者が倒れても、床が反応して救急車が駆けつける…。これで人は本当に安心して暮らすことができるだろうか?と著者は問いかける。本書の帯にも書かれているが、最後に引用する。「コミュニティの活動、言い換えれば、人と人のつながりが機能するまちの暮らしは、住民ひとりひとりの『やりたいこと』『できること』『求められること』が組み合わさって実行されてこそ、初めて実現するものではないか。『できること』を他者に委ね、『求められること』を拒否し、『やりたいこと』だけに時間と労力を費やす人々の生活からは、成熟した豊かなコミュニティの姿を展望することはできない。」
自分の周囲を見ても、状況は悪化していると感じる。家族のつながり、地域のコミュニティ、そして仕事のコミュニティまでが希薄になり、失われようとしている。しかし著者の活動を知り、本書を読むと勇気づけられる。あとは、自分がどう動くかだ。

山崎亮「コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる」

知人のtwitterのつぶやきで知り、「情熱大陸」でも紹介された話題の人。本が出ている。こんな風に急に話題になる人の本は、あっという間に書店でもネット書店でもあっと言う間に売り切れになるので、すぐ買いに行かねばと、打合せの帰りに茶屋町のマルゼン&ジュンク堂書店に立ち寄った。店に入った途端、話題の本コーナーに並べてあるのが目に飛び込んできた。あ、そうなんだ。みんな知ってんだ。知らなかったのは自分だけか、と、ちょっとヘコむ。何だか悔しいので、1Fでは買わず、検索端末で検索して4Fにあるのを確認して、4Fへ。4Fでも、エスカレーターで上がったところにある話題の新刊コーナーで大量にディスプレイしてある。著者の他の本も探したりして、ようやく購入。帰宅の電車で早速読み始めた。なんかすごい。実にいろんなことを考えさせられた。世の中を変えていく人って、こういう人物なんだなあ、と思う。まず押し付けがましくない。そして素晴らしいバランス感覚。どんな場所にでも、初めての場所でも、難しい場所でも、スルッと入って行ける。内田先生が言うところ「誰も対処できないような事が起きた時に、なぜか正しい道を選ぶことができる人」なのかもしれない。有馬富士公園にはじまるプロジェクトの進め方は、まるで過去にモデルケースがあるかのように、自然に正しい方法を見つけ出し、スイスイ進めていくように見える。しかし、それは前例のない、答のない新しい難しいケースなのである。ダム建設の中止が決まった地域、高層マンションと、その建設に反対する住民によるワークショップなど、舞い込んでくる難題にも、著者は自然体で取り込んでいく。プロジェクトの進め方も、その地域や住民の事情に合わせて、変幻自在というか、ある時はネガティブな大人たちの代わりに、子供たちをプロジェクトの中心に置いたり、対立している男たちの代わりに女性たちを動かしたり、その女性たちとつながるために、学生のチームを編成したり…。この「柔軟さ・定型のなさ」こそが著者のいちばんの武器ではないかと思った。そして「プロ」とは何かを考えこんでしまった。うまく引き出せば、住民自身や、子供たち、経験の少ない学生たちでも、プロ顔負けの素晴らしい力を発揮することができる。著者のように、様々な人々を動かして、組織化し、成果をあげていくしくみをつくる人が「プロ」ではないか、という人がいるかもしれない。しかし、自分は、その能力を、プロに求めることはできない、と思う。著者の、この能力は、訓練や学習によって作れるものではないからだ。それは著者が生まれながら身につけている「人格」のようなものではないか、と思ってしまった。自分にはできないと思った。
すべては現場から始まる。フィールドワークの重要性。
この本の中で紹介されるワークショップの中で「KJ法」を使って、アイデアを出したり、整理したりする場面が出てくる。「KJ法」とは懐かしい。クリエイティブの現場で、今もKJ法でアイデアを出したりしているクリエイターは皆無だと思うが、著者によると、まだまだ有効なようだ。大事なのは、現地に行くこと。そして、そこに生きる人と会って直接話を聞くこと。自分たちクリエイターは、ますます現場から遠ざかっている。自分が広告の世界に入って来たころ、仕事は、つねに取材から入ったものだ。技術者や製造現場、店頭に出かけていって、様々な人の話を聞くところから始まっていた。ところが、今は、仕事が断片化して、企業の中の誰かが作成したマーケ戦略のパワーポイントの資料を見て、制作に入っていくようになっている。本書でひとつだけ気になったのがお金のこと。ひとつのプロジェクトに数年もかけて、著者の会社は儲かっているのだろうか?
企画書を書きたくなった。
読んでいる内に、高揚してきて、企画書を書きたくなった。冒頭のほうで著者が勤めていた事務所で、先輩に「とにかく企画書をたくさん書きなさい」と言われる。企画書をいっぱい書いて、何度も何度も書きなおして、物事は進んでいくという。
元気になった。
自分たちの業界を取り巻く環境はますます厳しくなっている。しかし、この本を読むと、元気になる。今まで、自分たちの仕事のフィールドを、自分たち自身が狭めていなかったか?「つくらないデザイン」「つながりのデザイン」これまで仕事とは思えなかったところに新しい仕事があるかもしれない。この本は、デザインやコミュニケーションに関わる、すべての人に読んでほしいと思った。「まだまだ状況は好転させられる」という著者の言葉に賛成。

三浦展+SML「高円寺 東京新女子街」

高円寺が、時代とシンクロしているらしい。「下流社会」「シンプル族の反乱」などで知られる著者は、パルコのマーケティング情報誌「アクロス」の時代から自分にとって最も信頼できるトレンドウォッチャーだった。朝日新聞のインタビューの中で、本書を書いた理由を「都市開発や郊外開発を批判してきた者として、それに代わる『こういう街がいい』という提示が必要だった」と語っている。どんな提示なのか、というのを読みたかった。
本書は朝日新聞の書評欄で知り、数件の書店で探したが、すでに売り切れ。Amazonでも売り切れになっていた。出張の帰り、八重洲ブックセンターで探したが、品切れ。諦めてAmaazonで購入を考えていたが、偶然入った地下街の小さな書店で発見。帰りの新幹線で読了した。
高円寺は、いま、とても時代に合ってきている、と著者は語る。「まず街の雰囲気がゆるい。がつがつせずに、毎日を楽しく生きたいという雰囲気が街全体に漂っている」「2番目に、ゆるいのに個性的である」という。「郊外は、巨大ショッピングモールが進出し、都心の百貨店が次々に撤退し、代わりに家電量販店とブランド店が競い合い、街の個性が失われている。その中で高円寺は他の街にはけっしてない個性を持っている。その理由は、街をつくるのが大企業ではなく、あくまでも自由な個人としての人間だからである」と著者は考察する。本書は、日記、レポート、写真、インタビュー、座談会など、様々な手法を駆使して、高円寺という街を様々な角度からフィールドワークした本である。
著者によると「クルマが入り込む広い道路が少ないこと」「路地が多いこと」「街区が小さいこと」「住居、店舗が雑然と同居していること」などが高円寺の街の魅力を作っているという。また歴史的に見ると、60年代後半から音楽好きの若者たちが集まり始め、70年代には、若者の街として、吉祥寺、国分寺、と並ぶ「三寺」のひとつになった。しかし80年代には、時代がバブル志向になり、渋谷、代官山、青山などが好まれ、高円寺など中央線沿線の街は、「暗い、ダサい」と敬遠されるようになった。バブル崩壊後の94年、まだバブル志向が残っていた時期の「別冊宝島 この街に住め!」のアンケートでは、新宿、池袋についで、住みたくない街の第3位になった。ところが1998年の「東京ウォーカー」の住みたい街アンケートでは10位にランクインする。時代が変わったのだ。長期化する不況で、若者には仕事がない。お金がない。だからお金がなくても生きられる街が人気を得るのだと著者は言う。2番目の変化は価値観の変化だ。あくせく、がつがつするより、ゆっくり、マイペース。そういう価値観が若者だけでなく40歳ぐらいまで広がった。そういう人にとっては、一流大学を出て一流企業に勤める人が多い、東急田園都市線よりも、学生、フリーター、自由業が多い中央線の、高円寺のような街が合っている。著者たちが集めた様々な高円寺のディテールは、本書を読んでもらうしかないが、著者が高円寺の空間に加えた考察には、これからの時代の、あらゆる分野のマーケティングに通じるものがある。そのひとつは「中央集権」「一極集中」から「地域分散」への変化だ。「巨大資本によるビジネス」から「小さくパーソナル手作り」への変化だと思う。高円寺のは正反対が六本木ヒルズに代表されるような「都市型大型再開発」であり、郊外の巨大ショッピングモールだという。郊外の巨大ショッピングモールは、全国どこでも同じようなブランドが入った画一的なパッケージであり、街の個性というものはない。また、そこで働く従業員は、別の街から通勤してきて、客以外で接するのは、本社や流通部門の人間である。地域にあっても、その流通は全国規模や世界規模の中で動いている。それに比べると、高円寺は「地産地消」というべきか、街の中で仕入れ、街の中で生産され、街の住民にも消費される。そして、そのやりとりの中で、人と人がつながりあっている。だから看板やディスプレイも手作りが当たり前であり、個人のセンスや趣味がそのまま出てくる。高円寺の特色である路地は、そんなパーソナルな空間と、道という公的な空間が入り交じった有機的ともいえる空間である。その有機的な雑多な空間が、高円寺の唯一無二の個性を産み出しているのだ。街の賑わいとは、本来そういうものであり、かつて日本中の街や商店街が持っていたものだ。それらを巨大スーパーや都市拠点の百貨店の進出で一掃し、人口減少などで業績が落ちると、大型店は撤退し、後には、日々の買い物にも困るような不毛の買い物困難地域が残される…。日本の都市や、街、郊外、そして小売業の興亡を見つめ続けてきた著者が伝えようとしているのは、何だろう。お金がなくても、楽しく生きられる、ゆるい生活スタイル。それこそが、これからの時代を生き残れる、唯一の道ではないか、と主張しているように思える。この本を読んで、少し元気になった。そして、今悩んでいる仕事の、ヒントを幾つかもらったように思う。いま、様々なことで迷っている、あらゆる人におすすめの本である。
村上春樹「1Q84」の中で天吾が住むのは高円寺であり、青豆が教祖暗殺後隠れるのも高円寺のマンションである。著者によると、村上春樹の中で高円寺は重要な意味を持っているという。その考察も面白い。それを書いてしまうと、ある意味ネタばれになるので、読んでみるように。