新庄耕「狭小住宅」

前回のエントリーのきっかけになったHさんのFBの投稿の中で触れられていた本書、読んでみることにした。話はシンプルだ。Hさんによると「不動産販売の営業マンになった若者の、売れない苦闘と、売れるようになった後の精神的退廃の物語」。主人公は入社から数ヶ月経っても、1軒の家も売ったことがない。そこは売ること、売上がすべてという過酷な職場である。売上を上げられない社員に対しては容赦ない罵倒が浴びせられ、ときには暴力もふるわれる…。主人公は戦力外通知を言い渡され、べつの営業所への異動を命じられる。新しい営業所でもやはり売れず、上司から「お前は営業に向いてない、もうやめろ」と退職を迫られる。追いつめられた主人公は1カ月間の猶予をもらい、社内で問題になっていた蒲田の売れ残り物件に集中する。3週間目にようやく反応があり、物件は売れる。それをきっかけに彼は周囲からも認められ、さらに上司からマンツーマンでOJTの指導を受けるようになり、売れる営業マンへの道を歩き始める…。
本書は表面的には「不動産営業マンの成長物語」として読めないこともない。どんな仕事にも、それなりのプロフェッショナリズムが存在するものだ。新人が苦闘しながら、ベテランの厳しい指導を受けながら、一人前の営業マンに成長していくストーリーは成立すると思う。しかし本書をそんな風に脳天気に読んでしまうことはできない。ここに描かれた過酷な職場の実態は、今の日本の様々なビジネスの現場で現実に起きていると思うからだ。社員を長時間拘束し、心身とも極限まで疲弊させ、倒れたら容赦なく切り捨てる…。個人は、売上やノルマの達成という数字だけで評価され、売れない社員はその全人格すら否定される…。営業マンの総会で社長が語る次の言葉が本書のすべてを表しているような気がする。『お前らは営業なんだ、売る以外に存在する意味なんかねぇんだっ。売れ、売って自己表現しろっ。こんな分かりやすく自己表現できるなんて幸せじゃねえかよ。』この社長、社員を搾取しようと思っているのではない。たぶん本気でそう信じているのだ。
かつて人生を構成する一要素に過ぎなかった職業が、どんどん生活を浸食し、人生そのもを乗っ取ってしまっている。それは、かつて社会を構成する一要素に過ぎなかった経済=ビジネスが、社会そのものを乗っ取ってしまった現在の世界の姿と相似形である、と思った。