桐野夏生「日没」

f:id:nightlander:20201130172120j:plain

本書は割と早く購入していたが、今の僕には、内容が辛そうなので、ふた月近く手をつけなかった。読み始めたのは購入から2ヶ月ほど経ってから。主人公はエンタメ系の女性小説家。時代は現在からそう遠くない近未来だ。著者は、冒頭近くで「市民が国民と呼ばれるようになり、すべてがお国優先で、人は自由をどんどん明け渡している。ニュースはネットで見ているが、時の政権に慮る書きっぷりにうんざりして、読むのをやめてしまった。もちろんテレビは捨てたし、新聞は取るのをやめた」という短い文章だけで、読者を少し先の未来へと連れていく。ほとんど現在と違わない、いわば地続きの世界だ。ある日、彼女宛に総務省文化局の文化文芸倫理向上委員会と名乗る組織から召喚状が送られてくる。不審に思った彼女は、googleで検索してみるがヒットせず、知り合いの編集者や同業の作家に尋ねてみるが、情報が得られない。ただ舞台美術の仕事をしている弟から、最近、作家の自殺が増えているらしいと聞かされる。演劇や映画の世界でも訃報が多いという。漠然と不安をいだきながらも、指示された場所に出頭してみると、そこは海辺の崖の上に建つ療養所だった。

中間が飛んでる。

オイオイ、もう収容所に入ってしまうのかよ!と早すぎる展開に、つっこみを入れたくなる。権力側が作家や学者などの文化人に対して弾圧を加えるには、本当はもう少し段階があるだろうと思う。作家自身に対する弾圧の前に、出版社に圧力を加えたり、作家に対する炎上や抗議、不買運動、出版差し止めの訴訟などがあって、最後に作家が逮捕され、思想犯として収容所に送られる…。そのようなステップを経ずに、いきなり召喚され、収容所に放り込まれるのは、リアリティがなさすぎではと思ったが、有無を言わさずストーリーは展開していく。主人公が書いている作品に問題があり、それを更生するために入所するのだという。いわれのない告発に彼女は反発し、帰ろうとするが、反抗的な態度をとると減点され、入所期間が延びるといわれ、大人しく入所を受け入れる。ここからは、ある意味典型的ともいえる収容所体験がはじまる。携帯電話は圏外で、ネットもつながらない。敷地内の散歩はできるが、つねに監視されている。ひどい食事、決められた入浴時間など、いわゆる軟禁がはじまる。そのディテールがこわいほどリアル。たぶん著者自身か近親者の入院体験がベースになっていると思われる。本書で描かれる「収容所体験」を読んでいると、有名な「スタンフォード大学監獄実験」のことを思い出した。以前、このブログで書いた投稿を引用する。

スタンフォード大学監獄実験。

1971年、心理学者のフィリップ・ジンバルドーは、大学の地下実験室を改造し、刑務所を作った。そこに新聞広告で集められた、互いに面識のない大学生など、21人の被験者によって実験が行われた。被験者は「看守」役と「受刑者」役の2つのグループに分けられ、それぞれの役を演じさせた。一見、お遊びのように思えるが、翌日になると、受刑者には受刑者らしさが現れ、看守は、看守らしく振舞うようになった。恐ろしいことに、受刑者は従順に、看守は強権的になり、その行動はどんどんエスカレートしていったという。看守役は、命令に従わない受刑者役に対して、腕立て伏せなどの罰を与えたり、食事を与えないなど、役割を越えて、虐待を加えるようになっていった。監獄の様子はモニターされ、ジンバルドーは状況をすべて把握していたにも関わらず、実験を止めることができなかった。実験6日目にジンバルドーの恋人であった心理学者が見学に来て、あまりにひどい状況にショックを受けて、実験を中止させたという。」

本書が描く「収容所」でも、囚人たちを追い詰める様々な人物が登場する。主人公を閉じ込める看守たち。そのトップに立つ所長。不機嫌で意地の悪い職員たち。収容者から「メンゲレ」と呼ばれる精神科医。主人公と同業でありながら職員として働く作家は、アウシュビッツなどで、ユダヤ人でありながらナチスに協力し、ホロコーストに関わったとされる「ゾンダーコマンド」を思わせる。「収容所」という暴力装置が主人公を蝕んでいくのだ。

 主人公は、所長から言われるままに大人しく振る舞って収容所を出ていこうとするが、しだいに追い詰められ、救いのない状況に陥っていく。読者も、読み進むほど、憂鬱に、絶望的な気分になっていく。そして最後は、日没のような夜明けの断崖で終わる。

感想。

著者は、読者を、現在の日本から、いきなり「収容所」という異世界に引きずり込む。それは唐突でリアリティに欠けると思ったが、考えてみると「収容所」はどこにでも存在しうる。学校、病院、介護施設、企業や様々な団体…。閉鎖的な集団や組織、施設は、たやすく「収容所」になりうる。そして、いじめやハラスメントが起こりやすい「場」でもある。新型コロナウィルスに感染して入院や自宅療養を強いられるのも、ある意味「収容所体験」といえるかもしれない。僕の父が入所していた老人ホームや特養も、本人からすると、望まない空間に閉じ込められる、辛い体験だったかもしれない。メディアに圧力をかける政権。政権に擦り寄っていくメディア。言葉を本来の意味からねじ曲げて使う政治家。日常から一歩踏み出しただけで、そこはもう「収容所」の中にいる。そんな時代が、もうすぐそこにあることを著者は書きたかったのではないか。新しい時代が来て、日本が沈んでいこうとしている。「日没」というタイトルは秀逸だ。