
数年に一度読み返したくなる短編小説。
僕は、1度読んだ本を読み返すことはほとんど無い。しかし例外がいくつかある。その一つがH.G.ウェルズの短編「くぐり戸」。「タイムマシン」「宇宙戦争」など、SFの父といわれるウェルズ。小説以外にも歴史書、思想書など、150冊を超える著作があると言われるが、僕が読んだのは小説ばかり。その主要な作品は10代に読み終えていたので、それから半世紀以上、彼の作品を読んでいないと思う。唯一の例外がこの作品。ウェルズの作品の中では傑作であるとされているらしい。短編ながら、なぜか時々思い出して読みたくなる。その度に本棚を探すのだけれど、この作品を収めた作品集が見つからず、新しく買って読んでいる。うちの本棚には、この作品を収めた短編集が数冊あるはずだ。タイトルも「くぐり戸」だったり「壁の扉」だったり、「くぐり戸の中」だったりする。原題は「The Door in the Wall」なので「壁の扉」が一番近いが、「くぐり戸」が一番相応しい気がする。
あらすじ
主人公ウォーレスは、才能に恵まれた人物だった。40歳を前にこの世を去ったが、生きていれば閣僚入りは間違いないと思われる程、出世街道を駆け上ってきた。亡くなる直前に、彼が親しい友人に語ったのが「くぐり戸」の話である。彼が最初にくぐり戸に出会ったのは5〜6歳の少年の頃だ。乳母で家庭教師のスキを見て屋敷を抜け出したウォーレスは、ウエストケンジントンの街をさまよっているうちに、白い塀が続く通りに出た。塀には緑の扉があって、彼の来訪を待っているようだった。扉を押して中に入ると、そこは別世界だった。
くぐり戸の向こうの世界。
広い庭園の空気は暖かく透明で、広い径の両側には美しい花壇があり、周囲にはいくつかの丘が見えた。2頭の大きなヒョウがいて、ウォーレスに近づいてきたが、彼は少しも怖くなく、ヒョウと戯れる。そこにいる人々は誰もが美しく善良だった。美しい一人の女性が現れて、彼の手を取って歩き始めた。多くのインコ、尾巻きザルがいた。子供たちが遊んでいたので、彼はその遊びに加わった…。不思議な庭園でしばらく過ごしたあと、気がついたら、元の街に戻っていた。くぐり戸の奥は楽園を思わせる異世界だが、その表現はありきたりである。家に戻ったウォーレスは、外出を厳しく制限され、再びその場所を訪れることはできなかった。
彼が2度目にくぐり戸を見たのは小学生の時だ。学校への通学の途中で友人と「近道遊び」をしていた時のことだ。通学路の途中ででたらめな方向に進んで、近道を探して、学校に早く着いた方が勝ちというゲームだ。その日、彼は道に迷ってしまい、ゲームに負けそうなのはもちろん、遅刻しそうになって焦っていた。そんな時に、あの白い塀と緑の扉が彼の前に出現した。彼は無遅刻の記録が途切れてしまうのを恐れ、その場を後にした。帰りに仲間を誘って、その場所に行こうとしたが、どうしても見つからず、彼は、嘘つき呼ばわりされ、級友たちからいじめられることになった。その後、何度も探したが、見つかることはなかった。
人生の節目に出現するくぐり戸。
次にくぐり戸を見たのは、17歳の時、オックスフォード大学の奨学金資格試験の日、会場に向かう馬車の中からだ。試験に遅刻するわけにはいかなかったので、そのまま通り過ぎた。試験には合格し、彼は成功への道を歩き始めた。彼は、これまでに2度恋をした。その一人の家へ行くために普段は通らない近道を選んだ。くぐり戸を見つけたのは、その途中だった。その時もやっぱり約束に遅れまいと、緑の扉の前を通り過ぎてしまった。彼は、オックスフォードを出て、ロンドンに来ると、政治の世界に進み、難しい大きな仕事をいくつかやり遂げ、出世の階段を駆け上がっていった。やがて、40歳に近づき、人生の頂点とも言える地位に手が届くところにたどり着いた。しかし、彼には、その世界が安っぽい、薄っぺらなものにしか見えなくなり、あのくぐり戸の中の世界が無性に恋しくなっていた。そんな時期に、彼は、1年の間に3度もあの白い塀と緑の扉を見る。1度めは、政変が起き、仲間と一緒に車で議会に駆けつける途中で見た。2度目は彼の父死に目に駆けつけた時。そして3度目は彼が閣僚になれるかどうかという際どいタイミングだった。彼は有力な政治家と重大な話をしながらケジントン・ストリートを歩いていた。通りの先の方に白い塀と緑の壁が見えた。そしてくぐり戸からわずか20インチまで近づいた。結局、彼はくぐり戸の向こうに行かなかった。その日を境に、くぐり戸が彼の前に2度と現れることはなかった。彼は、くぐり戸の向こうに行ける最後のチャンスを自らの意志で失ったことを悟った。くぐり戸を諦めて、手に入れることになった地位は、今では安っぽいつまらないもののように思えてきた。絶望した彼は、その後も夜になると、くぐり戸を求めてロンドンの街をさまよったという。友人にくぐり戸の話をしてからまもなく、彼の死体はイースト・ケンジントン駅のそばの深い工事穴の中で発見された。工事現場は一般市民が入り込まないように板囲いがしてあり、工事関係者が出入りする扉が設けてあった。工事監督の手違いによりドアには鍵がかけられていなかった。ウォーレスは、そこから入って工事穴に落ちたのである。
日常の中の異世界への入口。
この作品の何が僕を惹きつけるのだろう。一言で言うと「僕たちが住んでいる日常の中に非日常(異世界)への入口が現れる」という話である。「扉のこちら側は力や策謀が支配する世俗的な世界で、扉の向こう側は、愛や美や善で満たされた楽園である」というような単純な話ではないと思う。時々読みたくなるのは、この短編小説が、物語を生み出す装置のような構造を持った「物語の原型」とも言えるような作品だからではないか。そして、扉の向こうの異世界をどう描くかで、SFになり、ファンタジーになり、恐怖小説になり、さらに純文学のメタファーになることもあり得る。これまで読んだ小説を見わたしてみると、かなりの作品がこのパターンで書かれていることがわかる。村上春樹などは、とても多いのではないかと思う。異界への入口は、扉であったり、トンネルであったり、穴であったり、井戸であったり、坂であったり、エアポケットのような空間(店、バー、書店、図書館など)であったりする。本の1ページであったりすることもある。作品のタイトルが「壁の扉」よりも「くぐり戸」が相応しいと思うのは、狭い通路を「くぐり抜けて」向こうの世界へ行くイメージがあるからである。
白鯨とタバスコの話。
ふだん通る道を外れて違う空間に足を踏み入れること。それは日常を離れて異世界に入り込むための助走みたいなものではないか。そして街の中には、そんな人たちにだけ開く入口があるのかもしれない。僕自身の話をしてみたい。作品の中に出てくる「近道遊び」ではないが、僕には、昔から、寄り道好きというか、街を歩く時に、普段と違う道を通ってみたくなる癖みたいなものがあった。小学校、中学校は、自宅から近すぎて別のルートを探す余地はなかったが、高校になると、最寄りの駅から学校まで徒歩で20〜30分ぐらい離れていたので、帰りに色々なルートを通って帰った。途中、坂も多く、少し遠回りすると大きな公園もあり、その日の気分によってルートを選び、さらに途中で違うルートを求めて違う通りに入ることもあった。その頃、ウェルズの「くぐり戸」を読んだから、そんなことをするようになったのか、それとも元々そういうクセがあったから「くぐり戸」という作品に惹かれたのか、今となってはわからない。猫がやたらに多い猫屋敷、階段の横の急斜面に危なっかしく建った家。石垣の隙間からアオダイショウが首をのぞかせている坂道…。自分なりの通学ルートマップを頭の中に作っていた。ある日、いつもと違うルートを見つけようと、かなり遠回りになる、学校から、ほぼ南にまっすぐの道を選んだ。そのまままっすぐ行くと国鉄と私鉄を越え、国道を渡って、さらに行くと海岸に出る。僕は海に出る少し手前で西に折れ、人気のない住宅街を歩いて行った。途中で見つけたのが白亜の建物で「White Whale」という看板が見えた。確か「地中海料理」と書いてあった記憶がある。店は螺旋階段を上がった2階にあり、とても異国風に見えた。もちろん店に入る勇気はなかったが、いつか来てみようと思った。その機会は意外に早くやってきた。ガールフレンドができて、休日にデートをすることになった。どういう経緯で、その店に行くことになったのか記憶にないが、あの螺旋階段を登ってその店に入った。「White Whale」には「白鯨亭」という日本語の名前もあった。料理は、彼女が何を注文したのか覚えていないが、僕はミートスパゲッティを頼んだ。(ナポリタンだったかも)そして、大きな失敗をやらかした。テーブルの上にあった赤い小さな瓶がタバスコというものであることを知らなかった僕は、ケチャップと思い込み、スパゲッティの上に盛大にふりかけた。彼女も知らなかったと思う。一口食べた途端、間違ったことがわかったが後の祭り、恥ずかしくて、我慢して必死に食べたことを覚えている。辛いというより、痛かった。どれだけ水を飲んでも口の中の大火事は収まらなかった。その前後のことはまったく覚えていないのに、この失敗だけは鮮明に覚えている。今でもタバスコの赤い瓶を見ると、あの失敗のことが蘇ってくるほどだ。それと「白鯨」という言葉も。
坂道にて。
東京に単身赴任で3年暮らしたが、借りていた港区の部屋の周辺は、坂や崖がが多く、道も入り組んでいて、よく迷った。2度ほど不思議な体験もしている。深夜、仕事を終えて、自宅に向かって坂道を登っていた。狭い車道の片側だけにガードレールで隔てられた歩道が坂の上まで伸びていた。雨が降っていて傘をさしていた。傘を上げて坂の上を見ると数十メートル先に人が歩いてくるのが見えた。傘を下げて歩いて、そろそろすれ違う頃だと思って傘をあげると誰もいない。その坂は途中で曲がる道がまったくなく、引き返すにしても坂の上まではかなりの距離があった。何度も通っている道なので間違うはずがない。それでも、これまで気づかなかった脇道があるのか、と確かめながら登って行った。途中から怖くなって、今度は何度も後ろを振り返りながら坂道を登って行ったことを覚えている。
坂の鬼。
1度目と同じ部屋に帰る途中、深夜だったと思う。今度はこちらが坂道を降りていた。向こうから人が坂道を登ってくるのが見えた。深夜に人気のない道で、人とすれ違うのは、かなり身構えるものだ。前のことがあったので、僕はその人物から目を離さないようにして近づいて行った。パーカのようなものを着ているのか、フードを被っているように見えた。近づいてきてフードの中の顔が見えた。顔が真っ赤だった。鬼!?赤面したり、酒で赤くなっているのとは違う、血だらけとも違う、仮装のために赤い顔料を塗りたくったような赤だった。僕は一瞬凍りついたが、そのまま歩いた。その人物も、こちらを見ようともせずすれ違った。しばらく行ってから振り返って見ると、何事もなかったように遠ざかってゆく後ろ姿が見えた。あれは何だったんだろう。その直後に考えついた一番合理的な?説明が「仮装パーティが終わり、家が近いので、仮想のままで帰る途中の人物」だった。こんな風に書いてみると、人気のない深夜の坂は、怪談にはぴったりの舞台装置で、坂の上と下、2つの世界を結ぶ境目なんだなと思ってしまう。
三次元の迷路。
港区は、本当に坂や崖が多くて、2軒目に住んだマンションは崖の側に建っていて、1階と4階に入口があり、1階から出るのと4階から出るのでは、街の雰囲気がまったく違っていた。1階の外は銭湯や小さな町工場があるような下町で、4階を出ると、外国大使の公邸とかがあるような高級住宅街が広がっていた。休日、退屈を持て余している単身者には、東京の坂めぐりは楽しい暇つぶしだった。港区の高輪台駅近くに住んでいたので、休日は、品川から五反田あたり、泉岳寺から田町あたりまで、よく散歩した。東西と南北の碁盤の目で暮らしている関西の人間から見ると、東京の街は迷宮のようだ。道はどこもかしこも曲がっていて、東に向かって歩いていると思ったら、いつの間にか北に向かっている。しかも高低差があるので、三次元の迷路のようだ。ある日、五反田近くの(だったと思う)住宅街を歩いていて、高明な人間国宝の人物の自宅を見つけたのだが、後でその場所に何度か行こうとしたが、見つからなかった。あれも日常の中に忽然と現れる白日夢のような「くぐり戸」だったのかな。
くぐり戸を見つけた。
友人のAさんは、阪神間の、とある住宅街の中に、小さなプライベートライブラリーを開いた。鬱蒼とした蔦に覆われた隠れ家のような空間は建物の2階にあり、そこへ辿り着くためには、びっくりするほど高いドアを開けて、狭くて急な階段を登っていかなければならない。何だか茶室の躙口(にじりぐち)を思わせる。2階に上がるとAさん夫婦が集めたライブラリーと素敵なモノたちが迎えてくれる。僕は、最初に伺った時から、ここはウェルズの「くぐり戸」みたいだ、と思っていた。自宅でもない、職場でもない「第3の場所」。さらに、そこは日常から少し離れた異空間であってほしい。僕は、陶芸教室の帰りに、月に1、2度あの急な階段を登るのを何よりの楽しみにしていた。残念ながらライブラリーは先月でいったん閉じられてしまったが、また再開されると聞いている。どんな場所になるのか、待ちどおいしい。
白鯨亭再訪。
数年前、高校の同窓会の幹事の打ち合わせに、故郷の町に戻った時、時間が少しあったので、ほぼ半世紀ぶりに、あの場所へ行ってみた。建物は残っていたが、古ぼけていて、昔の面影はなかった。もちろんレストランは無くて、英会話教室の看板がかかっていた。「白鯨会館」というビルの名前だけが昔の名残りをとどめていた。
いま読めるのは
創元SF文庫 ウェルズ傑作集1「タイムマシン」に収録
●収録作品
「塀についたドア」←「くぐり戸」
「奇跡をおこせる男」
「ダイヤモンド製造家」
「イーピヨルニスの島」
「水晶の卵」
「タイム・マシン」



